20 火急
リオンは訓練所の地面にうつ伏せになる。周りでライカ副団長と魔法士団員五名が固唾を飲んで見守っていた。五百メートル先に拵えた急造の的は、修理するより買い替えた方が早いというくらい、ボロボロになった騎士団のブレストアーマーである。金属製のそれを木の棒に括り付けて立てただけだ。
通常の視力では、五百メートル先の鎧は「何か銀色のものがあるな」程度にしか見えない。豆粒くらいの銀色の何か。
「行きます。<視力強化><ストーンライフル>」
キン、と遠くで音がした。当然だが魔法なので射撃音はない。正確に言うと射撃音も再現可能ではあるが、わざわざ敵に自分の位置を知らせる必要はないだろう。
リオン以外の六名は全員が身体強化を習得済みで、<視力強化>も可能だった。リオンは数枚のレンズを通して対象を拡大するイメージで<視力強化>を使っている。
「本当に当たった!」
「穴が開いている……」
「こんなに離れているのに」
「魔法の概念が変わる!」
アーチルの話を聞いた翌朝である。イメージの構築に一日を要した。逆に言えば、一日で新たな魔法を生み出したのである。
「リオンくん、見事な魔法だよ! ……だけど、その恰好は何とかならないのかい?」
「…………」
うつ伏せから顔だけあげていたリオンだったが、ライカからそっと目を逸らした。
リオンにとって、対物ライフルは「伏射」で撃つイメージなのだ。銃身を支える二脚があって、うつ伏せになって撃つ。最初からそのイメージだったので、この恰好は仕方ないのである。
立ち上がり、パンパンと服に着いた汚れを払ったリオンは、顔をキリッとさせてライカに告げる。
「形から入るのも、時には大事なのです!」
「そ、そう……かな?」
「慣れたら好きな姿勢で良いと思います」
「なるほどね」
ライカのこれまでの経験では、うつ伏せになって魔法を放つなど見たことも聞いたこともない。そもそもうつ伏せの必要性が分からないし、貴族の自分が地面に寝そべるのも抵抗があった。「慣れたら好きな姿勢で」と聞いて少し安堵する。
<ストーンガトリング>を教える前に、この<ストーンライフル>は良い魔法だ、とリオンは考えている。
石弾の射出が目に見えないのは同じだ。だがガトリングガンは複数の銃身が回転するし、弾丸の供給機構もあるし、一秒間に六十六発も発射する。この世界の人々に説明するのが何とも難しいのだ。
だが対物ライフルなら、一度に放つ弾丸は一発。銃身も一本。まだ説明がしやすいと思うのだ。
「えー、このように、魔法の有効射程はイメージ次第で大きく伸びます」
『おお!』と感嘆の声が上がる。続いて石弾を生成し、それを団員たちに見せ、触れさせる。
「実は<ストーンガトリング>でも同じ弾を使っています」
『おおお!』とまた感嘆の声。リオンは思わず苦笑いしてしまった。
「これを約一メートルの筒を通して発射することで、狙った場所に当てるわけです」
イメージの元になった「バレットM82」の銃身長は約七十センチだが、砲身内部の構造まで知らないリオンは適当に告げた。イメージさえ明確になれば良いのだ。
「初速は約800m/sですが……えー、音が伝わる速さの約二・五倍だと考えてください。最初にその速度で撃ち出します」
『おお……おぅ?』と戸惑いの声に変わる。音の速さという概念が分からなかったらしい。
「それは、馬の何倍くらいだい?」
「馬? えーと……五十倍以上かな?」
『五十倍!?』と驚きの声が上がる。なるほど、この世界で速さを伝える時は馬を基準にすれば良いのか、とリオンはひとつ学んだ。
こうして一つ一つ、明確にイメージできるまで説明していく。実践し、出来ないこと、分からないことがあればまた解説し、また実践。それを何度も繰り返し、瞬時にイメージできるところまで持っていくのだ。解説をするリオンにとってもこの過程は有益である。イメージがより鮮明になり、繰り返すことでそれが脳に定着していく。
