50 真理の一端
うっかり天使と遭遇するという、誰も信じてくれないような出来事から三日。あの日以来、コラードはシルバーフェン伯爵家別邸の一室を使っている。
屋敷の侍女たちにより入浴させられ、髪を切られ、服装を整えられた彼は、リオンが魔法研究所に行っている間、従者として必要な教育を受けていた。具体的に言うと貴族の礼儀作法である。リオンとしてはコラードも講義に連れて行き、早々に<コンプレックス・シールド>を習得して欲しかったのだが、屋敷の者たちから「リオン様の従者として恥ずかしくない者に仕上げます!」と鼻息荒く宣言されては抵抗出来なかった。
王立学院はまだ臨時休校で、再開まで三週間以上かかる見通し。その間、コラードはずっと別邸に居てもらう予定だ。
リオンは毎朝陽が昇る前から貴族区の中を走っている。貴族区大通りは環状になっており、一周三十キロメートル近くある。リオンは途中で折り返し、十八キロメートル程度を走っていた。
魔法研究所の講義も順調。グレナーダ湖試射場は予定より早く、あと十日ほどで完成するとマギルカ副所長から教えられた。
ルーシアは<コンプレックス・シールド>をかなり素早く発動出来るようになっていた。元々彼女は魔法よりも剣術を鍛えてきたわけで、反射神経が抜群なのだ。魔法の講義中、メリダだけではなくシャロンの手も借りて二方向から棒で突かれ、それに対応する訓練を行っていた。
今日は学院での魔人事件以来、久しぶりに休みをもらったリオン。マギルカから「そう言えばリオン君、休んでます?」と聞かれ、「いいえ?」と答えたところ、血相を変えて休めと言われた。大人なら、時と場合によっては多少の無理をしてもらうこともあるが、子供にそれを強いるのはあんまりだという話らしい。リオンは別に強制されたわけではないので気にしていなかったのだが、マギルカから「子供には適切な休養が必要なんですよ!?」と力説されたので、たまにはゆっくりしようと休むことにしたのである。
なお、今朝もいつも通り貴族区を走ったのだが。これはリオンにとっては歯磨き同様「習慣」なので止むを得ない。走らないと気持ちが悪いのだ。
「それでどうだい、リオン? 王都の暮らしは」
たまたま今日が休みだった、次兄のブロードが別邸に顔を出してくれた。彼は王城区内にある財務省で働く上級文官である。成人してシルバーフェン家から独立し、平民区に居を構え、毎日王城区まで通勤している。
「正直、まだよく分かりません。ほとんど学院と魔法研究所しか行っていないので」
リオンは頬をかきながら苦笑いした。
王城に行ったし、王国魔法士団の訓練所も行ったし、平民区北大通りやその近くの孤児院にも行った。ああ、平民区西の冒険者ギルドにも行ったか。
だがそれらはほとんど仕事。王都の暮らしを満喫しているとはとてもじゃないが言えない。
「ま、まぁ、まだ来たばかりだしね。焦ることはないさ」
「ほんと、まだ来たばっかりなんですけどねぇ……何でこう色々起こるんでしょう……」
ベルケエルと遭遇したことはコラードと二人だけの秘密にしている。下手に話すと頭がおかしいと思われるだろうし、もしかしたら教会から敵視されるかもしれないので。
それも含めて「色々」なのだが、兄のブロードは銀翼勲章と王国特別魔法顧問のことしか知らない。
「兄弟でリオンが一番おとなしいと思ってたんだけど、実際は一番やんちゃだね」
「とんでもない! 僕は平穏をこよなく愛していますよ?」
「フフフ! 国から期待されているのだから、諦めた方がいいんじゃない?」
「そ、そんなー!?」
リオンだって分かってはいるのだ。自分や自分の大切な人を守りたくて、普通とは違う魔法を作り出してしまった。そのせいで目立ってしまい、国から目を付けられた。そして行きがかり上、魔人と戦ったり骨鬼族と遭遇したりしている。
