4 ルーシア・レッドラン
「リオン様。間もなくルーシア様がご到着なさいます」
「ん、ありがとう」
ルーシア・レッドランはリオンと同じ十一歳で、デルード領の西隣、ミガント領を治めるレッドラン辺境伯家の三女である。
レッドラン辺境伯家の方がシルバーフェン伯爵家より家格が上なので、本来ならリオンの方がルーシアを訪うべきであるが、婚約者の男性側を立てるという慣習があるらしく、ルーシアが月に一回の頻度でこちらに来るのであった。
そう。ルーシアはリオンの婚約者である。
婚約は二年前、二人が九歳の時に調えられた。九歳で婚約とはいかがなものか、と中身大人のリオンは首を傾げたものだ。
ただ、ここユードレシア王国の貴族ならごく普通のことらしいと聞かされて、そういうものかと理解した。理解しただけで納得はしていない。前世で死んだのが何歳だったか分からないけれど、少なくとも中年と呼ばれる年齢までは生きていた気がするリオンにとって、九歳の女の子を恋愛対象に見ることは出来なかった。もし出来たら事案である。
婚約と言っても非常に緩い感じだと教えられたのも、一応受け入れている理由かもしれない。貴族同士の婚姻は政略的な意味合いが強いとは言え、やはりそこは男女、性格が致命的に合わないなどの理由があれば解消できる。また十六歳の成人までは婚約解消を瑕疵とは見做さないらしい。
つらつらと二年前にルーシアと初めて会った時のことを思い出しながら、リオンは屋敷の馬車寄せに向かった。
九歳のルーシアは、お転婆という言葉がこれほど似合うかというくらい元気が有り余った子だった。燃え上がるような真っ赤な髪、新緑のような色の瞳、ちょっと吊り上がった気の強そうな目。実際に勝気な性格で、初見でマウントを取られたのも今では良い思い出である。
『私と婚約できるなんて幸せに思いなさい!』
リオンを見下すように無い胸を反らし、そう宣言されて返す言葉が見つからなかった。なるほど、これが貴族令嬢か、と変に感動したものである。
この二年間たびたび顔を合わせたことで、ルーシアが高慢で鼻持ちならない女の子でないことは十分理解している。言葉遣いはアレだが、面倒見が良くて心根は優しいのだ。これがツンデレか、と妙に感動したものである。
幼い時分の婚約に疑問しかなかったリオンだが、いつの間にかルーシアと会うのを楽しみにするようになっていた。ただのお転婆娘が成長と共に貴族令嬢に変化しつつある。月並みな比喩だが、蛹が羽化するように……。まだ美しい蝶になったとは言えないが、二年も付き合えば情だって湧く。その相手が可愛くて性格が良くて、どうやら自分のことを好いてくれていると分かれば好意を持つというもの。これは決して事案ではない、とリオンは思っている。
少しソワソワしながら待っていると、ようやく屋敷の門を護衛騎士の馬が通り、その後ろから一台の馬車がやって来た。走り出したい衝動を堪え、懸命に貴族らしくその場で待つ。
馬車がゆっくりと速度を落とし、やがて完全に止まった。扉が開くとまず侍女が降り、その侍女が差し出す手を取って真っ赤な髪が降りてくる。こちらに顔を向けてリオンを見付けると、パッと花が開いたような笑顔になった。
「リオン! 来ましたわよ!」
「ルーシア。遠いところ、いつもありがとうございます」
「これくらい、どうってことありませんわ!」
西隣のミガント領と言っても、領都ミグルからここまでは馬車で二日かかるのだ。リオンがミグルまで行くと言っても、ルーシアは頑なに自分が来ると言い張る。いずれ住む場所なのだから、女の自分が来るのは当然なのだと。そんなことを言えるルーシアに、リオンは頭が下がる思いである。
「ルーシア様、長旅でお疲れでしょう。少しお休みになってからお茶にいたしましょう」
「ありがとう、シャロン! メリダ、休ませてもらいましょう。リオン、後でね!」
「はい!」
メリダとはルーシア付きの侍女で、先程馬車から降りる時にルーシアの手を取った人物である。
シルバーフェン伯爵家に到着したルーシアは、まず軽く湯浴みをしてもらい、その後しばらく客室で寛いでもらう。その間に屋敷の料理人と使用人や侍女たちがお茶会の準備を調えるのだ。
