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60 治癒魔法の謎

「ナナオミ様、でよろしいでしょうか?」

「す、すみません、ナオミですぅ……」


 今にも湯気が出そうなくらい顔を赤くしたナオミ・ブラックフェンは、恥ずかしさで小さな体をより縮こまらせた。


「失礼しました、ナオミ様。どうぞお掛けください」

「は、はいぃ……」


 ブラックフェン伯爵家は、王国内で唯一「誓約魔法」を継承している貴族家だった筈。リオンは先日シャロンから教えてもらったことを思い出す。治癒士ということは、本家ではなく親戚筋だろうか?

 ナオミが用意された紅茶を飲み、落ち着くまで待ってからリオンが礼を述べる。


「王城から来てくださったんですよね? わざわざありがとうございます」

「いえいえ、とんでもないです! 噂のリオナード様に治癒魔法を教える機会を得られて光栄です」

「噂……?」


 今朝も噂になっていると聞いたような……ああ、陛下がおっしゃっていたのか。


「あの、その……若くして銀翼勲章を受勲したばかりか、王都で魔人を単独で二体撃破、さらに帝国の皇子殿下と第二王女殿下を襲撃から守り抜いた稀代の英雄、と」


 リオンは両手で顔を覆い、天井を仰いだ。

 全て事実である。カルロ皇子とミリス王女を守ったのはルーシアだと思っているが、概ね合ってはいる。合っているから否定は出来ない。だが、物凄く居た堪れない気持ちである。自分は英雄とは程遠い人間だ。ほとんどが運悪くその場に居合わせただけであり、自分や大切な人を守るために出来ることをしただけなのだ。

 本物の英雄とは、自らの意志で危地に駆け付け、その力で無垢の人々を守る無私無欲の人だとリオンは思っている。そして英雄は危険を顧みないから、天寿を全う出来ないものだとも思っている。平穏な暮らしを望むリオンは英雄になどなりたくないのである。


「えーと、僕は英雄なんかじゃありませんので、お城の人たちにもそう伝えていただけませんか?」

「やっぱり噂通り! リオナード様はとっても謙虚な方なのですね!」


 火に油であった。ナオミの目が、崇拝する相手を見るそれになっている気がする。


「あの、僕はご覧の通り、ただの子供ですから。英雄なんて烏滸がましいので……」

「はい、分かりました! リオナード様は照れ屋さんなんですね?」

「あ、はい、もうそれでいいです」


 リオンは諦めた。ナオミ・ブラックフェンに来てもらったのは治癒魔法を学ぶためだ。英雄呼ばわりを止めてもらうとか、噂の鎮静化が目的ではない。


「ナオミ様、早速ですが治癒魔法を教えていただきたいのですが」

「そ、そうですよね! 私ったら舞い上がってしまってごめんなさい! そうですねぇ……リオナード様は、治癒魔法についてどれくらいご存知ですか?」

「リオンとお呼びください。えー、病には効果がなく、負傷に特化している魔法ということくらいですね」

「なるほど。リオナ……リオン様は治癒魔法を受けたことが?」

「あ、様も不要ですよ? ええ、受けたことはあるのですが、生憎意識がない時ばかりでして」


 なるほどなるほど、とナオミは頷いて少し考える。


「では実際に見ていただいた方が早いですね」


 そう言うと、萌黄色をしたローブの懐に手を差し入れ、そこから小ぶりのナイフを取り出した。リオンを挟むように座っていたルーシアとシャロンが反射的に腰を浮かしそうになり、リオンがそれを手で制する。


