69 決意
抱えている問題に見通しが立たないと、人は不安に苛まれる。焦燥感に駆られ、視野が狭くなり、大局的に物事を見ることが出来なくなる。
逆に見通しが立てば、精神的な安寧を得られる。心に余裕が生まれ、広い視野で一つの物事を多角的に考察することだって可能だ。
タロンベアー討伐後、ポワンカ村で宴会が行われた翌朝。時間がかかっても祖国に戻れる見通しが立ったことで、リオンは焦って出発することはない、と考えを変えた。と言っても何週間も遅らせるつもりはない。せめて数日、この村と村の人々に恩返しをしたいと思ったのだ。
「ということで、マーシュ様。何かお困りのことはないですか?」
「藪から棒になんだ? 何が『ということで』なのか見当がつかないのだが」
村の為に何かするのなら村長に聞くのが最適だろうと、リオンは朝からマーシュを困らせていた。
「一宿一飯の恩義を返したいと思います」
「ああ、なるほど。気にすることはない、と言っても君の気が済まないのだな……う~む」
マーシュが胡坐で腕組みをして唸る。
「……話は少し変わりますが、あのお米――『オリザ』はこの辺りで作られているのですか?」
「ん? ああ、ラルグリア王国の南部、内陸部で結構育てられているよ」
「そうなんですね! あと、昨日いただいた茶色いスープは……」
「『フェルメン』か? あれは南部の沿岸だな。この村でも『フェルメソース』と一緒に作っている」
「フェルメソースというのは、あの黒くて少し辛い調味料で合ってますか?」
「うん、そうだ」
「フェルメン」が味噌、「フェルメソース」が醤油のようだ。つまり、このエバンシア島南部には、米・味噌・醤油が揃っていることになる。
リオンは、何とかしてこれらをグレンドラン大陸で流通させられないかと考えていた。それも自分が作るのではなく、ポワンカ村から輸入する形で。そうすれば、ポワンカ村にはお金が落ちる。つまり村が豊かになると思ったのだ。
問題は輸送である。グレンドラン大陸で流通させるほどの量を、エバンシア島の最北端であるフロンテノール港まで運ぶのは、半端ではない時間と労力がかかる。それについては、解決策を旅の間に考えてみるつもりだ。
「何だ? リオン、あんなものが欲しいのか?」
「はい! とても美味しかったので」
「フフフ。まぁ持てる量には限りがあるが、出発の際に好きなだけ持っていきなさい」
マーシュには、昨夜のうちに「さん」付けは止めてもらった。目上の人から敬称を付けて呼ばれるのは居心地が悪い。同じくキリシュの父エルテガにも呼び捨てにするようお願いした。
「ありがとうございます。それで、困りごとはどうでしょう?」
「う~ん……大したことではないのだけれど、村を囲む塀がもうちょっと頑丈だったら、と思うことはあるなぁ」
ポワンカ村を守る防壁は、太い丸太を隙間なく立てたもので、良く言えば素朴、悪く言えば原始的である。高さは五メートルほどあり、弱い魔物の侵入を防ぐには十分なのだが、昨日のタロンベアーのような魔物だと突破される恐れがあるらしい。
「それなら、こういう風にしてはどうでしょう?」
リオンは自分に出来る解決法を提示した。自分が考えるメリットとデメリットの両方をきちんと伝える。
「そんなことが可能なのか? 魔法で?」
「はい! 二日もあれば出来ると思います」
「二日……そうか、リオンに負担がないのなら是非お願いしたい」
「はい、お任せください!」
これで村に一つ恩返しが出来そうだ、とリオンは気が楽になった。
「それと、お願いがあるのですが」
「言ってみなさい」
「実は転移で飛ばされた夜、海沿いの街道に辿り着く前、結構な数の魔物を倒してきたんです」
「うむ?」
「その魔物の、魔石や素材をいただいてもいいでしょうか? 路銀の足しになるかと思って」
「魔物の素材は倒した者に所有権がある。断る理由は何もない。王都ヴィーゼンに向かう道中で集めていくよう義息子にも言っておこう」
