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43 魔に墜ちる

 剣術の実技の時間、リオンを背後から襲ったのはドラムス・カーキレイドであった。


 カーキレイド男爵家は、ここ三代に渡ってグレイドン領北西部の都市ミレーダンで代官職を務めていた。グレイドン領とは、ブラウンネスト侯爵家が治める王国南東部の領である。

 男爵と子爵で領地を治める貴族はユードレシア王国では皆無である。むしろ、伯爵以上に陞爵される際に国から領地運営を任されるといった方が正しい。男爵・子爵は所謂「法衣貴族」がほとんどで、文官として各領地や王都で職務に就いている。その中でも大きな都市の代官と言えば、他の低位貴族から羨まれる職だ。


 ドラムスの父はミレーダンの代官である。ドラムスはカーキレイド家の三男で家督を継ぐ可能性は低い。だから王国騎士団か、グレイドン領騎士団に入団する目的で学院の騎士科へ入学した。

 ブラウンネスト侯爵家の三男ウルスレンが自分と同学年であることはもちろん知っていた。父親の雇い主の息子であるし、侯爵家の子息だから、失礼のないようにしなければならない。


 だが入学式の後、そのウルスレンからとんでもない要求を突き付けられた。


『リオナード・シルバーフェンを襲え。殺しても構わん。もしもの時はブラウンネスト侯爵家がお前の面倒を見てやる』


 命令を聞かなければ、カーキレイド家の代官職を解く。最後にそう言われた。


 ドラムスにも、ウルスレンにそんな権限はないと分かっていた。貴族の子息を殺害したら極刑になるであろうことも。

 だが、逆らえばカーキレイド家にどんな不幸が降りかかるか分からない。少なくとも良いことは起こらないだろうと思えた。

 だからドラムスは一計を案じた。リオナード・シルバーフェンを殺さずに怪我を負わせる。それも後遺症などが残らないように、それでいて大怪我を負ったように見せかけよう。


 ドラムスは三男だから、将来は騎士になるものと幼い時分から考え、剣の腕を磨いてきた。自分なら、丁度良い塩梅で怪我を負わせることが出来る筈だ。

 リオナード・シルバーフェンが何をしたのか知らないし興味もない。怪我をさせるのは申し訳ないが、侯爵家子息の怒りを買うのが悪いと思った。

 そして剣術の実技の時間に絶好の機会が訪れた。ドラムスに迷いはなかった。一撃で昏倒させる自信があった。


 しかし、剣は何かに弾かれた。

 このままでは襲撃自体なかったことにされてしまう。それではウルスレンが何をするか分からない。だからドラムスは無我夢中で剣を振るった。そして気が付いた時には地面に組み伏せられていた。


 木剣を取り上げられ、四人の教官に囲まれて学舎へ連れて行かれた。強く掴まれた両腕は痣になっているだろう。

 学舎一階の第一応接室。そこで何故こんなことをしたのか問われた。ドラムスは大いに逡巡した。ここでウルスレンを庇うべきか否か。


 庇った場合、ウルスレンに貸しを作ったことになる……しかし襲撃は失敗した。彼はこれを貸しと見做さない可能性が高い。その上で、自分ひとりが罪を被ることになる。

 ウルスレンに命令されたと白状した場合。自分の罪は多少軽くなるかもしれない。何せ親を人質にとられたようなものなのだ。そして、ウルスレンもただでは済まないだろう。ただし、確実にウルスレンの恨みを買う。それこそ、次に襲撃されるのは自分だ。


 貴族として考えるならウルスレンを庇うのが正しい。カーキレイド家への影響は最小限、または皆無で済む筈である。

 だが、貴族とは言えドラムスはまだ十一歳。ウルスレンの命令と態度は腹に据えかねていた。ここで一矢報いなければ、生涯彼にやり返す機会などない。


 だからドラムスはこう言った。


「ウルスレン・ブラウンネストから命じられたのです」









*****









 ウルスレンは自室に戻ると、そこら中の物に当たり出した。応接室の椅子を振り上げてテーブルに叩きつけ、衝立を蹴り倒し、花瓶を壁に投げつける。目に入る全てを破壊したくて堪らなかった。お付きの侍女は早々に小部屋へと引っ込んで難を逃れる。


