65 転移
第三章はこのお話までとなります。
リーゼは背中に衝撃を感じてアスワドにしがみついた。
「な、何じゃ!? 何が起こったんじゃ!?」
後ろを振り返ると、まるで地上に光の柱が立ったような光景を目にする。それが青白く変化し、その直後に光の壁が迫ってきた。
「きゅー!?」
「ぐっ!?」
視界が光で溢れた時、リーゼとアスワドの姿は空から消えていた。
*****
(ここはどこ!? リオン兄ちゃんは!?)
先に意識を取り戻したのはアスワドだった。周囲を見回すと、まだ森の中にいるようだ。アスワドは慣れ親しんだ魔力を探す。だが近くにリオンの魔力は見当たらない。
アスワドはリオンのことを「兄」だと思っている。他ならぬリオン自身がアスワドのことを「妹のようなもの」と言葉にしたからだ。当初リオンがアスワドのことを「男の子(雄)」と勘違いしていたことは既に忘却の彼方である。
(あ、この魔力はあのちっちゃい女の子だ! あの子ならリオン兄ちゃんの居場所を知ってるかも)
直前まで背に乗せていた女の子の魔力を見付け、アスワドはそちらへ向かう。
まだ夜が明けていないため、森は暗い。「グリフォン飼育場」から脱走して森へ入り、巨大な蛇の魔物に追い回されて以来、こんなに暗い森を歩くのは初めてだった。
(怖い……怖いよぅ……リオン兄ちゃん……)
災害級の強さを誇るカラミティ・グリフォンのアスワドだが、自分にそんな力が備わっていることなど知る由もない。以前襲われたバジリスクとて、体調が万全なら歯牙にもかけない程度の力はあるのだが。
大きな体を縮こまらせ、きょろきょろと忙しなく辺りを警戒し、遠くで獣の吠える声を聞いてビクッと肩を竦め、自分が踏んで折れた小枝の「パキッ」という音に飛び上がりつつ、アスワドは森を進む。心細さを体現したかのような歩の進め方だ。リオンと出会ってから、彼はアスワドにとって「必ず守ってくれる庇護者」だった。初めての場所でもリオンさえいればいつも安心だった。
だから彼の存在が身近にない今、怖くて、心細くて、寂しくて仕方ないのである。
(もう少しであの子がいる筈……。っ!? まずい、魔物が近付いてる!)
ちっちゃい女の子はさっきから全く動いていないようだ。魔力を感じるから生きているのは間違いないけれど、気を失っているのかもしれない。急がないと!
アスワドは恐怖を胸の底に押し込め、リーゼ目指して森を疾走した。驚いた鳥や獣、弱い魔物たちが一斉にアスワドの進路から逃げていく。
(リオン兄ちゃんの代わりに、ボクがあの子を守らなきゃ!)
月と星の明かりもほとんど届かない森の中でも、地面に伏している白に近い金髪が見えた。それと同時に、右手からやってくる狼の魔物五体も。
アスワドは疾走しながら魔物に向かって<ウインド・スラッシュ>を放つ。せめて牽制にでもなればと思ったのだが、その<ウインド・スラッシュ>は森の木々を切り倒しながら魔物まで到達し、その体を細切れにした。血と肉が地面に撒き散らされるビシャッという音に続いて、切られた木々がズシンと重い音を立てて次々倒れる。一瞬にして五体の魔物は全滅し、ついでに森の中に少し開けた場所が生まれた。
(う、うわぁ……)
アスワドは、自分が放った魔法の威力にちょっと引いていた。リオンから「人に向けて撃たないように」と以前注意されたが、なるほど納得である。
(っと、こんなことしてる場合じゃなかった!)
アスワドはリーゼが倒れている所に駆け付け、彼女の周りを一周して様子をじっくり見た。
(見える所から血は出てない。胸がゆっくり上下してるからちゃんと息はしてる)
次に、嘴で優しく揺すってみた。
「んん……」
小さな声が聞こえたが、目を覚ます気配はない。万が一見えない所を怪我していたら無暗に動かさない方が良いだろう。そう思ったアスワドは、リーゼが自然と目を覚ますのを待つことに決めた。その間に、リオンの方が自分たちを見付けてくれるかもしれないし。
アスワドはリーゼに寄り添うようにその場で伏せる。彼女が凍えないように身を寄せ、片方の翼を上から覆い被せた。そうしながらも周囲を油断なく警戒する。その様子はまるで親鳥が自分の卵を守りながら暖めているようだ。
(血の臭いで魔物が集まってる……でも何でだろう、近付いて来ないな)
アスワドが先程細切れにした魔物は「バーサーク・ウルフ」といい、馬くらいの大きさがある上位の狼型魔物だった。その血肉の臭いが周辺の魔物をこの地へ集めているのだが、ある程度の強さがある魔物でないと、カラミティ・グリフォンを恐れて近付こうとはしない。つまり今集まっている魔物は弱い魔物ばかりということである。
(……近付いて来ないのはいいけど、落ち着かないよぉ!)
