45 何で僕なんだろう?
リーゼことリーゼマロン・ベロニクイシア・マルガレン・ハルメニカは、ユードレシア王国の北端からウルシア大森林に入っていた。
「う~む。この辺の結界は正常じゃのぉ」
大森林は人族が入れば迷子になる結界が張られている。それは森の南端からおおよそ一キロメートル入った所から始まる。と言っても、広大な大森林の東端から西端まで結界を張れるわけもない。結界のない場所も当然ある。だがそういう場所は森の魔物が棲み処にしていて、侵入した人族に立ちはだかる。森の奥へ進む程魔物は強大になり、結界も複雑になる寸法だ。
大森林全体を結界で覆えないのだから、強者が森を越えようと本気で挑めば越えることは可能である。理論上は、という但し書き付きだが。
事実、これまでの数千年の間に、大森林を越えて北の領域に到達した人族もごく少数だが存在する。ただ再び南側、人族の領域に戻れなかっただけで。
さて、ウルシア大森林は生息域を大陸の南北に分ける役割を担っているわけだが、大森林そのものを棲み処とする種族もいる。魔物もそうであるが、守護種族と言われる者たちがそうで、リーゼやシャロンのような「エルフ」もここに多く住まう。
守護種族の中で魔法に長けた種族が森の結界を張っているのだが、その大元となる魔法陣を構築しているのは「天魔族」と呼ばれる少数種族だ。天魔族は別名「魔女族」とも呼ばれ、種族全員が女性である。
天魔族は人族の男性と子を儲けるが、その特性は女児にしか発現しない。男児は人族の領域でその父親と共に普通の人族として生活している。
天魔族の特徴は背中に一対の翼を持ち、短時間の飛翔能力があることだ。また魔法陣を通して魔法を行使することも特徴である。魔法陣は主に紙に描かれている。大森林の結界魔法は森の木に直接刻まれた魔法陣を繋げることで生成している。その魔法陣に魔力を供給するのも守護種族の役目の一つだ。
「リーゼたん、久しぶり~」
「のわっ!?」
頭上から声を掛けられ、リーゼはその場で飛び上がった。
「ラーシアか……」
「“のわっ”だって! リーゼたん、かわいい~」
「“たん”は止めい、“たん”は!」
「いいじゃん、リーゼたんはずーっとかわいいんだから~」
樹上の太い枝から、ラーシアと呼ばれた少女が翼を使ってふわりと舞い降りた。
「かわいいって、お主とそう変わらん歳じゃぞ」
「八百も八百五十も大して変わんない~。かわいいものはかわいいの~」
ラーシアも、背の翼以外はリーゼと似たような背格好で、見た目は六~七歳に見える。だがこのラーシアこそ、齢八百五十歳を超える天魔族の長なのだ。
エルフと天魔族は長命種。更に、内包魔力量が多いほど見た目が幼い。リーゼも以前はエルフ集落の長を務めていたが、現在はわけあってユードレシア王国の王都に滞在している。
「で、どうしたの~?」
「ユードレシア王国の王都に骨鬼族が現れた」
「え~、ほねほねがぁ~?」
「うむ。じゃから森の結界を調べに来たのじゃ」
「なるほど~。ラーシアたちも手伝う~?」
「そうしてもらえると助かる」
「わかったぁ~」
ほわほわした喋り方だが、ラーシアの実力は天魔族のみならず、他の種族を含めても大森林で五指に入る。真っ白な髪は耳が見えるくらい短く切り揃え、同じく真っ白な翼は大型の猛禽類のように美しく力強い。銀色の瞳がくりくりしていて、何も知らない者はその幼い可愛らしさに見惚れてしまうだろう。
だがリーゼは知っている。ラーシアが一度相手を敵と見做せば一切の容赦がないことを。
「儂はこれからエルフの集落を回って、結界に異常がないか調べるのに協力を仰ぐつもりじゃ」
「じゃあラーシアは~、きんきんとぎんぎんに事情を話してくるねぇ~」
「お、おう。金狐族と銀狼族じゃな。うむ、あれらは森の広範囲で活動しておるから何か知っているかもしれんの」