「ありがとうございます! じゃあ早速、防壁作りに取り掛かりますね!」
「お、おう」
リオンがやる気に満ちているので、マーシュは少し引いた。ポワンカ村に着いたばかりの彼とは表情が見違えるくらい明るくなっているから、まぁいいか、とマーシュは微笑んでリオンを見送るのだった。
「リオン、なんすっと?」
リオンが村の西門へ向かおうとすると、キリシュが目敏く見つけて付いてきた。
「防壁を補強? 強化? えー、とにかく魔物が入りにくくしようと思って」
「何でそげんこつ?」
「出発する前に、少しでも村に恩返しがしたくて」
「……リオンはまこてよか人じゃんなぁ」
「そ、そうかな? 当たり前のことだと思うんだけど」
「そいが普通はできんたっど」
キリシュの評価が何ともこそばゆくて、リオンは頬を掻きながら苦笑いする。
やがて西門から外へ出て、リオンは丸太の壁の方に向き直った。
「ちょっと危ないから後ろに下がってて。<エンバンクメント>」
「おぉーっ!?」
丸太の壁の手前に「堤防」を築くイメージで、リオンは<エンバンクメント>を発動した。雨が降っても崩れないように、またタロンベアーの突進も跳ね返すくらいに固く強くする。高さ六メートルほどの土壁が出現し、その手前には深さ八メートル、幅三メートルの「堀」が出来上がった。もちろん、門に通じる場所はしっかり開けている。
キリシュが目と口を丸くして驚いている。少し年上なのに、まるで年下の少女のようで可愛らしい。
ポワンカ村は丸太の壁によって東西南北をほぼ直線で囲まれている。一辺の長さは約五百メートル。今、一度の魔法で幅五十メートルほどの堤防と堀を築いたので、十回で一辺が終わる計算だ。ただ、さすがにこの規模の魔法をポンポン発動することは出来ない。……出来ない筈だ。
(取り敢えず五回やったら休憩かな)
魔力が枯渇すると意識を失うことが多いので、枯渇前に回復を促す必要がある。
そのまま五回、計二百五十メートルを終えたところで、リオンは首を傾げた。
「どげんしたと?」
「うん……まだ魔力があるな、と思って」
「そいはわりこと?」
「いや、悪いことじゃないけどね。知らないうちに随分魔力が増えたみたい」
「ほぇ~」
気の抜けるようなキリシュの相槌に、リオンは難しく考えるのが馬鹿らしくなった。魔力が増えて困ることはないのだ。むしろそれは良いことに違いない。
「休憩するつもりだったけど、もう少し続けるよ……キリシュ、暇じゃない?」
「全然! みちょっとはおもしてど!」
「そ、そう? それならいいんだけど」
続けて三回、計四百メートルを築き終えた所で少し倦怠感があったので、リオンは休憩することにした。感覚的にはあと二回は発動出来そうだ。
「一時間もかからなかった」
木陰にキリシュと並んで座り、水筒から水を飲みながら呟く。この調子なら今日中に全部終わらせるのも不可能ではない気がする。
「リオンの故郷では、だいでんあげな魔法をつこがなっと?」
「ん? ……いや、誰でもは使えない、かな?」
他にも使える人がいるような口振りだが、<エンバンクメント>はリオンのオリジナルなので、言うまでもなく彼にしか使えない。だが、リオンは自分のことを凄いと思われるのがあまり好きではないので、こんな言い方になってしまった。
それにも関わらず、キリシュがリオンを見る目は尊敬でキラキラと輝いていた。
「こ、コホン! キリシュたちの中には魔法を使える人はいないの?」
「う~ん、あたいの知ってる人にはおらんなぁ。でも、獣人の中にも『精霊術』っちゅうのんをつこがなっ人がおっち聞いたこっがあっど」
「へぇー、精霊術か! 見てみたいなぁ」
精霊術も気になるが、それよりもキリシュに自分の口から話しておくべきことがある。今がそのタイミングかもしれない、とリオンは思った。
「ねぇキリシュ」
「うん?」