手持ち無沙汰になったリオンはシャロンを伴っていつもの中庭に向かった。
「シャロン、また棒で突いてもらえる?」
「仰せのままに」
<タリン・シールド>の可塑性を思い知らされ、痛い目に遭ってから三日。
初め、衝撃吸収性をそのままに、何とか強度を上げられないか苦心した。しかし最初のイメージが固定化されたらしく、思うようにいかなかった。
ただ、分子式や詳しい構造に関する知識が無くても、映像記憶でイメージを具現化できると分かったのは僥倖だと思ったリオンである。
<タリン・シールド>の強度は上げられない。ならば<マルチプル・シールド>と併用したら良いのではと考えたのが昨日。いつものお勉強の後、自室で試行錯誤した。<マルチプル・シールド>は同じ障壁を十重に重ねたもの。そこに全く違う<タリン・シールド>を同時に具現化するのはかなり難しいのではと思ったのだが、これが意外とあっさり出来てしまった。イメージの固定化、これが考えていたより有用らしい。
<マルチプル・シールド>を<タリン・シールド>の前にするか、後ろにするかしばし悩んだが、どうせなら挟めばいいじゃない、とやってみると、これも苦労することなく具現化。その状態でイメージを固定化し、新たに<コンプレックス・シールド>と名付けた。
今からその<コンプレックス・シールド>の実用試験というわけだ。
「参ります」
「<コンプレックス・シールド>。いいよ」
シャロンが腰を落とし、強く踏み込む。「パリン」とガラスの割れる音がして、前部の<マルチプル・シールド>が割れた。
シャロンの槍(今持っているのは木の棒だが)の腕は、領内でイデラ団長に次ぐと言われている。鋭さだけなら団長を超えているかもしれない。レスト中隊長でも割れない<マルチプル・シールド>を突き一閃で割るのだから。詳しい出自は教えてくれないのだが、シャロンが侍女として傍にいるおかげで、リオンには他に護衛を付ける必要がないのであった。
前部シールドを突破した棒の先端が中間層である<タリン・シールド>に到達。いくらイデラ団長に次ぐ腕と言っても木の棒だし、前部を突破した時点で威力はかなり減衰している。TSAMもどきがその衝撃を受け止めて分散。後部にはまた硬い<マルチプル・シールド>が控えているため、中間層は上下左右に広がることで衝撃を逃がす。
棒の先端が後部の<マルチプル・シールド>に直接当たることはなく、無事シャロンの攻撃を防御した。
「…………槍を使っても?」
シャロンが不満を隠そうともせず、不穏なことを訪ねる。
「え? い、いいけど、手加減してくれる?」
「手加減したら検証にならないのでは?」
「ハイソウデスネ」
痛いのが嫌なリオンは弱気になって頼むが、シャロンからド正論を返された。
まぁいつかは通らなければならない道だ、とリオンは自分を嫌々納得させる。その間に、シャロンは庭師の物置小屋から騎士団で正式採用されている槍を手に戻ってきた。
何故庭師の物置小屋に槍があるのか……。そんなことは今更である。シャロンが色んな武器を置いているに違いない。
穂が直刃の槍。当たれば相当痛い。場合によっては死ぬ。
「さあリオン様。覚悟をお決めください」
「え?」
「参ります」
「コ、<コンプレックス・シールド>!」
シャロンの姿がブレる。直後、障壁が割れ散る音が響いた。
焦るリオン。しかし、木の棒と同じように槍の穂が後部シールドを突破することはなかった。
「や、やった!」
「むぅ」
「……何で不満そうなの?」
「とんでもありません。おめでとうございます、リオン様」
「あ、ありがとう」
<コンプレックス・シールド>の有用性は示された。あとは具現化の速度を上げれば防御に関してはかなり安心できる。
……ただ、一番身近にいる侍女の不満顔が安心できないのだが。
シャロンとしては、渾身の一撃を止められたことで、今後リオンにとって自分は必要とされないのではないかと不安なだけなのだ。表情が乏しいため主にそれが伝わらないのであった。
リオンはシャロンに身支度を整えてもらい、屋敷のサロンに向かった。そこは床から天井まで一面ガラス張りで、庭園(先程の中庭ではない)が良く見える場所。リオンの母であるカレン・シルバーフェンがお茶会を主催する時によく使われる場所である。
