61 二度目の登城
「はぁ~……マジかー」
新鮮そのものに見えるアプフェを手に取り、リオンは自分の考えが正しかったと確信した。しゃくり、と実を齧ると甘酸っぱい果汁が溢れ、口の中が豊潤な香りで満たされる。
「治癒魔法は怪我を治す魔法じゃない。局所的に時間を逆行させる魔法だ」
時間の逆行。それは現実に起こり得ない事象に思える。
しかし地球においては、2019年にロシアの研究者チームが「時間の逆転現象」を人工的に作り出している。
これは「エントロピー増大の法則」が覆ったことで証明された。
エントロピーは「秩序」という言葉に置き換えると分かりやすい。
何も手を加えずに放っておけば、あらゆるものが時間の経過と共に散らばっていく。秩序立っていたものも、放置するとだんだん無秩序になっていくのだ。
例えば沸騰させた水は、改めて熱を加えない限り時間の経過と共に必ず冷めていく。これは熱エネルギーが拡散し周囲と混ざり合うからで、この逆は起こり得ない。熱を加えずに水がお湯になることはないのだ。非常に簡単に言うとこれがエントロピー増大の法則である。
時間が進む方向とエントロピーが増大する方向は常に同じという法則がある。時間が進むと熱いお湯もいつか水になる。言い方を変えればエントロピーが増大したと言える。時間が進めば進むほどエントロピーも増大し、時間もエントロピーも戻ることはない。
と、これまではそう考えられていた。
ところが2019年、量子コンピュータの世界で、エントロピーが勝手に減少するという事象が発生した。
詳細については割愛するが、エントロピーの減少は「時間が戻った」ことを意味する。この事象は、大きな時間の流れはこれまで通り一定なのだが、局所的に時間が逆行したのと同義であった。
「つまり、局所的な時間の逆行は地球でも既に観測されていたわけだ。それが、この世界では『怪我を元通りにする魔法』として存在したということか」
負傷する前の状態に患部の時間を巻き戻す。それがこの世界における治癒魔法の正体だった。
「神聖属性とか神の御業って言われるのも分かるし、ナオミさんみたいに自然治癒力の向上って考えるのも分かるなぁ。まさか時間が巻き戻るとか、普通思わないもん」
治癒魔法が病気に効かない理由も分かった。病気ではない状態がいつなのか、明白に区切るのが難しいからだ。それに、この魔法で逆行できる時間はそれほど長くない筈。せいせい二~三日というところだろう。
ナオミが実年齢の半分以下に見えるのも納得である。十六歳の頃から毎日少しずつ肌の時間が逆行しているのだ。要するに老化が非常に抑制された状態なのだろう。
「治癒士が希少な理由はいまいち分からないけど……魔法を使うのに属性なんてないから、神聖属性がある人が使えるんじゃなくて、治癒魔法を使える人を神聖属性って呼び始めたんだろうね」
長い年月を経て、「治癒魔法は神聖属性がないと使えない」に変わってしまったのだと思われる。
治癒魔法の謎を明かしたからと言って、誰にでも治癒魔法が使えるとはリオンも考えていない。魔法に長けたリオンでさえ、アプフェの実の時間を巻き戻すのにかなりの集中を要したし、魔力もかなり使った。並みの魔法士では、魔力を手の平に集めるのも難しいだろう。そういった所が治癒士の希少さに繋がっているのかもしれない。
「うん。まぁ治癒魔法……僕は<レトログレイド>って名付けちゃったけど、使えそうな手応えは掴めたかな?」
魔法の実験で、自室がぐちゃぐちゃになったり辛さで悶絶したりしなかっただけ、今回の実験はとても平和だったと言えよう。
一定の満足を得たリオンは、寝台に体を横たえて目を閉じ、眠りに落ちていく――
「ちょっと待った!? あの、魔力が集まる感覚は? アプフェの実に魔力なんてないよね!?」
ガバッと上半身を起こしたリオンが、独り言にしては大き過ぎる声で思い出したことを口にした。
もしかしたら、時間逆行魔法と治癒魔法は別物なのか?
