83 少しのひらめき
武器屋で数打ちの短剣と鞘を購入したリオンは、今夜泊まる「穴熊亭」に取った部屋で夕食まで寛ぐことにした。メイローの町に到着してからというもの、良くない感情を喚起させることが立て続けに起き、何だか疲れてしまったのだ。落ち着いて頭の中を整理したいという思いもある。
整理したいのはフェリエクスのこと、そして「防御」についてだ。
自らを「堕天使」と称したフェリエクス。黒目と白目が反転していても非常に美しいと感じた。以前出会ったベルケエルとは異なり、親しみやさえも感じた。メイルドーン・ラルグリア第二王子に語ったように、彼女が恐ろしい力を秘めているのは分かっているのだが、それでもリオンは彼女から向けられる眼差しに「慈愛」を感じたのだ。
もしまたフェリエクスに会えるとしたら、リオンはベルケエルから聞いた防御、「空間の引き伸ばし」について是非詳しく聞いてみたいと思っている。教えてくれるかは分からないのだが。
実は、この「空間の引き伸ばし」についてはこれまで何度も考えてみた。
空間には「実体」があると定義して、空間を「物質」として捉えるところまで考えを進めてみた。物質ならば引き伸ばすことは可能であろう。
熱した水飴の両端を持って、びよーんと伸ばすように空間を引き伸ばす……そのようなイメージで魔法を発動させようとするが何も起こらないのだ。
例えれば、海の中で海水を引き伸ばそうとするようなもの。何の手応えもないし、実際に海水が引き伸ばされることもない。
イメージが根本的に間違っているのだと思われる。魔法だからと言って、イメージさえすれば何でもかんでも発動するわけではない。もしそうだとすると、夢の中で起きた事象すら魔法として発動しかねないからだ。
(う~ん……空間が何らかの物質だとして、一体何なんだ?)
実際のところ、現代地球の物理学においても空間の「材料」については分かっていない。それどころか、空間そのものが「何」であるかも明確な定義がないのである。一般相対性理論、量子場理論、量子重力理論などで説明が試みられているものの、まだ解決に至っていない。
ベルケエルから示された「空間の引き伸ばし」とは斯くも難解な問題――少なくともリオンにとってはそうであった。
もう一度、ベルケエルと遭遇した時のことを思い出してみよう。
コラードが何らかのトラブルに巻き込まれたと思い、リオンは孤児院を訪れた。そこで、皆初めて会う筈なのに妙に馴染んでいた金髪の男性がベルケエルであった。あの時は、この世界に転生して初めて「死」を間近に感じた。今でも思い出すと身震いするほどだ。
ベルケエルが発していた超越者の圧力が消え去ると同時に、その場の時間がまるで止まってしまったようだった。彼は「時間の流れを止めた」とはっきり言っていた。
これはリオンの推測だが、ベルケエルやフェリエクスという者たちは、この「三次元」の世界よりも「高次元」を知っている、或いはそこに存在しているのではないだろうか。だからベルケエルは、現代地球の物理学でも解き明かせない「空間」について、正確に理解しているのではないか。
あの時、リオンの頭を掠めた考えがあった。何か正解に近付けたような、そんな感覚が確かにあったのを覚えている。
(あの時、何を考えていたんだったかな……)
『空間は時間と切り離せない関係にある』
「これだ! そう、これが何となく真実を突いているような気がしたんだ!」
時間を止める。または時間の流れを遅くする。それが空間の引き伸ばしに関係あるのではないだろうか?
