21 まるで物語のよう
アスワドが、重力を感じさせない動きで舞い上がる。グリフォンの背に乗って空を飛ぶ。なんてファンタジー! これぞ異世界!!
などとリオンが浮かれていたのは最初のうちだけだった。
(たけぇぇえええー! はえぇぇえええー!! こえぇぇえええー!!!)
高度約三百メートルを、時速約二百五十キロメートルで飛ぶアスワド。もっと高く、もっと速く飛ぶのはアスワドにとって造作もないことだが、リオンに気を遣っているのだ。きっと空を飛ぶは初めてだろうから、と。
リオンはアスワドに必死の思いでしがみつく。後ろからシャロンが覆い被さるようにしてくれているが、それに気付く余裕もない。
(怖い怖い怖いっ! 落ちたら死ぬ、絶対死ぬ!)
それはそうであろう。キーレライト王国のグリフォン・ライダーは、専用の鞍とハーネスで騎手の体をグリフォンに固定している。それでも数年に一度は事故が起きるのだ。生身でそのままグリフォンに乗って飛ぶなど、彼の国から見れば自殺行為に他ならない。
リオンの気持ちが伝わっているのか、アスワドはやや高度と速度を落とした。そういうのを焼け石に水と言う。高度三百メートルが二百メートルになっても怖いものは怖い。速度も同じことである。
しかし人間は順応性の高い生き物だ。十五分も経つとリオンも落ち着いてきた。アスワドの飛行が非常に安定していることも一因だろう。あと、背中から伝わるシャロンの温もりも。落ち着くと、リオンにも多少の余裕が生まれる。
(……風を感じない? これだけの速さで飛んでいたら物凄い風圧の筈なのに。もしかして障壁? アスワドかシャロンが風除けの障壁を張ってくれてるのか!)
リオンの見立ては正解であった。アスワドが進行方向前方に、無意識のうちに張っている障壁のおかげで風圧を免れているのである。障壁のスペシャリストであるリオンだからこそ気付いたのかもしれない。
(凄い景色……あっちはウルシア大森林で、あっちはガンドレイ山脈か。上から見ると結構あちこちに川が流れてる……あの金色は麦畑かな……こうして見るとけっこう起伏があるんだな)
前世でも今世でも、自分の目でこのような景色を見たことがなかった。ひと言で表すなら「大自然」。村や町が点在しているものの、大部分が自然のままである。この世界において、人間という存在がいかに矮小なものかを嫌でも実感させられる光景だ。
高所から見ると、流れる川は陽の光を反射してキラキラと光る銀糸のようだ。緑色の草原が織りなす起伏は緑の波のようで、所々にある麦畑は金色の島に見える。
前世の記憶にある高所からの風景はコンクリートと人口の明かり。それと比べると眼下の景色はいっそ現実感がないように思えた。
「リオン様?」
「ひゃい!?」
耳のすぐ近くで名を呼ばれ、物思いに耽っていたリオンは驚いて変な声が出た。と同時に現実へと引き戻される。
「ミガント領に行かれたことは?」
「ない!」
「……どこに行くべきか、お分かりなのですか?」
「うん! 地政学の授業で地図を見たし、レッドラン邸は空から見ればすぐ分かると思う。イデアール砦は山間の一本道に築かれているから、これも空から見れば一発だよ!」
「左様ですか」
防御については考え過ぎるくらい考えるリオンだが、今回の行動はまさに衝動的。考える前に体が動いてしまったのだから仕方ない。
リオンが空を飛ぶのに慣れたと見て、アスワドが徐々に高度と速度を上げる。デルード領の領都デンとミガント領の領都ミグルは、通常の馬車だと二日、早馬で半日近くかかる。距離にして約二百キロメートルといったところだ。即ち、アスワドが飛べば――
「見えた! あれがミグルの街だ!」
一時間もかからない。もしアスワドが本気で飛んでいれば二十分と少しで着くのだが、本気を出したらリオンがどうなっていたかは分からない。
「アスワド! 先に砦の近くまで飛んでくれる?」
「きゅー!」
ガンドレイ山脈が途切れている所は、空から見ると一目瞭然。蛇行する道の先に大きな建造物があった。
(付近にグリフォン・ライダーはいない……砦ではまだ戦闘は起こっていないな……砦の近くにいる敵軍も少ない気がする)