ナオミが見せてくれた<ヒール>、その作用、詠唱と説明、彼女の若さ、そのどれを取っても時間の逆行現象と考えた方が納得出来る。
ただ、治癒の際に自分の魔力が指先に集まった感覚、あれだけがアプフェの実を使った実験結果と相反するように見える。
「いや……別に僕は<ヒール>を使いたいわけじゃない。大切な人の怪我を治せたらそれでいいんだ。<レトログレイド>で治せるなら治癒魔法を解明する必要はないよな」
リオンの言う通りである。目的が達成されるなら、それが非道なものでなければ、手段に拘る必要などない。
乱暴な理屈に聞こえるかもしれないが、振り返ってみると、リオンが使っている魔法は全て彼自身が考え、彼自身が納得出来る形になっている。時間の逆行が治癒に役立つと納得しているのだから、<レトログレイド>はリオンにとっての治癒魔法なのだ。
実のところ、この世界で「治癒魔法」と呼ばれる魔法はリオンの読み通り、時間の逆行現象である。ただ、それを発動させるには治癒士の魔力だけでは不足するから、患者の魔力を借りているというのが本質であった。リオンは、自分ではあまり自覚していないものの、これまで魔法を使い続けたことで魔力量が尋常でないほど多くなっている。そのため対象の魔力を借りる必要がない。つまり魔力のないアプフェの実の時間をリオンだけで巻き戻すことが出来たのである。
「うん。取り敢えず怪我は治せそうだからいいや……」
手段ではなく得られた結果に満足し、リオンは今度こそ眠りに就くのだった。
それからしばらくの間、リオンは平穏な日々を送った。
早朝の走り込み。湯浴みして朝食を摂ったら、ルーシア、シャロン、メリダ、コラードの四人と共にアスワドが掴んで飛ぶフライングキャビンでグレナーダ湖魔法試射場へ。そこで陽が傾くまで魔法の講義を行ったら帰宅し、ルーシアと共に夕食。眠る前、自室で自分の指先をナイフで切って<レトログレイド>の訓練。もちろん日中の魔法試射場でも、講義の合間に騎士団員を相手に剣を使った模擬戦を行い、自分の魔法の訓練や考察も行っている。
休みの日には次兄のブロードが別邸を訪れ、お互いの近況を語り合ったりもした。
翌週には、約束通りナオミ・ブラックフェンが別邸を訪れ、リオンの治癒魔法を見せて太鼓判をもらった。ナオミが「私が教えることはもうないのですね……」と目に涙を溜めるものだから、偶には遊びに来て下さいと言うしかなかった。
そんな風に二週間が経ち、あと一週間ほどで王立学院の授業が再開されるという話が聞こえてきた頃。シルバーフェン別邸を王城の使者が訪れた。
(悪い予感しかしないのはどうしてだろう……)
家令のベリシスから使者の来訪を告げられたリオンは、待たせている使者と会うために渋々応接室へ向かった。
ソファに座っていた文官は初めて見る男性だった。以前も思ったが、王城の文官は眼鏡をくいっとするのが似合いそうである。眼鏡は掛けていないのだが。
「リオナード・シルバーフェン殿、陛下より登城のご下命です」
使者が恭しく書状を差し出すので、リオンは跪いて受け取る。国王の下命を託された使者には、国王と同じように接する必要があるからだ。
リオンはそのままの姿勢で書状に目を通す。二日後の午前十時に登城せよ、と簡潔に記載されているだけ。何のためになどは書かれていない。
「謹んでお受けいたします」
「かしこまりました。陛下にお伝え申し上げます」
それだけのやり取りで使者は帰っていく。電話やメールがあれば随分と楽なのになぁとリオンは思った。
そして二日後。人生で二度目となる王城へとリオンは赴いた。前回は父のベルンが一緒だったが、今回は一人である。シャロンやコラードも連れて来ていない。王城から迎えの馬車が来たので馭者も知らない人だ。前回は途中から吐きそうなほど緊張したが、国王とはついこの前魔法試射場で会ったばかりで、その為人も知らないわけではないから、今回は然程緊張していない。ただ、どんな面倒事を押し付けられるのかと少々うんざりしているだけである。
城の通用口の前で馬車を降りると、二日前に使者としてリオンの家を訪れた文官が待っていた。
「リオナード・シルバーフェン殿。ご案内いたします」
「よろしくお願いいたします」
二度目とは言え、元々城内は複雑な構造になっているのと、前回は酷く緊張していたせいで道など覚えている筈もなく、自分がどこへ向かっているのか全く分からないリオン。右へ左へと何度も角を曲がり、階段を下りたと思えば上がり、巨大な城でも既に一周しているのではないか、もしやこの城は異世界定番のダンジョンなのか、などと思っているとようやく目的地に着いたようだった。文官が何の変哲もない扉の前で立ち止まる。
「こちらでお待ちください」
「分かりました。ご案内ありがとうございました」
文官が扉をノックすると内側から開かれたので、リオンは礼を述べてから中へ入る。
「あれ、マギルカさん?」
「リオン君! よかったぁ、知ってる人が来て……一人で不安だったんですよぉ!」
「ちょ、マギルカさん、近い! 近いですって!」
広い応接室には、王立魔法研究所副所長のマギルカが言葉通り不安そうな顔でポツンとソファに座っていた。彼女はリオンを見ると泣きそうな顔で突進して抱き着こうとする。それをリオンが腕を伸ばして押し留めた。
