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87 気持ちが溢れる

第五章の開始になります。

 あれ程強い人がいるとは、というのがリオンの率直な感想だ。

 「クロウズ・オブ・アンガー」というミシカル・ウエポン(神話級武器)が厄介なのは事実として、それを元々強者だったマサークが使っているというのが手に負えない。

 魔法を切り裂いて無効化するとか、斬撃を飛ばすとか、心を読むとか、それどんなチートだよって話だ。後から聞いた話では身体能力も相当向上するらしい。最早呆れるしかない。


 リオン、エルテガ、キリシュの三人はメイルドーン王子の天幕に招かれ、事の顛末を報告している。

 左腕を斬り飛ばされた件になると、王子はリオンの顔と左腕を何度も見比べた。


「ちゃんと腕があるように見えるけれど?」

「ああ、治癒しましたので」


 それにしても、何故あのタイミングでリオンは剣を手に飛び出したのか。それには二つの理由があった。一つはマサークの虚を突くこと。腕を失くして立ち向かってくる者はそう多くない。もう一つは、魔法だと心を読まれて躱されると考えたから。

 剣術は、防御主体とは言え幼い頃から鍛錬してきたので考える前に体が動く。だから読まれる可能性が低いと判断した。もし左腕が健在だったら、剣でマサークに勝てたかもしれない。少なくとも<アクセルバレット>を放った後なら。


「それで、結局逃げられてしまいました。申し訳ございません」

「いや、騎士たちが成す術もなく倒された相手だ。君たちに感謝こそすれ、責めることなど出来ないよ」


 マサークの目的など詳しい説明と今後の対応についての話し合いはエルテガに任せ、リオンはキリシュと共に王子の天幕から出た。怪我を負った者たちの治療を行うためだ。


「重傷者を先に治療します!」


 王子の天幕の裏に三十人程が地面に寝かされていた。半分以上がやられたことになる。幸い死者はいないが、これもマサークが態とそうしたのだと思われた。


「リオナード殿、すまない! 彼を先に治してもらえるだろうか?」


 無事だった中にライネリカがいた。彼女が示したのは、第三大隊長で彼女の従兄妹、レングライ・マカルドンだった。胸の金属鎧には三条の傷が斜めに走り、そこから血に塗れた胸部が見える。


「分かりました! <レトログレイド>!」


 リオンは慎重に、人体だけに作用するよう魔法を行使した。鎧まで元通りになったら不自然極まりないし、魔力の無駄遣いになるからだ。

 自分を治した時は余裕がなかったため、とにかく全力で<レトログレイド>を発動させることだけに集中した。その結果服まで元通りになってしまったのだ。


 レングライの治療を終えると、ライネリカにトリアージを頼んだ。要するに治療の優先度を決めてもらうのだ。リオンが一人ずつ見て判断するのは時間が勿体ない。

 ライネリカは無事な騎士二人にも指示を出し、三人で優先度を付けていってくれた。リオンはそれに従って次々に<レトログレイド>を掛けていく。

 半分の十五人に治療を施した所で激しい頭痛に見舞われた。キリシュが彼に肩を貸して支えてくれる。


「くっ……どうやら魔力が枯渇しました。二~三時間休ませてもらえますか?」

「いや、もう重傷者の治療は終わった。後は軽傷者だからこちらで治療出来る。リオナード殿はそのまま休んでくれ。本当に感謝する」


 ライネリカの言葉を受けて、安心感からリオンはそれまで保っていた緊張の糸が切れた。その場で膝から力が抜けて、キリシュと一緒に倒れそうになる。無事だった騎士の一人が反対側の肩を担ぎ、その場から離れた。ブロドたちが元々天幕を張っていた場所に再び設営してくれており、キリシュと騎士はそこまでリオンを運び込んだ。


あいがとさげもしたありがとうございました


 キリシュが騎士に向かって頭を下げた。


「いや、礼には及ばない。彼がいなかったら俺たちはどうなっていたことか……こちらこそ感謝する」


 騎士から頭を下げられ、キリシュはむず痒い気持ちになる。


「キリシュ。おいたっ(俺たち)が飯を用意すっで(するから)、出来るまでわい(お前)も休んじょけ(でおけ)