「大切な人たちが待っているから、どうしても国に帰りたいって言ったでしょ? その大切な人の中に、僕の婚約者がいるんだ」
「うん」
「だからその、何と言うか――」
「あたいは別に構わんど?」
「いや、だけどそれじゃ不誠実って言うか――」
「あたいが勝手にリオンを好きになったと。リオンがそれにこたえっくるっかは別ん話。リオンがなんちゆてもあたいの気持ちは変わらん」
キリシュがそういう性格なのか、それとも獣人は皆こんな性格なのだろうか? ストレートに好意を伝えるが、相手に同じ好意を求めるわけでもない。もちろん好きになってくれたら嬉しいけれど、勝手に好きになったのは自分なのだから、相手にそれを押し付けようとは思わない。ただ自分の気持ちに素直に従うだけ。
身勝手な、と思う人もいるだろう。健気だ、と感じる人もいるだろう。リオンは、キリシュの言葉を聞いて、強い人だな、と思った。
「そっか。うん、分かった」
「うん!」
それからキリシュにエルテガのことを聞いた。冒険者で商人、と言っていたが、彼はポワンカ村で獲れた農作物や薬草、魔物の素材などを大きな街に売りに行き、村に必要な物を買って帰ってくるという役目を担っているらしい。
「え、そんな大事な役目があるのに、僕に同行してもらっていいの!?」
「だいじょっじゃっど。他にも同じこっがでくっ人がおっから」
「そ、そっか。それならいいんだけど」
キリシュの母についても話が及んだ。リオンも何となく察していたが、キリシュの母は彼女が幼い時に病で亡くなったそうだ。少し悲しい目をしながら彼女が教えてくれた。
「ねぇリオン。出発ん前に、一緒におっかはんの墓参りをしてくれん?」
「うん、分かった」
「あいがと!」
小一時間休憩して、リオンは再び作業に戻る。キリシュもしばらく見ていたが、昼食作りの手伝いに行くと言って村の中へ戻った。黙々と<エンバンクメント>を続けるリオンだが、キリシュがいないと少し寂しいな、と思うのだった。
そうして翌日の午前中一杯まで使って、リオンは堤防と堀でポワンカ村を囲む作業を終えた。
途中で何人もの村人がリオンの作業を見に来て、話をしたことのない人とも会話を交わした。幼い子供たちもいて、逆バンクになっている堤防のてっぺんまで上って遊んだり、堀を飛び越えられるか試したりして遊んでいた。最初は冷や冷やしたリオンだったが、獣人は幼い頃から身体能力が優れているようで、そういった遊びで怪我をする子は皆無だった。
完成した新たな防壁を、村の人々はとても喜んでくれた。聞けばこれまで、年に二回ほど防壁を突破されて魔物が村に侵入することがあったらしい。これでより安心できる、と口々に喜ぶ姿に、リオンも少しだけ恩返しが出来た気分になった。
その日の午後からは、キリシュと約束した通り、彼女の母親の墓参りに行った。村の東、海に近い高台に墓地があり、他の村人たちと共にそこで眠りに就いていると言う。十分ほど歩くと目的地に着いた。
「これは……」
「綺麗やろう? ここは村ん衆がてせち手入れをしちょっ場所じゃっで」
グレンドラン大陸の南東に位置するエバンシア島、その最南端だからだろうか。季節は冬の一歩手前だと言うのに、そこには一面色とりどりの花が咲き乱れていた。遮るものがないため海風が結構強いのに、高台だから塩害もほとんどない。整然と並んだ墓石もよく手入れされ、そこは寂れた墓地と言うより明るい公園のようだった。
墓石の間には歩道が作られ、花々を踏まずに歩けるようになっている。キリシュは迷うことなく歩き、一つの墓石の前で足を止めた。そこには、「ミリシュ ここに眠る」とリオンにも読める文字で刻まれていた。
「おっかはん、あたいは好っな人が出来たど。こん人。明日一緒に旅に出っで」
それから彼女は、両手を胸の前で組み、目を閉じて祈りを捧げていた。
(ミリシュさん。キリシュは優しくて真っ直ぐで、強くて可愛い子です。彼女の思いに応えられるかどうか分かりませんが、必ず彼女をお守りします)
