32 分岐点
チラチラ、チラチラ、とリーゼがリオンを上目遣いで見てくる。
「えーと、リーゼ様? 僕は何もしない方が良いのでは?」
「いや~、ほら。お主なら空から魔法を撃てるじゃろ? しかもあの威力じゃ。魔人にも通用するか見てみたいと思ってな」
リオンは、傍にいるルーシアやシャロンに聞いてみることにした。
「僕が手出しして良いと思う?」
「リオンが何をするにしても、指揮を執る方に話を通すのが筋だと思いますわ」
「私もルーシア様と同意見です」
至極当たり前のことを言われ、この二人に聞いて良かったと思うリオンである。彼一人だったら、リーゼに乗せられてホイホイ首を突っ込んでいたであろうから。
シャロンが、「私がジェイラン様に話をして参ります」と言ってくれたので任せることにし、リオンは経験豊富な元冒険者であるアーチルの意見も聞いてみた。
「アーチルさん。あれ、どう思います?」
「正直、あんな禍々しいのは見たことないんだけど」
と、アーチルは前置きし、一拍開けてからこう述べた。
「近接で倒すのは難しいね。かと言って遠距離からの魔法は通じてないっぽいよね」
「アーチルさんならどう倒します?」
「仲間に守ってもらいながら、渾身の一撃を叩き込む、かな」
アーチルは迷いなくそう断言した。確かに、あのバジリスクの攻撃と同等の威力がある槍の一撃なら、魔人にも確実に通るだろうと思える。
「もし僕が失敗したらお願いします。ところであれ、どうやって周りを知覚しているんでしょうか?」
「目に相当する器官は見当たらないし、魔法を使っているような気配もない。強いて言うなら、あの“靄”かなぁ」
「靄?」
「よーく見てごらん。あれの周り、ほんの僅かだけどモヤモヤしてるように見えない?」
そう言われて、リオンは目を凝らした。そういう風に意識して見ると、確かに物凄く薄い煙のようなものが漂っている。
「うわ、ほんとだ! あれ、言われなきゃ分かりませんよ! よく気付きましたね!」
「まぁ、これでも色々経験してるからね」
「あれの外側から攻撃して、仮に知覚しても反応できない速度なら……魔法も通りますかね?」
「それはやってみないと分からないね。そもそもあれで知覚しているっていうのも仮定に過ぎないし」
「確かに」
アーチルの言に納得を見せたところで、ジェイラン団長の所に行っていたシャロンが戻ってきた。何故かジェイランと一緒に。近くにリーゼもやってくる。
「ジェイラン様」
「リオンちゃん! シャロンちゃんから聞いたけど、手伝ってくれるんだって?」
「お役に立てるか分かりませんが」
「いいえ、きっとリオンちゃんならやってくれる。私には分かるの」
「はぁ」
「見ての通り、騎士たちも攻めあぐねているわ。リオンちゃんがやってくれるなら、いったん騎士や魔法士を下がらせるけど?」
「あー、それなんですけど」
リオンはアーチルの推測を述べた。あの魔人がどうやって敵や攻撃を知覚しているかについてだ。
「だから遠距離から狙撃してみようかと」
「遠距離? ソゲキ?」
「えーと、そうですね……五百から千メートル離れた場所から、狙い撃ちするという意味です」
「リオン、今何メートルと言うたかの?」
リーゼが急におばあちゃん感を出してきた。
「五百から千です」
「「…………」」
またリーゼとジェイランが絶句する。リオンはある意味、この反応に慣れてきた。
「だから、皆さんは取り敢えず今のまま、無理に攻撃せず魔人の気を引いておいてもらえれば」
「そ、そうじゃな! 取り敢えず今のままじゃな!」
「ええ、取り敢えずね、取り敢えず! リオンちゃんの言う通りにやってみましょう」
本当にそれでいいのだろうか……自分が言ったことではあるが、リオンは一抹の不安を感じる。
「じゃあ早速。ルーシア、行ってくるね。シャロン、ルーシアをお願い」
「リオン、気を付けて」
「お任せください、リオン様」
アスワドの隣に歩み寄り、首元を撫でながら話し掛ける。
「今日は色々あって大変だよね。疲れてない?」
「きゅ!」
大丈夫よ! と答えてくれた気がした。
