49 邂逅
何故、名前も明かさない男を、今日初めて会った男を、ここにいる皆は普通に受け入れているんだ!?
リオンが咄嗟に思い付いたのは、男が何らかの魔法を使っているのではないか、ということだった。
シャロンやリーゼが使う「誤認魔法」のような、錯覚させる魔法。それで、皆はあの男――男かどうか、人間であるかも怪しいが――を無害だと皆が思い込んでいるのではないか。
「リオン様、どうです? あの人、凄くないですか? ……リオン様?」
どうする? 僕の魔法でこの場にいる全員を守れるか? それとも先制攻撃する?
リオンは近づいてきたコラードの腕を掴み、強引に自分の隣に引っ張った。シャロンもすぐ近くにいるのを確認し、透明の<コンプレックス・シールド>を十重で展開する。
「リオン様……?」
コラードが戸惑ったような声を出す。
「私のことを正しく認識できるのはお前だけのようだな。その反応は正しい、無駄ではあるが」
目を離したつもりはないのに、金髪の男はリオンのすぐ前にいた。
「あ……あなたは、一体……」
リオンは、そう声を絞り出すのが精一杯だった。
「ほう。この障壁はお前が考えたのか?」
「……ええ」
“死”を目の前に、リオンの喉はカラカラに乾いていた。それでも、会話が成り立つのなら何とかなるかもしれないと、必死で声を出す。
「そうか、良い魔法だ。少し話をしよう」
男がそう言って背中を向ける。攻撃するなら今しかない。しかし、攻撃しても無駄だということがはっきりと分かってしまった。
「そう怖がるな。私はお前の敵ではない。ここにいる誰も傷付けるつもりはないよ」
男が振り返る。その瞬間、これまで感じていた圧力が綺麗さっぱり消え失せる。その代わりに、周囲の色が突然褪せて見えた。風に舞う木の葉が、空を飛ぶ小鳥が、光を反射する埃が、空中で静止した。
「え? え?」
「コラードくん、落ち着いて。時間が停止したか、物凄くゆっくりになった。僕たち以外」
「ええ!?」
リオンの言葉に、男が満足気な微笑みを見せる。先程までは自分の命があと何秒もつかという恐怖しかなかったのに、今は何ともない。むしろ非常に穏やかな気分だ。
「リオンの言う通り、時間の流れを止めた。他の者に聞かれたくない故」
まるで教師のように、後ろで手を組んでゆったりと歩く男。
「私の名はベルケエル。お前たちが元いた世界風に言えば……天使かな。気軽に“ベル”と呼んでくれて構わない」
「天使、様……。天使様がいらっしゃるということは、神様も?」
「もちろんいらっしゃる」
リオンは絶句した。前世でどうだったか定かではないが、少なくとも今世でリオンは神の存在について信じていなかった。いや、あまり気にしたことがなかったというのがより正確だ。
だが冷静に考えてみれば、こことは異なる世界の記憶を自分は持っているのだから、何らかの超常的存在が転生に介在したと言われれば腑に落ちる。
「僕たちが転生者だということもご存知なのですね」
「うむ、それが私の役割故」
「そうなんですね……ベル様は何故、コラードくんを呼び出したのですか?」
「コラードの魂がこちらの世界に来て十二年経つ。だから様子を見に、な」
ベルケエルは、異世界からこちらの世界に来た魂を導く役割を担っていると教えてくれた。コラードは孤児なので、自分の誕生日を知らない。その誕生日が今日だったらしい。
十二歳の誕生日に、ベルケエルは異世界から来た魂の状態を確認するのだそうだ。ちゃんとこの世界に適応しているか、世界が異なるために不都合が起きていないか。十二歳以降も見守り、道を違えそうになった時は手を差し伸べることもあると言う。
「リオンの誕生日は来月だな? その時にはお前の前にも姿を現す予定だった。その手間はもう省けたが」
「……僕たちの他にも、転生者――異世界の魂を持つ者がいるのですか?」
「いるぞ? 存命なのは……百名足らずか。その中でも前世の記憶を持つ者は少ない」
「そうなのですね……」
「リオン、さっきは試すようなことをして悪かったな。予定外のお前が突然来たものだから、何か運命めいたものを感じてな。悪ふざけが過ぎた」
ついさっきのベルケエルは「死そのもの」に思えた。死神だと言われたら素直に信じただろう。人間如きがどう抗おうと敵わない存在。リオンはそう感じた。
リオンを恐怖させたことを謝るくらいなので、この天使は悪い天使ではなさそうだ。もし悪い天使だったら、とっくに世界は滅んでいるだろう。リオンはそう考え、思い切って相談することにした。
「ベル様。実は僕、困っていることがあります」
「ああ、知っている。完全な防御魔法を作り出したいのだろう?」
「っ!? そうです、そうなんです! さっきの、コラードくんの魔法を消したやつ、あれは防御魔法ですよね!?」
リオンはついさっきの恐怖を完全に忘れ、ベルケエルに近付いて捲し立てた。ずっと探していた答えが目の前にある。テンションが上がるのも仕方ないというものだ。
「お、おぅ……近い近いっ!」
「す、すみません」
