47 イスタシア共和国
ユードレシア王国やブルスタッド帝国のあるこの大陸はグレンドラン大陸と呼ばれる。
そのグレンドラン大陸東端に位置するイスタシア共和国では、戦争の機運が高まっていた。
イスタシア共和国の北側には、いくつかの自治区を挟んで同様ウルシア大森林が鎮座しており、東から南は海に面している。
このグレンドラン大陸を囲む海は、大陸の南側以外は航行不可能海域である。大陸の東西は海底の地形が複雑な上に流れが非常に速い。また水棲魔物も生息するため、大陸の東岸・西岸沿いを船で航行するのは自殺に等しい行為である。また相当な大回りをして大陸の北を目指すことも困難だ。遠洋には大型魔物が生息していて、人間はまだそれに対抗する術を持たない。実質、ウルシア大森林より北側へ向かうのは陸上・海上ともにほぼ不可能となっている。
ただし大陸南側の海は別だ。こちらは東西の海とは打って変わって穏やかである。魔物はいるが小型に留まり、生息域も固定されているのでそれを避けて漁などが行われる。また、比較的近い場所にある島々とは交易もある。
大陸の南東にエバンシア島と呼ばれる大きな島があり、そこには三つの国家が存在する。イスタシア共和国はこれらエバンシア島の国々と交易することで大きな利益を得ていた。
北を森、東と南を海に囲まれたイスタシア共和国だが、西には五つの小国家と十を超える氏族が治める土地が広がる。それらを超えて更に西進すればブルスタッド帝国である。
この西の小国家の一つ、海に面したショーグラン王国がエバンシア島と交易を始めたのが六年前になる。
イスタシア共和国としては、最初のうちは静観していた。エバンシア島の国々がどこと交易しようと自由だ。それにイスタシア共和国はそれらの国々と長年交易してきたという実績がある。多少交易の利益が損なわれるかもしれないが、そこまで深刻な問題になるはずはない、と高を括っていた。
その考えは甘かった。ショーグラン王国はエバンシアの国々が求める特殊な鉱石の産出国だった。
「魔鉱石」と呼ばれるそれは、微量の魔力を含んだ鉱石である。精錬すると「魔鉄」という粗鉄になり、魔導具や武器に使用できる。ショーグラン王国にはこの魔鉱石の鉱床があるのだ。
グレンドラン大陸には魔鉱石の鉱床を持つ国はユードレシア王国を始め数か国あるが、エバンシア島から最も近いのがショーグラン王国になった。結果的にイスタシア共和国が島の交易から上げていた利益は半分近くに落ち込んだ。それは非常に深刻な問題であった。
『ショーグラン王国を我が国に取り込もう』
そんな声がイスタシア共和国内で上がるのに、然程時間はかからなかった。
元々、イスタシア共和国も大陸東端の小国が併合して出来た国だ。そこにショーグラン王国が加われば、経済規模、軍事力ともにかなり上がる。
両国で協議が重ねられたが、結局ショーグラン王国はイスタシア共和国への併合を拒否した。王国は「小さくても豊かな国」であることを選んだのである。
これに共和国首脳陣は激怒。せっかく穏便に併合してやろうというのに、話し合いで分からないなら力を示すしかない。戦争である。力づくで魔鉱石の鉱床を手に入れようというのだ。
しかし、ここで大きな憂慮があった。ショーグラン王国はその西端をブルスタッド帝国と接している。王国と帝国の関係は良好だ。同盟まではいかないものの、イスタシア共和国がショーグラン王国に攻め入れば、帝国がショーグラン側に援軍を送る可能性があった。
血気盛んな共和国首脳陣も、さすがにブルスタッド帝国と干戈を交えるつもりはない。軍事力が違い過ぎる。
だからと言って、現状を見過ごすわけにもいかない。このままエバンシア島との交易が先細りになっては、共和国の存亡にも関わるからだ。
そこで一計が案じられる。
要は帝国がショーグラン王国を助けなければ良いのだ。
それには、ショーグラン王国の戦争にかまけていられないほど帝国を混乱させるか、別の国と戦争一歩手前の緊張状態を作るか、帝国がショーグラン王国を助ける気をなくすか、である。
イスタシア共和国は、要人の帝国国外での暗殺を計画した。暗殺をショーグラン王国の仕業に見せかけることが出来れば最上、そうでなくてもイスタシア以外の国の仕業と思わせれば上出来。そう、例えばユードレシア王国とか。
