68 リオン、悩む
リオンは昼過ぎに目が覚めた。食事をいただいた部屋で布団を敷いて眠っていたのである。
「何か騒がしいな」
キリシュが用意してくれた浴衣のような服で、リオンは部屋から出た。
「ロアシュさん、何かあったんですか?」
ロアシュはキリシュの叔母で、この二人がリオンの世話をしてくれている。
「リオンさん、起きたんじゃなぁ。ないでん、ちこせタロンベアーが出たち、男ん衆が騒いじょっと。あっ、リオンさん!?」
言葉は半分くらいしか分からなかったが、どうやら熊の魔物が出たらしいと理解したリオンは思わず走り出していた。
「リオン!?」
「キリシュ! 魔物が出たって聞いた! どこ!?」
風呂から出た後、布団を敷いてくれたキリシュに、リオンは「さん」付けは無しにして欲しいとお願いしていた。
「村の北やっどん……リオンはおきゃっさぁやしこどんやっで家でゆっくい待っちょりゃよかど?」
冒険者の装備を身に着け、腰に二本の短剣を佩いたキリシュがそんなことを言う。
「僕も手伝う、いや、手伝わせて!」
「えぇ……いや、リオンはたぶん、わっぜつえちおもどん」
「その熊の魔物は強いの?」
「まあまあじゃろか。一匹やれば五人くらいでかかればまくっこっはなかど?」
「じゃあ複数いたら危ないじゃないか……」
「そはそうじゃっどん、そげんこつめってなかど」
まだそれほど時間も経ってないが、リオンとキリシュはお互いの言っていることがだいたい分かるようになっていた。
「とにかく行こう!」
「はぁ。まぁよかけど」
しっかりと装備を整えたキリシュとは対照的に、リオンは浴衣にブーツという文化を冒涜するような恰好でポワンカ村の西門を抜け、北側へと回った。北へ続く道はないようで、二人はそのまま林へと分け入る。
(思ったより村から離れたな)
十五分ほど歩いた所で、前方から魔物の咆哮が轟いた。リオンとキリシュはお互い顔を見合わせ、すぐに走り出す。やがて一体の魔物と、六人の黒犬族の男性が見えた。
「キリシュ!? なしてここに!? しかもリオンさんまで!」
「あたいも戦える! リオンはいっどくっちて聞かんかった!」
キリシュの父であるエルテガが彼女を窘める。危険な現場に娘が来ることを喜ぶ父親はいないだろうから当然だ。
リオンは一歩下がった所から魔物を観察していた。
後ろ足で立ち上がったタロンベアーは体長が三メートルを超えている。前足が長く、手には鉤爪のような長い爪が生えていた。「ベアー」と言うからには熊の魔物なのだろうが、顔は激怒した狼のようだ。熊よりも長く伸びたマズルからは長く鋭い牙が覗いている。
対する黒犬族の戦士たちは、全員が槍を持っていた。鎧は革の軽鎧のみ。一撃貰ったら確実に肉まで裂かれそうである。現に三人が傷を負って血を流していた。しかしタロンベアーの方もいくつか深手を負っている。
エルテガ以外の五人もかなりの腕前があるようだ。タロンベアーは闇雲に両手を振り回すが、ぎりぎりの所で爪を躱したり、槍の柄で弾いたりしている。その隙に別の者が死角から攻撃するという連携が取れていた。
「グオォォオオオオオン!」
爪攻撃では埒が明かないと思ったのか、タロンベアーが四つ足になってエルテガに突進してきた。
「<コンプレックス・シールド>」
ドォオオン! タロンベアーは鼻先から見えない障壁に激突し、フラフラと仰向けに倒れる。そんな隙を見逃す戦士たちではなかった。六人が一斉に槍を突き立て、タロンベアーは苦悶の声を上げて絶命した。
リオンは怪我を負っている戦士に駆け寄る。
「怪我、治します! <レトログレイド>」
淡い緑色の光が、傷を負った男の肩に降り注いだ。その光景を目にしたキリシュが小さく呟く。
「ほわぁ……みごっか」
ちなみに、<レトログレイド>に緑色の光は必要ない。単なる演出である。王城付きの治癒士、見た目が恐ろしく若いナオミ・ブラックフェンが何度も見せてくれた<ヒール>が同じような光を発していたので、それに倣っただけだ。
肩の傷は見る見るうちに塞ぎ、跡形もなくなった。リオンは他の二人にも<レトログレイド>を施す。
「いやあ、おはんなほんのこてすごか魔法使いじゃんな」
最後に傷を治した戦士からそんな風に言われる。