「でしょでしょぉ~? じゃあ行ってくるね~」
「頼んだ」
ラーシアは翼をはためかせてふわりと空に舞い、すぐに見えなくなった。
「ここでラーシアと会えたのは僥倖じゃ。おかげで調査が早く終わりそうじゃの」
ラーシアが消えた空を見上げながらリーゼはそう独り言ち、また森の奥へ向かって進むのだった。
*****
王立魔法研究所の地下二階。
昨日、リオンはアスワドに乗ってルーシア(とシャロンとアーチルとメリダ)を連れて研究所に赴き、魔法の講義を監督してくれているマギルカ・グレイラン副所長にルーシアも講義を受けて良いか相談した。「全然いいですよー!」と軽い感じで許可が下りた。
「今日も婚約者とご一緒とは、お熱いですね、リオンくん!」
「…………まぁ、その……はい」
「そこは否定しましょうよ!?」
マギルカと軽口を叩きながら、リオンはルーシアとシャロン、ルーシアの侍女メリダを伴って勝手知ったる地下へ下りた。アスワドはアーチルに連れられて一旦屋敷に戻っている。
現在リオンの講義を受けているのは、魔法士団一個小隊二十名、非番の騎士団員十二名、研究所の職員二名。騎士団員と研究所職員は二、三日ごとに人が入れ替わるが、<コンプレックス・シールド>を習得するまで何度も受講する人が多い。
騎士団員で受講しているのは、小隊の中で「盾役」を担う者だ。盾役とは、縦二メートル、横八十センチメートルの大盾を使う小隊の守備役である。小隊は小隊長を含めて二十名で構成されるが、ひとつの小隊に四~五名の盾役がいるのが普通らしい。
盾役が<コンプレックス・シールド>を習得すると小隊の守備力が格段に向上する。
最初に受講した騎士団員は魔法が不得手で、騎士団の中では絶対に習得は無理だろうと思われていたのだが、何とその時の受講生の中で一番に習得した。魔法に対する先入観がないのが良かったのだろう。その彼が騎士団の訓練で<コンプレックス・シールド>を披露したものだから、盾役の騎士団員はこぞって習得したがっているのだ。
研究所の職員は研究目的で参加している。彼らは戦闘現場に出るわけではないが、リオンの提唱する魔法理論の実践と検証、さらにそこから理論を発展できないかを考察するのが彼らの役割だ。
「さあルーシア。今日も僕のシールドをよく観察してみてね」
「分かりましたわ!」
「皆さんも。近くに寄ってください。触って感触を確かめて」
リオンは普段、<コンプレックス・シールド>を「透明」で発動している。実は、最初の頃は「タリン層」が薄ピンク色をしていたため、シールドも同じ色に見えていた。タリンはタンパク質の一種なので、何となくピンクでイメージしていたのだ。
ある時「色はない方が良くない?」と考え、透明な細胞質でイメージしたところ、難なく出来た。障壁を発動しているのが相手に悟られないので、今は透明で使用している。
見本で見せる時は、元の薄ピンク色で発動する。透明だと分かりづらいので。
「リオン、<マルチプル・シールド>を見せていただけませんか?」
「いいよ。<マルチプル・シールド>」
「う~ん……やっぱり透明だからイメージが難しいですわ」
「なるほど……」
<マルチプル・シールド>五層でタリン層をサンドイッチしたのが<コンプレックス・シールド>である。
<マルチプル・シールド>は、元々ポリカーボネートの盾をイメージしたものなので透明に近い。ルーシアに指摘されたように、確かに色付いていないと分かりづらい。
「ちょっと、色を付けられないかやってみるね」
少し灰色っぽくしてみるかな……。
「お、出来た」
「もう出来たんですの!?」
「うん。おかしかったかな?」
「い、いえ……リオンですものね、それくらい当然なのかもしれませんわ」
障壁に色を付けるくらい、そんなに難しくないよね?