都合の良いことに、ブルスタッド帝国の第三皇子がユードレシア王国の王都に留学することが分かった。それが分かってから一年かけて準備を行った。イスタシア共和国から少数ずつ、暗殺部隊を彼の国の王都グレンに送り込んだ。
部隊の人数、およそ百名。準備が間もなく調う、と鷹便により報せが届いた。暗殺実行を命じる返信が送られた。
あとは待つだけだ。軍は既に出撃準備を終えている。
カルロ・ラッツマルト・ベイレンダ・ブルスタイン第三皇子暗殺成功の報が届いたら、ショーグラン王国に攻め入る手筈であった。
第三皇子が暗殺されれば、小国の戦争など気にも留めずに帝国はその報復相手を探すだろう。その機会にショーグラン王国を一気に攻め落とすのだ。
イスタシア共和国首脳陣は自分たちの勝利を信じて疑わなかった。
*****
リオンがコラードに「従者にならないか」と持ち掛けた晩。彼は父ベルンに手紙を書き、初めて鷹便を使ってみた。コラードの簡単な紹介と従者にしたい旨を書いた手紙である。早ければ二日後には返事をもらえるだろう。
コラードには、まず父の許可を取るからと伝えている。返事の有無に関わらず、三日後の夕方には一度学園を訪れると約束した。
翌朝、ルーシアと彼女の侍女であるメリダが別邸に到着すると、リオンとルーシアはアスワドに、シャロンとメリダはアーチルが馭者を務める馬車に乗り、王立魔法研究所へ向かう。
「ベルン様へのお手紙はお出しになりましたの?」
「うん、夕べ出したよ」
ルーシアには、昨日コラードと別れてから一緒に研究所へ行った際、コラードを従者にするつもりだと伝えている。騎士団からの聴取で学院に呼び出され、たまたまコラードと会い、話をする機会があった。彼の魔法に関する考え方は大いに参考になりそうだ、といった具合でルーシアには話した。転生云々のことは話していない。
「リオンの魔法がもっと凄いものになるのですわね!」
「あはは……そうだといいね」
研究所の地下でいつものルーティンを始める。昨日の時点で三十四名中二十四名が<コンプレックス・シールド(もどき)>を習得した。未習得者に向けて、また一枚ずつシールドを見せ、触れてもらう。じっくり、ゆっくり、焦らず。早い遅いはあっても必ず習得できるから、とリオンは自信を持って彼らに告げる。実際、デルード領魔法士団では、リオンが王都に発った後に全員が習得した。出来る者が身近にいて、その者に教えを請えば、絶対に習得出来るのだ。
習得済みの者は、それぞれが発動速度の向上や障壁の維持をそれぞれ訓練している。ルーシアはメリダに棒で攻撃させ、瞬時に<コンプレックス・シールド>を発動して防ぐ訓練をしていた。彼女の向上心には恐れ入る。
(そう言えば、コラードくんの炎魔法、凄かったな……)
リオンは火魔法が苦手だと思い込んでいる。
彼自身自覚しているのだが、リオンは自分が納得できない魔法は発動できない。実はこれが彼の最大の弱点である。
火魔法が苦手なのは、燃焼の物理的要素が欠けているのに、何故炎が発生するか理解できないからだ。
(可燃物、酸素、発火源。酸素以外の二つがないのに炎が発生するんだもん。謎でしかないよなぁ)
燃焼を物理的に考えると、何もないところで火は発生しない。酸素は恐らくこの世界の大気にも含まれているから良いとして、可燃物と、それに火を点ける熱(発火源)がなければ火は発生しない筈なのだ。
(あの骨鬼族の火球も物凄かった)
リオンはこれまで火魔法の必要性を感じていなかったので、あまり深く考えたことがない。だが、使えないよりは使えた方が良いのは確かだ。学院の教室で魔人を倒した時、生き返るのではないかとひやひやした。あれを燃やし尽くせばもっと安心出来ただろう。もっとも屋内でそんな火力を出すと大変なことになるとは思うが。
(可燃性物質は作れそうなんだよな)
ガソリンや灯油、アルコールなどの液体は構造式が複雑そうだ。それよりは可燃性ガスの方が作りやすいのではないか。メタン(CH₄)、プロパン(C₃H₈)、ブタン(C₄H₁₀)などがすぐに思い浮かぶ。いずれも元は炭素と水素だ。
(もっと単純なやつがある)
水素(H₂)。水素も立派な可燃性ガスだ。
(ポリカーボネートやタリン、石弾を作るよりよっぽど簡単そうだ。でも問題は発火源だよな)
水素を作り出せても、それに点火しなければ燃えない。
(いや……熱は分子の運動で発生するんだ。発生させたH₂分子を激しく動かせば、自然と発火するんじゃないか?)