「どいつもこいつも、この役立たずどもがっ!!」


 ドラムス・カーキレイドはリオナード・シルバーフェンの襲撃に失敗しただけでなく、ウルスレンを売った。その結果、つい先ほどまでウルスレンは学院の剣術教官たちから追及されていた。


『何故、ドラムスにリオナード・シルバーフェンを襲うよう命令した?』

『そんな命令をした覚えはありません』

『ドラムスの父の職を解くと脅しただろう?』

『そんなことはしていません』

『リオナードが君に何をした?』

『特に何も』

『何もしていない相手を、君は襲うように命じたのか?』

『命じた覚えはありません』


 何度も何度も同じことを聞かれ、同じように否定した。だが、後半応接室に入ってきた教官が、リオナード・シルバーフェンとカルロ皇子側から聞いた情報をウルスレンに突きつけた。


『彼の従魔を無理やり奪おうとして――』

『奪おうとなどしていない! ちゃんと買い取ると申し出た!』


 しまった、と思った。つい反論してしまった。ここは「そんな事実はない」と言うべきだったのに。リオナードと接点があることを自白してしまったのである。

 そこからはもうボロボロだった。

 王立魔法研究所の所長がその場にいただの、往来で拘束されたのを根に持っているだの、ドラムスが襲撃の際にウルスレンの名を口走っただの。挙句の果てに「銀翼勲章を妬んでいる」などと根も葉もないことを言われた。


「くそっ、くそがっ! 俺は侯爵家の人間だぞっ!」


 寝台のクッションや枕を力任せに引き裂く。部屋を大量の白い羽毛が舞った。汗をかいた顔に張りつく羽毛が、更にウルスレンの怒りを増長させる。


 ドラムスとウルスレンは、学院の正式な処分が決まるまで寮の自室で謹慎となった。


「何故俺が謹慎しなければならん!」


 襲撃したのはドラムスなのに。俺はそうするよう仕向けただけだ。

 そもそも俺に逆らったのはあいつ、リオナード・シルバーフェンだ。あいつがあの従魔を見せびらかすように連れていなければ、素直に従魔を譲っていれば、いや、あの時あそこを通らなければ、こんなことにはならなかったのだ。


 全てあいつが悪い。


 物に当たっていたのは十五分くらいだろうか。部屋を滅茶苦茶にして、疲れたウルスレンは寝台に腰を下ろした。その目が、奇跡的に無事だった文机の上に置いてある物を捉える。


「……何だ?」


 彫刻を施し、鮮烈な赤に塗装された小さな木箱。それを開くと、中には薄く赤に色付いた液体の入った小瓶と、小さく折り畳まれた手紙が入っていた。


「フィリクス……?」


 それは、午前中にウルスレン宛てに届けられ、侍女がそこに置いたものだった。フィリクスが誰かは分かっている。最近クビにした家令見習いだ。

 実際にはウルスレンにフィリクスを解雇する権限はないため、単に別邸から追い出しただけである。

 手紙にはこう書かれていた。


『親愛なるウルスレン・ブラウンネスト様へ


王都で噂になっている貴重な薬を入手いたしました。

魔力と筋力を大幅に上昇させるものです。

ウルスレン様の目的を叶える一助になるのではないでしょうか。

王都に残っていた最後の一本になります。

私を疑うお気持ちもお有りでしょうから、ご不要でしたらお捨てください。

ただ、我が父の名に懸けて、毒の類ではないことを誓います。

ウルスレン様に幸多からんことを願って。


フィリクス』


 ウルスレンは読み終えた手紙を机に投げた。代わりに小瓶を取り上げ、光に透かして見る。薄赤の液体には、光を反射する粒子が浮いていた。


 フィリクスがウルスレンを毒殺しようとすることは大いに考えられる。だが、本気で毒殺するならこんな稚拙な真似をしないだろう。毒殺というのは密かに行われるものだ。自分の名を明かした上で相手に毒を送りつけ、「さあ飲め」などという毒殺は聞いたことがない。よって、これが毒の可能性は低い。


「王都で噂……最後の一本……」


 これがまた入手できる薬なら、絶対に他の誰かで先に試す。毒ではないにしても、体に悪影響がないとも限らない。こんな怪しげな薬を自分が飲むなど、普段では考えられないことだ。