くっつきそうなほど顔を寄せていたリオンは、ベルケエルに手で押し返された。
「いかにも、あれは防御魔法であるが……すまない、私には力そのものを授ける能力はないのだ」
「そ、そうですよね……申し訳ありません、無理を言って」
リオンの肩ががっくりと落ち、今にも膝から崩れ落ちそうだった。ベルケエルは、これほど意気消沈した者を見たのは数千年ぶりだった。
「だが」
「だが!?」
リオンがパッと顔を上げる。
「どのような魔法かを教えることは出来る。それを聞いて自分のものに出来るかどうかはお前しだ――」
「それで充分です!!」
リオンは食い気味に答える。また顔がくっつきそうだ。ベルケエルが少し後退りしながらリオンを手で押し返した。
「そ、そうか。では心して聞け。あれは空間を引き伸ばしている」
「なるほど……それで?」
「? 以上だが?」
リオンは今度こそ、両手両膝を地面に着けて項垂れた。空間を引き伸ばす? 意味が全く分からない。
「リオン様……」
「あ、コラードくん、ごめん。コラードくんも、ベル様に聞きたいことがあるんじゃない?」
「そ、そうですね……その、空間を引き伸ばす魔法、もしかして攻撃にも使えますか?」
「む、鋭いな、コラード!」
「え、コラードくん、どういうこと?」
リオンは立ち上がり、コラードに尋ねる。
「さっきのベル様の魔法、何か“膜”みたいな感じだったんですよね。何だか、自分の魔力がうす~く引き伸ばされて、すぐに知覚出来なくなるっていうか。もしあの膜の中に生き物が入ったら、ぎゅーんって引き伸ばされるのかなって」
コラードの所感を聞いて、ベルケエルは苦笑いを浮かべていた。恐らく、コラードが言っていることは間違っているのだろう。
「ベル様。どうやったら空間を引き伸ばせるのですか?」
リオンは頭をフル回転させていた。もしこの問いに、ベルケエルが「何となく」とか「それは自分で考えろ」と答えたら、もう諦めるしかない。
「それにはまず、空間とは何かを理解することだ」
「空間って、この空気がある何もないスペースのことじゃないんですか?」
「コラードくん、それは違う。いや、違わないけど、ベル様がおっしゃっているのは物理的な空間のことだと思う」
リオンは改めて周囲を見回す。
物理学において、空間とは「時間」と切り離せない関係にある。今、ベルケエルの力によって時間が停止させられている。つまり、今いるここは先程までいた「空間」とは異なる場所。空間を切り取り、別の空間にリオンたちは存在していると考えられる。
「ベル様。ここは先程とは異なる空間、ですよね?」
「うむ、見事。そこまで理解できれば、あとは容易いだろう?」
「いえ、容易くないです」
「何でっ!?」
「いや、そもそも別の空間を生み出すとか、さっきの“引き伸ばす”のと違うじゃないですか!?」
リオンとベルケエルのやり取りを聞いているコラードが頭を抱える。物理的な空間って何? 空間は空間だろ!? ここが別の空間とか、全く意味が分からないんだけど!?
「別空間を生み出すのは難易度が高いから、“引き伸ばす”と言ったのだ!!」
「じゃあ引き伸ばす方が簡単なんですね? やり方を教えて下さい!!」
リオンの態度は人にものを教えてもらうそれではない。喧嘩腰である。
「まぁまぁ二人(?)とも、落ち着いて。で、リオン様は結局何を聞きたいんですか?」
「絶対防御に決まってるでしょ!?」
「ああ、何だ。リオンは絶対防御を知りたいのか? 私の防御魔法ではなく」
「え?」
やり取りを思い返してみると……ベルケエルから「完全な防御魔法を作り出したいのだろう?」と聞かれ、コラードの魔法を消したベルケエルの防御魔法こそが絶対防御と思い、それについて尋ねたのだった。
「え、あの、ベル様の防御魔法が絶対防御なのでは?」
「いや?」
リオンは再びその場に崩れ落ちて項垂れた。
「す、すみません……僕が早とちりしてしまって」
「いやまぁ、私の防御魔法も絶対防御に近いものではある。空間を引き伸ばせば、大抵の攻撃は届かんからな」
「確かにそうですよね」
「だからそれでも十分ではあるが、絶対防御とは“神”の領域だ。私にもその御力は使えん」
「えぇ……」
何ということだ。絶対防御はただの夢物語なのか。
「天使には使えんが、お前なら使える可能性がある」
「え?」
「ただ、私には説明さえ出来ん。何せ使えないからな」
「じゃ、じゃあどうすれば」
「神に祈れ」
「はぁ……え、それだけ?」
「ルシアレン様に祈りを捧げるのだ。お前の真摯な祈りがルシアレン様に届けば、或いは願いが聞き届けられるやもしれん」
何ということだ。絶対防御は神頼みなのか。
「それまでは、空間の引き伸ばしに精進するが良い」
「そ、そうですね」
「うむ。コラードよ」
「は、はい!」
「お前はこのリオンから学べ。お前の願いは稀有な魔法使いになることであろう?」
「はい、そうです!」
「ならリオンから学ぶのが最も効率的だ。お前たち二人が共にあれば相乗効果を生み出すからな。ではこの世界を楽しめ」
ああ、もう終わりなのか……?