水素の自然発火温度は約五百七十℃。
リオンはイメージする。目に見えないほどの速さで動き回る水素分子を。それを一つから二つ、三つ、四つ……数えきれない膨大な数の水素分子が暴れ回っているところをイメージした。
「<ハイドロ・フレイム>……あつ、あっつっ!? <リリース>!!」
地下二階の温度が急激に上昇した。一番近くにいたリオンは全身が焼けるかと思うくらい熱かった。実際には髪も服も焦げていないし、火傷ひとつ負っていない。
「リオン様!?」
壁の近くに控えていたシャロンが、凄い速さでリオンの元に駆け付ける。
「うわ、シャロン!」
「大丈夫ですか!? お怪我は!?」
「あー、熱かったけど、大丈夫だと思う」
シャロンがリオンを上から下までチェックする。少し遅れてルーシアも走ってきた。
「リオン!? 今、突然熱くなりましたわ!?」
「ちょっと実験してたんだ」
「実験? リオンの魔法ですの?」
「うん。ちょっと火魔法をね、試してみようかなって」
ルーシアとシャロンがジト目になる。
「リオン?」
「リオン様?」
「ごめんなさい」
二人の圧で思わず土下座しそうになったが、堪えて腰を九十度折って謝った。
「それにしても、炎はどこにも出ませんでしたわよね?」
「うん、そうだね……」
リオンはすっかり失念していた。水素の炎が「無色透明」であることを!
「何故あんなに熱くなったのでしょう?」
ルーシアとシャロンが首を傾げている。それはそうだろう、無色透明の熱源など、この世界にあったとしても見えないから分からないのだ。
「リオン様?」
「え、ああ……う~ん、不思議だねぇ」
リオンは誤魔化した。目が泳いでいる。
「リオン?」
「リオン様?」
二人にすぐばれた。
「い、今のはね、可燃性ガ……燃える空気を魔法で作り出して火を点けたんだよ」
「「燃える空気?」」
二人が同時に首を傾げる。
「でも、何かが燃えたらオレンジ色の炎が出ますわよね?」
「あー、僕も忘れていたんだけど、色のない炎もあるんだ」
「色がない!? それってとっても危ないのではないですか!?」
水素の炎が透明なのは、人間の可視領域にある波長の光を発しないためだ。
水素は燃焼によって酸素と結びつき、水(H₂O)を生成する。高温に晒されたH₂Oは水蒸気となり拡散する。水素を燃やしてもそれ以外は発生しない。
例えば赤っぽい色の炎の「赤」は、遊離した炭素の輝きである。水素の燃焼では炭素を含まないため、色が付かない。
「相手に気付かれずに攻撃できます」
「リオンくん、また何かやらかしましたね?」
シャロンが怖いことを言いだした。でも確かに彼女の言う通りだ。
ここでの講義を監督しているマギルカ副所長が、いつの間にかシャロンの後ろに立っていた。
「えーと、ここでは危ないからちょっと外に行こうかなー」
リオンには、実験を止める気はないようだ。言い訳じみたことを口にして階段を上っていく。ルーシア、シャロン、メリダ、マギルカが一緒である。
「リオンを一人にしたら何をしでかすか分かりませんわ」
「同意します」
「ね、何するの? 何何?」
ルーシアとシャロンはリオンを見張るために、マギルカはよく分かっていないが何か面白そうだと考えて付いてきた。メリダだけは沈黙を守っている。
王立魔法研究所の敷地は、地下へ直接下りられる小屋のような建物と正門の間が庭になっている。広大とまではいかないが、そこそこの広さがあるので地下二階よりはマシだろう。
ルーシアたちから少し離れて背を向ける。背中に四人の視線を感じるが気にしないよう努めた。