要するに、今の状況は自業自得なのだ。
「でも、頑張ればきっと報われると思うよ? 陛下はそういうお人だからね。ただ、あんまり頑張り過ぎて無理はしないように。私たち家族やルーシア嬢はリオンをいつも気に掛けていることを忘れないで」
「ブロード兄さま……はい、分かりました! ありがとうございます」
自分のことを気に掛けてくれる人がいる、というのはとても幸せなことだ。コラードも、孤児院の子供たちやシスターたちが彼を気に掛けている。今後は自分もその一人になろう、とリオンは思うのだ。気に掛けてくれる人が多ければ多いほど、時に煩わしいこともあるが、やはり自分の力の源泉になると思うから。
ルーシアもやって来て、昼食は三人で一緒に食べた。コラードはシャロンと並んで壁際に控えている。
昼食後、ブロードは帰って行った。リオンはルーシアと共に、庭でアスワドの相手をすることにした。
「最近あんまり相手できなくてごめんね?」
「きゅー! きゅー!」
魔法研究所の往復ではアスワドに乗せてもらっているのだが、本当は出会った当初のように一緒に寝たり、もたれかかって読書したり、何でもない時間を過ごしたいとリオンは思っている。
「アスワド、いつも乗せてくれてありがとう」
「きゅ、きゅー!」
ルーシアにも慣れたものだ。彼女の方もアスワドの扱いに慣れており、首元の羽毛に肘まで埋めて大きく弧を描くように撫でている。アスワドはこの撫で方が好きなのだ。
「コラードくん、こっちに来てもらえる?」
「はい!」
シャロンと一緒に少し離れた場所にいたコラードを呼ぶ。
アスワドが近付いてくるコラードにじぃっと目を向ける。体の大きさと相俟って、近くで見るのが初めてのコラードはその迫力に腰が引けていた。
「アスワド、これはコラードくん。僕の従者……えーと、お供になった人だよ」
「きゅう?」
「いやいや、シャロンはクビじゃないよ。コラードくんには、今後魔法のことで色々手伝ってもらうつもりなんだ」
「きゅ!」
「あの、リオン様? グリフォンと意思疎通できるんですか?」
「あー、何となくだけど言っていることが分かるんだ。アスワドも僕の言うことを理解していると思う」
「はぇ~!」
コラードは思わず間抜けな声を出してしまった。シャロンがキッと氷のような視線を浴びせ、コラードの背筋が伸びる。ちゃんとした従者への道程は長そうである。
「アスワド、コラードくんは噛んじゃ駄目だからね?」
「きゅっ!」
「ほらコラードくん、アスワドを撫でてみて」
リオンに促されたコラードは、アスワドに恐々手を伸ばした。首の羽毛の感触、胴体の温かさを実感した彼は「ほわぁー!」とか「これぞ異世界!」とか口走っている。そんなコラードを、リオン、ルーシア、アスワドが生温かい目で見守る一方、シャロンからは冷気が迸っていた。
そんな風に久しぶりにゆったり過ごしていると、家令のベリシスが早足で近付いてくるのが見えた。
「リオン様、使者の方が書状をお持ちになっております」
「使者? どなたの?」
リオンは裏の封蝋を見る。どこかで見た気がするが思い出せない……。
「カルロ・ラッツマルト・ベイレンダ・ブルスタイン様の使者の方でございます」
帝国の第三皇子だった! 嫌な予感しかしないが、ベリシスからペーパーナイフを借りて書状を開く。
「えーと。三日後の茶会にぜひ出席を。婚約者殿もご一緒に、か。これ、断っちゃ駄目なのかな?」
「あら、ミリス王女もご出席なさるのですね。んー、リオンの気持ちも分かりますが、断ると角が立つと思いますわ」
ルーシアにも見てもらい意見を求める。
そう言えば茶会がどうのって言ってたなぁ……ただの社交辞令だと思ってたのに。
「はぁ……仕方ない、使者の方に出席を伝えてください」
「かしこまりました」
またベリシスが足早に去っていく。