そう思うリオンだったが、この世界の常識では違う。そもそも障壁魔法に「色」など付いていないし、色付きで発現できるなど誰も考えたことがなかったのだ。
ルーシアは少し諦めの境地だ。魔法に関してリオンには驚かされることばかりで、いちいち驚いていては身が持たない。「リオンだから」と割り切ることにした。
リオンが発動したのは一枚の障壁のみだったが、受講生たちがわらわらと集まってきた。
「これは……障壁?」
「障壁に色を付けられるのか!?」
「これを五枚重ねるんですよね!?」
「何だこれ、弾力があるのに物凄く丈夫そうだ!」
「リオン君、どうやって色付けたの!?」
みんな指先で突いたり、手の平で触ったり、斜めから覗き込んだりと物珍しそうにしている。
「すみません、もっと早く気付くべきでした。透明だと分かり難かったですよね?」
周りの者が皆こくこくと縦に頷いている。
「あ、でも、実際に皆さんが使うシールドは透明が良いと思います。相手の攻撃や動きが見えますから」
「「「「なるほど~!」」」」
リオンが元々<マルチプル・シールド>を透明でイメージした理由がそれだ。物理的な盾の欠点は相手の攻撃が見辛いこと。見えないと対処できない場合が山ほどある。
「でも、目くらましにも使えそうですわね?」
「っ!? その発想はなかった。さすがルーシア!」
現在のリオンは、縦横二メートルの<コンプレックス・シールド>を同時に十枚発動できる。横に並べれば二十メートルだ。例えば真っ黒に色付けすれば、こちらから相手を見ることは出来ないが、相手からもリオンが見えない。それは正に目くらましだ。何かに使えるかもしれない、と心にメモしておく。
その後は、<マルチプル・シールド>一枚バージョンを色付きと色無しで交互に発動し、見た目・感触などを納得いくまで確認してもらい、二枚、三枚と増やしていった。
タリンも単体の色付きで発動して実際に触れてもらう。騎士団員の私物である剣で突いてもらってその弾力を体感させる。彼の好意で他の者たちも剣で突き、タリンについてより深く理解してもらった。
「リオン、ご覧になって! 出来ましたわ!」
「おおっ、ルーシア、凄いよ! ちゃんと出来てる!」
魔法は不得手のルーシアだったが、二日目にして<コンプレックス・シールド(もどき)>を習得してしまった。リオンが騎士団員から剣を借りて試し斬りしてみたところ、強度も十分に思えた。
その日は、既にシールドを習得済みだった者も理解が深まったようで、発動の速度と強度が増した。更に未習得者二十八名のうち十二名が、その日のうちに<コンプレックス・シールド(もどき)>を発動できるようになった。
研究所からの帰り道、アスワドの背の上で、ルーシアはリオンに改めて感謝を述べてからこう続けた。
「私にも<コンプレックス・シールド>が使えるなんて、夢のようですわ」
「ルーシアが頑張ったからだよ。あと飲み込みが凄く早い。さすがだね」
「……でも、これで研究所に行く理由がなくなってしまいました」
リオンの前に座っているルーシアが寂しそうに言葉にした。
「え、何で? 一緒に行けば良いじゃない」
「でも、他にもリオンから学びたい方が大勢いらっしゃいますし」
「<コンプレックス・シールド>は発動出来てもまだ完全じゃないんだ。瞬時に発動するか、ずっと発動しっ放しか、或いは両方。それが出来て初めて完全なんだ。だから研究所で練習したらいいと思う。ルーシアがいてくれた方が僕も嬉しいし。あ、もちろん用事があるならそっちを優先してね?」
ルーシアは前を向いたまま固まった。「わ、私がいたら嬉しいなんて……」などとブツブツ呟いていたが、それはリオンの耳には届かなかった。
なお、アスワドに乗っているのはリオンとルーシアの二人で、シャロンとルーシアの侍女メリダはアーチルが馭者を務める馬車に乗っている。
二軒隣にあるレッドラン別邸にルーシアとメリダを送り届け、リオンとシャロン、アスワドとアーチルはシルバーフェン別邸に戻った。
