91 お肉は冷凍保存
「お館様っ! 大変です!」
「何だ、騒々しい」
シルバーフェン家別邸の家令を務めるベリシスが、ノックもせずにベルンの執務室へ飛び込んできた。その後ろから、ルーシア、シャロン、コラードが続く。さすがにアスワドは邸内に入れなかった。
「ご子息様から! リオン様からお手紙が!」
「何だと!?」
シャロンが宝物のように胸に抱いている手紙。彼女はそれを渋々ベルンに渡す。渡さなければ中身を確認出来ないからだ。
差出人は「リオナード・シルバーフェン」と書かれ、冒険者ギルドの紋章が入った封蠟がされている。
「……確かにリオンの筆跡だ」
ベルンは逸る気持ちを押さえ、冷静になるよう努めた。シルバーフェン伯爵家が行方不明になったリオンの情報を欲していることは広く知られている。心無い誰かの悪戯や詐欺の可能性もある。だが差出人の筆跡は見慣れた息子のものに間違いなかった。
ベリシスが恭しく差し出したペーパーナイフで封蝋を切り、中の手紙を取り出した。
『親愛なるユードレシア王国の皆さま
ご心配おかけして申し訳ありません。
僕は今、エバンシア島の南部、ラルグリア王国の王都ヴィーゼンにいます。これからグレンドリア大陸行きの船が出ている、メディスル王国のフロンテノールを目指します。この手紙は四十五日くらいで着くらしいです。ここからフロンテノールまでは一年程度かかりそうです。しかし、旅をサポートしてくれる黒犬族の父娘が一緒なので心配いりません。何があっても必ず帰ります。
リオナード・シルバーフェン
追伸
ルーシア。時間はかかるけど、絶対に生きて帰るから待っていてください』
ベルンは一度黙読して、それから皆に聞こえるよう声に出して手紙を読んだ。
「ベリシス。エバンシア島まで載っている地図はここにあるか?」
「探して参ります!」
ベルンが読み終えた手紙をルーシアに渡すと、彼女は一文字ずつ確かめるように読み、それから手紙を頬に当てて静かに涙を流し始めた。
「生きていてくれました……」
ルーシアは涙を拭ってから手紙をシャロンに渡す。彼女も自分と同じくらい、リオンからの連絡を待っていたことを知っている。侍女という立場であろうと、シャロンも手紙を読む権利があると思った。果たして、彼女もルーシアと同じく食い入るように手紙に目を走らせた。文字を愛おしそうに指でなぞる。まるで文字そのものがリオンであるかのように。シャロンの目に涙が貯まり、やがて雫となって零れ落ちた。
「エバンシア島……」
シャロンの肩越しから手紙を覗き込んだコラードが誰ともなく疑問を口にした。
「エバンシア島、ってどこですか?」
それまでハンカチを目に当てながら背を向けていたベルンが振り返り、目を赤くしたままその問いに答える。
「コホン。ここグレンドラン大陸の南東にある島だ。大陸と言っても差し支えない大きさだと記憶している」
「大陸……その南部にいるってことは、かなり離れているってことですよね?」
「そうだな。だがリオンが生きていることはこれではっきりした。手紙の日付は……およそひと月半くらい前か? 仮に一年かかるとしても、あと十か月程でフロンテノールに着くということだ」
ベルンはエバンシア島の地理に詳しくない。フロンテノールとやらから出ている船がどの国に寄港するのかも知らない。
「お館様……この家にはエバンシア島まで記載された地図はないようです」
執務室に戻ってきたベリシスが心底申し訳なさそうに言った。
「構わん。私はこれからすぐに登城する。先触れを出してくれるか?」
「かしこまりました!」
もう陽は暮れたが、まだ宵の口。国もリオンの消息については情報を求めているのだから、少しくらい遅い時間でも咎められることはない筈。ベルンはそう考え、得た情報を国王に伝えるため城へ向かうことを決めた。
手紙が届いて僅か一時間半後。ベルンは国王の執務室にいた。既に自分は何度も読んだ手紙と封筒をベルトラム王に差し出し、確認してもらう。
「はぁ~~~。まさかエバンシア島まで飛ばされていたとはな。しかし、リオンが無事で本当に良かった。肩の荷を半分ほど下ろした気分だ。ベルンよ、直ぐに知らせてくれたこと、感謝する」
「勿体ないお言葉でございます」
「マクレガン、鷹便でリーゼ殿に知らせてやってくれんか」
「早急に手配いたします」
文官がすぐに二枚の地図を持ってきた。一枚はグレンドラン大陸とエバンシア島が記載されたもの、もう一枚はエバンシア島のみ記載されたものだ。
「ラルグリア王国の王都ヴィーゼンはここだ。そして、リオンが目指すと言うフロンテノールはここにある」
