67 善意
「あなたがリオンさんだね。はじめまして、私はポワンカ村の長、マーシュだ」
五十代後半くらいの女性からそう挨拶される。どことなくキリシュに似ているような気がした。
「はじめまして。リオナード・シルバーフェンと申します。リオンとお呼びください」
リオンは左手を腰の後ろに、右手を心臓に当てて腰を折る貴族の礼を執った。
「ユードレシア王国から来たと聞いたのだけど、お貴族様か何かなのかい?」
「シルバーフェン伯爵家の四男です」
「ほぅ。立ち話もなんだから、こっちに座りなさいな」
床は土ではなく、一段高くなった木の板で出来ていた。リオンは何となくブーツを脱ぎ、靴下でそこに上がる。
「あら。靴を脱ぐ文化を知っているの?」
「あ、いえ! マーシュ様が素足なので、靴を脱ぐのだろうと思いまして」
「まぁ! とても賢い子だねぇ」
そう言って座るように促されたのは、円形の座布団だった。靴を脱ぐのも座布団に座るのも、前世の知識があるリオンにとってはある意味慣れたものだった。礼を失しないよう、リオンは座布団の上に正座した。マーシュは女性だが胡坐をかく。
「ほぅ、正座も知っているなんてね。大したもんだ。まぁ、足を崩しなさいな」
「あ、はい。では失礼して」
リオンも胡坐で座り直した。
「それで、その伯爵家の四男坊が、どうしてこんな所に?」
ウルシア大森林の南部にある人族の領域に、北部の種族が侵攻を画策した。その目論見を潰すために戦闘を行い、その余波でマギアム文明の遺物である「ポータル」が傷付き暴走。ポータルの機能である「転移」がその外側まで影響を及ぼし、自分はこの地まで転移させられた、とリオンは経緯を簡単に説明した。
「なるほど」
「気が付いたら空高くにいたので焦りました」
あははー、とリオンは頬を搔きながら軽い調子で口にする。
「空高くだと!? よく無事だったな!?」
「あー、少し魔法が使えるものですから……何とかなりました」
「そ、そうか……それにしても、海中や土の中に転移しなくて良かったな」
「…………本当にそうですね」
マーシュの言葉に、リオンは今更ながらゾッとした。深海や岩盤の中に転移させられていたら、即死だっただろう。
「それで、国に帰りたいということだな?」
「はい。まず家族や近しい人に、僕の無事と今いる場所を伝えたいと考えています」
「ふ~む……。おーい、地図を持って来てくれんかー?」
マーシュが家の奥に向かって声を掛けると、二十代後半くらいの女性の獣人が巻いた紙を持って来て、リオンに軽く会釈してからマーシュに渡した。リオンも会釈を返す。
「さて、これがエバンシア島の地図なのだが」
実は、リオンも地政学の授業でエバンシア島の地図を見たことがある。アルファベットの「Z」をずんぐりさせて、右に十五度ほど傾けた形だ。
「ポワンカ村はこの辺りだ」
そう言ってマーシュが指差したのは、分かってはいたが島の最南端であった。
「そして、グレンドラン大陸まで行ける船は、この半島にあるフロンテノール港からしか出ていない」
今度は「Z」の書き始めに当たる、北西へ向かって手を伸ばしたような形の半島を示した。
「真反対の位置ですね……」
「そうなるな」
「島の中央を縦断して北上することは出来ますか?」
「不可能だ。島の中央部は山岳地帯になっている。獣人族でもこの山々を超えた者はおらん。東か西の沿岸を行くしかない」
マーシュの話では、小さな港はあちこちにあるが、どれも小型の漁船で長距離航海は出来ないらしい。また、そういった船を乗り継いでいくのも難しい。どの漁師も、自分たちの漁場以外に詳しくないためかなり危険だと言う。
「山岳地帯を抜けて……この辺りからならば、無理すれば中央部の縦断も可能だろう」
ポワンカ村から森を突っ切って北に向かい、巨大な湾の南にあるドグラムの都市「トゥルーシカ」をまずは目指す。そこからなら船で湾の中を北上し、対面にある都市「ベルーナカ」に運んでもらえるだろう。ベルーナカから山岳地帯の麓を回り込むように北西へ森を進み、途中で北に進路を変える。それがポワンカ村からグレンドラン大陸への船が出るフロンテノール港までの現実的な最短ルートだ、とマーシュが地図上を指で辿りながら教えてくれた。
