2 リオンの障壁
クオン・シルバーフェンは、離れた場所からリオンとレスト中隊長の模擬戦を眺めていた。
模擬戦と言うよりも一方的な攻撃。何も知らない者が見れば、中隊長がリオンを虐待していると思うかもしれない。
だがクオンは知っている。六つ下の弟リオンには中隊長の攻撃が全く届いていないことを。
クオンは現在十七歳で、昨年王立学院を卒業後、帰領してデルード領騎士団に入団し、現在は小隊長を務めている。伯爵家への忖度ではなく、完全に実力が認められた結果だ。現在リオンの相手をしているレスト中隊長は二十六歳だが、クオンの剣の腕はレストと遜色ない。今は小隊を率いることで指揮の経験を積んでいる最中といったところだ。
四年前、自分が乗せた馬から落下したことで、末の弟であるリオンは五日間昏睡状態に陥った。昏睡から目覚めた後、リオンは憑かれたように、身を守る術の会得に執心するようになった。落馬事故が余程ショックだったのか、とクオンは胸を痛めたものである。自分がリオンを馬に乗せなければ、或いは少し遠くまで行こうとしなければ、起きなかった事故であるから。
だがリオンはそれを明確に否定した。「クオン兄さまのせいではありません。僕が防御を極めたくなっただけなのです」と七歳の弟に言われ、クオンは困惑したことを覚えている。
自分の罪悪感を軽くするために、リオンはそんなことを言ったのではないだろうか? 防御を極めるのが悪いとは言わない。騎士なら盾使い、冒険者ならタンクとして活躍している者もいるのだから。だがどちらかと言えば攻撃を極めたいと思うのが多数派である。
「うん、何度見てもリオンの障壁は異常ですね」
「っ!? ケイラン兄上! 気配を消して近付くのは止めて欲しいといつも言っているでしょう……」
「フフフ。クオンもまだまだ修行が足りませんね?」
いつの間にか後ろに立っていたのは、長兄のケイラン・シルバーフェン二十二歳。シルバーフェン家の四人の息子たちは、全員が砂色の髪と紺色の瞳で美しい顔貌であるが、ケイランはその中でも匂い立つような色気を振り撒く美男子である。
長子のケイランは、現在伯爵家当主であるベルン・シルバーフェンの補佐をしながら、ここデルード領の統治について学んでいる。文官のような線の細さだが、その実鍛え上げられた肉体を持っていることを三男のクオンは知っていた。剣の腕では中隊長クラスの自分に気付かれることなく背後を取るなど、普通の人間に出来ることではない。父ベルンの剣と母カレンの聡明さ、その両方を最も色濃く受け継いだのが長兄ケイランであることは、領内の誰も疑っていないであろう。
「ケイラン兄上から見てもリオンの障壁はおかしいですか?」
「そうですねぇ。あの連撃に負けない展開速度……私、あんなのは見たことがありません」
「ですよね……あれでリオンはまだ十一歳です。もしかして魔法の天才なのでは?」
「う~ん……あれは努力に努力を重ねた結果だと思います。あそこまで努力できるのは、ある意味天才と言えるかもしれませんね」
二人の兄が見守る中、遂にレスト中隊長の攻撃が止んだ。二十分もの間かなり本気の攻撃を浴びせ続けた中隊長は、全身汗だくで息を切らしている。
「くっそぉー! またリオン様の障壁を抜けなかった!」
「まぁまぁ。それを目指して開発した障壁ですから」
悔しがる中隊長、その肩をポンポンと叩いて慰めるリオン。少し離れた所から、そんな様子を苦笑しながら眺める兄たち。その時、騎士団舎の方から近付いてくる大柄な男がいた。
「おや?」
「まだ早朝なのに珍しい人が来ましたね」
意外な人物の登場に眉を上げるケイランと、皮肉交じりの言葉を漏らすクオン。