 しかしこれが、本当に最後の一本なら? 他の者で試すことは出来ない。手紙にあるような効果が本当にあるとしたら、それをみすみす他者に譲ることになる。


 ウルスレンは、この薬をリオナード・シルバーフェンが飲んだ姿を想像した。


「っ!? あいつもこの薬を飲んだのか!」


 あの馬鹿げた障壁。嘘くさい武勇伝。それらがこの薬によるものだとしたら……。

 ウルスレンは、全ての謎が解けたような気になった。


「くっくっく……薬の力を借りた偽物の英雄か!」


 薬で自分の力を上げて勲章を授かるなど、とんだお笑い種だ!


 ウルスレンはこれまで「努力」というものをしたことがない。欲しいものは全て、侯爵家の名と金で手に入れることが出来た。だから努力の必要がなかった。そして、彼は他者の「才能」を認めない。才能とは血筋であると思い込んでいるからだ。

 そんな彼は、リオンの力が「努力と才能」によるものだとは思いもしない。それよりも薬によって手に入れたと考える方が腑に落ちた。


 リオンへの謂れのない怒りと生来の短絡さ。それがウルスレンの運命を決定付ける。


「くっく……お前が手に入れられる物など、この俺にだって手に入る!」


 薬を苦労して入手したフィリクスへの感謝など、彼に有ろう筈もない。下々の人間が自分に尽くすことは当然だと思っている。


 ウルスレンは小瓶の蓋を開け、中身を一気に飲み干した。

 味は……想像したような不味い味ではない。風邪の時に飲まされる不味い粉薬に比べれば、むしろ飲みやすいくらいだ。


「毒、ではなさそうだ……っ、ね、眠気が……」


 急激な睡魔に襲われ、慌てて羽毛が散った寝台で横になる。そのまま数秒で意識が闇に沈んだ。

 ウルスレンだったものは、こうして魔に堕ちた。









*****









 学院の授業が始まって二日目。


(まだ二日目なんだよなぁ。初日から色々あり過ぎだよ……)


 リオンは一限目の授業を受けながら、ぼんやりと考える。今は数学の時間だ。数学と言っても分数の掛け算と割り算で、前世なら小学校六年生レベルの算数である。さすがに授業をちゃんと聞かなくても理解できる。


 隣の席には、ノートと黒板を交互に見て板書を書き写す心のオアシス、即ちルーシアが座っている。


(ていうか王都に来てから色々あり過ぎ。もしかして、僕にとって王都は鬼門なのかな……)


 ここで言う「鬼門」は本来の「忌むべき方角」のことではなく、ビジネスなどで使う「自分にとって相性の良くないもの」の意である。


 リオンが王都に来てから半月ほどだが、あまりにも濃い半月と言わざるを得ない。彼は平穏な生活を望んでいるのに。別に田舎でスローライフを送りたいとまでは言わないが、軍を退けたり魔人と戦ったり骨鬼族と遭遇したりするのは正直言ってご免である。

 だが、大切なものを守るためには色々と避けて通れないのも事実。

 リオンが抱く現在の希望は、王国魔法士団と、ついでに王国騎士団をバチバチに強化して、自分が戦いの場に出なくて済むようにすることだ。


(骨鬼族が攻めてくる前にそれが出来ればいいけど……どれだけ時間がかかるやら)


 王国特別魔法顧問としてのお仕事は始まったばかり。魔法士団全体から見れば、<コンプレックス・シールド>を習得した者はまだほんの一部である。先が思いやられる。


 はぁ、と軽く溜息を吐いて、リオンはふと左側にある窓の外を眺めた。


「ん?」


 西側には、騎士科のリヒター寮がある。リオンがいる教室は二階で、ここからはリヒター寮の三階の一部くらいまで見えていた。


「リオン、どうしたんですの?」

「今、寮の上から瓦礫が落ちてきたような……」

「え?」

「あ、ほら。また」


 こちらに体を寄せてくるルーシアに、リオンは窓の外を指差して示す。確かに、ここからは見えないリヒター寮の上階から何かの塊が落ちていた。


「何かの工事かしら」

「いや、工事だったら杜撰過ぎる。誰かが下を通ったら危ないよ」

「そうですわね……」


 前世の記憶では、高所の工事を行う際は足場を組み、落下物を防ぐような養生がされていたと思う。もちろんこの世界にそんな物はないかもしれないが……。


――ズドォォオオオン!!


