62 本当は行きたくない
「リオン、私は其方を死地に向かわせなければ――今何と?」
「はい、どこに行けばよろしいのでしょうか?」
「其方、分かっておるのか? 命を落とすかもしれぬ危険な任務であるぞ?」
「はい、分かっています」
リオンは自ら死地へ飛び込むほどの愚か者でも蛮勇の持ち主でもない。常々彼自身が言っている通り、大切な人と平穏に暮らしたいというごく平凡な望みを持つ少年だ。
「僕の望みを叶えるためには、王国が平和でなければなりません」
平穏に暮らすためには、ユードレシア王国が平和であることが必要不可欠である。骨鬼族と直接対峙したリオンだから言えることだが、あんな種族がどこかに潜んでいると知りながら平穏に暮らすことなど無理であろう。だからこそ魔法の講義も請け負って、魔法士団などの強化に協力しているのであるし。
「リーゼ様がわざわざ『遠距離攻撃可能な者』と言うくらいですから、遠くから攻撃するのが最良なのでしょう。それでしたら僕が適任なのは陛下もご存じの通りです。何せ最大一・八キロメートル離れた所から攻撃できますからね。リーゼ様も水臭いですよね? 名前を出さずに『遠距離攻撃可能な者』だなんて……『リオンを寄越せ』と言えば済むのに」
それはリーゼの気遣いであろうことはリオンにも良く分かっていた。彼女も出来ることならリオンを巻き込みたくないのだ。例えばデルード領魔法士団で<ストーンライフル>を習得した者ならば、最大五百メートルの距離から狙撃が可能である。そういった者を寄越して欲しいと言いたかったのかもしれない。
この国の偉い人たちは良い人ばっかりだな。この国に生まれて良かった。リオンは心からそう思った。
国王ならば単に命じれば良い。リーゼだって王立魔法研究所所長の権限で命令することも出来る筈だ。それをしないのはリオンを気遣っているからだ。騎士でも魔法士でもない、子供であるリオンを。
「その転移拠点とやらを潰さなければ王国の平和が脅かされるんですよね? だったら行かないなんて選択肢はありませんよ。ただ……」
「ただ?」
「危なくなったら全力で逃げますけど」
リオンの言葉に、その場にいる全員の肩から力が抜けた。
一・八キロメートルの距離があれば、敵に近付かれる前に次の手を打つ時間はあるように思えた。
「リオン。其方にはいつも負担をかけてすまないと思っておる」
「陛下、お気になさらないでください。自分のためにやるだけですから」
リーゼとはそれほど長い時間を過ごしていない。マギルカの方が余程多く会っている。だが、リーゼの姿を脳裏に浮かべれば、本当の年齢を知った今でも、幼い少女が健気に頑張っていると思ってしまうのだ。リオンにとって、リーゼは妹のように思えて仕方ないのである。
妹が兄に助けを求めるなら、何を置いても駆け付けるのがお兄ちゃんの役目のように感じる。リーゼを見捨てるなんて寝覚めの悪い真似はリオンには出来そうになかった。
そして骨鬼族を排除することが平穏な暮らしに繋がるのだとすれば、それはどうしたってやらなくてはいけないことなのだ。
「無事に帰って来い。私が言えるのはそれだけだ」
「はい、必ず」
打ち合わせを終えて、案内してくれた文官が再び城の通用門まで先導してくれた。王城の馬車で別邸に戻る道すがら、リオンは喫緊の問題に頭を捻る。
(ルーシアとシャロンに何て言おう……)
二人に任務のことを告げれば付いてくると言うに決まっている。だが任務の性質上、二人を連れていきたくない。
(いっそ黙って出掛けるか? いや、それは論外だな)
別に悪いことをするわけではないのだから、正々堂々と言えば良いのだ。その上で留守番をお願いする。どんな任務になるかをちゃんと説明すれば二人も分かってくれる筈。うんうん、と一人納得して馬車の中で頷くリオン。そのうちに別邸に到着した。シャロンが門の外で待ってくれている。
「ただいま、シャロン」
「おかえりなさいませ、リオン様」
「ルーシアも来てる?」
「はい、お待ちでございます」
リオンは、夕食の前に二人へ話をすることにした。
「王城に呼ばれたのは、リーゼ様から『遠距離攻撃可能な者』を含めた応援要請があったからだった」