真のドラゴンとも真っ向から勝負できるカラミティ・グリフォンなのに、アスワドは大層気が弱いのだ。リオンと同じで、なるべくなら戦いを避けたい性質なので、集まった魔物たちを自分から蹴散らしに行くという発想には至らない。
びくびくしながらまんじりともせずにいると、ようやく陽の光が森に差し込んできた。集まった魔物も大半が諦めたようで既にその場からいなくなっていた。
「ん……う~ん……。ん?」
リーゼが寝返りを打ち、顔に触れるアスワドの羽毛に気付いた。
「んん? 何でアスワドがここに……って、何で儂、こんな所で寝とるんじゃ!? て言うかここはどこじゃ!?」
「きゅ、きゅう~……」
「お、おぉ……急に大声出してすまんのぅ。……もしや、お主が儂を守ってくれたのか?」
「きゅ」
リーゼは急速に記憶を回復させ、意識が途切れる直前のことを思い出した。
「そうじゃ、リオンは!? リオンは無事か!?」
「きゅ……」
項垂れるアスワドの姿を見て、リーゼはこの近くにリオンがいないのだと察した。リーゼは伏したままのアスワドの首に短い腕を回し、頬を寄せて慰める。
「儂もリオンがおらんと寂しい。一緒に探そうな?」
「きゅ!」
「それにしてもここは……どこじゃ?」
「きゅ?」
リオンを探すにしろ、まずは現在地の確認が必要だろう。リーゼはアスワドに頼んでみた。
「儂を乗せて真上に飛んでもらえるか?」
「きゅー!」
リオンのようにアスワドが言っていることが分かれば良いのだが、そんな都合いいことはなかった。鳴き声の調子から恐らく「承諾」してくれたのだと思い、リーゼはアスワドの背に乗せてもらう。
「きゅ!」
リーゼがしっかりと背に乗ったことを確認し、アスワドはひと声鳴いてからゆっくりと舞い上がる。
「おお、ちゃんと伝わっておるのだな! グリフォンが言葉を解するとは凄いことじゃ!」
リオンだけではなく自分の言葉もアスワドにちゃんと伝わったことで、リーゼのテンションが上がる。だが、それも長くは続かなかった。森を見渡せるくらいの高度に達した時、そこが昨夜いた場所の近くなら、南側の森はせいぜい十キロメートル程度しか続いていない筈だった。上ったばかりの太陽が左手にあるから、そちらは確実に南だ。それなのに、地平線の彼方まで森が続いている。
「どういうことじゃ……?」
まさかと思い逆方向、北の方を見ると、数キロメートル先から森が途切れていた。更に太陽の方角、東を見ると、遠くに山脈が見える……。
「あれはまさか……ガンドレイ山脈? だとしたら、ここはウルシア大森林の北西部、しかも北部領域に近い場所……。まさか! ポータルが暴走して儂らをここまで転移させたのか!?」
何と言うことじゃ……と、リーゼは小さな呟きを漏らした。自分たちの置かれた状況もそうだが、リオンも転移でどこかに飛ばされたのではないかと考えたからだ。
「無事でいれくれよ、リオン……」
*****
アスワドが森で目覚める少し前。耳元で「ビュオォォオオオー!」と轟く風切り音とローブのはためくバタバタという音、そして全身に当たる激しい風に、リオンは覚醒した。
「…………っ!? 何じゃこりゃぁぁあああ!」
リオンは絶賛落下中だった。まだ夜は明けていないが、真下にあるのが森であることは月と星の明かりで何となく分かった。つまり自分は今空中にいる!