 その時、背後から轟音と、建物の揺れを感じた。リオンは咄嗟にルーシアの上に覆い被さる。そして今度は、また背後から「きゃぁぁあああー!」と籠った悲鳴が聞こえた。続いて何かが壊れる音が響く。


「一体何ですの!?」

「分からない。しばらくじっとしてて」


 リオンはルーシアの耳元に口を寄せて告げた。リオンの記憶で一番近いのは地震だ。地震なら下手に動くと危ない。今は自分の上に<コンプレックス・シールド>を張っている。

 建物自体は揺れていないようだが、何らかの破壊音と悲鳴は続いている。


(近付いてる?)


 それらの音はさっきより近い気がした。断続的に、まるで壁を破るような轟音と微振動が届き、それも徐々に近付いているような……。


 壁を破るような……?


「ルーシア!」


 リオンはルーシアの手を引いて体を起こさせ、共に教室の一番後ろに移動した。


「<コンプレックス・シールド>、五重!」


 ルーシアを自分の後ろに立たせ、隣の教室との境となる壁に向けて五重の<コンプレックス・シールド>を展開した。教室の横幅一杯、リオンたちの背後にいる学院生たち全員を守るように。

 直後、壁の一部がこちらに向けて弾ける。砕けて尖った石材が弾丸のように飛ぶが、全て障壁に阻まれた。


 崩れた壁の向こうに、異形が立っている。


 全身を黒い鱗で覆われた人型。身長は二メートル以上。人間のものに似た眼球が、横に四つ並んでいる。口は大きく裂け、尖った歯がずらりと並んでいた。

 それだけでも怖気を振るうが、更に異様なのは背中側から生えた数十の触手だろう。身長よりも遥かに長い触手が、うねうねと蛇のようにのたうっている。


 背後にいた学院生たちが、一斉に廊下へと逃げ出した。他の教室の者たちもいて、廊下は大混雑している。

 ミリス王女とカルロ皇子は、それぞれの護衛に囲まれて徐々に階段の方へ移動していた。カルロは後ろを振り返り、リオンの様子を確かめようとするが、壁の穴に数本の触手を引っ掛け、異形がこちら側へ出てくるところだった。


 開きっ放しの口からとめどなく流れ落ちる涎。ぎょろぎょろと独立して動く四つの眼球。リオンは少しずつ移動し、異形が廊下側に行くのを障壁で押さえていた。


「魔人、だろうな」


 少し前に討伐した魔人とは全く形が違うが、鱗を纏った皮膚の質感がそっくりだった。


「ルーシア、先に避難して?」

「いいえ、リオンの後ろが一番安全ですわ!」

「そ、そう?」


 廊下は混雑しているから、このまま守った方が確かに安全かもしれない。

 ガキン、ガキン、と、触手が障壁を打つ。表層の数枚が砕けるので、かなりの威力であることが分かった。砕ける度に補充するのでダメージはないのだが。


 そのうち、魔人は狂ったように触手で障壁を叩き出した。その姿が、昨日の襲撃者を思い起こさせる。


「う~ん……助けを待ってる時間はないよねぇ……」


 誰かが通報したとて、電話やネットのない世界だ。騎士団や魔法士団が駆け付けるのに相当な時間がかかるだろう。

 触手攻撃の威力を見れば、学院の守衛で太刀打ち出来るとは思えない。無駄に犠牲者を増やすだけだろう。


 <ストーンガトリング>で、魔人の持つ対消滅を突破できるだろうか?


 以前は、魔人から遠く離れた所から倒したのだ。もし<ストーンガトリング>を認識されれば、自動防御とも言える対消滅で対抗される可能性がある。

 魔人の向こう側に人はいなさそうだ。教室は見る影もなく無茶苦茶だが。廊下にはまだ人がたくさんいる。背中からは、ルーシアの小さな震えが伝わった。


「やってみるしかない」

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