ルーシアにはうっかり骨鬼族のことを告げてしまったので、特に隠す必要もない。リオンは骨鬼族が転移でこちら側へ移動しているらしいこと、転移の拠点をリーゼが見付けたこと、その制圧を遠距離から行いたいらしきことを話した。
「分かりましたわ。それで、いつ出発するのです?」
当然付いて行くという顔でルーシアに問われる。シャロンも無表情だが同じ雰囲気を醸し出していた。
「今回、二人には留守番していて欲しい。アスワドに乗せてもらって、僕一人で行く」
今回の任務だが、リオンの言葉通り、彼一人でリーゼが待機している町へ先行する。そこからリーゼと二人で転移拠点とその周辺の偵察を行い、遠距離から制圧出来そうな地点を探す。
リオンの出発と同時に、騎士団と魔法士団から各二個小隊、計八十名が出発する予定だ。遠距離から攻撃するリオンの周辺を護衛するのが彼らの任務である。
ただ、アスワドの飛行速度と彼らの進行速度が違い過ぎるため、状況次第ではリオン単独で拠点の制圧に取り掛かる可能性がある。
いずれにしても、遠距離攻撃の手段を持たないルーシアとシャロンはこの任務に適さない。偵察は人数が増えれば敵に気付かれる可能性が高くなるし、逃走の必要が生じた際に動きが遅れてしまう恐れもある。
正直に言えば、リオンだって二人と離れたくない。誰か他の人に任せられるのなら喜んで任せたい。好きな人の近くで好きな魔法に関わることだけをやっていたいし、命の危険があるような場所にのこのこと出向き、恐ろしい相手と戦いたくなどない。
リオンは任務の性質、二人を連れて行った場合に懸念されること、そして自分の気持ちも全て正直に語った。
「……分かりましたわ。今回はリオンの帰りを待つことにします」
「非常に遺憾ではありますが、シャロンも承知しました」
「うん、二人ともありがとう」
「でも、これだけは約束してくださいまし。必ず無事に戻る、と」
「うん。約束する」
ルーシアに力強く返事し、何も言わないシャロンに向かっても心の中で同様の約束を交わした。
湿っぽい空気を振り払うように、リオンは話題を切り替える。
「ルーシア、帰って来たらどこか行きたい所はない?」
「あります! 『憩いの泉』とか、『南展望塔』とか、『運河区』とか、えーと、他にも美味しいケーキのお店や雑貨のお店にも行きたいですわ!」
「結局王都の散策も出来てないもんねぇ。一個ずつ、一緒に行こうね」
「はい!」
シャロンは行きたい場所ややりたいことはないのかな、と思って目で問うが、彼女は小さく首を振るだけだった。
そのまま明るい雰囲気で夕食を摂った後、ルーシアとメリダを徒歩で二軒隣の屋敷まで見送った。門の前で振り返ったルーシアが突然リオンに抱き着く。
「リオン……約束、絶対に守ってくださいね?」
「もちろん。出来るだけ早く戻ってくるよ」
「はい。待っていますわ」
リオンもルーシアの背に軽く腕を回す。彼女の柔らかさと良い匂いに、またリオンは任務に行くのが嫌になってきた。だが、結局はルーシアを守るためなのだ。そして、現状ではリオンしか出来ないことなのだ。
十数秒抱き合っていた二人は名残惜し気に離れた。ルーシアの目は少し赤くなっている。夕食の時は気丈に振る舞っていたが、やはりリオンが心配なのだろう。
「ルーシア。ちゃんと帰って来るから、それまで待っててね?」
「はい! ではおやすみなさい」
「うん、おやすみ」
リオンは、ルーシアの華奢な背が屋敷の中へ消えるまで見送った。
別邸に戻ったリオンは、シャロンの手を借りて出発の準備を行う。と言っても、数日分の着替えと水筒、携帯食料、ナイフなどをオリーブグリーンの背嚢に詰めるだけだ。それから湯浴みをして自室に戻ると、シャロンがまだ待っていた。
「シャロン、もう休んでいいよ?」
「……リオン様が眠るまで、お側にいてもよろしいでしょうか?」
シャロンがわざわざこんなことを言うのは珍しいな、とリオンは思った。シャロンなら、誤認魔法を使えば気配を消して好きなだけリオンの側にいれるのだから。
「うん、いいよ。ちょっとやることがあるから待っててね」
シャロンは、こっそり覗き見るのではなく、ちゃんと自分が側にいるとリオンに認識して欲しいのだった。お互いの存在をお互いが実感することで、任務に赴くお互いの不安と寂しさを埋めようとしている。
