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70 旅立ち

 防壁作りを終え、キリシュの母ミリシュの墓参りをした翌朝。


「マーシュさん、本当にお世話になりました」

「いやいや。こちらこそ、防壁まで拵えてもらって、返って面倒かけたな」

「とんでもない! ポワンカ村に来なかったら、僕はどうなっていたか分かりません」

「うむ。無事、祖国に戻れることを祈っている」

「はい、ありがとうございます!」


 また来ます、と軽々しく言うことは出来なかった。滞在した期間は非常に短かったが、リオンはこの村と村人のことが心から好きになっていた。見知らぬ土地に転移させられ途方に暮れたリオンに、ユードレシア王国に戻るという希望を持たせてくれたのは間違いなくマーシュやキリシュ、エルテガ、そしてこのポワンカ村の人々だ。彼にとっては第二の故郷と言っても過言ではなく、リオンはまた絶対にここへ来ようと密かに誓っていた。


なごあける(長く空ける)こっになっどん(ことになるけれど)、後のことはたのんど(頼みます)

「うむ。エルテガ、我が義息子よ。リオンとキリシュのこっ(こと)しっかい(しっかり)たのんど(頼むよ)

「おばあちゃん、いたっきもんで(行ってきます)!」

「うん、体に気ぃつけやんせ(気を付けなさい)


 多くの村人が見送りに来てくれて、リオンは泣きそうになりながら彼らに手を振り、ポワンカ村から旅立った。背嚢には、マーシュが持たせてくれた握り飯と生米オリザ味噌フェルメン醤油フェルメソースが入っている。

 キリシュも名残惜しそうに、何度も村を振り返って手を振る。エルテガが、そんな娘の頭を優しく撫でた。


「キリシュ、本当に良かったの?」

あたい()が決めたこっじゃっで(ことだから)

「うん、そっか」


 キリシュが、二度と村に戻らないつもりでリオンに同行することを決めたのは、リオンにも分かっていた。もちろん父であるエルテガもそれを知っている。

 ユードレシア王国とポワンカ村は物理的に遠い。それは生半可な距離ではない。だからキリシュがそんな覚悟を持ってリオンに付いてくるのはある意味当然である。しかしリオンは、何とかしてポワンカ村と行き来出来るようにしたいと思っていた。グレンドラン大陸にエバンシア島南部の産物を流通させる目的もあるが、何よりもキリシュに故郷を捨てさせたくなかったからである。もちろん、自分もまた村を訪れたい。


 リオンたち三人は、初めて出会った辺りまで街道を歩き、そこから森へと分け入った。リオンがそこへ至るまでに倒した魔物の素材を回収するためだ。


「リオン、ワイバーン、倒したどが(だろう)?」

「ワイバーン?」

知らんぢ倒したとか(知らずに倒したのか)……まぁよか(いい)あい(あれ)の魔石はたこ売るっど(高く売れるぞ)


 エルテガがそう言って先導する。四日前ではあるが、墜落音でワイバーンが落ちた場所はだいたい憶えていると言う。

 リオンが森を歩いた時はまだ暗かったし、そもそも森歩きなど経験もなかったので、自分がどこを歩いてきたのか見当もつかない。だがエルテガとキリシュは、僅かな戦闘痕を遠くから見付け、魔物の骸が散乱している現場へとリオンを導いてくれる。


「あちゃ~。やっぱい(やっぱり)素材は駄目じゃなぁ(だね)


 四日の間に、リオンが倒した魔物は別の魔物や獣に食い荒らされていた。凄惨な状況にも関わらず、キリシュが暢気な調子で言った。こういう現場にも慣れているのだろう。


じゃっどん(だけど)魔石やら爪、牙は回収でくっど(出来るぞ)。キリシュ、わい(お前)は魔石を探せ。リオンは大きめの牙を集めてくいやい(おくれ)

「「はい!」」


 食い荒らされたお陰でほとんど骨だけになっているので逆に回収がしやすい。リオンはキリシュに牙の採り方を聞く。背嚢に入れたままだったナイフを使い、習った通り、牙の根元にぐりぐりと刃先を入れると、徐々に牙がぐらぐらしてやがてすぽんと抜けた。長さ二十五センチほどある立派な牙だ。キリシュによれば「ファングベアー」という魔物らしい。熊多過ぎない? とリオンは不思議に思う。


