51 想像力
「シャロン、リオンはどうしたんですの?」
「昨夜、あまり眠れなかったようです」
王立魔法研究所の地下二階。いつものようにリオンは魔法の講義を行っている。
いつもと違うのは、喋るのを止めるとリオンの瞼は半分閉じ、ややもすればフラフラと揺れ始めることだ。僕、寝不足なんです! と彼の全身が主張していた。
シャロンがルーシアの問いに答えたように、リオンは夕べほとんど寝ていない。興奮と羞恥のせいだ。
興奮は、この世界の魔法は地球の物理法則に従う必要がないと気付いたことによる。
これは非常に今更のことである。まず「魔法」が存在する時点で色々と地球とは違う。何もない所から炎や氷、五十口径の石弾が現れるのだ。物理もへったくれもない。
リオンの知識は、あくまでもイメージの補完に役立っていたのである。より具体的に、明瞭に、自分自身が納得出来る形で発現したい事象を思い描く。それによってリオンの魔法は発動に至っていた。だから決して前世の知識は無駄ではない。むしろ大いに貢献してきた。単に、リオンの知る物理法則に従う必要がないというだけだ。
羞恥は、散々自分が偉そうに言ってきたことを思い出したことによる。『これまでの魔法の常識を捨ててください』。デルード領の魔法士団でも言ったし、魔法研究所の受講者たちに最初に言う言葉もこれだ。それがどうだろう、常識に囚われていたのは他でもない自分自身だったことに気付いてしまった。前世の物理法則という常識に、である。
リオンは恥ずかしさのあまり寝台の上で悶絶した。どの口が言う、というやつだ。なまじ地球の知識があるだけに、それに縛られていたわけだ。もっと早く気付いていればという悔しさも若干あったが、それよりも羞恥が勝った。
結局眠ることが出来ず、普段より随分早い時間から走り込みに行った。興奮を抑えるため、羞恥を忘れるため。結果普段より長く走り、そのまま講義に来たためルーシアが心配するほどふらついている。
リオンの偉い所は、そんな状態でも受講者から質問されたらしっかり答えていることだ。いつものようにちゃんと実演もしている。だが、明らかに眠そうなリオンを見かねた人物がいた。
「リオン君、もう今日は帰りなさい!」
マギルカ副所長である。昨日は一日休みだったのに、どうしてこんなに眠そうなのか。遊び過ぎたのかしら? 若いっていいわね、などと思っている。
「大丈夫ですよ~マギうカしゃん」
「ちゃんと言えてないですよ!?」
マギルカは貴族令嬢だが異性との距離感がおかしいので、リオンの額に手を当てて「熱はないですねぇ」などと言いつつ、頬や首筋もペタペタ触っている。本人はあくまでも触診のつもりだ。
それに慌てたルーシアが、リオンとマギルカの間に体を捻じ込んで二人を遠ざけようと試みる。
「マギルカ様、彼は、わ・た・し、の婚約者ですから、面倒は私が見ますわ!」
「あ、そうですよね。ルーシア様、リオン君はもう今日はダメっぽいので、連れて帰っていただけますか?」
マギルカはあっけらかんとそう口にした。彼女に悪気はない。距離感がおかしいだけである。
「でも困りましたわ。時間まで迎えは来ないですし」
「それなら、リオン君を休憩室で休ませておきましょう。シルバーフェンのお宅には、研究所から誰か人をやりますから」
「ありがとう存じますわ」
地下一階には食堂や休憩室がある。他にも何やら怪しげな実験室などもあるようだが、そちらに用はない。
「え~? 僕、大丈夫れすよ~?」
「リオン君、大丈夫な人は『れすよ~?』とか言わないんですよ?」
まるで酔っ払いであった。呂律が回っていない。シャロンとルーシアの侍女メリダに担がれるようにして、リオンは休憩室に連行されていった。
「リオンが眠れなかったなんて……何かあったのかしら?」
「そう言えば、ここ数日は気もそぞろと申しますか、考え事をしている姿をよくお見かけいたしました」
寝台に横になってスヤスヤと寝息を立てるリオンを見ながら、ルーシアが心配顔になる。一方、シャロンは特に心配はしていない。魔法のことで考え事に没頭するのはリオンの癖だと知っているからだ。
「考え事……やはり、魔人を殺したことを気に病んでいるのかしら……」
「その点につきましては、ある程度吹っ切れていらっしゃると存じます。私見ですが、いつものように魔法について考えていらっしゃるのかと」
「それなら安心……でもないですわね、眠れないほど考えるなんて! まったく、リオンったら!」
同い年の婚約者を、仕方のない人ですわと慈しむように見つめるルーシア。
リオンが魔法のことになると没頭してしまうのはルーシアも知っている。それは彼の好ましい面でもあるのだが、寝食を忘れてまで没頭するのはいただけない。