「リ、<リポルション>!」
慎重に、自分自身に<リポルション>を掛けた。かなり弱めに、である。
恐らく自分は「転移」させられ、空中に投げ出されたのだ。今の正確な高度と落下速度は分からないものの、猶予はあまりなく、かなりの速度が出ているのは分かった。
<リポルション>の反発力はイメージで調整出来る。焦って反発力を強くするとどこまで跳ね返されるか、また体がそれに耐えられるか不明だ。そのため、少しずつ落下の勢いを減らすため、反発力弱めで<リポルション>を発動したのである。
自分がグン! と減速したのを感じた。それでもまだかなりのスピードだ。このままだと地面に激突するのは間違いない。
「<リポルション>!」
先程より少し強めに掛けると、つんのめるように減速した。スカイダイビングの経験はないと思うが、なるべく空気抵抗を受けるよう手足を大きく広げる。
「<リポルション>!」
落下速度が目に見えて落ちた。ここで更に<リポルション>を重ね掛けし、もはや風船がふよふよと落下する程度になる。
ここまで来るとリオンの気持ちも落ち着いてきた。現状を確認するために周囲を見回す余裕も出てくる。
「<ナイト・ビジョン>」
暗闇でも見えるように<ナイト・ビジョン>を発動。眼下の森までは恐らく五十メートルといったところ。思ったより近かったので、今更背筋に冷たい汗が流れた。
うつ伏せの姿勢のため首が動く範囲しか見えないが、高度も足りないため視界全てが森だった。
「ウルシア大森林のどこか、ってことか」
ウルシア大森林なら、ひたすら南へ行けばどこかの国に辿り着く。仮にそれがユードレシア王国でなくても、場所さえ分かれば王都グレンに戻ることは可能だ。そう考えると少し気持ちが落ち着いてきた。
「リーゼ様とアスワドは大丈夫だろうか……いや、きっと彼女たちなら大丈夫」
かなり離れていたから、転移に巻き込まれずに済んだかもしれない。そうだとしても、自分が突然いなくなったら心配するだろう。もしかしたら爆発で死んだと思われているかも。そんなことがルーシアやシャロンに伝わったら……。
「一刻も早く帰らなきゃ。最低限無事を知らせないと。……おっと」
樹冠まであと五メートルに迫っていた。木の上に着地したら降りるのが大変だ。少し右側に木が疎らな場所を見付けた。
「<エアバースト>」
左に向けて<エアバースト>を放ち、落下位置を調整する。宇宙遊泳みたいだな、と少しだけ楽しくなった。細かく<エアバースト>を放ち、丁度良い位置まで移動出来た。そのままゆっくりと地面に近付き、遂には両手両足が地面に着いた。
「はぁぁあああ……ロープ無しのバンジージャンプは二度と勘弁だよ」
まだ少し体がふわふわしているが、リオンはまず自分の体と持ち物を確認した。
「怪我は……してなさそう。服も見える所に異常はない。背嚢も無事。うん、悪くない」
上空千メートル以上に突然投げ出されたにしては、驚くほど状態は良い。
「さてと。夜は移動するべきじゃないんだろうけど」
周囲に切株のようなものがないか探すと、倒木が見えた。近付くと根元部分が残っている。
「確か、年輪の幅が広い方が南だったよな」
うんうん、と自分のサバイバル知識に満足して頷くリオンだが、実はこれは誤りだ。
太陽の当たる南側の年輪が広くなるというのは完全な俗説である。年輪の幅は木の生えている斜度や風向き、光を遮る遮蔽物などの影響を大きく受ける。場合によっては反対の北側の方が広くなることも十分起こり得るのだ。だから、本来であれば朝を待ち、朝陽の上る方角を確かめるか、地球の北極星のように、自転軸の延長線上にある恒星を目安にするべきであろう。
だが一刻も早く帰りたいと気が急いていたリオンは冷静な判断が出来なかった。そのまま年輪が示す南へと歩き出したのである。
「<コンプレックス・シールド>、<ナイト・ビジョン>、<サーモグラフィ>」
それでも防御は真っ先に行った。これは冷静な判断の結果と言うよりも単なる習慣だろう。危険が予想される時はまず<コンプレックス・シールド>。そして見通しが悪過ぎたので、反射的に<ナイト・ビジョン>と<サーモグラフィ>を使ったのである。
幸か不幸か、リオンが向かったのは偶然にも「南」の方角だった。より正確に言うと「南南西」だが、まぁ南と言っても差し支えないだろう。
歩き出して間もなく魔物の襲撃が始まる。
「<アイシクル・ジャベリン>、<ラピッドファイア>。うへぇ、やっぱり魔物が多いなぁ」
熊の魔物。狼の魔物。猿の魔物。蛇の魔物。蜘蛛の魔物。
リオンはあまり魔物に詳しくないため、それぞれの名前は分からない。とにかく間断なく襲ってくる。最初は殺すことに躊躇いを感じていたリオンだが、周囲が見えなくなるほど障壁に取り付いてくるので、仕方なく集まった魔物を殺し始めた。その後も集まったら殺すのを繰り返し、二時間も経つと躊躇なく淡々と魔物を倒すようになっていた。
気付けば空が白んでいる。
「あっちが明るいから、やっぱりこっちが南で合ってたな!」
全くの偶然である。
それでも、空が明るくなってくると気分も明るくなる。毎朝十八キロメートル走り込んでいたリオンの体力は、森を数時間程度歩くくらいでは尽きることもなかった。
東の空が薄い青色になって、それが徐々に広がっていく。南へ向かっていることが確実になった今、リオンの足取りは軽い。
だが、彼はまだ気付いていなかった。
ここがウルシア大森林なら、もっと気温が低いことを。
植生が違うことや、生息する魔物の種類も異なることを。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
ブックマークや評価、リアクションをして下さった読者様に心から感謝申し上げます。
続いて明日から第四章を投稿します。
よろしくお願いします。