国王はまず島の最南端辺りを示し、次に岬のようになっている最北端を示した。
ベルンはグレンドラン大陸とエバンシア島が記載された地図を再確認する。島と呼んでいるが、やはり記憶通り大きい。面積はユードレシア王国とブルスタッド帝国を合わせたより広いだろう。縦断するのに一年かかると言うのも納得である。
「フロンテノールからの船は二か所に寄港するが、現在は主にショーグラン王国の港に寄港する。マクレガン、そうだったよな?」
「左様でございます、陛下」
「ショーグラン王国はここ、ブルスタッド帝国の東にある小国だ」
リオンがフロンテノールに到着したら、船でショーグラン王国の港へ渡り、そこから陸路で帝国を横断してようやくユードレシア王国に入る。ここ王都グレンまで、と考えると陸路だけで三か月程度はかかりそうだ。
「エバンシア島まで迎えをやるべきか……」
「畏れながら陛下。それは早計かもしれません」
ベルンはコラードの意見を聞いてきた。リオンなら、移動に関する新たな魔法を生み出している可能性が高い。その場合、当初の予定である一年よりも早くフロンテノールに到着するかもしれない。
「なるほど。行き違いになっては間抜けであるな」
「そのように愚考いたします」
「であれば……ショーグラン王国に迎えを出そう。幸い、彼の王国はブルスタッド帝国と非常に友好的だ。帝国は現在、カルロ皇子の件で我が国とリオンに恩を感じている。協力を求めるのは容易だろう」
うんうん、と一人納得して頷くベルトラム王。
「……いくらリオンでも、一年かかる所を半年では到着せんよな?」
「いえ、そればかりは何とも……何せ息子のことですから」
「そうだよなぁ。リオンだもんなぁ」
これまで、いくつもの常識を覆してきたことを思い出し、国王が王らしからぬ言葉で零した。
「手紙を出して既にひと月半。もし半年でフロンテノールに到着するとしたら、四か月半か。フロンテノールからショーグラン王国までは確か五日ほどだったか?」
ベルトラム王がマクレガン宰相に確認し、宰相はそれを肯定した。
「風向きと海流によりますが、七日から十日ほどだったかと」
「うむ。ここからショーグラン王国の港までは三か月、余裕を見て三か月半。これは早々に出迎えの準備をせねばならんな」
「御意に」
夜も更けてきたと言うのに、国王と宰相はやたらと元気そうだ。リオンの消息が分かったことで、これまで堪った心労が消し飛んだようである。
新たにやることは多いが、それは国の英雄を出迎えるという大変喜ばしいもの。打つ手が無かったこれまでより、何倍、何十倍もやる気が出るというものだ。
今すぐすべき細々したことは宰相に任せ、ベルトラム王はリオンの父ベルンと共に、少し早い祝杯を交わすのだった。
*****
穴を開けるのは簡単だが、穴を埋めるのはとても大変。リオンは身に染みてそれを実感した。何とかクレーターを埋め戻すことが出来たのは、陽が傾き始めた頃だった。
「こ、こんなに大変だとは……」
以前、ルーシアの実家であるミガント領で、キーレライト王国方面からの侵攻を止める過程で堀のような溝を作ってしまったことがある。後からアライオス・レッドラン辺境伯から「埋め戻すのが大変だった」と笑いながら言われたが、リオンは再度心の中で彼に謝罪した。
「リオン、お風呂作って欲しい」
「そうだね。汗をかいたし、みんなもお風呂に入りたいかもね」
キリシュからのリクエストで風呂を作ることにしたリオン。囚われていた女性や子供たちは長期間風呂に入っていないのか、正直少し匂う。だから全員風呂に入ってもらうことはリオンも賛成だった。
魔法で風呂を作り、囲いの土壁まで作ってから順番に入ってもらうことにした。その間、リオンたちは食事を作るわけだが、人数が多いので食材が心許ない。リオンはふと大人しく蹲っている巨大蜥蜴に目を向けた。蜥蜴は出来るだけ身を縮こまらせ、プルプルと震え出した。
「リオン、あいは食えんど? 帰りに荷車を曳いてもらわにゃならん」
「もちろん分かってます。食べませんよ?」
巨大蜥蜴は「グランドリザード」と言って、魔物ではなく単に大きな蜥蜴らしい。草食性で大人しいそうだ。
「ワイバーン、いないかな……」
「全く……ワイバーンを食い物扱いすっとはリオンくらいじゃっど?」
「あ、あはは……ちょっと見てきます」
だって物凄く美味しかったんだもの。それにワイバーンは大きいので、一体狩れば充分全員に行き渡る。
リオンは茜色に染まった空に浮かんだ。かなり遠方にワイバーンか鳥型魔物の黒い影が見えるものの、遠すぎて運べそうにない…………本当に? 仕留めたワイバーンを<エア・ムーブ>で運べば良いのでは?