「リオン様! 私もその障壁をちょっとつついてよろしいですかな?」
訓練場に響く大音声。身体もでかいが声もでかいその人物は、肩に担いだ特徴的な形の槍を、空いた手で示した。
「ホワイトラン団長!? さすがに団長の槍を防ぐのは……」
イデラ・ホワイトラン、三十九歳。二メートルを超える長身と鎧のような筋肉をその全身に纏う、まさに体格だけで相手を威圧できる人物である。シルバーフェン伯爵家が庇護する寄子の一つ、ホワイトラン子爵家の三男で、その槍の腕前はユードレシア王国で五本の指に入ると言われる。
デルード領騎士団の象徴的人物で部下からも大変慕われているが……朝に滅法弱い。午前中に顔を見せることが滅多にないので、クオンが「珍しい」と称したのだ。
「大丈夫。ほら、先を丸めていますから」
「いや、そういう問題では」
イデラの槍は穂が円錐になっている。斬ることは捨て、刺突と殴打に特化した槍であり、イデラはその技術だけを磨いてきた。ちなみに今持っているのは模擬戦用に先を丸めた槍であるが、リオンは知っている。イデラはこの模擬戦用の槍で、鋼鉄の盾に穴を開けたことがあるのだ。それも何度も……。
「私の突きを防ぐことが出来れば、大抵の攻撃はリオン様の障壁を突破できないということになりますよ?」
「たしかに」
先を丸めた槍で、厚さ二センチメートルある鋼鉄の盾に穴を開けるイデラである。それを防ぐことが出来れば、防御に関してはかなり安心と言えるのではないだろうか。
「ホワイトラン団長。お願いいたします」
「そう来なくては」
自分の<マルチプル・シールド>がイデラの突きに通じるのか、それを確かめるためにリオンは騎士団長に頭を下げた。一方のイデラは口角を上げ、嬉しそうに槍をクルクルと回す。団員たちの間で「リオン様の障壁は団長の突きも防ぐのではないか」と噂されているのを耳にしてから、イデラはその硬さを確かめたくて仕方なかったのだ。
「<マルチプル・シールド>。団長、本気でお願いします!」
「承知!」
リオンの前で、イデラ・ホワイトラン騎士団長が腰を落とし、槍を構えた。途端、纏う空気が変わり、周囲の空気さえ凍り付いたようだった。
(これが、王国で五指に入る槍使い……)
リオンはごくりと喉を鳴らした。背筋を冷たい汗が流れ落ちる。
「参ります」
イデラの声がしたと思った次の瞬間、ガラスが派手に砕け散る音がして胸に衝撃を感じる。
「ぐっ!?」
リオンは勢いよく後方へ吹っ飛ばされた。慌てた顔のイデラ騎士団長とレスト中隊長、少し離れた所からこちらへ走ってくるふたりの兄が視界に入った後、リオンの意識は闇に沈んだ。
「いててて」
自室の寝台で目を覚まし、半身を起こそうとしたリオンは、胸の痛みに思わず声を出した。
「リオン様、お目覚めですか?」
「あー、シャロン。僕、どれくらい寝てた?」
「二時間ほど。治癒士が骨折と筋肉の断裂を治療しましたが、腫れは二、三日続くと申しておりました」
「そっか。ありがとう」
侍女のシャロンは年齢不詳だが、リオンは二十代前半だろうと思っている。四歳の頃からリオンについているシャロンは、彼の怪我に慣れっこになってしまった。彼女はリオンが生きてさえいれば問題ないという鋼の精神力を身につけたのである。前世の記憶が蘇った直後からよく怪我をするようになったリオンを、涙を浮かべて心配してくれたシャロンはどこに行ってしまったのだろうか……。
リオンが<マルチプル・シールド>を開発する過程で怪我をしまくったせいなので、シャロンから同情を向けられなくなったのは自業自得であろう。
「旦那様が、目が覚めたら執務室に来るようにと」
「お父さまが? 分かった、着替えたら行くよ」