リオンは最近のルーティンとなった<レトログレイド>の練習のため、自分の指先を少し切り付け、直ぐに治した。そして既に毎晩の日課となった女神ルシアレンへの祈りを捧げてから寝台に横たわる。シャロンが椅子を運んできて、リオンの顔が見える場所に座った。
「シャロン、いつもありがとう」
「リオン様のお側で生きるとシャロンは決めているのです。お役に立つことがシャロンの喜びですから、感謝は不要です」
「それでもありがとう……本当は行きたくないよ……他に頼める人がいればいいのに……」
シャロンがリオンに覆い被さり、上掛け越しに抱き締める。彼は、ただ魔法が得意なだけの優しい男の子なのだ。少なくともシャロンの中のリオンはそうだった。だから、危険な任務に行かせたくないし、出来ることならば自分が代わってあげたい。でも自分では彼ほど遠い距離から攻撃出来ないことも分かっている。自分だけでなく、他の誰にも出来ないことも。
抱き締めることくらいしか出来ないのがもどかしい。シャロンはリオンに対し、「ごめんね、ごめんね」と心の中で謝った。
「シャロン、ありがとう……僕、頑張るから。ちゃんと帰って来るから……」
愚痴を吐き出してすっきりしたリオンは、シャロンの温もりが心地よくてすぐに眠りに落ちた。
そしてまだ暗い中、リオンは目覚めた。シャロンは椅子に座ったまま寝息を立てている。彼女に毛布を掛け、音を立てないように着替えて背嚢を背負い、そっと部屋を出た。
「アスワド、今日はお願いね?」
「きゅ!」
いつもなら走り込みに行く時間、リオンはアスワドの背に乗って北東へ向かった。
*****
ユードレシア王国王立魔法研究所所長、リーゼことリーゼマロン・ベロニクイシア・マルガレン・ハルメニカは、ブルスタッド帝国の最北に近い「フェルシカ」という町で宿を取っていた。
五日前にこの町へ到着してすぐ、冒険者ギルドで鷹便を借りて王国魔法士団長のジェイランに文を送った。それで当面の仕事は済んだとばかり、これまでの疲れを取って英気を養うという名目で、リーゼはダラダラと過ごしていた。
「はぁ~~~。朝風呂、最高じゃあ!」
ちなみに、今は昼近く。朝ではない。
昨夜、リーゼは「親に買い物を頼まれた」という設定で、大量の酒と屋台の串焼きを買い込み、部屋で遅くまで飲んでいた。もちろん英気を養うためである。英気を養うのに暴飲暴食が役に立つとは思えないのだが。町の酒場に繰り出さなかっただけマシかもしれない。いくら辺境の町とは言え、幼女に酒を出す店はない。ユードレシア王国の王都には馴染みの店がいくつもあるから不便はないのだが、こういう時、見た目が幼女というのは不都合が多い。この宿に泊まるのも、「後から保護者が来る」と言って前金を支払ったことで何とか泊めてもらったのである。
ちなみに、この部屋に風呂はない。そんな高級宿ではないのだ。
風呂はリーゼが魔法で作り出している。植物の蔓で作った浴槽にお湯を貯めただけの簡単仕様だ。それでもリーゼは満足である。
『まったく、保護者も子供とは……まぁあの子よりはマシかねぇ。ほら、この部屋だよ』
『ありがとうございます』
浴槽から上がり、素っ裸で肩からタオルを掛け、腰に手を当てて夕べ買っておいたミルクを飲んでいると、何やら廊下で話し声がしたような気がする。
「ぷはーっ! 風呂上りに冷えた乳、最高じゃあ! どれ、もうひと口」
ガチャリ。施錠していた筈の部屋の扉が開いた。豪快にミルクを傾けていたリーゼの目が、扉から入ってきた少年の姿を捉える。
「ぶほーっ!?」
「わっ!? 汚い! リーゼ様、何やってんですか!?」
リーゼは思わず口に含んだミルクを噴き出した。
「何やってんですか、じゃないわい! 乙女の部屋に、何勝手に入って来ておるんじゃ!?」
「いや、宿のご主人が『幼い子をずっと一人にしておくのは心配だから』って、親切で鍵を開けてくれたんですよ。そんなことよりリーゼ様、取り敢えず服着ましょう? 風邪ひきますよ?」
その時初めて、リーゼは自分が素っ裸であることに気付いた。
「ぎゃぁぁあああ!?」
飲みかけのミルク瓶、タオル、その辺にあった枕や上掛けといったものを投げつけられ、リオンは仕方なく扉から廊下へ出る。自分を乙女と言いながら、部屋で裸はどうなのだろう? と思いながら廊下で待つのであった。