「あ……申し訳ございません、先に言うべきでした。これで私の指を傷付けて、それを治す所をお見せします」

「え!? だ、駄目ですよ、痛いでしょう!?」

「そうですわ! 女性にそんなことをさせるわけにはいきませんわ!」

「……丁度良い者に心当たりがございます」


 シャロンがすっくと立ち上がり応接室から出ていく。そしてコラードの首根っこを捕まえて戻ってきた。


「ちょ、ちょっとシャロンさん!? 悪い予感しかしないんですけど!?」

「大丈夫です。痛いのは最初だけですから」

「やっぱり痛いことするんじゃないですか!」


 ぎゃーぎゃーと騒ぐコラードに、ナオミが目を丸くしていた。


「シャロン、コラードくんを離してあげて。ナオミ様、僕の指で試してください」

「いやそんな……だったら私の指で」

「いえいえ、自分で治癒魔法を受けた方がよく分かる気がするんです」


 リオンも痛いのは嫌だが、治療が確約されているのだ。それで治癒魔法が習得出来るかもしれないのだから、少しくらいは我慢する。


「本当にいいんですか?」

「ええ。少し切るだけですよね?」

「はい」

「じゃあお願いします」


 シャロンが素早く蝋燭と水、タオルを準備してくれる。消毒のためにナイフの切っ先を火で炙り、水に浸けて冷ました。それを左手人差し指の腹に当てたナオミが、もう一度リオンの顔を見る。一思いにやってくれ、とリオンは思う。溜めを作られると余計に怖くなる。


「では行きま――」

「つっ!?」

「天上におわす神よ我が魔力を糧にこの者の傷が無きものと癒えるよう願い奉らん。<ヒール>」


 言葉の途中でリオンの指先を切り付けたナオミは、ぷっくりと血の球が盛り上がる指を左手で下から支え、右手を上から包むようにかざして早口の詠唱を行った。

 彼女が纏うローブと同じような、明るい黄緑色をした光の粒子が何もない天井付近から降り注ぎ、リオンの指先に集まる。


(なるほど……この演出を見れば、神の御力を借りるという表現も納得は出来る)


 出血が邪魔で傷が治っていく過程はよく見えない。だが、指先に集中していたおかげで、リオンは感覚的に理解した。


(これは……ナオミ様の魔力が呼び水となって、僕自身の魔力が指先に集まっているのか?)


 リオンの医療知識は現代地球の一般的な域を出ないが、傷が自然治癒する仕組みを思い出す。

 怪我を負うと、人体は三つの工程を経て傷を癒す。

 まず「炎症期」。傷付いた血管から血小板が集まり、血栓を形成して止血する。そして好中球やマクロファージといった白血球が傷口に集まって、死滅した細胞や傷に付着した細菌を除去する。これらの過程で痛み、赤み、熱、腫れといった炎症が生じる。

 次に「増殖期」。線維芽細胞によってコラーゲンが生成されて、傷口を埋める肉芽組織が作られる。同時に新しい血管も作られて酸素や栄養素が運ばれる。そして表皮細胞が移動と分裂を行い、傷口の表面を覆い始める。

 最後が「成熟期」だ。傷口の組織でコラーゲンが再編成されることで、丈夫な瘢痕組織に変化する。それから傷痕が徐々に薄くなり、元の組織に近付いていく。


 傷の治りに影響を及ぼすのは、主に傷の深さ、感染、乾燥の三つだ。

 真皮の奥深くまで傷が及べば表皮の再生が難しい。従って傷痕が残りやすくなる。傷口が細菌に感染すれば炎症期に要する時間が長くなり、結果的に治りが遅く傷痕が目立つようになる。また傷口を湿潤環境に保つと良いのは地球でも近年よく知られていた。


「はい、血を拭き取りますね」


 記憶を辿っていたリオンはナオミから声を掛けられ、ハッと我に返った。指先を見てみるとどこを切られたのか分からないくらい綺麗に治っていた。


「ナオミ様は、治癒魔法はルシアレン様の御業だとお考えですか?」

「ナオミでいいですよ? う~ん……こんなこと言うと怒る人もいるのですが、私はこれを女神様の力だとは思っていません」

「ふむ、やはりそうですか」


 詠唱は型通り行うが、そこに神を信奉する気持ちが現れているようには思えなかったのだ。


「ナオミさんの魔力に吸い寄せられるように、僕の魔力が指先に集まったように思えました」

「さすがリオンさん! 私も同じ考えなんです。治癒魔法はまだよく解明されていないんですけど、患者さん自身の魔力で自然治癒力を数十倍に引き上げているんじゃないかと私は思っています」