「ただし、リオンさんには辛いことだが、フロンテノール港までは一年程度かかるだろう」
「一年……」
何となく覚悟はしていた。地政学の授業でデンゼル・カッパーレイドが見せてくれた地図は、グレンドラン大陸とエバンシア島の両方が載った地図だった。エバンシア“島”と言っているが、ここは大陸と言ってもいいくらい広大なのだ。
「どれだけかかろうとも、僕は帰らなくてはなりません」
「うむ、そうだろうとも」
「ただ、先に僕の無事を知らせる方法はないでしょうか……?」
「なくはないが、遠回りになってしまうぞ?」
「それでも、国で待ってくれている人たちを、少しでも早く安心させたいんです」
ルーシア。シャロン。父や母、三人の兄たち。アスワド。もしかしたら、他にも自分のことを心配してくれる人がいるかもしれない。そういった人たちに、せめて無事であることは知らせなければならない。
「……ここから二週間ほど西に向かえば、ラルグリア王国の王都ヴィーゼンがある。そこの冒険者ギルドに依頼すれば……そうだなぁ、二~三か月で手紙を届けてくれるかもしれん」
それでも二~三か月もかかるのか、とリオンは落胆した。電話やネットのないこの世界、リオンの知る最も早い通信手段は訓練された鷹を使った鷹便である。エバンシア島ではまた違った手段かもしれないが、きっと大差はないだろう。そう思えば、遠く離れたユードレシア王国まで文を届けるのに二~三か月なら、早い方かもしれない。
「分かりました。では早速ヴィーゼンを目指してみます。マーシュ様、色々と教えてくださり本当にありがとうございました」
リオンは正座し直し、床に手をついて深く頭を下げた。
「待て待て待て待て! 何かもう、一人で出発する勢いじゃないか?」
「? はい、もちろんです」
「おまんさあのよなこどんをひといでいかすっわけがなかじゃろうが! そげんこっしたぎぃな黒犬族ん名が廃っど!」
興奮したように、マーシュが素の喋り方に戻る。それでも、リオンには彼女の言いたいことが何となく分かった。
「ふぅ、すまない。我々黒犬族は、困っている子供を見捨てるようなことはしない。我が義息子、エルテガに供をさせる」
キリシュとマーシュが似ていると思ったら、キリシュの父エルテガは義理の息子、つまりマーシュの娘がキリシュの母親ということだ。どうりで似ているわけである。
「いえそんな! そこまでしていただくわけには……僕には何もお返しできません!」
「だいが礼が欲しかち言うたか!? あ、いやすまん。礼など要らん。これは黒犬族の、種族の習性みたいなものだからな」
母性愛がとても強いということだろうか? とリオンは思った。他意がなく、善意で同行を申し出てくれていることが分かり、リオンは深く感謝した。
「……本当にありがとうございます! 助かります!」
「気にしなくていい。旅の準備はエルテガにさせておくから、明日の朝までゆっくり休みなさい。昨夜から寝てないのだろう?」
「お言葉に甘えます」
「うんうん。腹は減ってないか?」
「減ってます……」
「よし! じゃあ寝る前にたらふく食ってから寝なさい」
それからリオンは先程地図を持ってきた女性に別室へと案内された。この女性はキリシュの母親の妹、つまりキリシュの叔母だった。日本で言う所の四畳半くらいの部屋に通され、卓袱台のようなテーブルに料理が並べられる。
「え……ええ!?」
川魚の焼き物はいいとして、どう見ても味噌汁のような茶色い具沢山スープ。小鉢にはおひたしやお新香に見えるものが盛られている。そして豚のような肉の味噌漬け焼き。極めつけは、茶碗に山盛りで盛られた米だ。
その米は、風呂上りで頬が上気したキリシュがお櫃で持って来て、茶碗によそってくれたものである。
「あの、キリシュさん」
「キリシュでよかど! どげんしたと?」
「あの、これ……米、ですよね?」
「こめ? そいは『オリザ』っち言うたっど!」
「オリザ……」