さすがに即日<ストーンライフル>を発動できた者はいなかったが、何かを掴めたのか、皆明るい顔をしていた。
「リオン様。カレン様からお茶のお誘いがございました」
「母さまが? うん、分かった」
魔法士団の指導から屋敷へ戻ると、シャロンが教えてくれた。土の上でうつ伏せになって汚してしまった服を着替え、母の元へ急ぐ。
「母さま、お誘いありがとうございます」
「リオン! よく来てくれたわ!」
カレンが好きな温室は、もうすぐ秋だというのに色とりどりの花が咲き乱れている。窓を開けているので温室内は丁度良い温度だ。花の強過ぎる香りも拡散され、品の良い香水のような香りとなって漂っている。
カレン・シルバーフェンは三十一歳の時にリオンを生んだ。現在四十二歳であるはずだが、息子のリオンから見ても三十代前半、下手すると二十代後半にしか見えない。もしや若返りの魔法があるのでは、とリオンは訝っている。
カレン付きの侍女たちが紅茶と茶菓子を準備し、リオンは母の横に座らされた。対面ではない、横である。
「リオン、色々と話は聞いているわ。あなたが無茶をするのはベルンに似たのかしらね?」
「ご心配をおかけして申し訳ありません」
父さまは若い時に無茶をしていたのか、と今の話から推測するリオン。
カレンの言う無茶とは、恐らくバジリスクの件であろう。
「でも、あなたの魔法はきっと私譲りだと思うのよね!」
カレンは少女のような屈託のない笑顔でそう言ってのける。
「母さまが魔法を使っているところを見たことがないのですが……」
「まぁそうよねぇ。戦いに出るわけでもないし、身の回りのことは全部この子たちがやってくれるし」
カレンはこの子たち、の所でリオンの反対側に控えている侍女たちを手の平で示した。
「でもほら」
そう言って、カレンは両手の人差し指を真っ直ぐに立てる。すると、右手に小さな火の玉、左手に同じ大きさの水球が浮かんだ。
「二重発動!? しかも無詠唱!」
「うふふ! びっくりした?」
「は、はい。椅子から落ちそうになりました」
現にリオンの腰は椅子から浮き上がっていた。
「リオンは自分で気づいたんでしょ、口に出す詠唱は不要だって」
「ええ、そうですね……気付いたと言いますか、やってみたらできたと言いますか」
「うんうん。私もそうだったの」
「母さまも!?」
まさか、母さまも転生者なのか!? と、リオンは驚きで今度こそ椅子から立ち上がっていた。
「これはね、私の魔法の先生がこっそり教えてくれたの。詠唱は口に出す必要はない、心の中で唱えても同じだって」
「心の中……」
つまり、声に出さないだけで詠唱自体は唱えているのか。自分の母が転生者ではないようで、残念なような、ホッとしたような、複雑な気持ちのリオンである。
「でも、リオンはこれまでにない魔法を生み出しているのでしょう?」
「あ、えーと、はい」
「ずるいわ! 母さまにも教えてくれたっていいのに!」
母親の鋭い勘が何かに気付いたのか、と思ったリオンだが、カレンはリオンが自分の相手をしてくれないことが不服だったらしい。
「あの、とっても地味な魔法ですが、母さまのお時間がある時にお教えしますね」
「ええ、よろしくね!」
すぐに機嫌を直すカレン。実は彼女、リオンを始めとして息子たちが大好きなお母さんなのである。しかし長男のケイランはベルンの補佐で忙しく、次男のブロードは王都にいて、三男クオンは領騎士団の小隊長としてこちらも忙しく過ごしている。その上、リオンももうすぐ王立学院入学のため王都へ行ってしまうのだ。母として、とっても寂しいのである。
「はぁ……可愛い息子たちがどんどん成長しちゃって……小さい時は『母さま、母さま』っていっぱい頼って、お話もしてくれたのに」