 ナオミが嬉しそうに教えてくれた。


「自然治癒力を引き上げるのなら病気にも効きそうですが……」

「恐らく、病気だと範囲が広いため魔力が分散し、十分に自然治癒力が上がらないのではないでしょうか」

「なるほど……」


 裏を返せば、地球のように患部を特定することが出来れば病気にも効果があるかもしれないということだ。


「ただ……健康な体でも治癒魔法を掛けることには意味があるのではないかと思っています」

「それは、どういうことでしょう?」

「えーと……不躾なことをお尋ねしますが、私、いくつに見えますか?」

「え!? えー、十九歳か二十歳くらい、でしょうか?」

「うふふ! 嬉しいです。私、こう見えて四十六歳なんです」


 ナオミが自分の年齢を明かしたのだが、応接室には沈黙が降りた。


「ええ!? 嘘ですわよね!?」

「どう見ても二十歳そこそこにしか見えないんですけど!?」


 ルーシアがソファから腰を浮かせ、コラードが前のめりになってナオミに詰め寄った。


「うふふふ……! 実は十六歳で治癒魔法を習得してから、毎晩寝る前に治癒魔法を自分に掛けているんです。最初の頃は一発で魔力が枯渇していたのですが……そうですね、だいたい二年くらい経った辺りから枯渇しなくなって、それからは首から上、胸元、肘から先といった具合に範囲を広げていって……二十五からは毎晩全身に治癒魔法をかけてるんです」


 衝撃の告白であった。

 やけに若い人が派遣されてきたなとリオンも思っていたのだ。新人さんだからそれほど仕事が多くなくて時間があるのかもしれない、と。

 全く新人さんではなかった。むしろベテランの域に達している方ではないだろうか。


 そして、治癒魔法に若さを保つ効果がある可能性を示唆された。これが世に知られたら大騒ぎではなかろうか。

 しかし、実年齢よりかなり若く見える女性というのは存在するし、ナオミ一人だけというのは数が少なすぎてエビデンスとしては弱い。


「王族の女性限定で、数名にこの美容法を施しています。効果は上々ですよ?」


 何と、既に実用化されているらしい。そう言えば、とリオンはふと思い出した。

 実際にお会いしたことはないが、王妃様は陛下と変わらないご年齢だというのに、まるで陛下の娘のような若々しさだと聞いたことがある。もしかしたら、いやもしかしなくても、その若さの秘訣はナオミの治癒魔法かも……。


「リオン! 治癒魔法、絶対に習得してくださいまし! 私のためにも!」

「あ、はい」


 ルーシアに両肩をガシッと掴まれ、ガクガクと前後に揺さぶられれば是と答える他ない。まだ十代前半で玉のような肌のルーシアが、これほどまでに美と若さに執着を示すのか、とリオンは若干慄いた。

 揺さぶられながらシャロンに目を遣ると、彼女もまた何度も深く頷いていた。長命種のエルフにとっても若さを保つことは魅力的のようだ。


「え、えーと。話を元に戻して……治癒魔法の習得なんですが」

「そうですね。リオンさんの『自分の魔力が患部に集まる感覚』というのは間違っていないと思います。意図的に、任意の場所に魔力を集める訓練をすればよろしいかと」

「自分はそれで良いとして、人に治癒魔法を掛ける場合はどうすればよいのでしょうか?」


 今回、治癒魔法を学びたいと強く思ったきっかけは、ルーシアの負傷である。自分の怪我を自分で治せたら大したものかもしれないが、それより大切な人の治し方を知りたい。


「ちょっと抽象的になってしまうのですけど」

「はい」

「その人の傷がまるで最初から無かったように、綺麗に治った所をしっかりと思い描き、その状態で魔力を片手に集めるんです。それから、その魔力を患部に振りかけるイメージですね」