「もう、いいじゃないですか! 知らない仲でもないんだし!」
「いやいや、誤解を生む言い方はやめてください!」
リオンはマギルカを宥めてソファに座らせ、自分も対面に腰を下ろした。
「マギルカさんも陛下から?」
「え? 私は魔法士団長から言われたんです……リオン君はへ、陛下から呼ばれたんですか? え、ってことは今から陛下がいらっしゃるんですか!?」
「ええ、たぶん。て言うかこの前も来てくださったじゃないですか」
「あれは他にもたくさん人がいましたから……どうしよう、めちゃくちゃ緊張してきた」
不安そうな顔からぷりぷりと怒った顔になり、今では吐きそうな顔をしているマギルカ。短時間で表情が豊かだなぁ、とリオンは他人事である。
「ジェイラン様も関係しているのかな……」
リオンはマギルカの悪心を抑えてあげようとこっそり<レトログレイド>を掛けてみたが、精神的なものには効果がないようだな、と新たな発見に喜んでいると、扉が開かれて三人の人物が入室してきた。
リオンは慌ててソファから立ち上がり、片膝を突いて首を垂れる。それを見たマギルカも「あわわわわ」と言いながら同じ姿勢を取った。
ベルトラム・ラムダクス・ルースタイン・ユードレイシス国王、ジェイラン・パープルレイド王国魔法士団長、コーネリウス・ゴールドレイド王国騎士団長の三人。
更に三人の後ろに、マクレガン・ゴールドレイド宰相と四人の文官が続いた。さっきまでガランとしていた応接室だが、急に人が増えて狭く感じる。
「リオン。それにマギルカ嬢。よく来てくれた、楽にしてくれ」
リオンとマギルカは立ち上がったが、目上の人たちが座るまで立ったまま待っていた。コの字型に置かれたソファの上座に国王と宰相、扉から遠い右側のソファにジェイランとコーネリウスが腰掛けたので、リオンはマギルカの背に手を当てて左側のソファに誘導し、自分も座った。文官は壁際に控えるようだ。数名の侍女が入って来て人数分のお茶を準備し、すぐに退室した。
(何だろう、この顔ぶれ……どこかと戦争でも始まったのか?)
だとしたら自分が呼ばれるのはおかしいだろう、とリオンは自分の予想を打ち消した。やがてマクレガン宰相が口を開く。
「今から話すことには国家機密が含まれる。マギルカ・グレイラン、外部に漏らすと罪に問われる場合があるからそのつもりで」
「ひ、ひゃい!」
「……ではジェイラン魔法士団長、頼む」
怯えて噛んだマギルカを宰相は華麗に無視して、ジェイランにバトンを渡した。
「四日前、リーゼちゃんから鷹便で応援要請が届いたの。内容は『転移の拠点らしき場所を発見。遠距離攻撃可能な者を含めた応援を要請する』だったわ」
ジェイランの報告を聞いて、マギルカは鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。
「マギルカちゃん。リーゼちゃんがウルシア大森林方面へ向かった理由は聞いているかしら?」
「いえ、詳しくは」
「そうよねぇ。実は、王国内に人間以外の敵対種族が潜んでいる可能性があるの」
「敵対種族?」
「ええ。本来その種族はウルシア大森林の北側にいるはずなの。だからリーゼちゃんは、大森林に異常がないか確かめに行ったわけ」
「な、なるほど?」
マギルカは一応分かったような返事をするが、理解が追い付いていないのは誰の目にも明らかだ。
「一応この部分が機密だから内緒にしてね?」
「は、はい!」
「それでマギルカちゃんが呼ばれたのは、リーゼちゃんからの伝言が理由なの。『マギルカ・グレイランを魔法研究所所長代理に昇格して欲しい』って」
「え……ええ!? ムリムリムリ! リーゼ所長の代わりなんて無理ですよっ!?」
ジェイランが困った子を見るような顔になった。
「リーゼちゃんの希望なのよ……『儂は戻って来れんかもしれんから』って」
「……え?」
「さっき言った、転移拠点らしき場所……敵対種族はそれを使って転移しているらしいのね? そこを制圧しなければ王国が危ない。だけど、そもそもその制圧自体が命懸けになりそうってことなの」
ジェイランの説明を聞いてマギルカが言葉を失った。
リオンは既に、何故自分が呼ばれたのか理解していた。リーゼは拠点の制圧に「遠距離攻撃可能な者」を要請している。リオンの知る限り、王国に彼以上の遠距離攻撃が出来る者はいない。
それにしても、この世界に「転移」があるというのが驚きだった。ファンタジー作品で「転移」は定番とも言えるが、これまで転移魔法の存在など耳にしたことはなかった。
「リオン。其方を呼んだ理由だが」
ベルトラム王が苦い顔でリオンに呼び掛けた。この任務は、現在王国内で最高峰の魔法士であるリーゼが「命懸けである」と判断した危険なものだ。いくら魔法の才能が突出した人物と言っても、リオンはまだ十二歳にも満たない。そんな年端も行かない少年に危険な任務を命じるなど、同じ年頃の子を持つ親としては言語道断だと分かっている。
だが一国の王としては、それが王国の民を守る為ならば、命じなくてはならない。何故なら、リオンこそが最も適格であると知っているからだ。
「陛下、理解しております。それで、どこに行けばよろしいのでしょうか?」
リオンは、何でもないことですとでも言いそうな雰囲気で明るく尋ねた。