リオンは既に、治癒魔法として<レトログレイド>を成功させている。もしかしたら、これを応用することで――
――コンコン
その時、部屋の扉をノックする音で思考が中断された。窓を見ると、差し込む光がオレンジ色になっている。考え込んでいるうちに夕方になっていたらしい。
「はい、どちら様ですか?」
「おいよおい。エルテガじゃ」
リオンは扉の鍵を開けてエルテガを中へ招き入れる。
「もう夕食に行きますか?」
「ああ、そいもじゃっどん、さっき王子からの使いが来たど。飯食いながらおしゆっで」
飴熊族三人は部屋にいなかったらしいので、キリシュを部屋へ迎えに行って一階の食堂へ降りる。ブロドたちは三人で席に着き、もう酒を飲んでいた。隣の席に座って料理を注文すると、エルテガが使者から聞いた内容を教えてくれる。
「明朝、まずは二十人の斥候部隊がクレドスに向けて出発すっ。明日の午後から順次、二から三の小隊が出発。おいたっはメイルドーン王子のおっ小隊と一緒に、明後日の朝出発じゃ」
森の中を進むので、大人数で進軍というわけにはいかない。目的地が決まっているのだから、小隊ごとに行動するのは良い考えだとリオンには思えた。しかし……。
「王子殿下も行くんですね」
「そうじゃっと。安全なとこいで待っちょけばよかちおもっどん」
全く、エルテガの言う通りだとリオンも思う。
「それだけライネリカさんのこっが好きっちゅうこってしょ?」
「そういうもの?」
「そういうもの!」
キリシュによれば、ライネリカとの愛を成就するために危険な地へ赴くメイルドーン王子はかっこいいそうだ。リオンに言わせれば単なる愚か者である。護衛の負担を考えれば、大将は安全な陣地で指揮を執るべきだ。
「僕たちの役割は殿下の護衛でしょうかねぇ」
「たぶんそうじゃろうな」
もちろん護衛はリオンたちだけの筈がない。騎士や兵士の精鋭が小隊に組み込まれているだろうし、人数もそれなりに多い筈だ。
「……まぁ仕方ないですね。どのみち人攫いの件はどうにかしないといけなかったわけですし」
「じゃっどな。まぁ道中がちぃとばっかい楽になっと思うしかなかな」
ある程度の人数で行軍すれば、弱い獣や魔物は寄って来ないし、少し強い魔物も数の力で押し潰せる。そう言う意味では多少楽にはなるかもしれない。
話の途中で料理が運ばれてきた。オリザ(米)と卵、葱のような刻んだ野菜、小さなサイコロ状に切られた肉を油で炒めたもの。リオンは「炒飯!」と目を輝かせた。
他に、野菜がたっぷり入った白いスープ。鳥の丸焼き。中身がよく分からない揚げ物。やや固めのパン。テーブルいっぱいに料理が並ぶ。
舌鼓を打ちながらも、リオンは王子たちとの行軍をひたすら面倒だなぁと思っている。よく知らない人たちと共に行動することに慣れていないから、気疲れしそうで憂鬱なのだ。
ただ、拠点のクレドスにどれだけの敵がいるのか現時点では分からない。下手をすれば数百人規模の可能性がある。その場合、もしリオンたち六人しかいなかったら圧倒的に不利だ。殲滅するだけならリオンの魔法でゴリ押し出来るが、攫われてきた女性や子供がいる場合、救出して守らなければならない。そうなると、騎士や兵士といった人員が多いことは良い方に働く。リオンはそんな風に考えて自分を納得させることにした。
「じゃあ明日は休養日ですね」
「ああ。いっとっ休めんで、今のうちにゆっくい休んでおけ」
メイローの町からクレドスまでは、およそ一週間かかる。場合によってはもっとかかるかもしれない。キリシュが何か言いたそうにリオンをちらちらと見る。きっと一緒に出掛けたいのだろうが、ここは心を鬼にして体を休めなければ。休養、大事。
そんな風に思っていたリオンだったが、翌日、キリシュに連れ出されて買い物に付き合う羽目になった。旅に必要な物資の補充をすると言われれば断れなかった。幸いなことにメイローはそれほど大きな町ではない。端から端まで歩いても四十分ほどだ。だが露店が多いのが予想外で、キリシュがあちこちで買い食いするものだから買い物が捗らなかった。
保存食や石鹸などを多めに買い、宿に戻ったのは夕方。リオンはへとへとに疲れてしまったが、キリシュが大層ご満悦だったので付き合った甲斐はあっただろう。結局、昨日きっかけを掴んだように思えた「空間の引き伸ばし」について更に深く考えることも出来ず、夕食を摂ったら寝台に突っ伏してすぐに眠ってしまったのだった。
十二歳の体って凄い、とリオンは思った。
昨日はキリシュに付き合わされて結構疲れを感じたのだが、一晩眠ったら完全に体力が回復している。これが五十代とかなら数日疲れを引きずるのに、などとリオンは若い体に感謝した。