そう思い付いたリオンは全速力で影に向かって飛んだ。途中で<テレスコープ>を使って確認すると、念願(?)のワイバーン、それも三体。そのうちの一体がリオンに気付き、方向転換してこちらへ向かって来た。残りの二体もそれに追従する。
(三体は多いよなぁ)
「アイテムボックス」や「マジックバッグ」という恐ろしく便利なものは、ファンタジー作品の定番と言っても良いだろう。その内部は時間が停止していて、収納した料理や食材を長期間保管しても腐らないのだ。
リオンは今こそ「アイテムボックス」が欲しいと切実に思った。三体も狩ったら、せっかくの美味しいお肉を腐らせてしまう。それは資源の無駄遣いではないだろうか。
リオンはワイバーンを食材としてしか見ていなかった。売れば大金になる魔石を持っている可能性が高いことなど忘却の彼方である。
(氷漬けに出来ないかなぁ……)
冷凍すれば多少はもつのではないか。最早リオンは肉のことしか考えていない。
「ええい、保存方法は後で考えよう。<ストーンライフル>!」
慎重に頭部を狙って<ストーンライフル>を放つ。言うまでもないが、頭を狙っているのは肉を無駄にしないためである。誤って腹部にでも当たろうものなら、内臓を破壊して肉が駄目になるかもしれない。
念の為に再度述べるが、ワイバーンは高位冒険者が五~六人がかりで倒せるかどうかという魔物だ。決して上質な肉の代名詞ではない。だがリオンを餌と認めてこちらへ向かってきた三体のワイバーンは、憐れ精密に頭を撃ち抜かれて絶命した。
「<エア・ムーブ>、<エア・ムーブ>、<エア・ムーブ>!」
地面に墜落する前に魔法を使い、ワイバーンを浮かせたリオンは、そのまま仲間たちのいる場所に戻った。ゆっくりと地上に降り、仕留めた獲物も降ろす。
エルテガとブロドが呆れた目をリオンに、キリシュとゲルガ、ライドンはキラキラとした目をワイバーンに、そしてリオンたちが救出した女性や子供たちは突然空から降りてきたワイバーンに腰を抜かした。特に幼い子などは泣き出してしまった。
「わぁー、ごめん! もう死んでるから大丈夫だよ!?」
もう一度ワイバーンを浮かせて少し離れた場所に移動する。ブロドたち三人が解体を買って出てくれたので任せた。エルテガは手早く魔石を回収し、そのうちの二個をブロドたちに渡した。
森から大きな葉を千切ってきて地面に置き、その上にブロック肉が積み上がる。そのうちの一つをゲルガが掴み上げ、ひと口大に切り分け始めた。キリシュとゲルガの二人で調理に取り掛かる一方で、リオンはブロック肉をじぃっと見つめて考える。
肉を凍らせるというのは、即ち肉に含まれる水分を固体に変化させるということだ。分子が互いに固く結びつき、ほとんど動かない状態と言い換えてもいい。
前世の記憶にある家庭用の冷蔵庫。そこに付随する冷凍庫は、およそマイナス十八~二十℃まで温度を下げられるが、いわばそれが限界。肉に含まれる脂肪が変化しにくいのはマイナス三十℃以下である。
リオンは<アイシクル・ジャベリン>の氷柱を生み出す際、マイナス五十℃でゆっくり時間をかけて凍らせるイメージを描いた。時間をかけて凍らせると結晶が規則的に並ぶので氷柱が固くなるからだ。イメージでは一年くらいかけて凍らせているが、もちろん実際の魔法では一瞬で氷柱が生成される。
肉を冷凍する場合は逆で、瞬時に凍らせた方が良い。細胞が破壊されづらく、旨味が保てるからだ。
実際のところは、冷凍した肉をどう解凍するかの方が味に関しては重要なのだが、まずは冷凍保存が出来なければ話が始まらない。
「エルテガさん、このお肉、凍らせてみてもいいですか?」
「凍らせる? ああ、保存してちこっか?」
「はい。上手くいけばこれだけの肉を無駄にしなくて済むかなと思いまして」
この世界で肉を保存すると言えば干し肉だ。塩分濃度と乾燥具合で保存期間は変わるが、長期間保存出来るものほど固くて塩辛い。
「やってみたらよかちおもど」
「はい!」
手を綺麗に洗ってからブロック肉を一つ取り分け、リオンは目を閉じて集中する。
(温度はマイナス五十℃、一瞬で分子が動かなくなるイメージで……)
脳内で凍り付いたブロック肉の姿を明確に思い描けた時、リオンは目を開いて呟いた。
「<リフリジレイション>」
赤々としていたブロック肉が薄いピンク色に変化した。目を凝らすと冷気が立ち昇っている。手を近付けると周りの空気が冷やされているのが分かった。直接触れると凍傷になる怖れがあるので、洗った葉を数枚重ねて持ってみる。生肉とは全く違い、固く冷えていた。
「どげんな?」
「たぶん成功したと思います。これを氷で覆って、数日もつか確認が必要ですね」
冷凍庫や冷蔵庫がないので氷で覆い、数時間おきにそれを繰り返せば外に置いていても大丈夫だろう。
ある意味リオンの食い意地から生まれた<リフリジレイション>だが、彼はまだ気づいていない。つまるところ、<リフリジレイション>は分子から運動エネルギーを奪う魔法なのだ。それは凶悪な攻撃魔法にも、強固な防御魔法にもなり得るのであった。