リオンは二本の棒、即ち箸を器用に使って「オリザ」を口に運ぶ。キリシュがじぃっとリオンの食べる様子を見ているが、それを気にする余裕はなかった。
炊き立てご飯特有の香り、噛めば仄かに感じる甘味と旨味、それが口いっぱいに広がる。
この世界に転生して、これまでリオンは「米」を見たことがなかった。生まれてからずっと主食は「パン」。パスタやショートパスタもあるが、パンが断然多い。パンは嫌いではないし美味しいので不満もなかったが、たまにご飯が食べたいと思っていた。だが懸命に探すほどの熱意はなかったのだ。無いものは無い、とどこかで諦めていたのかもしれない。
次にリオンは味噌汁に口を付けた。茸と山菜から出汁が出て、塩味と甘味に深いコクを足し、旨味が引き上げられている。
焼き魚は皮がパリッと焼かれ、中の身はふっくらとしていた。醤油差しからほんの少し醤油を垂らすと、まさに至福の味。日本人に生まれて良かった(リオンはユードレシア人だが)。
「リ、リオンさん? ないごて泣いちょっと?」
気付けば、リオンは泣きながら食べていた。あまりの懐かしさに涙腺が崩壊していた。
もちろん、今世のリオンは和食を食べたことなどない。だがその味は、その匂いは、前世の記憶にしっかりと刻まれていた。
「あ、いえ、ごめんなさい。キリシュたちの親切が身に染みて……ご飯もとっても美味しいし」
リオンは誤魔化した。
「気にすっこたなかど! あたいどんはしたくてしちょっだけやっでな!」
自分たちのしていることが、親切だとか施しだとか全く考えていないキリシュの言葉に、リオンは衝撃を受けた。
「ちょっ!? ないごてまた泣っとな!?」
「ご、ごめん。キリシュが優しいから……」
「や、優しい!?」
キリシュは自分の頬を両手で挟み、顔を真っ赤にしてくねくねした。
「あ、キリシュ。おかわりもらっていい?」
「あ、うん」
キリシュの様子にはお構いなしで、リオンはご飯のお代わりを要求。キリシュはまた茶碗に山盛りでご飯をよそい。にこにこしながらリオンに手渡した。
何と純粋無垢な子なのだろう、とリオンは米に舌鼓を打ちながら思う。キリシュだけが純粋なのか、これが種族の特性なのか。それとも、獣人は皆こうなのだろうか。純粋過ぎて、狡猾な人族などには簡単に騙されるのではないだろうか。
一瞬そんな心配をしたものの、それは杞憂だと思い直す。エバンシア島の最南端にある村に、わざわざやって来る人族など皆無だろうから。
「ふぅ、お腹いっぱい」
頭ではもっと和食を堪能したいところだが、胃が限界を迎えた。
「寝る前に風呂に入ったらよかち思っど?」
「じゃあお言葉に甘えて」
キリシュの提案に乗り、風呂に案内してもらう。そう言えば、と先を歩くキリシュの後ろ姿を見て思う。最初に会った時は冒険者のような革の軽鎧を着けていたが、今は丈の短い浴衣のような装いだ。マーシュも似たような恰好をしていた。いわゆる和服っぽい服である。和食に和服、もしかして、日本人の転生者がこの地に和の文化を持ち込んだのではないだろうか。
などと考えていると脱衣所に着いた。
「おぉ……」
風呂は決して大きくはないが、ヒノキのような爽やかな香りがした。木の湯舟には半分ほど湯が貯まっている。
「入り方は分かる?」
「うん、大丈夫」
「これが体用、こっちが髪用の石鹸な。……あ、あたいが洗っくるっか?」
そう言って、キリシュが帯を解こうとしたので、リオンは慌てて止める。
キリシュの容姿は正直言って可愛い。艶やかな黒髪は顎の下辺りで切り揃え、頭の上に付いている三角形の耳の内側は白とピンクの毛。尻尾も黒で、太く長い。大きな瞳は灰色、表情は明るくてクルクルと変わるのが見ていて楽しい。
背の高さはリオンより少し高い。体操選手のように引き締まったスタイルだが、小さなお尻に対して胸は結構ある。
獣の耳や尻尾に抵抗のある人もいるかもしれないが、リオンは抵抗がないどころか、割と、いやかなり好きな方だった。前世の何かが影響しているのだろう。何かは分からないが。
そんな魅力的な女の子と一緒に風呂に入るなんて、冷静でいられる自信など欠片もなかった。ルーシアとだって一緒に入ったことないんだからね!