リオンもキリシュと同じように墓石に祈る。娘を頼みますね、とどこからか聞こえた気がした。
*****
ポータルの暴走に巻き込まれ、ウルシア大森林の北西部に飛ばされたリーゼとアスワドは、三日後の午後、ユードレシア王国の王都グレンに帰還した。
「リーゼ様、ご無事で何よりです」
「シャロン、話がある。大事な話じゃ」
アスワドの気配にいち早く気付いたシャロンが、中庭で彼女たちを出迎えた。
「……それはリオン様のことですね?」
当然シャロンは、そこに大切な主がいないことに気付いていた。また、リーゼとアスワドだけが帰還したことは、リオンに良くないことが起こったということも。
「丁度ルーシア様もいらしています。……先に、少しお休みになりますか?」
「いや、話が先じゃ。それから少し休ませてもらって、儂は王城に向かう。アスワドに食事と十分な休養を与えてやってくれ」
「かしこまりました」
シャロンから見ても、リーゼが酷く憔悴しているのが分かった。
シルバーフェン別邸の応接室に案内されながら、リーゼはここ三日間のことを思い返した。
三日前の早朝に意識を取り戻したリーゼは、アスワドと共にウルシア大森林の「守護種族」たちを訪ねて回った。リオンが自分たちと同様、大森林に転移したことを考えたからである。そこで、砂色の髪をした十一~十二歳の少年を見掛けたら丁重に保護して欲しいこと、そしてユードレシア王国の王都にその旨を知らせて欲しいことを頼んで回った。
途中、デルード領を訪れ、リオンの父ベルナール・シルバーフェン伯爵と面会し、事情の説明と謝罪を行った。父ベルンは長兄のケイランに執務を任せ、王都に向かうと告げた。それから再度大森林に入り、各種族に頼み事をして回った。天魔族の長ラーシアに会い、彼女にもリオン捜索の協力を依頼した。そうしてようやく王都まで戻ってきたのである。その間、リーゼは一睡もしていない。アスワドもほとんど休みなく飛び回った。
「まぁ、リーゼ様!」
「ルーシア、それにシャロン。儂が付いていながら、本当に済まない」
リーゼがいきなり頭を下げるものだから、二人は最悪の事態を想像して顔色を青くした。
「あっ、違うのじゃ! リオンは死んではおらん筈じゃ」
骨鬼族との戦闘で、古代マギアム文明の転移装置である「ポータル」まで巻き込む大規模な爆発が起き、それでポータルが暴走して転移させられたらしいことを説明する。
「爆発についてはリオンの障壁なら防げる筈じゃ。恐らく障壁ごと転移で飛ばされたのじゃろう」
「一体どこへ?」
「分からん。儂とアスワドのようにウルシア大森林なら、そこに住まう種族たちに保護するよう頼んできた。だが他の場所となると……国を動かして探すしかない」
ルーシアの瞳に涙が貯まる。だが、それは悲しみの涙ではなかった。
「リオンなら絶対に生きていますわ。転移くらいで死ぬような人ではありませんもの!」
「ルーシア様のおっしゃる通りです。リオン様なら、地の果てからでも生きて帰って来ます。シャロンはそう信じます」
ルーシアとシャロンはお互いの手を強く握り、頷き合った。それを見たリーゼは、少しだけ肩の荷が下りた気がした。
「あの子は聡い子じゃ。もし簡単には戻れない場所に飛ばされても、まずは自分の無事をどうにかして知らせようとするじゃろう。そうすれば居場所も分かる筈じゃ」
「そうですわね!」
シャロンもこくこくと頷く。この二人が絶望に染まるようなことがなくて本当に良かった、とリーゼは安堵する。
「さて、儂は少しだけ休ませてもらえるか? それから王城で陛下にリオンの捜索を頼むつもりじゃ」
「リーゼ様、よろしくお願いいたします」
「礼には及ばんよ。儂の責務じゃ」
シャロンに促され、リーゼは客室へと向かう。ルーシアはその後ろ姿を見送りながら一筋の涙を流した。
「約束しましたもの。リオン、必ず帰って来てくださいまし」