「あの、えー、申し訳ありません」
「ふふふ。いいのよ。子供が成長するのは当たり前だもの。ただ少しだけ寂しく思う時があるの。それだけよ」
「母さまは、いつまで経っても僕の母さまです」
「そうね……ええ、そうだわ。リオン、抱きしめてもいいかしら?」
「はい、もちろん」
二人が立ち上がり、カレンが両腕を大きく広げてリオンの背中に回した。
少し前までは見上げるほどだったのに、今は拳一つ分も目線の差がない。それはリオンが成長したからなのだが、母が小さく頼りなくなってしまったようで心配になる。
「大きくなったわ……背中も広くなってきて。ああリオン。王都に行っても、体には気を付けるのよ?」
「はい、母さま」
「あなたの魔法の才能は、あちこちに波紋を広げるでしょう。どうすればいいか分からない時は、ここへ帰ってきて相談してね?」
「はい、きっと」
「ああ、リオン……愛しているわ。それだけは忘れないで」
「はい、母さま。僕も、愛しています」
リオンはカレンの背中に両腕を回し、少し力を込める。するとカレンの腕にもきゅっと力が入った。
こうして抱きしめられるのは久しぶりだ。恥ずかしいけれど、嫌な気分はしない。もっと母さまのことを大切にしないと。
母と息子はしばらくそうしていたが、お互い照れたような顔になって座り直し、一時間ほど色んな話をするのだった。
ベルンが王都へ向かってから二週間。王都は馬車で片道十日ほどかかるので、ベルンが領都デンに戻るまであと一週間から十日だろうか。王都へ着いてすぐに国王と謁見するのは無理であろうから。
魔法士団の指導は順調だ。初めて<ストーンライフル>を実演して見せて二週間だが、昨日の時点で習得した団員が八名になった。ちなみに<コンプレックス・シールド>は現在七十名以上が習得している。
どうやら、誰か一人でも習得するとそこからは習得する者が増える傾向になることが分かってきた。流行り病じゃないんだから、とリオンは思ってしまう。科学的なエビデンスはないが、恐らく、リオンじゃなくても使えることが理解できると習得しやすくなるようだ。団員同士、お互いに教え合うのも影響しているだろう。
ライカ副団長には、<ストーンライフル>の目的は示威であることを念押ししている。もちろん、十分、というかやや過剰な威力は備えているから、実戦で使えるのは間違いない。
リオンが想定しているのは、敵には見えない距離から輜重隊の馬車や物資の集積場所を攻撃することだ。それで退かない場合、指揮官を狙撃するのは止むを得ない。重要なのは撤退の機会を与えること。それが撤退の機会だと理解できない相手の場合、こちらとしてはどうしようもないのだ。そこまでは、リオンも割り切れるようになった。敵の命よりも仲間の命の方が遥かに大切なのだから。
敵が魔物の場合……バジリスクの件で、リオンは学んだ。危険を受け入れるのは勇気ではなく無謀であることを。それでも、最低一度は相手に機会を与えてもいいと考えている。ただ、魔法士団員にまでその考えを押し付けようとは思わなくなった。
「アスワドみたいな魔物が他にもいるかもしれないしね」
「きゅう~!」
魔法士団の指導の際もアスワドはリオンに付いてくる。リオンが忙しそうにしていると、隅っこで巨体を出来るだけ縮こまらせて邪魔にならないようにしているのが何ともいじらしい。
「リオンくん、お疲れ様。アスワドもこんにちは。ねぇリオンくん、もっと他にもあるでしょう、魔法?」
「え?」
「もっとこう、私の度肝を抜くような魔法、教えてくれないかな?」
「えぇ…………」
「きゅぅ……」
<コンプレックス・シールド>、<ストーンライフル>とこれまでの常識を覆す魔法を立て続けに習得したライカ副団長が、新しい魔法に飢えていた……目がギラギラしていてちょっと怖い。そんなにぽんぽんと新しい魔法を生み出せると思われても困る、とリオンは少し後退りする。