リオンは、イデアール砦から五百メートル以上離れた所に布陣している軍が掲げる軍旗を見るため、<視力強化>を使った。
「……あれ? キーレライト王国の紋章じゃないな」
地政学の教師デンゼル・カッパーレイドは授業を興味深いものにするため、絵や図を活用していた。そのため、リオンは隣国の王家の紋章をよく憶えている。
「シャロン。まだ戦闘が起きていないようだから、先にルーシアの無事を確かめに行って良いと思う?」
「元々それが目的なのでは?」
「…………ソウデスヨネ」
「戦争においては、敵指揮官の家族を人質にとるのは常套手段の一つです。急ぎましょう」
「アスワド、戻って!」
「きゅっ!」
人質という不穏極まりない言葉を聞いて、イデアール砦の安全確認はリオンの頭から消え去った。アスワドが空中で急転回し、横Gがかかってすっ飛びそうになるのを必死にしがみついて堪える。シャロンが上から押さえつけるようにしてくれたので事なきを得た。
「ありがとう、シャロン」
「リオン様を守るのが私の役目ですから」
リオンは顔を横に向けて礼を言う。
「あの、もう大丈夫だよ?」
「……左様ですか」
シャロンとしてはずっとくっついていたいのだが……。
すぐにミグル上空に達し、アスワドに高度を下げてもらった。
「たぶんあそこだ!」
さすが辺境伯邸というべきか。それは屋敷でも城でもなく、要塞のように無骨な建物。ミグルの街を囲む防壁より更に高い壁、その外側には堀まである。敵に街中まで侵攻されても耐えることを想定した作りだ。
「さすがにあれなら大丈夫なんじゃ――」
「リオン様、前庭で戦闘らしき動きが見えます!」
「っ!?」
<視力強化>で様子を窺うと、黒ずくめの人間が十数人、鎧を着た者たちと戦っていた。彼らは、燃えるように真っ赤な髪の女の子を庇うようにしている。
「ルーシア!」
リオンの声が届いたのだろうか……ルーシアが上空をちらっと見たような気がした。
「アスワド、あそこに降りて!」
「きゅっ!」
リオンのはやる気持ちが伝わったのか、アスワドはほとんど垂直に降下した。地面に接触する寸前で翼を大きく広げ、ふわりと一度浮き上がり音も無く着地する。
(し、死ぬかと思った)
アスワドから素早く滑り降りたリオンだが、膝がガクガクして力が入らない。すぐ隣にシャロンも降り立った。
「リオン? リオンですの!?」
「ルーシア! 無事!?」
突如グリフォンが出現したことで、黒ずくめも騎士も全員が警戒し、一時戦闘が止んだ。おかげでルーシアの声が良く通る。
しかし今のやり取りで、黒ずくめたちはリオンたちが敵だと気付き、騎士たちは味方だと認識した。
「ルーシア、こっちへ!」
「分かりましたわ!」
アスワドと共にルーシアの前へ移動し、黒ずくめからルーシアを守るよう、アスワドの後ろに隠れてもらう。騎士たちはグリフォンに危険がないのか判断できずにオロオロしていたが、ルーシアはリオンを完全に信じているのですぐさま指示に従った。
「僕はシルバーフェン伯爵家の四男、リオナード・シルバーフェンです! このグリフォンはアスワド、僕の家族です!」
「きゅー!」
「家族」と言われて嬉しさに翼をばたつかせるアスワド。
「そして護衛のシャロン。騎士のみなさん、微力ながら助太刀します!」
騎士たちが安心できるように身元を詳らかにする。名乗れば、リオンがルーシアの婚約者であることは騎士の多くが知っている筈だ。
騎士たちが落ち着いたので、改めて黒ずくめを見る。
(全身真っ黒……怪しさしかない)
黒い頭巾のようなものを被り、目から下も黒い布で覆っている。ご丁寧に黒い手袋まで。まるでアニメに出て来る忍者みたいだ、とリオンは思った。
「騎士のみなさん! できるだけ僕の近くへ!」
「リオンの指示に従いなさい!」
リオンに近付くということは即ち、ルーシアと敵の距離が近付くということ。なるべく距離を離したい騎士たちだが、ルーシアの言葉で素早くこちら側へ固まった。それまで乱戦気味だったのが、はっきりと敵味方に分かれる。黒ずくめたちは一斉に投げナイフを投擲した。
「<コンプレックス・シールド>」
瞬時に発現する強固な障壁に、投げナイフは全て弾かれた。黒ずくめのうち四人が短剣を手にこちらへ飛び掛かってくる!