二十人は余裕をもって入れる部屋だが、今は丸テーブルが一つと椅子が二脚置かれているのみ。しかしサロンの至る所に大きな花瓶が配置され、色とりどりの生花が活けられていた。壁は透け感のある薄い赤やピンク、淡い黄色などの布で飾られ、高級感と可愛らしさを演出していた。美的センスが死んでいるリオンは侍女たちのセンスに脱帽である。
リオンはサロンの入り口で背筋を伸ばしてルーシアを待つ。少し離れた所にはシャロンが控えている。
「リオン、お待たせしましたわ!」
弾むような声に振り向くと、メリダを伴った美しい妖精がそこにいた。
「っ!」
落ち着いた濃紺のドレスは、裾へ向かうに従って紫、赤とグラデーションになっている。首元まで詰まり、袖は手首まで、裾は靴がチラチラ見えるくらいに長い。ごく薄い布を何枚も重ねたようなドレスは華美ではなく、それでいて年齢相応の可愛らしさがある。何よりもルーシアの艶めく赤色の髪を上半身の紺色が引き立てている。
「ど、どうかしら……?」
少し顔を俯け、新緑の瞳が遠慮がちに向けられる。
「とても、きれいです……妖精かと思いました」
前世大人だったが、十一歳の貴族令嬢を褒める言葉など前世の記憶にはない。何より、心から美しいと思ってこれまで学んだ貴族教育も吹き飛び、語彙力が崩壊していた。
だが、そんな誉め言葉がルーシアには刺さったらしい。顔を真っ赤に染め、両手を頬に当ててもじもじ身を捩った。
「も、もう! 他の方にそんなことをおっしゃっては駄目ですよ?」
「も、もちろんです!」
「リ、リオンも素敵ですわ……いつもですけれど」
ボソッと零したルーシアの呟きはリオンの耳に届かない。
「え?」
「な、何でもありませんわ!」
そんな二人のやり取りを、ルーシアの侍女、メリダが微笑ましく見つめていた。壁際に控えている屋敷の侍女たちも、どこか擽ったいような顔になっている。リオンの侍女であるシャロンだけは相変わらずの無表情だ。
用意された席に座ると、給仕係の侍女が紅茶を淹れる。リオンとルーシアはここ一か月の近況を互いに話した。リオンの一か月はこれまでとほとんど代わり映えしない。訓練と勉強の毎日だ。ただつい最近、<マルチプル・シールド>をイデラ・ホワイトラン団長に突破され、新たに<コンプレックス・シールド>を生み出したのがいつもと違うことであった。
「まあ! リオンは更に強い障壁を作り出したのですか!?」
「う、うん、まぁそうだね」
「さすがリオンですわ!」
レッドラン辺境伯家が治めるミガント領騎士団では、ルーシアの婚約者であるリオンのことを「防御ばかり必死になっている臆病者」と揶揄する声もある。もっと男らしい人物の方がルーシアお嬢様に相応しい、と。
そんなことを口にする者に、ルーシアはこれまで何度も同じ言葉を告げた。
『リオン・シルバーフェンは臆病者などではありません! 彼は誰も、敵すらも傷付けることなく勝つ手段を模索しているのです。誰にも出来ないことをやろうとしている彼を侮辱するのは許しませんよ?』
出会って少し経った頃にリオンから聞いた言葉。
『防御は最大の攻撃なのです』
正直、何を言っているのだろう、と思った。そんなルーシアに、リオンは微笑みながら説明した。絶対に破れない防御を作り上げれば、相手は諦めます、と。体力が尽きれば自ずと退くでしょう、と。そうすれば誰も傷付くことなく勝てると思いませんか、と。
ただの理想論。ありもしない夢。絶対に実現しない妄想。
そうかもしれない。いや、普通の人はそう思うだろう。
でも、ルーシアはリオンの婚約者なのだ。婚約者の自分が彼を信じなくてどうする!
最初はそんな義務感からリオンの考えを飲み込んだのだが、出会ってから二年の間、彼は一度も揺らぐことなく、いつか「絶対的な防御」を生み出そうと研究開発に邁進している。大人でも、一つのことにそれだけ懸命になれる人がどれくらいいるだろう?
だからルーシアは、リオンのことを尊敬するのだ。
防御を極めんとする真摯なリオンのことが好きなのだ。
それはまだ、大人の恋とは違うかもしれない。だがルーシアは、リオン・シルバーフェンが自分の婚約者で良かったと心の底から思っているのだった。