「そっか。それで、見通しが良くて、あの魔人と五百メートル以上離れた所に行きたいんだ。できれば建物の屋根か屋上かな」
「きゅう!」
任せて! とでも言いたそうに、アスワドは翼を小さくばたつかせる。すぐに腹這いになってくれたので、リオンはアスワドの背によじ登った。
少し離れた場所で、リオンを見送るルーシア、シャロン、メリダ。馬車の馭者台からはアーチル。彼らの目にはリオンに対する信頼が浮かぶ。
リーゼとジェイランは、二人揃って胸の前で両手を組み、何かに祈るようにリオンを見ていた。今更ながら、子供でしかないリオンに任せたことが不安なのかもしれない。
リオンは全員に向かって軽く頷き、アスワドの背によじ登った。
幸い、既に避難が完了しているのか、付近に王都住民の姿はない。従ってアスワドの姿を見ても騒がれる心配がない。
空中に三十メートルも浮き上がれば現場周辺の様子がよく分かった。魔人の触手が届く範囲で、建物も結構被害を受けている。通り沿いの住宅や商店は壁に穴が開いている所が多く見られた。
騎士団員たちはまだ持ち堪えている。無理に攻撃せず、守りに徹し始めたようだ。魔法士たちも、今は支援攻撃を控えていた。
「アスワド、あそこに行ってみよう」
「きゅ!」
現場の通りを南に下った突き当りに、五階建ての建物がある。近付くと屋上が平らだった。アスワドの体重に耐えられるか心配だったが、降り立っても崩れるようなことはなかった。
「うん。ここなら射線が通る」
距離は約八百メートル。イデアール砦で一キロメートル以上の狙撃を行ったリオンだ。射線さえ通れば問題はない。
魔法なので手元が狂うといったことはないのだが、こういうのは雰囲気が大事。だからリオンは屋上でうつ伏せになり、肘で上体を起こす「伏射」の姿勢を取る。
<視力強化>を使い、標的を観察。触手は激しく動いているが、その根元付近、上部と下部の中心はそれほど動いていない。あとは騎士の体に当たらないタイミングを見定めるのみ。
頭の中で、リオンは「バレットM82」のトリガーに指をかけた。万が一にもフレンドリーファイアは避けなければならない。射線上にいる騎士の動きと魔人の動きを見、タイミングを計る。
(<ストーンライフ――)
『魔人とは“魔物に堕ちた人間”のことじゃ』
その時、リーゼの言葉が頭を過り、リオンは<ストーンライフル>の発射を躊躇した。
今、元とは言え人間を、自分は殺そうとした。
彼、或いは彼女も、自分と同じ人間だった。愛する家族、愛される家族がいたかもしれない。自分と同じように。
それを殺す権利が、自分にあるのか? 本当に、元に戻す方法はないのか?
リオンは逡巡する。魔人を殺すことが急に怖くなった。取り返しのつかないことをしようとしているのではないかと迷った。
<視力強化>しているリオンの視野で、一人の騎士が触手に薙ぎ払われる。彼は近くの建物に背中から激突し、動かなくなった。そこに、止めを刺すように振りかぶられる触手。
リオンは無理やり迷いを捨てた。
(<ストーンライフル>!)
成人男性の太腿より太さのある触手。その根元付近に五十口径の石弾が着弾する。触手は根元から吹き飛ばされ、倒れた騎士への追撃を阻止できた。
遠距離、つまり知覚範囲外からの狙撃は有効だった。見立ては正しかったが、そこに喜びはない。
次々と吹き飛ぶ触手。リオンは、<ストーンライフル>を発射するたび、心の中で魔人に謝る。
痛い思いをさせてごめん。
一撃で楽にしてあげられなくてごめん。
元に戻せなくてごめん。
ごめん、ごめん、ごめん、ごめんなさい……。
いつの間にか涙で視界が歪んでいた。それでも、リオンの<ストーンライフル>は正確に魔人を撃ち抜く。
気付けば、魔人から騎士たちが遠ざかっていた。魔人の上部には触手が一本残されているだけ。その周囲には青黒い液体と千切れた触手が落ちている。
あれが生物ならば、このままでも出血多量で死ぬだろう。しかしリオンは、苦しみを長引かせたくなかった。服の袖で浮かんだ涙を拭い、冷静に魔人を観察しようと努める。
(駄目だ。どこが急所か全然分からない……)