これは、私がしっかり見ておかないといけませんわね! と、ルーシアは気合を入れた。将来お尻に敷かれるのが確定したようだ。
尻に敷かれるというのは後ろ向きの言葉に思えるが、実際のところは妻が主導権を握った方が夫婦関係はうまくいくことが多いそうだ。夢を見がちな男性よりも、現実的な女性に主導権を渡した方が楽だったりするらしい。
起きたらお説教ですわ! と鼻息を荒くするルーシアだが、リオンの邪気のない寝顔を見ていると、怒る気持ちはどんどん薄れていくのであった。
きっちり二時間ほど熟睡し、リオンは目を覚ました。知らない天井だ、と思ったが口にしないだけの分別があった。視界の端にこちらを窺っているルーシアとシャロンの姿が目に入ったからである。
「僕、寝ちゃってたんだ」
「リオン。体の調子は大丈夫ですの?」
「あ、うん。ルーシア、心配かけてごめん」
「夜更かしも程々にしないといけませんわよ?」
「はい」
夜更かししていたわけではなく、単に興奮と羞恥で眠れなかったなどと言い訳はしない。理由はどうあれ夜更かしは事実なのだし。
「リオン様。もしかして新しい魔法を生み出したのですか?」
ギクッ。リオンは分かりやすく反応した。
「なななな何でそう思うの?」
「さっきは余りにも眠そうで表情が分かりませんでしたが、今はとてもすっきりした顔をされているので」
「いやいや、すっきりしてるのは寝たからだと思うよ!?」
「…………」
シャロンが無言で見つめてくるので、リオンは耐えられなくなって目を逸らす。それはシャロンの言葉を認めているのと同義だった。リオンは身内に対して何かを誤魔化すというのが非常に苦手なのである。
「リオン、どんな魔法ですか!?」
「え、いやー、大した魔法じゃないと思うんだけど」
「いいから教えてくださいまし!」
ルーシアは知っている。リオンが生み出す魔法はこれまでにない魔法であること。それはどんなものであろうと「大した魔法」の筈だ。
ルーシアの隣では、シャロンもこくこく頷いて白状しろと目で言っていた。
「えーとね、何と言うか、<UDM>の反対で、反発する魔法、かな?」
「「反発?」」
「実際にやってみるね。<リポルション>」
リオンは、昨夜と同じく極小のマイナス質量物質をイメージした。
「な!? 風もないのに、何だか押されていますわ!?」
「面妖な……」
「うんうん、不思議だよねぇ。夕べ僕も同じこと思ったよ」
「これは何に使えますの!?」
「う~ん、何だろう?」
リオンの返答に、ルーシアとシャロンは揃って首を傾げた。
「リオン様、何か目的があってこの魔法を作ったのでは?」
「あ、いや、別にそうじゃないんだ。単に、<UDM>の反対方向に力が働く魔法が出来ないかなーって」
ベルケエルに言われたからやってみたというのが真相なのだが、そこまで明かせば話がややこしくなる。
「……攻撃を弾けるんですの?」
「どうだろう? やってみないと分からないね」
「リオン様。この魔法、力が働く方向を指定できるのですか?」
「う~ん……それもやってみないと分からないなぁ。何で?」
「重い物や自分自身を浮かせることが出来るかと」
リオンは目を丸くした。シャロンの言葉は、正しく想像上の「反重力」の使い方そのものだと思ったからだ。
「そうか……力の方向を指定できればそんなことも出来る可能性がある。防御にも役立つぞ? 負の質量を持つ物質の特性を見直して……いや、あくまでもイメージさえ出来れば発動する筈。方向を指定……<ストーンライフル>だって無意識に飛ぶ方向を指定しているから――」
リオンがまたブツブツと呟きながら思考に没入しそうになったので、ルーシアが慌ててそれを止める。
「もう、リオン! どうしてここに寝かされたのか、もうお忘れですの!?」
「あ……ごめん、ルーシア」
「昨夜は寝ていないのですから、今日は早く寝てもらわないと困ります」
「あ、はい」
そこへ魔法研究所の職員がやって来て、迎えが到着したと教えてくれた。
「マギルカ様も、今日は帰るように言っていましたわ」
「そ、そうか……うん、素直に従おう」
リオン、シャロン、ルーシア、メリダの四人は、心配そうな顔をしたアーチルに状況を説明し、馬車に乗り込んだ。
「ルーシア、少しだけお宅の庭を借りていい?」
「庭ですか? 別に構いませんが」
二軒隣のレッドラン辺境伯別邸は、屋敷の大きさ自体あまりシルバーフェン邸と変わらないが、庭は倍以上の広さがある。
「……リオン?」
「ちょっとだけ、ちょっとだけだから! 思い付いたらやってみないと、気持ち悪くてまた眠れなくなっちゃうから!」
「もう……本当に少しだけですよ?」
「うん! ありがとう、ルーシア!」
馭者台のアーチルに、レッドラン邸で降ろしてくれるよう告げる。二軒隣なので誤差のようなものだ。