リオンがそう言うと、シャロンは扉の外に控えている別の侍女に先触れを出すよう言付け、リオンの着替えを手伝う。
「あいたたた……」
上衣を脱ぐと胸の中心やや左、つまり心臓の辺りが紫色に変色していた。
(完全に殺しに来てるじゃん)
<マルチプル・シールド>が無ければあの槍でも死んでいただろう。そういう意味では防御に成功したと言える……か? リオンが目指しているのは絶対的な防御。死ぬのはもちろん、痛いのも嫌なので。
(あのレベルの攻撃だと<マルチプル・シールド>じゃ追い付かない。やはり衝撃吸収材を具現化しなければ)
そんなことを考えながら、シャロンの手伝いを受けて着替えを終える。髪を軽く整えてもらい、父ベルン・シルバーフェン伯爵の執務室を訪れた。シャロンがノックをすると、中から「入りなさい」とくぐもった声がする。部屋の中から扉が開かれ、リオンは執務室へと足を踏み入れた。
「お父さま、お呼びと伺いました」
「うむ。まぁ座りなさい」
重厚な執務机の向こうで書類に目を通していたベルンは、リオンの姿を確認して机の前にあるソファを手で示した。リオンがソファの横に立って待っていると、ベルンが仕事を切り上げて対面に座る。それを見てリオンも腰を下ろした。
先に座ったからと言って怒るような父ではないが、貴族としては目上の人間より先に座るのは言語道断。それが実の父であり、その父が「座りなさい」と言ったとしても、だ。こういう所、貴族って本当に面倒くさいと思うリオンだが、慣習には従うべきだと割り切っている。
執事のヘイロンが見事な所作で香り高い紅茶を淹れてくれる。茶器が二人の前に並べられ、父が口を付けた後にリオンもひと口飲んだ。
「怪我は大丈夫のようだな」
「はい。お手を煩わせてしまい申し訳ございません」
治癒士の手配は騎士団か兄がやってくれただろうが、リオンが怪我を負って意識を失ったという報告は必ず父の元へ届く。執務で忙しい最中、心配事を持ち込んでしまったことに対する謝罪である。
「お前のまる……まるちっぷ……何だったか?」
「<マルチプル・シールド>です」
「そうそう。それでもイデラの槍は防げなかったか」
「はい。未熟さを痛感しております」
リオンが顔を俯けながら述べると、ベルンは「はっはっは!」と朗らかに笑った。
「十一の子供に防がれたら騎士団長も立つ瀬がないだろうよ」
「は、はぁ……あ、イデラ団長を咎めるようなことは」
「もちろんしない。元よりリオン自ら望んだことであろう?」
望んだっけ? いやむしろ団長の方が試したがっていたような……。
でも最終的には自分の障壁が通用するか試したかったのも事実なのだ。あそこで断れば団長も無理強いはしなかったであろうし。
「……そうですね。もっと完璧な防御を目指します」
「う、うむ? うむ、そうであるな」
子供ながらに自信を持っていた障壁を簡単に破られ、落ち込んでいるかと心配していた父ベルンであったが、それは杞憂だったと知った。そして思い出した。この息子は「防御馬鹿」であることを。
デルード領騎士団の一部では、リオンのことを「防御馬鹿」と呼んでいることは、ベルンの耳にも入っていた。ただし、それは文字通り息子を馬鹿にした意味ではなく、親しみと尊敬がこもったものであることも理解していた。
何せ中隊長の連撃を二十分間無傷で凌ぐのだ。そんなことが出来る者は、騎士団でも数える程しかいない。
「ところで、お前も三か月後には王立学院に入学であろう?」
「はい」
「入学前に、一度魔物討伐に同行させるのが我が家のしきたりだ」
「存じております」
「来月の頭、定期討伐がある。お前も同行せよ」
「はい。それまでには新しい障壁を開発します」
「……そ、そうだな。励むが良い」
「はい!」