 短い牙は大したお金にならないし、荷物が増えるだけだとエルテガに言われ、長い牙だけを同様に回収していく。


 リオンは森を抜ける時、<コンプレックス・シールド>に群がった魔物が視界を妨げるくらい集まってからまとめて殺していた。そのため、言い方は悪いが「虐殺現場」が距離を開けて点々としている。どの現場も殺した魔物は原形を留めていなかった。即ち、素材回収が捗った。


 三つ目の現場を後にした頃、エルテガが「もうすぐワイバーンじゃ」と教えてくれた。彼の言葉通り、三分も歩くとそれが見えてきた。


「まだ魔物が食べてるね」

「うん。あい(あれ)はグレイトハウンドじゃな(だね)


 ベンガル虎くらい大きさのある犬の魔物八体が、ワイバーンの骸に群がっていた。リオンたちは風上から来たので、既に半分くらいのグレイトハウンドが気付き、こちらに向かって牙を剥きながら唸り声を上げている。


「あれは素材になるの?」

「いいや、ならんね」

「そっか。う~ん……二人とも目を瞑って息を止めて。<カイエン・ボール>、<エアバースト>」

「「「「ギャン!?」」」」


 激烈なカプサイシン攻撃をまともに食らったグレイトハウンドは、文字通り尻尾を丸め、木々にぶつかりながら逃げていく。リオンは再度<エアバースト>を使い、辺りに残った<カイエン・ボール>を可能な限り散らした。


「リオン、何したん(したの)!?」

「えーと、飛び切り辛い唐辛子の液体を、霧状にしてぶつけた」

「「えぇ…………」」


 唐辛子と聞いて、キリシュとエルテガが物凄く嫌そうな顔をする。感覚が鋭敏な獣人にとって、唐辛子は苦手な物のようだ。


こげなもん(こんなもの)使わんと(使わずに)殺せば良かったてぇ(のに)

「殺さずに済む時は殺しませんよ? 魔物とは言え、無益な殺生は好きじゃないんです」

「そ、そげなもんか(そんなものか)


 エルテガの言葉に対し、リオンは自分の考えを伝えた。


おやっどん(お父さん)、リオン! それよりはよ(早く)ワイバーンの素材を回収すっが(しよう)!」


 キリシュが大きなナイフを片手にワイバーンの骸へ突撃する。これまでの食い荒らされた魔物と違い、まだ半分近く体が残っていた。改めてその姿を見たリオンは、やっぱり体の長いプテラノドンみたいだな、と思った。

 キリシュは首の付け根、胸の辺りにナイフを突き立て、皮と肉を切り裂いて腕を突っ込んでいる。


「あった!」


 そう言って引き抜いた血塗れの手には、手の平大の青い魔石が握られていた。


「おぉ! よか(いい)金になりそうじゃっど(だな)!」


 リオンも負けじと牙を回収する。最後に<ウォーターボール>を出して血で汚れた手を洗ってもらった。


「魔法っちまこて(って本当に)便利やっどなぁ(だよねぇ)!」

じゃっどなぁ(そうだなぁ)。わざわざ水場を探さんぢよかもんなぁ(探さなくていいもんな)

「水くらいいつでも出せるので、欲しい時は言ってくださいね」


 ワイバーンの素材を回収してから、一行は更に北上する。リオンは全く憶えていなかったのだが、どうやら「虐殺」は十二回行われたようだ。最後の現場に着くまで何度か魔物の襲撃に遭ったが、大した素材にはならない魔物だったので、全て<カイエン・ボール>で撃退した。その度に父娘が嫌な顔をしていたが。そうして昼頃には素材回収を終えた。


「思ったよりずっと早く終わった」

あたいら(私たち)は森に慣れちょっで(慣れているから)。それよりリオンがしっかい(しっかり)付いてくっとが(来るのが)意外じゃった(だった)

「あー、まぁ、毎日走ってたからねぇ」


 エルテガとキリシュは、リオンが森歩きに慣れていないだろうと予想していた。だからリオンのペースに合わせてゆっくりと進もうと相談していたのだ。だが予想に反し、リオンの足取りは黒犬族の二人と遜色ないものだった。確かに彼は森歩きに慣れていないが、伊達に毎朝十八キロメートルも走っていない。体力、足腰の強さは同年代の少年とは比べ物にならないのである。