「いえいえ、僕なんかまだまだ――<アイシクル・ジャベリン>、<ラピッドファイア>」
言葉の途中で、リオンは木々の間に<アイシクル・ジャベリン>を連射する。ドドド、という音と共に木が数本倒れ、タロンベアー二体が木と一緒に転がった。
「おわっ!? まだ他にもおったとや!?」
「ほわぁ……かっこよかぁ」
エルテガが驚き、キリシュが再び呟いた。他の五人も、倒されたタロンベアーを見、それからリオンに尊敬の眼差しを向ける。リオンはまだ周囲の警戒を続けていて、それらには気付かなかった。
「……もう大丈夫みたいですね」
「リオンさん!? おはんなまっこてすごか人じゃ! タロンベアー二匹をこげん簡単に倒すっち、おいは見たこっがなか!」
「あー、いやいや。たまたまですよ、たまたま……」
エルテガの称賛に、リオンは居た堪れない気分になる。力を見せびらかしたようで何とも恥ずかしいのだ。二体のタロンベアーも、<リポルション>か<コンプレックス・シールド>で防御に徹すれば、殺す必要はなかったかもしれない。<アイシクル・ジャベリン>を使ってしまったのが、いかにも「これ見よがし」な感じがして、リオンは少し反省する。
昨夜森を歩いていた時も、最初は魔物を殺すのに躊躇いがあったのに、だんだんと作業のように殺していた。
もしかしたら、それがこの世界では普通なのかもしれない。悩むようなことではないのかもしれない。
(でも、やっぱり防御を完璧にしたいんだよなぁ)
無益な争いをなくす方法はないのだろうか? 殺さなくても諦めさせるような方法は。リオンの思考は、どうしてもそこに帰ってくる。骨鬼族を殺す覚悟を決め、実際に殺した今でも、やはり防御を極めたいという気持ちは変わらない。
戦士たちに肩や背中を叩かれ、機嫌良さそうに揺れるキリシュの尻尾を後ろから見ながら、リオンたちはポワンカ村に戻るのだった。
リオンは常日頃、自分からトラブルに首を突っ込むようなことはしたくない、と言っている。それは彼の偽らざる本心であるが、彼の言う「トラブル」には「自分とは無関係の」という枕詞が付くことは、彼も自覚している。
面倒事は避けたいと思っているものの、それよりも、自分の大切なものが傷付くのは見たくないのである。
途方に暮れていたリオンに手を差し伸べてくれたポワンカ村は、既にリオンにとっては大切な場所になっていた。だから、魔物出現と聞いて居ても立っても居られなくなったのだ。
そうは言っても、今回のタロンベアー討伐は、ポワンカ村にとって「余計なお世話」だったかもしれない。六人中三人が負傷していたがいずれも致命傷ではなく、リオンが手出しせずとも倒せていただろうし、追加の二体も彼らにとっては難敵とは言えなかった可能性がある。
リオンはこのポワンカ村にずっといるわけではない。村の問題は村の人たちで解決しなくてはならない。すぐにいなくなる者の力に頼るのは、村にとって良くないことに思える。
「ほんに、リオンさんの魔法は凄かったっちよ!」
リオンの心配をよそに、ポワンカ村では宴会が始まっていた。
討伐した三体のタロンベアーは、村人総出でここまで運ばれて見事な手際で解体され、その肉は現在ぐつぐつとお味噌で煮込まれている。熊鍋である。村の女性たちがつまみになる料理を持ち寄り、広場で唐突に酒盛りが始まったのだ。そして、タロンベアー討伐に参加して負傷し、リオンに<レトログレイド>を掛けられた戦士が、酒を片手にリオンのことを吹聴しているのである。
ちなみにリオンのすぐ隣には、にっこにこのキリシュが座り、甲斐甲斐しく料理や飲み物を運んでくれている。もちろん近くには父のエルテガ、村長のマーシュ、キリシュの叔母ロアシュも座っている。
すると、戦士の一人が何かを持ってリオンに近付いてきた。
「リオンさん、こいはおまんさあの取り分じゃっど」
木の盆に載せられていたのは、親指大の青い魔石が二つ、十六本の鉤爪、長短合わせて八本の牙、それに透明な瓶に入った内臓らしき何か。
「え、えーと?」
「君が倒したのだから遠慮なく受け取りなさい。それに、これから長旅をするのだから、お金が必要になる。この村にはあまり現金がないからな。ヴィーゼンの冒険者ギルドに行くならば、そこで換金出来る」
「あっ」
マーシュから指摘され、リオンは初めてそれに気付いて赤面した。