「それで、その人の傷に魔力が集まるんですか!?」

「そうなんです。私も不思議なんですけど……ちなみに、美容として治癒魔法を施す場合、お相手のお若い時を想像して、健やかで若々しくあるように思い描いています。あくまで私の場合ですが」

「そうなんですね」


 確かに、これまでリオンが向き合ってきた「魔法」と比べると抽象的である。

 この後、リオンは自分の指先を三回切り付けてもらい、治癒魔法を体験した。王城に帰らなければならないナオミに心からの感謝を述べ、玄関まで見送ると城から迎えの馬車が来ていた。


「リオンさん、また来週伺いますね」

「お忙しいのにありがとうございます。お待ちしております」









 その夜。リオンは治癒魔法について考察していた。夜、自室で一人になってから魔法について考えるのは最早彼にとって定番の作業である。


(魔力を局所に集めれば、その部分の自然治癒力が高まるということだったけど)


 だが、それだけでは説明が付かない部分がいくつかあるように思えた。

 第一に、治癒魔法で治した傷は、痕が全く分からないくらい綺麗に治っていたことだ。いくら自然治癒力が高まったと言っても、皮膚に薄っすらと線くらいは残りそうではないか?

 第二に、ナオミ・ブラックフェンの若々しさである。若く見える肌というのは、皺やシミがなく、潤っていて透明感があり、ピンと張った肌だと思う。それこそルーシアの肌のように。それらと「自然治癒力」がそぐわない気がするのだ。

 第三に、治癒士の希少さ。傷が治るようイメージした魔力を相手に降り注ぐだけで癒せるのなら、もっと治癒士が多くても良さそうなものである。治癒魔法の習得には「神聖属性」と呼ばれる希少な属性が必要と聞いたが、ナオミからはそれに関する言及がなかった。


(治癒魔法って、本当に『傷を治す』魔法なんだろうか……)


 ナオミの言葉を反芻してみる。


『天上におわす神よ、我が魔力を糧にこの者の傷が無きものと癒えるよう――』

『その人の傷がまるで最初から無かったように、綺麗に治った所をしっかりと――』

『お相手のお若い時を想像して――』


 リオンは一つの可能性に思い至って愕然とした。


「いやいや、まさか……でも、これらの言葉が示すのは……いや、本当に? そんなことが可能なのか……?」


 ぶつぶつ呟きながら自室を歩き回ったリオンは、はたと思い付いてキッチンへ向かった。


「こ、これはリオン様!?」

「ああ、ゆっくりしている所すみません。捨てるような傷んだ果物か野菜はないですか?」

「傷んだ? えー、これなんかどうでしょう?」


 キッチンでは、別邸の料理人二人が寛いでいた。夕食の片付けも済ませて一息入れていたらしい。普段キッチンに顔を出さないリオンが突然来たので驚かせてしまったようだ。

 料理人の一人が、一部茶色に変色したリンゴに似た果物を持ってきてくれた。


「ああ、丁度いいです。これ、いただいても?」

「リオン様、もっと新鮮で美味そうなのがありますよ? 切り分けましょうか?」

「いや、食べるわけじゃないんです。実験に使いたいので。あ、新鮮なやつも一応見せてもらえますか?」

「はい……本当にそれでいいんですか?」


 リオンは料理人たちに礼を言って自室に戻った。料理人によると、このリンゴに似た果物は「アプフェ」というらしい。切り分けられたものしか見たことがなかったリオンは名前を初めて知った。


 文机に皿に載せたアプフェの実を置き、椅子に腰かけた。集中するために灯りは点けない。目を瞑り、先程見せてもらった新鮮で美味しそうなアプフェの実を鮮明に思い浮かべる。そうして、体内の魔力が右の手の平に集まっていくようイメージした。


 たっぷり三分ほど掛けてイメージが完成したと確信した時、リオンは小さく呟いた。


「<レトログレイド(逆行)>」


 黄緑色をした光の粒子がアプフェの実に降り注ぎ、実全体が淡く光る。

 光が収まった時、そこには傷んで腐りかけたものではなく、瑞々しくて良い香りのするアプフェの実があった。

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