 それは「転生者の宿命」という、リオンの被害妄想の結果ではあるのだが。実際に役立っているので良かったと言えるだろう。


 リオンたちはそこから西に進み、少し開けた場所で昼食を摂ることにした。


「<コンプレックス・シールド>。四方に障壁を張ったので、魔物がいきなり襲ってくる心配はありませんよ」

「お、おう。あいがとな(ありがとうな)

「魔法っちまこて(て本当に)便利やっどなぁ(だよねぇ)


 キリシュは魔法の便利さに感心しきりだが、強力な障壁で四方を囲むような魔法を使えるのはリオンくらいである。ただ、リオン本人もそれが大したことではないと思っているので、キリシュの勘違いを訂正したりしない。


 背嚢から、大きな葉に包んだ握り飯と水筒を取り出す。真っ白な三角形の握り飯。海苔があれば言うことなしだったが、残念ながらポワンカ村に海苔は無かった。だからと言って握り飯の素晴らしさが損なわれることはない。


「はぁ、美味しい……えっ!? 何か入ってる?」

「オーク肉のフェルメン漬け。あたい()こいが大好っじゃ(これが大好きなんだ)!」


 オークと言われ、リオンは人型の魔物を思い出す。多くのファンタジー作品で豚肉のように扱われているオークだが、ここでも同じであった。ただ、加工済みのため忌避感はない。香ばしく炒められたオークの挽肉を、甘じょっぱいフェルメン(味噌)で和えている。これがほんのり塩味の白米と抜群に合った。


「リオンの故郷にはオリザがなかたっどが(ないんだろう)?」

「そうなんですよ。何とか帰ってからも食べられるようにしたいです」


 エルテガから聞かれ、リオンは野望の一つを明かした。


「気候が合えば育っとは育っ(育つのは育つ)じゃろうが(だろうが)……」

「いえそうじゃなくて。ポワンカ村のオリザをグレンドラン大陸に流通させたいなぁって」

「う~ん……わっぜ遠かでなぁ(凄く遠いからなぁ)むっかしとじゃなかか(難しいのではないか)?」

「そこを何とか出来ないか考えます」


 エルテガは、これまでエバンシア島以外でオリザ(米)を売るなど考えたこともなかったので、リオンがそれを考えていること自体に感心した。

 キリシュは、リオンなら本当に出来るのではないかと思っている。何せ空だって飛べるのだ。オリザを持って飛べば良いのだから。


「リオン、飛んで行ったらよかとじゃなかけ(いいんじゃないかな)?」

「あれはね、飛ぶって言うより浮いているんだ。多少水平方向に移動は出来るけど、長距離は無理なんだよねぇ」


 それは、リオンも真っ先に考えたことだ。オリザ云々の前に、ユードレシア王国に帰る方法として。

 <リポルション>で浮遊して<エアバースト>で移動。これは、アスワドに引っ張ってもらう「フライングキャビン」の時にも考えたことだが、とにかく空中での姿勢制御が恐ろしく難しいのである。最弱の威力で<エアバースト>を放ち、数メートル移動することを繰り返せば移動自体は可能なのだが、下手すると歩いた方が速いくらいの移動速度なのだ。広大なエバンシア島を縦断する前に魔力が尽きて墜落するのがオチだし、空中にいる時に魔物に襲われれば姿勢制御がままならない。それほど繊細なコントロールが必要なのだ。海を渡るなど論外であった。


「でも、練習すればいつかは出来るようになる……かな?」


 自力で空を飛ぶというのは人類共通の憧れではないだろうか。だいたいのスーパーヒーローが飛べるのはそういう理屈だと思う。ファンタジー作品でも、偉大な魔法使いは飛べることが多いではないか。だから、リオンがそれを目指すのは不思議ではない。


そん(その)時はあたい()も一緒にとべっじゃろか(飛べるかな)?」

「そうだねぇ。今でも浮かせるくらいは出来るよ?」

まこっか(本当)!? あとでやっくいやい(やって欲しい)!」

「う、うん。安全な所でね?」

「うん!」


 休憩を終えると、またひたすら西へ向かって歩く。リオンが夜森を歩いた時はひっきりなしに魔物が襲ってきたが、明るいうちはそれ程でもないようだ。

 ユードレシア王国で、リオンはほとんど魔物と対峙したことがない。唯一まともに戦ったと言えるのが「スニークバジリスク」。アスワドと出会った時に倒した巨大な蛇の魔物だ。だから魔物の名前や特徴など全くと言って良いほど知らない。まして、魔物素材の価値など知る由もない。それで、道中魔物と遭遇すると、まずは「素材として価値があるか」をエルトガやキリシュに尋ねる。強さではなくお金になるかどうか、である。