「あ、あの、キリシュ。聞いてなかったけど、キリシュは何歳?」
「ん? あたいの歳? 十三じゃっど」
同い年くらいかと思っていたら年上だった。
「あの、僕はもうすぐ十二だけど、ポワンカ村ではそれくらいの男女が一緒にお風呂に入るのは普通なの?」
「…………」
キリシュが無言で目を逸らした。どうやら普通ではないらしい。
「一人で入れるから。ありがとうね、キリシュ」
「……うん」
キリシュが脱衣所から出たことをしっかり確認し、リオンは着ていた服を脱いで浴室に入った。手桶で掛け湯して、髪用の石鹸で頭を洗い、続いて体も洗ってから湯舟に浸かる。
「ふぃ~……」
体中の筋肉が弛緩していくのが分かった。骨鬼族との戦闘、予想外の転移、それから夜通し森を歩き、海を見て途方に暮れ、キリシュとエルテガ父娘に出会い、ポワンカ村に来てマーシュに色々教えてもらった。一夜で色んなことが起き過ぎた。
キリシュは自分に好意を持ってくれているらしい、とリオンは思った。だが、好意を持たれる理由に思い当たらない。
リオンは知る由もないが、オークの群れを父娘が倒した後、そのオークを狙って森の奥から飛来したのは亜竜の一種、ワイバーンだった。リオンがプテラノドンみたいだと思った奴である。
黒犬族にとって、ワイバーンはかなり手強い魔物だ。飛ぶ、というその一点だけで攻撃手段が非常に限られるからである。
あの時、エルテガはワイバーンの接近に気付き、娘を先に逃がそうとしていたのだ。そんな状況下で、まだ遥か彼方にいたワイバーンをリオンが倒してしまった。
空中にいたリオンを見た時、エルテガはその子供がワイバーンを倒したのだと直感した。どんな方法で倒したのかは分からない。だが、この辺りでは見かけることが皆無である人族の姿をしたリオンを、神の遣いのように感じたのである。
……どこかで聞いたような話だ。
ポワンカ村へリオンを案内する道中、エルテガは娘のキリシュに自分が感じたことを伝えた。彼はワイバーンを片手間で殺すことが出来る存在だ、と。人族を見たことのなかったキリシュは、村のご老人たちから何度も聞かされた“勇者”のようだ、と思った。
女の子のような可愛らしい顔なのに、ワイバーンを簡単に倒してしまうなんて。第一印象通り、リオンは本当に神か天使ではないかとさえ思った。言葉も自分たちとは違うし。
そんな神々しくて強大なリオンが、食事をしながら涙を流した。つまり、キリシュに弱い所を見せたのである。
恋愛経験のないキリシュには、それがどんな気持ちなのか分からなかった。とにかく胸が苦しくなって、頭がボーっとしてしまった。そして、リオンの力になりたいと強く思ったのだ。
その結果、風呂で体を洗ってあげようとした次第である。
キリシュが自分の気持ちを理解するのに、それほど時間はかからない。