「リオン様。王立学院から書状が届いております」
「学院から? ありがとう、ベリシス」
別邸の家令を務めているベリシスから書状を受け取る。
「えーと……明日の午前中、学院まで来てくれって。王国騎士団が状況を知りたいんだって」
リオンはシャロンに向かって書状の内容を告げた。
「研究所に行くのはそれが終わってからだなぁ。ルーシアと研究所に伝えないと」
「手配しておきます」
「うん。ありがとう、シャロン」
翌朝、リオンは馬車で王立学院へ向かった。
教室に魔人が出現したのは一昨日だ。寮と学舎の壁に開いた穴は板で塞がれていた。まだ本格的な修繕工事は始まっていないようである。
リオンは守衛により学舎一階の第三応接室に案内された。いつものように、シャロンがソファの背後に立ったまま控えている。待つ間もなく扉がノックされ、王国騎士団の制服姿の男性が二人入室してきた。リオンは挨拶しようと立ち上がる。一人の男性には見覚えがあった。
「コーネリウス・ゴールドレイド様」
「やあ、リオナード君。先日ぶりだな」
騎士団長のコーネリウス・ゴールドレイドに促されて再度腰を下ろす。もう一人は中隊長らしかった。
「今日は確認だけだ。学院から説明は受けたが、どうしても本人から聞く必要があるのでな。足労かけて済まない」
リオンは当日のことを思い出し、順序立ててその時あったことを話した。と言っても大して話すことはない。異変に気付き、音がする方に障壁を張り、現れた魔人(仮)を倒した。簡単に言えばそれだけである。
「あれはやはり魔人だったのでしょうか?」
「我々はそう考えている」
「それで、あの……魔人が誰かも?」
「君に話すべきかどうか……いや、いずれ分かることか。ウルスレン・ブラウンネストだったとほぼ断定している」
「…………」
「分かっていると思うが、君が気に病む必要は皆無だ。彼が魔に堕ちたのは彼自身にのみ責があり、君が止めなければ甚大な被害が出たことだろう」
「そう、ですね……」
「君は多くの子供たちを守ったのだ。王国騎士団を代表して感謝する」
そう言って、コーネリウスはリオンに向かって頭を下げた。隣の中隊長も慌ててそれに倣う。リオンは同じ学院生、それも知らない相手ではない者を自分の手で殺してしまったショックが大きく、反応が出来なかった。
あの時のことを思い返してみる。……殺す以外の選択肢がなかっただろうか?
懸命に思い出すが、やはりあの時の判断は正しかった。それに、魔人を元に戻す方法はないと聞いた。仮に拘束出来たとしても、彼を人間の姿に戻す術はなかった。
「何で僕なんだろう……?」
殺すしかなかったが、それがリオンである必要はなかった筈だ。しかし、あの場で魔人を確実に殺せるのはリオンしかいなかったのも事実。
もしリオンが何もしなかったら、リオンとルーシアは死んでいたかもしれない。ミリス王女やカルロ皇子、他にも大勢の学院生が死んでいたかもしれない。
だからリオンは正しい。
正しいのと、心が痛まないのは同義ではない。
「結果的に君に辛い役目を押し付けたこと、騎士団長として謝罪する」
「あ、いえ……コーネリウス様はあの場にいらっしゃらなかったのだから、謝罪の必要はありませんよ」
「それでも、だ。本来なら我々が、大人たちが、君たちを守らねばならん。だが……我々がその力を身につけるまで、君の力も貸して欲しい」
コーネリウスの言葉は、沈んでいきそうなリオンの心を少し軽くした。
彼は責任を放棄していない。子供を守るのは大人の役目だと十分に理解している。そして今、リオンが魔法研究所で行っていること、それが近い将来騎士団を強化することも。
そんな彼が、リオンに力を貸して欲しいと頭を下げるのだ。
やってしまったことは変えられない。それを思い悩んでも何も解決しない。
それならば、この先に向けて、出来ることをするしかないではないか。
「はい。微力ながら、僕に出来ることでしたら、お役に立てればと思います」
リオンはコーネリウスの目をしっかり見つめ、そう答えるのだった。