「ブッシュボアじゃっど(だよ)!」

「価値ある?」

「牙と肉!」

「了解、《アイシクル・ジャベリン》!」


 肉は保存出来ないため道中で消費することになるが、お金になると分かればリオンも躊躇なく殺せるようになっていた。何せ長い旅になるのだ。お金はあればあるほど良い。魔物には悪いが、自分が国に帰るために必要なことだと割り切っていた。


「グレイトハウンド!」

「<カイエン・ボール>、<エアバースト>」


 お金にならない魔物は殺さずに撃退。キリシュとエルテガも分かってきて、リオンから言われる前に風下へ移動、目と口を塞ぐ。

 そうやって進むうち、陽が傾いてきた。


「今日はこの辺で野営すっが(しよう)


 段差のある崖を背後にした少し開けた場所が見つかったので、そこで野営することになった。


「リオンのこんぷれっくすしーるど? はねちょっ(寝ている)間も張るっと(張れるの)?」

「いや、さすがに寝ている時は……」


 張れない、と言いかけたリオンはそこで口籠る。よく考えたら試していないことに気付いたからだ。

 リオンの<コンプレックス・シールド>は、発動時こそ魔力を消費するが、その維持に必要な魔力はごく僅か。自然に回復する魔力量と釣り合いが取れる程度である。しかも、障壁を解除する時は、口に出さずに<リリース(解除)>している。つまり解除しないとずっと発動しっ放しなのだ。


「もしかして、解除しなければ寝ている間も張れるのかな?」

わが(自分)で分からんの?」

「うん。やったことないし、必要もなかったから。エルテガさん、今夜の見張りで試していいですか?」

そうじゃな(そうだな)。リオンの障壁があったぎぃな(あれば)野営でもぐっすい(ぐっすり)ねれそうじゃ(眠れそうだ)。今夜はリオンが最初にねっみれば(寝てみれば)? 障壁を張ってから」

「はい、そうさせてもらいます」


 野営の準備前から、リオンは四方を<コンプレックス・シールド>で囲んだ。キリシュとエルテガが分かるよう、敢えて薄いピンクに色付けたものだ。それから天幕を張って火を熾し、道中で狩ったブッシュボアの肉を焼き、キリシュがフェルメンスープ(味噌汁)を作ってくれた。まだ握り飯があるのでオリザ(米)を炊く必要はない。


「野営なのに豪勢な夕食だなぁ」

「普通、野営で肉は焼かんたっど(焼かないんだよ)? 匂いで魔物と獣がよってくっで(集まってくるから)

「リオンの障壁があっで(あるから)肉も焼くっどな(焼けるよな)!」


 キリシュの言う通り、魔物がいる森で肉を焼くなど普通なら自殺行為であろう。<コンプレックス・シールド>で匂いは防げないが、仮に魔物が集まっても襲われる心配はないし、まとめて殺すのもリオンの魔法があれば難しくない。


 腹が満たされ、昼間の疲労もあってリオンの瞼が下がってくる。


「リオン、先に休んでよかど(いいぞ)。キリシュも」


 出発前の打ち合わせで、野営の際は三交替で不寝番をすることになっていた。今夜は障壁が眠っている間も消えないか検証するため、リオンが先に寝ることになる。キリシュも起きていてもやることがないので、見張りは父に任せ、リオンの隣に体を横たえた。


 年頃の男女が同衾するなど、ユードレシア王国の貴族が聞けば目の色を変えられるかもしれない。だが一緒に寝ると言っても草の上。すぐそばに父親もいる。色気などない。だからと言ってドキドキしないなんてことはない。特に、自分に好意を持っている魅力的な女の子が、無防備な寝顔をこちらに向けていたら。


 結局リオンは、エルテガとキリシュが交替するまで眠れなかった。それから少しまどろみ、キリシュに起こされて眠い目を擦りながら見張りを行う。


 <コンプレックス・シールド>は朝までしっかりと維持されており、魔力消費も全く問題ないことが分かった。

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