ここラルグリア王国の王都ヴィーゼンの冒険者ギルドで、ユードレシア王国に文を送る依頼にも、必ずお金が必要なのだ。当たり前だが、リオンはこの国のお金を全く持っていない。と言うよりも、ユードレシア王国で使えるお金だって持っていない。シルバーフェン伯爵家で生活する中で、自分がお金を持つ必要は今までなかった。だから、依頼や旅にお金が必要というごく当たり前のことに考えが及んでいなかったのだ。
「ついでに冒険者登録すればいい」
「え? 僕はまだ十一歳ですが……」
「君の国では駄目なのか? エバンシアでは冒険者登録に年齢制限はないぞ?」
「へぇ、そうなんですね……はい、冒険者登録します。ところで、これは何でしょう?」
リオンは瓶に入っている内臓らしきものを指差した。
「こっちは肝、栄養満点だ。こっちは睾丸で、強壮剤になるのだが……子供には必要ないというのに、あいつらは全く」
肝はともかく、睾丸はもらっても困る。何だかキリシュから熱い視線を感じるが。
「あたいも、ヴィーゼンで冒険者登録すっつもいやっど」
キリシュにはちゃんとルーシアのことを伝えた方がいいかな、と考えていると、彼女がそんなことを言った。
「へぇ、キリシュも……って、まさかキリシュも付いてくるつもり!?」
エルテガが旅に同行してくれるのは聞いていたが、キリシュも来るとは聞いていない。
「あたいまえじゃ! おやっどんにも許しはもろたでな!」
「そ、そうなんだ」
エルテガを見ると、何故か嬉しそうにサムズアップしている。これはエルテガさんにも婚約者がいることをきちんと伝えなければ。
「熊鍋、できたど~!!」
大鍋にかかずらっていた女性が大きな声で知らせると、広場では「おお~!!」と歓声が上がった。
「あたいがもらっくっで!」
キリシュがすぐに立ち上がり鍋の方に行ってしまう。
「リオンさんが帰らないとならないのは、国に大切な人が待っているからだろう?」
リオンが困った顔をしていると、マーシュが声を掛けてきた。
「はい、僕には婚約者がいます。とても大切な人です」
「うん。貴族の子供だからそうだろうと思っていた。キリシュもエルテガもそれを知っている」
「……え?」
「キリシュ……私の孫は良い子だろう?」
「は、はい。とても素敵な女の子だと思います」
「エバンシアでは重婚は珍しくないのだが、ユードレシアでは禁止されているのか?」
「……いえ、禁止はされていません」
禁止されていないからリオンも重婚するかと言えば、そんな単純な話ではない。それはマーシュも分かっているようだ。
「今すぐどうこうという話ではない。旅を共にして、もしあの子が君の“大切な人”になったら、その時に考えてくれれば良い」
「は、はぁ……」
リオンは困った。正直、キリシュは魅力的である。真っ直ぐで裏表のない性格や、元気で溌剌とした笑顔は今のリオンにとって救いでもある。だが、ルーシアは唯一無二の存在で、リオンは彼女のことをかけがえのない女性だと思っている。ルーシアと他の女性を天秤に掛けるようなことはしたくない。
「君の婚約者とキリシュ、どちらかを選べという話ではないんだよ? 婚約者を蔑ろにして良いという話でもない。だから、今からそんな顔をするな!」
わーはっは! とマーシュが呵呵大笑してリオンの背中をバンバン叩く。この人、もう酔ってるのかな? とリオンはますます困惑した。
前世の倫理観が根付いているリオンにとって重婚はハードルが高い。ただユードレシア王国の王族や貴族は複数の妻や夫を持つのが割と普通であることも知っている。命の軽いこの世界では、家を存続させるために多くの子を儲けるという考え方は理解できた。
リオンはいったんキリシュのことは棚上げすることに決めた。一緒に旅をするうちに情けない部分も見えて、リオンのことを嫌いになる可能性だって大いにあるし、逆もまた然り。マーシュが言う通り、「大切な人」になった時に改めて考えることにした。つまり問題の先送りである。
リオンと自分の二人分、熊鍋をよそった深皿を持って戻ってきたキリシュは、やはりにこにことしていた。今は難しいことを考えず、ただ帰ることに全力を尽くそう。彼女の笑顔を見ながら、リオンはそう心に誓うのだった。