果たして、脳や心臓がどこにあるのか皆目見当がつかなかった。そもそもそれらの器官が存在するのかすら分からない。
(仕方ない……<ストーンガトリング>)
騎士や魔法士は魔人を遠巻きにしている。それにこの角度なら、貫通した石弾は石畳を抉るが、人や建物には当たらない。
ほとんど動きを止めた魔人を、石弾の嵐が引き裂く。ほんの三秒。だが、三秒間で約二百発の五十口径弾を浴びた魔人は、下部触手を少しだけ残した肉塊になった。
<視力強化>によってその様をはっきり見たリオンは、涙が溢れるのを止められない。
「縺サ縺�るュ疲ウ輔r菴ソ縺医k莠コ譌上b縺�k縺ョ縺�縺ェ」
「きゅー!!」
聞き覚えのない声とアスワドの急を告げる鳴き声が同時に届き、リオンは反射的に背後へ<コンプレックス・シールド>を展開して振り向く。
「繧ェ繝槭お縺ッ莠コ譌上〒髢馴&縺�↑縺�↑��……おっと失礼。魔法を使っているから同族と勘違いしてしまった。オマエは人族で相違ないな?」
本能が最大級の警報を発していた。一瞬でリオンの全身から汗が噴き出す。
目の前に立つそれは概ね人の形をしている。
身長は百八十センチほど。それが男性だとしたらだが、男性にしては華奢な体格。白い肌、背中の半ばまで伸ばした艶やかな黒髪。高貴とも言える端正な顔立ち。静脈血のような赤黒い瞳。
そして、額から伸びる一本の角。まるで指の骨のように節があり、尖った先端が天を向いている。色も骨のようだ。
生物としての格が違う。それから溢れ出る魔力が暴風のように渦巻いて見える。錯覚かもしれないが、リオンは見えたままを受け入れることにした。あの全てが自分に向けられたら、跡形もなく消し飛ばされる予感がする。
「……僕は確かに人間――あなたの言う“人族”ですが、あなたは何者でしょう?」
冷静さを保とうと努力するが、声が震えてしまう。
「人族にも魔法を使える者がいるのだな。それを知れただけでも良しとしよう」
それはリオンの問いに答える気はないようだった。隣にいるアスワドが、全身の毛を逆立てていつもより一回り大きく見える。「ぐるぅぅぅぅ……」と初めて聞く低い唸り声も発していた。
「僕が殺したあれ……あなたが作ったのですか?」
今度はリオンの問いに興味を持ったようだ。
「何故そう思う?」
「あれを人族に作れるとは思えません」
リオンの答えに、それは満足げな笑みを浮かべる。ナイフで切り込みを入れたような、鋭利な笑み。
「人族の子よ、お前は人族にしては少し頭が回るようだな」
右耳から左耳まで届くような凄惨な笑みに変わり、それが宙に浮いた。リオンは、咄嗟に<コンプレックス・シールド>で自分とアスワドを覆う。四方のみならず上方と足元まで。さらに<UDM>を最大限の大きさでそれの直下に生成した。目も眩む白い光で視界が潰れる。激しい対消滅の光だ。その直後、障壁越しに熱を感じ、足元が崩れた。
「きゅー!」
リオンは慌てて<UDM>を解除し、アスワドの首に縋り付いた。<コンプレックス・シールド>の外側では炎が渦巻いている。リオンたちが足場にした建物は完全に崩壊し、数軒隣の建物まで崩れていた。
<コンプレックス・シールド>を展開したまま、アスワドがそこから大きく離脱してくれたおかげで建物の崩壊に巻き込まれるのを避けられた。しかし縋り付く腕の限界が近い。ぷるぷる震えるリオンの腕に気付いたのか、アスワドが地上に降下してくれた。
地に足が着き、リオンは急いで周辺を見回す。角のある男の気配は感じられない。
「アスワド、あいつの気配が近くにある?」
「きゅ……きゅう!」
ないわよ! とリオンの脳にイメージが流れ込んでくる。そこで初めてリオンは大きく息を吐き、その場に座り込んだ。
両手で自分の肩を抱き背中を丸める。そうしても、全身がガタガタ震えるのを止められない。
「リオン様! ご無事ですか!?」
そこへシャロンの声がした。リオンは顔を上げ、弱々しい笑顔を作る。
「うん、だいじょう――」
「よかった!」
シャロンに抱き着かれ、言葉は途中で遮られた。肩越しにこちらへ走る馬車が見える。
ああ、生き残れた……。
その言葉を最後に、リオンの意識は闇に沈んだ。