「さてと」
庭に着いたリオンは適当な石に腰を下ろし、考えをまとめ始めた。
(力の作用する方向を任意で指定できれば、<UDM>……じゃなかった、<アトラクト>も凄く便利だ。これまでは周囲の全てを引き寄せていたからな。<リポルション>は理論上攻撃に対して反発する筈だけど、どんな風に作用するかは分からない。負の質量を持つ物質は――)
リオンは、また物理法則に基づいて考えようとしている自分に気付き、頭を振った。
(そうじゃない、イメージが最重要なんだ。何故そうなるのかを考えちゃダメだ)
とは言え、これまで生み出してきた魔法は全て何らかの根拠があった。物理、化学、映像……それらの記憶だ。
(記憶……何かで見たり聞いたり読んだり、実際に経験したもの……)
記憶など曖昧なものだ。実際、これまで根拠としてきた記憶でさえ、それが本当なのか証明する手立てはない。何せこことは違う世界の記憶なのだから。それらはリオンの想像に過ぎないのかもしれないではないか。
(想像……想像力、か。もし想像が現実化するなら凄いことだなぁ)
などと思うリオンだが、ふと気付く。魔法とは想像を現実の事象として発現すること。想像の現実化そのものではないか、と。
(だったら試してみればいい)
リオンは周囲を見回し、落ち葉や小さな枯れ枝を集めた。少し離れた場所から、ルーシアとシャロンがそんな彼の様子を見守っている。
焚き火でも始めるのかと思うくらいの落ち葉が集まってから、リオンは苦笑いする。
(いやいや、どうせなら魔法で集めればいいじゃない)
「<アトラクト>!」
リオンは自分の前方から、落ち葉程度の重さの物だけを引き寄せるように想像して魔法を発動した。
この世界に掃除機はないが、まるで吸引力ナンバーワンの掃除機を稼働したかのように、リオンの前方にある落ち葉だけが集まってくる。
「<リポルション>!」
今度は送風機を使ったかのように、落ち葉が遠くへ飛んで行った。もちろん、リオンの前方だけだ。
(力の方向だけじゃない。作用させる重さまで指定できた)
リオンは確信を得た。魔法とは想像力であると。
「ルーシア、この石動かしてもいい? 出来るだけ元通りにするから」
「え、ええ。よろしいですわよ」
先程自分が腰掛けていた石。高さ六十センチメートル、幅八十センチメートルの石。重さはどれくらいだろう……百キログラム以上あるだろうか。
(この石を浮かせる)
リオンの体格では持ち上げるのも不可能に見える石。地面に埋まっているように見えるそれ自体に<リポルション>をかける。地面と反発し、上方へと力が作用するように想像する。
「むむむ……」
石が小刻みに震え、真っ直ぐ上へと浮き上がり始めた。先程とは比べ物にならない魔力消費。だが枯渇するほどではない。更に一度浮上すると殆ど魔力を使わないようだ。そのままいくらでも浮上させられそうだったが、危険なので一メートル程度で止め、今度はゆっくり地面に下ろした。
「うん、<リポルション>は色々と使えそうだな」
重力と反発する方向に力を作用させると物体が浮く。その物体だけが無重力の環境に置かれたかのように。あとは、自分からどれくらい離れた場所までその状態を維持出来るのか検証したいが、それは後回しにする。
「シャロン、遠くから僕に向かって石を投げてくれる? 危ないから、投げた後は気を付けて」
ルーシアを背後に、シャロンを前方に配置して小石を投げてもらった。もちろん全力投球ではなく、下手からゆっくりと、だ。
「<リポルション>!」
こちらに向かって来た小石はリオンの一メートル手前で見えない手に弾かれたようにシャロンの方へ向かい、途中で落ちた。
「うん、防御にも使えそう」
使えそうではあるが、シャロンで検証するのは憚られる。反発の力がどれくらいか分からないので、下手するとシャロンに怪我をさせてしまう。
「……騎士さんにお願いしようかな」
「リオン! 何か分かりましたの? あの大きな石が浮かんだのには驚きましたが、他のは何と言うか、地味で……」
確かに、<ストーンガトリング>や<ハイドロ・フレイム>に比べたら物凄く地味だ。<UDM>だって謎の黒い球体が出現するし、<エンバンクメント>は土の壁がそそり立つ。それらは魔法らしい魔法だ。
「うん、地味だよねぇ。でも、結構画期的だと思う」
<リポルション>だけの話ではない。リオンは地球の物理法則という軛から脱却し、「想像」で魔法を使ったのだ。それが意味することは非常に重要である。
いくら魔法とは言え、もちろん限度というものはあるだろう。それはこれから時間を掛けて検証しなくてはならない。
想像した事象が現実化する。それはとても心躍ることなのだが、リオンは浮かない顔をするのだった。