「うん、分かった」


 ブロドから気遣われ、キリシュは天幕の中に入ってリオンの隣で横になる。

 彼の腕が斬り飛ばされたのを見た時、本当に生きた心地がしなかった。それでも諦めず、剣を抜いてマサークに立ち向かって行ったリオンの姿に、涙が溢れて止まらなかった。

 死なないで、と思った。

 負けないで、と思った。

 そしてリオンはあの化け物を退け、自分を癒したばかりか他者の傷まで癒した。


 今彼は、少し青い顔をして目を閉じている。キリシュは彼の長い睫毛にそっと指で触れてみた。


「ん……」


 慌てて手を引っ込める。今は休ませなければならない。それが分かっているのに、愛おしさと誇らしさで触れずにはおれないのだ。

 眠れそうにないけれど、キリシュはリオンの肩にそっと自分の頬を寄せた。元通りになった左腕に自分の腕を絡ませる。そこが以前と同じように温かくて、キリシュは初めて安心出来たような気がした。









*****









 重傷を負ったマサーク、メイルドーン王子の隊に潜入していた精霊術士のメイオスとラーナ、二十人の黒猿族の者たちは、野営地から北北西の方向に逃走していた。二時間かけてようやく十五キロメートルほど離れた所で、精霊術士たちの体力が底を突いて休憩することになった。。


「くそっ、あのガキ……」


 マサークは木を背にして地面に座り込むと同時に毒づいた。

 精霊術士の治癒で傷は塞がっているが、リオンの<レトログレイド>と異なり失った血は元に戻らない。その上、マサークは傷から大量の魔力を失っており、こちらの方がより深刻だった。ミシカル・ウエポンの使用にはかなりの魔力を消費するからだ。野営地から撤退を始めた時、既に「クロウズ・オブ・アンガー」は外している。

 魔力の回復はどうしても時間に依存する。「クロウズ・オブ・アンガー」の力で常人より遥かに多くの魔力を体内に貯め込むことが出来るのだが、一度失ってしまうと全回復に常人の三倍以上の時間がかかる。最低でも三日の休養が必要だった。だが今は休んでいられない。一刻も早く拠点のクレドスへ戻り、商品を北へ運び出す必要がある。


 これまではクレドスで引き渡すだけで良かった。だが、王子たちの足止めに失敗した以上、こちらから運び出して商売相手と途中で合流しなくてはならない。ラルグリア王国の国境さえ超えてしまえば奴らも追っては来れない筈だ。


 マサークは、久しく感じなかった感情に揺さぶられていた。

 強敵を前にした高揚感。

 死ぬかもしれない恐怖。

 最後まで戦えなかった苛立ち。

 そして今は……自分の配下たちが鬱陶しく、足手まといに感じていた。


 マサーク一人なら、体調が万全でなくてもクレドスまで一日かからず辿り着ける。ここで配下たちを見捨て、一人で戻る方が目的を達するのに都合が良い。

 例えそれが、配下たちが追っ手に捕まったり、森の魔物に殺されたりすることになっても、だ。


 いずれにせよクレドスはもう使えない。他に拠点を探さなくてはならない。

 ひょっとしたら、ラルグリア王国では数年大人しくしておくべきかもしれない。

 ついでに今いる配下も全て入れ替えるか……心機一転ってやつだ。


 あの魔法士……あれだけの深手だ、もう死んだだろうが、子供のくせに肝の据わった奴だった。これまで見たことのない魔法ばかり、しかも無詠唱で……魔法でここまで追い詰められたのは初めてのことだった。


 それに比べてこの精霊術士たち……使えねぇ。傷を癒したのはいいとして、たった二時間歩いただけでへばるとはどういうことだ。


 もしあの子供が生きていたら仲間に誘うのも悪くない。……いや、やっぱ無理か。価値観が違い過ぎる。まぁどっちみち死んでいるだろうから考えても仕方ない。


 マサークは決して頭の悪い人間ではない。ただ思考が独りよがりで他者のことを考えないだけだ。その彼は、商品を運ぶ重要性とここにいる配下二十二名を天秤にかけ、一瞬で優先順位を決めた。