宿で早めの朝食を摂り、リオン、キリシュ、エルテガ、ブロド、ゲルガ、ライドンの六人は、メイルドーン王子の使いから指定された町の東門へと向かった。そこには既に、全身金属鎧の騎士二十名と、革の軽鎧を身に着けた兵士二十名が揃っていた。彼らは既にリオンたちの同行を聞かされており、特に訝しまれるようなことはない。四十名の中に二人だけ黒いローブを纏って長い杖を持つ者がいる。フードまですっぽり被っているため顔が隠れて性別すら判然としないが、この二人が「精霊術士」なのかもしれない。
騎士や兵士による小隊とは別に輜重隊もいる。森を進むので馬車などは使えず、彼らは大きな背嚢を背負って徒歩で進まざるを得ない。もちろん輜重隊の護衛もいて、三~四十人規模で食料などの物資を運ぶ。無くてはならない仕事だが、危険で過酷だ。そんな彼らが東へ向かうのを、リオンたちは見送った。
そうしているうちにメイルドーン・ラルグリア第二王子、彼の想い人であるライネリカ・クルムト、そして彼女の従兄妹にして騎士団第三大隊長のレングライ・マカルドン、更に他の騎士とは違い、鈍色の金属鎧を着けた騎士が四名、東門に到着した。
王子の登場で騎士と兵士は整列し、リオンたちも何となく一塊になって姿勢を正す。
「皆、待たせたね。では早速出発しよう」
王子の一声で四十名以上の隊が東へ向けて出発した。騎士十名・兵士十名、ブロド、ゲルガ、ライドン、その後ろに王子とこれを囲む護衛たち。王子たちの後ろにリオン、キリシュ、エルテガ。リオンたちの後ろに騎士と兵士が各十名という隊列である。
最初の目的地はリオンたちがディアボロディノスと交戦した場所。そこからは北へ向かう予定だ。
これだけの人数がいれば、しばらくの間それほどの危険はないだろうと判断し、リオンは歩きながら出来ることをしようと考えた。それでも一応、キリシュに「何か気付いたらすぐに声を掛けて」とお願いしておいた。
「空間の引き伸ばし」についても考えたいが、あれはもっと腰を落ち着けてじっくり考えるべきだ。そこでリオンは魔法の「発動時間」について整理してみることにした。
リオンの魔法発動時間は普通の魔法士(魔法使い)と比較にならないほど速いが、それでも魔法によって多少の違いがある。最も速く発動出来るのは<コンプレックス・シールド>だ。これはほとんど考える必要もなく、反射的に発動が可能。その理由は単純で、これまで最も多く使ってきたからに過ぎない。ユードレシア王国にいる時は、ほぼ無意識に走り込みしながら発動していたものである。その甲斐あって息をするように発動出来るのだ。
他の魔法については一瞬頭で考える必要がある。現状発動に最も時間が掛かるのは<アクセルバレット>だ。まだ然程使っていないし、実戦に至っては一度しか使用していない。また、イメージを補完するため標的に手の平を向ける必要もある。本来、<アクセルバレット>の元になった「レールガン」は長距離攻撃用兵器だ。従って<アクセルバレット>もその真価を発揮するのは、<ストーンライフル>のような遠距離からの攻撃だろう。その場合、発動時間は多少遅くても問題ないと思える。
発動を速くしようと思うなら頻繁に使うこと。単純だが重要なことだ。
ここで一旦思考を切り替える。最近使い始めた魔法についてだ。
<エア・ムーブ>は王子たちと同行している間はさすがに使えないだろう。五十人以上を浮かせて制御するのはいくらリオンでも無理だし、利便性に気付かれるのも面倒だ。
<アクセルバレット>は……歩きながらの練習は自重した方が良い気がする。
それならば、未だ習得に至っていない<身体強化>に挑戦してみようか。意識すれば、体内の魔力の流れが分かるようになってきたのだ。この自然な流れを、自分の意思で速く流れるようにすることが<身体強化>の鍵だとリオンは考えている。
(まずは魔力を集めてみよう)
全身を巡る魔力を感じ取りながら、右の手の平に魔力が集まるよう集中してみる。これは<レトログレイド>を使う際に散々行っているので難なく出来た。
(じゃあ、この集めた魔力を左手に移してみようか)
一か所に集めることは容易かったのに、それを動かそうとすると途端に難しくなる。
「ぐぬぬぬ」
「リオン? 腹でんいてと?」
上手くいかなくてリオンが唸っていると、キリシュから心配されてしまった。
「あ、いや。魔力を動かそうとしたんだけどうまくいかなくて」
「魔力? んー! ってしたらうごっど!」
「んー!」で顔をしかめて力をいれる様は以前にも見たが、以前同様リオンはほっこりした。
「ん、頑張ってみるね」
「うん!」
そうやってリオンたちは進んでいくのだった。