まぁ茶会なのだから色んな方がいらっしゃるのだろう。皇子や王女の相手をずっとしなきゃならないわけじゃない。適当にお茶を飲んで適当に話をして帰ればいいか。
嫌だ嫌だと当日まで考え続けるのも無駄なので、リオンは茶会を「適当に過ごす」と決めた。皇子と王女の茶会を出る前から適当に過ごすと決めるのはリオンくらいのものだろう。
その後は庭でお茶を飲みつつ、アスワドと戯れたりルーシアとお喋りしたり、偶にコラードをからかったりして楽しく過ごした。
ベルケエルと会ってからの三日間、リオンは一人きりになると思索に没頭している。王立魔法研究所の講義でも、教え方はいつも通り丁寧で分かりやすくなるように心掛けているが、いざ受講生たちが練習に入ると少し離れた場所で考え事に耽っていた。
言うまでもなく「防御」についてである。
ベルケエルから言われたのは「空間の引き伸ばし」だ。そして、それを成すためには「空間を理解する」ことが必要らしい。
……あまりにも漠然としていて、どこから手を着ければ良いのか分からない。
空間について、リオンの記憶は朧気である。あまり自信がない。
ただ、「引き伸ばす」というくらいだから、概念や哲学としての空間ではなく、物理学で言う空間であろう。
多くの人は「空間」を「何もない空っぽの場所」や「大気(空気)で満たされている場所」、或いは「物体が存在する背景」と捉えているのではないだろうか。
それも間違いではないのだが、物理学では空間が膨らみ、歪むことは周知の事実……だった筈。宇宙空間が今も膨張し続けていることは既に観測されていた……筈。
ややこしい話ではあるが、空間には「実体」があるということだ、膨らんだり歪んだりするのだから。
中々納得するのは困難なのだが、空間には実体があると定義すると、ベルケエルが言った「引き伸ばす」も少しは理解できる。ほんの少しだが。
しかし、理解は出来ても実際に引き伸ばす方法が分からない。端と端を指で摘まみ、お互いが離れるように腕を広げればそこの空間が引き伸ばされる――などということは起こらない。
「ふぅ。本当に出来るんだろうか……」
自室の窓に向かって呟くリオンは、ここ数日のルーティンである祈りの体勢を取る。片膝を突いて頭を下げ、両手を組んで女神ルシアレンに祈りを捧げる。立ち上がって、念のために日本式の二礼二拍手一礼。ルーティンではあるが、しっかり心を込めた。
「何か取っ掛かりがあればいいんだけどなぁ」
空間は実体を持つから引き伸ばせるとは思うのだが、そのやり方が分からない。リオンはここで行き詰っていた。
「はぁ~…………そう言えば、ベル様は<UDM>のことも言ってたな」
今以上に大きくするな、だったか。
自分の魔法のせいでこの星に影響が出るとか怖すぎる。恐らくベル様は安全マージンを取って教えてくれただろうけど、絶対に今より大きくするのは止めよう。リオンは固く誓う。
それともう一つ……『力を反対方向に変えることは、お前が思っているより遥かに容易い』とも言っていた。
超高密度物質(UDM=ultra-dense matter)を生成して重力を発生させるのが<UDM>の魔法だ。重力とは物を引き寄せる力である。「引き寄せる」の反対は……突き放す? 追い払う? いや、普通に反発力とか斥力のことだろう。
力の方向……向き・流れ……それを逆向きにするのが簡単?
……密度の低い物質を生成しても反発力や斥力は発生しないだろう。そういう力は磁力の方が近いか?
いやちょっと待て。磁力は引き合う力と反発する力があるな。同じ「磁力」なのに、性質が全く反対だ。
リオンは別に「磁力」を生み出そうとしているわけではない。単に「磁力」の中に正反対に働く力の向きがあることを再確認しただけである。
向きは反対でも同じ磁力……。
<UDM>が重力を発生させているというのは、単なる思い込みではないだろうか?