「もうしばらく休んだら俺は先に行く。お前たちは自分のペースでクレドスに戻れ」


 マサークの宣言を聞いても驚く者はいない。むしろここで殺されないだけマシだと思えた。

 ただ一人、白兎族のラーナだけは激しく動揺した。何故なら、彼女は妹が人質として囚われており、そのせいでマサークに協力していたから。協力すれば妹を解放するという約束だったからだ。


「あ、あの、マサーク様」

「あ? 何だ?」

「い、妹を……メルーナを解放して下さるというお話は――」

「……あー、クレドスに着いたら誰かに言っておく。お前が迎えに行ってやれ」

「……はい」


 ミシカル・ウエポンを外している今のマサークには心を読まれる心配がない。だからラーナは勇気を出して約束について聞いてみた。

 彼の答えはラーナに絶望を味わわせるに十分だった。彼は約束を憶えていない。ラーナの妹が誰かすら憶えていないだろう。


 妹――メルーナを救うため王子の隊に潜入し、もう一人の精霊術士、青麟族のメイオスが王子に毒の術を掛けるのを手助けした。本当はそんなことはしたくなかったのだ。だからせめてもの償いに<ヒーリング>をかけた。なるべく毒が体に回らないように。


 幼くして精霊術士としての才能を開花させたラーナだが、まだ十二歳。両親ともに亡くし、村の親戚の所に身を寄せていたが、その村もマサーク一派の襲撃によって散り散りになってしまった。その時、ラーナの才を利用するため、八歳の妹メルーナが囚われたのである。


 十二歳のラーナは頼れる大人の知り合いがいなかった。誰かに相談出来ていれば利用されずに済んだかもしれないが、ラーナは妹を解放してもらうため、マサークの言いなりになるしかなかった。

 だがそのマサーク本人が約束を憶えていない。悪いことだと分かっていても縋るしかなかった約束が、マサークにとっては取るに足らないものだったのだ。


 悔しさで涙が出そうになるのを、ラーナは必死に堪える。今泣いては駄目。不審に思われてしまう。


 マサークは背を木に預けて目を閉じている。周囲の者たちは気を遣って物音を立てないようにしていた。そんな中、ラーナは少しずつその輪から抜け出した。ゆっくりと、少しずつ、彼らから離れる。小柄なことと、元からあまり存在感がないことが功を奏し、ラーナは彼らから離れることに成功した。


 一刻の猶予もない。このままだと、妹は他の子と一緒に売られてしまう。そうしたら二度と会えなくなる。

 ラーナの脳裡には一人の少年が浮かんでいた。少しだけ年上に見える、だが誰よりも頼りになる少年。

 ラーナは彼が治癒魔法の使い手であると知っている。メイオスの毒は簡単には解毒出来ない筈なのに、彼は一度の魔法で王子から毒を抜いて見せた。

 マサークとの戦いで彼が深手を負ったことも知っているが、彼ならきっと生き延びていると殆ど確信していた。


 妹を救えるとしたら彼しかいない。皆が畏怖しているマサークと渡り合える彼しか。


 裏切りを責められるだろう。もしかしたらその場で騎士に斬り殺されるかもしれない。それを分かった上で、ラーナはリオンのいる野営地に向かって全力で走り始めるのだった。









*****









 リオンが目を覚ますと左腕が痺れていた。まさか治癒に失敗したのか!? と慌てて見下ろせば、キリシュが左腕をガッチリとホールドしていた。安心するとともに苦笑いが込み上げる。

 心配かけたから仕方ないかと思うが、このままでは動けない。外から良い匂いが漂ってくるので、恐らく誰かが夕食を作ってくれたのだろう。それを自覚すると急に空腹が募ってきて、リオンは我慢出来ずにキリシュの肩を揺り動かす。