もっと色々聞きたい。もっと魔法の深淵に触れたい。
ベルケエルは背中を向け、ひらひらと手を振って立ち去る――と見せかけて戻ってきた。
「伝えるのを忘れていた。リオン、あの重力を生成する魔法だがな」
「あ、はい」
「今以上大きくするな。星に影響を与えかねん」
「え……分かりました」
「その代わりと言っては何だが、重力とは物を引き寄せる力だな?」
「そう、ですね」
「力を反対方向に変えることは、お前が思っているより遥かに容易いぞ? ではまた、いつかどこかで会おう」
そう言って、今度こそベルケエルは背中を向け、その場から消えた。途端に周囲の色が戻り、街の喧噪が耳に入る。木の葉は地面に落ち、小鳥は飛び去り、光を反射する埃はゆっくりと舞っている。
「リオン様、何かございましたか?」
シャロンが心配そうにリオンの顔を覗き込んだ。
「あ、うん。大丈夫。コラードくん、孤児院の用事は終わり?」
「えーと、そうですね」
「じゃあ別邸に帰ろう。君の部屋もあるし」
「お、俺が貴族の家に……」
「それ、さっき聞いたから」
どっと疲れた。肉体的にも、精神的にも。それはコラードも同じようで、二人は乾いた笑みを浮かべた。そんな二人の様子にシャロンは首を傾げる。
孤児院の子供たちやシスターに挨拶して、アーチルとテージルが待つ馬車へ。
「やあリオン様おかえり……なんかすっごく疲れてない?」
「あはは……あ、こちらコラードくん。僕の従者になるので、よろしくお願いします。コラードくん、こちらはアーチルさんとテージルさん。二人はデルード領騎士団と魔法士団に所属していて、僕の護衛として別邸に滞在してくれている」
「よ、よろしくお願いします、コラードです!」
「アーチル。よろしく」
「テージルです。こちらこそ、よろしくお願いします」
紹介を済ませて馬車に乗り込むリオン、シャロン、コラード。
「コラードくん、シャロンのことは紹介したっけ?」
「い、いいえ」
「こちらはシャロン、僕の護衛兼侍女。四歳の頃からお世話になってる」
「シャロンと申します」
「あ、コ、コラードです。よろしくお願いします」
少し頬を赤らめて挨拶するコラードを見て、さては女性にあまり免疫がないのだな、と勘繰るリオン。単にシャロンが美し過ぎるだけである。
別邸に到着し、コラードは家令のベリシスと数人の侍女に連行されていった。シルバーフェン伯爵家の従者に相応しいよう身なりを整えるらしい。ご愁傷様、とリオンは心の中で手を合わせた。
「それにしても……神様かぁ」
天使と遭遇するとは、いよいよファンタジーじみてきた。
天使とは「神の使い」と考えてほぼ間違いない。天使が実在するのなら、神も実在するのだろう。
一方、神や天使が実在するのなら……悪魔も存在するのか? するのかもなぁ……。嫌だなぁ……。
リオンはまだ、夕方の出来事が夢だったのではないかと半信半疑である。催眠術のようなものを掛けられて、お前の願望に基づく夢を見せたと言われた方が余程現実的だ。
天使とか神とか悪魔とか、およそ人間の力が及ばない存在とは、可能な限り関わりたくない。
好きな人と平穏に暮らせるだけで良いのだけど。そのために防御を極めたいと思っただけなのだけど。世界を救おうとか、そういう願望はこれっぽっちもないのだけど。
「……忘れないうちにお祈りしようかな」
リオンは自室の東を向いている窓の下に片膝を突き、両手を組み合わせて頭を垂れた。
「ルシアレン様。いつも僕たちを見守ってくださり、ありがとうございます。どうか僕に絶対防御をお授けください。大切な人を守る力をお与えください」
祈りを終えたリオンだったが、これが正式な作法なのか分からない。立ち上がり、今度は二礼二拍手し、手を合わせたままもう一度願い事を胸の内で述べ、最後に一礼した。日本の神社における作法だ。
半信半疑であっても、ベルケエルに言われた通り女神ルシアレンに祈りを捧げる辺り、リオンは律儀なのであった。