「え、えーと、どんな魔法をご所望ですか?」
「数千の敵を一撃で葬り去る魔法!」
「却下で」
「ええ~!?」
「ええ、じゃないですよ、ええ、じゃ。そんな物騒な魔法ありません!」
「そんなー!」
二十六歳、大の大人が十一歳の少年に窘められている。アスワドは何やら楽しそうに翼をパタパタしていた。
そんな風に、リオンとライカとアスワドが戯れていると、何やら騎士団訓練所の方が慌ただしくなった。
「何かあったんでしょうか?」
「どうだろう? 何かあったなら私に報せがあっても良いと思うのだけど」
などと言っていたら、騎士団員の一人がこちらへ向かって走って来るのが見えた。
「ライカ副団長!」
「どうした?」
「イデアール砦に敵軍が押し寄せていると情報が!」
「はあ? 休戦協定はどうなった?」
「詳細は不明です! 指揮所へお越しください!」
騎士団員はそれだけ言って、また慌ただしく駆けて行った。
「じゃあリオンくん。魔法の話はまた後で」
「ライカ副団長! イデアール砦って、ミガント領の砦ですよね!?」
「そうだね」
「キーレライト王国と繋がる唯一の道に築かれた砦、で間違いないですよね!?」
「う、うん。どうした……あ、そうか」
ミガント領にはルーシアがいる!
リオンは頭の中が真っ白になった。イデアール砦からルーシアの住む領都ミグルまでは然程離れてはいない。有事の際は即応できるよう、街道の入口を塞ぐ形で領都が造られたからだ。
もしイデアール砦が陥落したら……ミグルの街はただでは済まない。それはつまり、ルーシア・レッドランの命に関わる危機だ。
「シャロン!!」
「ここに」
間髪を入れず、シャロンが姿を現す。
「僕はイデアール砦に行く」
「……リオン様、少し落ち着かれては」
「ルーシアが危険なんだ! 落ち着いてなんかいられるかっ!」
普段声を荒らげるようなことのないリオンが平静を失っている……シャロンはそんなリオンの姿に、珍しく冷静さを保てなくなった。
(しかし、ミグルまでは馬車で二日かかる。そんな悠長なことは言っていられない!)
家族から「無茶はするな」と釘を刺されたリオンだが、そんなことは綺麗さっぱり忘れていた。
ミガント領は、ユードレシア王国北西に広大な領地を持ち、北西部の守りを担っている。領騎士団約二万名、領魔法士団約一千名を擁する、王国最大級の兵力を持つ領だ。有事の際はデルード領を含めた近隣から応援に駆け付けるため、その兵力は最大で四万に上る。
リオン一人増えたところで何が変わるわけでもない、筈だ。
敵軍はどれくらいの規模なのか。それはキーレライト王国軍なのか。イデアール砦はどれくらい持ち堪えることができるのか。ミガント領で即応できる兵力はいかほどか。援軍の到着にはいかほどの時間がかかるのか。
もしこれがユードレシア王国とキーレライト王国の戦争なら、もっと多くの情報を集めてから動くのが当然である。
しかし、リオンの頭に浮かぶのはただ一つ。ルーシアを守らないといけない、という思いだけだった。
「きゅ!」
「えっ」
リオンがどうすれば早くイデアール砦に行けるか考えている最中、アスワドが服の裾を嘴で挟んで引っ張る。
「乗れってこと?」
「きゅ!」
リオンの頭にイメージが流れ込んできた。アスワドの背に乗って空を飛ぶイメージが。
「飛んで……くれるの?」
「きゅうー!」
「シャロンも? シャロンも乗せてくれるの?」
「きゅっ!」
アスワドがお腹を地面に着け、早く乗れと首を振る。リオンは慌てて背によじ登り、シャロンに向けて手を伸ばした。
「シャロン! 一緒に来て!」
シャロンが口元を緩めた。その手を取り、一切の重さを感じさせずにひらりとアスワドの背に飛び乗る。
「仰せのままに」