確かに物を引き寄せる力が発生している。しかし、それが「重力」によるものだと誰が証明した?
ベルケエルが『あの重力を生成する魔法』と言ったことに今更ながら違和感を覚える。リオンはUDMを生成し、その結果「重力」が発生すると認識している。決して「重力そのもの」を生成しているわけではないつもりだった。
だが彼(?)の言い方は、まるでリオンが直接「重力」を生み出しているようだった。
「重力とは物を引き寄せる力……」
これもベルケエルの言葉だ。
空間を歪ませて相手の攻撃が届かない防御を作りたいと考え、その結果<UDM>という魔法が生まれた。空間の歪みは重力そのものであるから、十分な重力を任意に発生させれば、どんな強力な攻撃も防御ができるのではないか、と。
「魔法はイメージが全て……如何に明確にイメージを描くか、それと魔力が釣り合えば魔法は発動する……」
地球の物理法則が、必ずしもこの世界に当てはまるとは限らない。ただ、リオンの前世の記憶にある物理法則や物質の化学構造、それに「銃」の知識は、彼のイメージ構築に大変役立った。
<ストーンガトリング>や<ストーンライフル>は、詳しい構造まで知っているわけではない。五十口径弾だって実物を見たことはない……と思う。それでも魔法を発動出来るのは、映像記憶があったからだ。
「もしかして……いや、もしかしなくても、イメージ通りの『魔法』を発動するためにUDM(超高密度物質)が生成されていた?」
UDMを生成したから重力が発生するのではなく、物を引き寄せることをイメージし、それにはUDMが必要だと思い描いたから、その通りに発動したのではないか? UDMは言ってしまえば単なるおまけ、単なる演出に過ぎないのではないか?
それを立証するのは簡単だ。
「極小のブラックホールをイメージ……実物は不要……そこに物が引き寄せられればいいんだから……<アトラクト>」
イメージしたのは直径一ミリメートルのブラックホール。これまでは漆黒の球体が出現していたが、今は出現していないと断言出来る。暗いし小さいから見えないのではない。リオンは感覚的に出現していないと分かった。
そして、部屋にある軽い物――文机の上に置いてあった紙、窓横のレースカーテン、そしてリオン自身の前髪が、部屋の真ん中に引っ張られた。
「なんてこった……物理法則完全無視か。だったら反重力だってイメージ次第ってことじゃないか?」
そもそも重力を反対方向に働かせる「反重力」は存在しないことが証明されている。だからベルケエルの言う「反対方向の力」は反重力ではない。
地球の物理学的観点ではそうなる。だが、たった今、物を引き寄せる魔法を実際に発動させた。<アトラクト>と名付けたが、これは「重力」とは関係ない。リオンが指定した任意の一点に物を引き寄せる力。吸引力とか誘引力と言った方が正しいかもしれない。
実際には存在を否定された反重力。しかしSFの世界、特に宇宙が舞台の作品などでは昔からよく描かれていた。反発する力や浮遊する力として登場することが多かった気がする。
物理学では、超質量が重力を生み出す。
それならば、質量がマイナスの物質はどうか?
負の質量を持つ物質は発見されていない。だが、シミュレーションは行われている。負の質量を持つ物質は、加えられた力の逆方向に加速する。また通常の質量を持つ物質とは反発する性質を持つと考えられている。
負の質量を持つ物質に何かがぶつかると、逆方向に力が働く。
負の質量の周囲にある通常の物質には、反発する力が働く。
「<リポルション>」
リオンは先程と同様に、直径一ミリメートルのマイナス質量の物質をイメージした。もちろん実際にはそんな物質は存在しない。だが確かに、風も吹いていない室内なのに、何かに押される力を感じる。
<アトラクト>で引き寄せられた紙が反対方向に舞う。レースカーテンは壁に押し付けられ、リオンの前髪は額に張りついた。