「キリシュ、キリシュ」

「ん、んん……リオンがいっばんうまか(一番美味しい)……」


 一体どんな夢を見ているのだろう? 夢の中でリオンはキリシュに食べられているらしい。しかも一番美味のようだ。リオンは込み上げてくる笑いを堪えながら、今度は少し大きな声で呼び掛けた。


「キリシュ! 夕食が出来たみたいだよ!」

「……ハッ!?」


 焦点の合わない目がリオンに向けられ、しかしすぐに覚醒したらしくキリシュがリオンの腕をパッと離す。


「あ……寝ちゃってた」

「色々あって疲れてたんだろうねぇ。ご飯食べられそう?」

「……うん。リオンはもうだいじょっじゃっと(大丈夫なの)?」

「うん、だいぶ回復したみたい。それにお腹も空いた」


 時間にして僅か一時間ほどしか眠っていない筈だが、リオンは魔力がかなり回復したことを自覚する。最近魔力の回復速度が少しおかしい気がするが、悪いことではないのであまり考えないようにした。


 エルテガが王子の天幕から戻っていたので、今後について聞いてみる。


「明日には隊も動けるようになっじゃろ(なるだろう)から、こん(この)隊は予定通りクレドスに向かう。じゃっどん(しかし)おいたっ(俺たち)だけでも先行した方がよかち(良いと)進言した。リオンの能力んこっ(のこと)も王子にだけ話した。そいで(それで)、先行しっくれっち(してくれという)じゃった(だった)


 マサークは「三日程足止めするために」と明言していた。この野営地からクレドスまでは二日かかるので、攫われた者たちの引き渡しが行われるのが五日後の予定だったのだろうと推測出来た。

 そして足止めに失敗した以上、クレドスで取引相手を待つことはしないだろう。恐らくマサークの方から取引相手の来る方へ動くと思われた。


 問題は、クレドスからどこへ向かおうとするかが分からない点だ。だから、<エア・ムーブ>で高速移動可能なリオンたちが、先行してクレドスから動く前のマサークを抑えるのが最も良い。これはメイルドーン王子と話す前、リオンとエルテガの二人で相談して決めたことだった。


 もちろん危険はある。リオンだって<レトログレイド>が間に合わなければ死んでいた。それを踏まえても、マサークの放置は危険だと判断したのである。


「分かりました。それでは、僕とエルテガさん、キリシュの三に――」

おいたっ(俺たち)いっど(行くぞ)! 盾代わりくらいにはなっどが(なるだろう)!」

「ブロドさん……」


 ゲルガとライドンも力強く頷いている。マサークと対峙した時、彼らはとても敵わないと尻込みしてしまった。文字通り尻尾を巻いて逃げてしまったのである。だが腕を犠牲にし、腹に穴を開けてまで戦ったリオンを見て、それでは駄目だと痛感した。敵わないとしても、それに立ち向かう勇気と勝とうとする信念を見せられたと思ったのだ。

 まぁ、リオンにそんなつもりはなかったし、何なら勝つ気満々だったのだが。


「もちろん、盾代わりなんて言わないで、力を貸してください!」


 リオンがそう言い、ブロドたちは「おう!」と返した。そして彼らが作ってくれたワイバーン肉の煮込みに舌鼓を打っていると、何やら少し離れた所が騒がしくなった。


『貴様、何のつもりだ!?』

『この裏切り者が!』

『リオナード様! リオナードさまぁ!』

『大人しくしろっ!』


 途中、少女のような声で名前を呼ばれた気がしたリオンは、隣に座るキリシュと顔を見合わせて首を傾げる。だがやはり気になるので、食器を置いて様子を見に行ってみた。


「抵抗するな!」

「斬り捨てるぞ!?」

「お願い、お願いします! リオナード様に会わせて!」


 三人の騎士が、一人の兎耳の少女を取り押さえていた。その少女が顔を上げ、リオンと目が合う。その瞬間、少女の目から涙が溢れだした。


「た、だずげでぐだざいぃいい……リ“オ”ナ“ードざま”ぁ……」


 全身ボロボロになった白兎族の精霊術士ラーナは、それだけ言うと騎士に両腕を掴まれたまま気を失った。

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