(シールドに色を付けられるんだから、<ハイドロ・フレイム>にも付けられる筈。薄い青にしよう。あとは……近くに発現させると熱いから……うん、いっそのこと<コンプレックス・シールド>で囲んだ所に出してみるか)
感覚的に「飛ばす」だけなら出来るだろうと思えたし、ここで水素の炎を飛ばすわけにもいかないのでそれは止めておく。
「<コンプレックス・シールド>六面体! <ハイドロ・フレイム>!」
リオンは十メートルほど先に、シールドで「六面体」を作った。前後左右と上下を障壁で囲んだ、一辺二メートルの直方体。その内側に、薄く色付けた水素の炎を生成した。
六面体と言ってもシールド同士が完全に接合しているわけではない。僅かな隙間はあるので酸素不足にはならないだろう……などと考えている時。
「ヤバい! <コンプレックス・シールド>六面体、五重!!」
直方体内部の圧力が一気に高まり、シールドが外側に撓んでいるのが見えた。リオンは慌ててシールドを五重にする。さらにルーシアたちが動いていないことを確認し、自分の前に五重の<コンプレックス・シールド>を展開した。
ズン、と腹に響く衝撃音。水素爆発だ。
直方体で囲んだことにより、内部の空気に占める水素濃度が上がったことが原因であろう。
念には念を入れて<コンプレックス・シールド>を多重展開したが、爆発は五重になった直方体のうち、一番外側を除いて内側の四つを破壊した。撓んでいた直方体が元の形に戻る。酸素を使い果たしたのか、爆発の収束に伴って薄青の炎も消失した。
リオンは炎が完全に消えたことを確認して直方体を解除し、自分の前に発現させたシールドも解除する。
「ふぅ~。思った以上にヤバかった」
リオンは薄っすらとかいた額の汗を、懐から出したハンカチーフで上品に拭う。
「ちょっとリオン!? 今のは何ですの!?」
「凄い音がしましたっ」
「なになになに!? ねぇリオン君、今の何ですか!?」
「…………」
女性四人に詰め寄られて先程とは違う汗が出る。メリダからは無言で責められているような気がした。
リオンはしどろもどろになりながら四人に説明する。薄く色付けた燃える空気を魔法で作り出し、それを<コンプレックス・シールド>で囲んで点火したのだが、シールドで囲んだせいで燃える空気が濃くなり過ぎて爆発が起こった、と。
「それではシールドで囲まなければ爆発はしなかったんですの?」
「う~ん。ルーシア、そうとも言い切れないんだ。その場所で一定の濃度になると爆発が起きやすくなるんだよね」
「<コンプレックス・シールド>が壊れていましたね?」
「そうだね、シャロン。僕が今まで見た中で威力が最も高かった」
「ねぇリオン君、それも魔法士団に教えるんですか!?」
「いえ、マギルカさん。今のところ教えるつもりはありません」
「そ、そうですか……」
三者三様の反応である。ルーシアは危険性を、シャロンは魔法の威力を気にかけ、マギルカは自分にも今の魔法を教えてもらえるかが気になったらしい。リオンの答えにちょっと残念そうである。
「まぁ教えるにせよ、もっと使用者の安全を確保してからになりますね」
「そ、そうだよね! じゃあ安全になったら教えてくれるんですね!?」
「……考えておきます」
マギルカが小さくガッツポーズするのを見て、リオンは苦笑いした。
いずれにせよ水素の危険性は分かった。危険を危険のまま放置したくない性分なので、リオンはその後も庭で試行錯誤し、女性四人はそれをハラハラしながら見守ることになるのであった。