「<UDM>」
黒ずくめたちの真ん中辺りに<UDM>を生成。飛び掛かってきた四人が空中で静止し、目に驚愕を浮かべながら後ろへ引っ張られる。
残っていた十人ほども強力な重力に抗えず、まるで「押し競饅頭」のように一塊になった。
以前、冒険者のアーチルたちにやったのと同じように<UDM>を浮かせる。地面から足が離れどんどん浮き上がっていくにつれ、黒ずくめたちの目に恐怖が浮かぶ。
前の時より高い五メートルまで浮かせたリオンはアスワドに合図を送った。
「アスワド!」
「きゅ!」
<UDM>の解除と、アスワドの<ダウンバースト>発動がほぼ同時に行われる。自由落下に強烈な下降気流が加わり、黒ずくめたちが地面に激しく叩き付けられた。
「捕縛を!」
呆気にとられていた騎士たちだが、リオンの鋭い声で我に返り、それぞれが腰の後ろに提げていた拘束枷を使い、黒ずくめたちを後ろ手に拘束していく。
「ルーシア、敵はこれで全部?」
「ごめんなさい、分かりませんわ」
「謝らなくていいよ。シャロン!」
途中で姿が見えなくなっていたシャロンだが、いつの間にかリオンの隣に立っていた。
「壁の内側、邸の外には他に見当たりません。壁の外も見てまいりますか?」
「いや大丈夫。ありがとう、シャロン。少しルーシアを見ていてくれる?」
「かしこまりました」
リオンはアスワドに乗り、二十メートルほどの高さで邸の周りを旋回する。
「アスワド、おかしな気配はない?」
「きゅぅ……きゅっ!」
「そっか、良かった。ありがとうね」
「きゅう!」
再び庭に降り立つと、黒ずくめの捕縛は完了し、ルーシアの侍女メリダが彼女に付き添っていた。
「リオン様、ルーシア様をお守りいただきありがとうございます」
「いえいえ。僕が手を出さなくてもきっと大丈夫だったでしょう」
「そんなことありませんわ! リオンのおかげで騎士たちも怪我がなくて済みましたのよ!」
メリダが頭を深く下げて感謝を述べ、リオンが謙遜すると、ルーシアは少し興奮したように捲し立てる。
「ああ、リオン! まさか来てくださるなんて……まるで物語のようでしたわ!」
ルーシアはそう言って、勢いよくリオンに抱き着いた。
相手が婚約者とはいえ、婚姻前の貴族令嬢が家族以外の異性に抱き着くことは「はしたない」と見做される世界である。それが例え十一歳の子供同士でも、だ。
だが侍女のメリダでさえ、ルーシアを窘めようとはしなかった。命の危機に颯爽と現れる婚約者……なんて素敵なんだろう! と、メリダまでうっとりしていたからだ。
「ルーシア……無事でよかった、本当に」
リオンはどきどきしながらも、軽くその背に腕を回して抱き返す。ルーシアの背中は本当に華奢で、今更ながら彼女が危険に晒されていたことを実感し、怒りが込み上げてきた。
騎士たちは気を利かせて二人から目を逸らしていたが、遠慮しない侍女がここには一人いる。
「コホン! リオン様、イデアール砦の方はいかがいたしますか?」
シャロンの咳払いで、リオンとルーシアは現実に戻った。パッと離れ、二人とも顔を真っ赤にして顔を背ける。
「そ、そうだね。砦にはアライオス様がいらっしゃるの? ……ルーシア?」
「ひゃ、ひゃい!? え、ええ。お父様は陣頭指揮を執っている筈ですわ」
「えーと、邸に他のご家族は?」
「いえ、今はいませんわ」
「そうか……。シャロン、ルーシアも連れて行くのが良いように思うのだけど」
「私もそう思います」
辺境伯邸の襲撃はひとまず退けたと見て良いだろう。黒ずくめたちの正体と目的は気になるが、それよりも今は砦の防衛の方が重要だ。
リオンはルーシアの侍女メリダに、ルーシアと共に砦に向かいたいと告げた。第二・第三の襲撃がないとも限らない。ルーシア以外の家族が邸にいないのなら、襲撃の目的であるルーシアをいっそ移動させた方が良い。
「しかし、砦は一番危険ではないでしょうか?」
「僕に考えがあります。絶対に砦は守ります」
自信満々で言い切るリオンに、メリダは何も言えなくなった。まださっきのうっとりも残っていて、リオンの言葉にきゅんとしてしまったのだ、迂闊にも。
「アスワド、ルーシアも乗せてくれる?」
「きゅう!」
アスワドは、先程リオンが「僕の家族」と言ってくれた辺りから有頂天である。ルーシアがリオンにとって大切な人であることも理解していて、断るなんて選択肢はなかった。
「わ、私、グリフォンに乗るのは初めてですわ……」
「大丈夫。僕が支えるから」
ああ! いつにも増してリオンが素敵に見える!
これが俗に言う「吊り橋効果」であろうか。いや、ルーシアは元々リオンのことが好きなので少し違うかもしれない。
お腹を地面に着けたアスワドによじ登り、ルーシアに向かって手を伸ばす。彼女がそれを遠慮がちに握ると力を込めて引っ張り上げ、支えやすいように自分の前に座らせる。貴族令嬢らしく脚を揃えて横向きに座る形だ。シャロンの方にも手を伸ばすと、彼女は一瞬だけ表情を緩めてその手を取り、また体重を感じさせない動きでひらりとリオンの後ろに跨った。
「アスワド、砦までゆっくりお願い」
「きゅ!」
翼の羽ばたきと同時に、アスワドは軽く跳躍する。巨体がふわりと浮き上がったかと思えばぐんぐん上昇し、すぐに邸の屋根を超えた。
「まぁ! とても高いですわ!」
不安定な横向きなのに、ルーシアの声には物怖じする様子が微塵もなかった。
(ルーシアの方が、僕よりよっぽど肝が据わっているかも)
心の中で絶叫したのはついさっきなので、リオンは素直に感心した。
「もう砦ですの? あっという間ですわ!」
ルーシアの言葉通り、もうイデアール砦が見えてきた。先ほど偵察した時より随分低い所を飛んでいるため、地上の騎士たちがこちらを指差して慌てふためいているのが分かる。
さすがに砦へ直接降りるのは憚れたので、騎士の一団よりもさらに手前に降りることにした。




