12 UDM生成
「定期討伐の予定を早めるのですか?」
「うむ。北部から例年よりも魔物が多いと報告があってな。討伐の陳情が上がっているのだ」
リオンが魔法士団の指導を始めてから四日。ベルンの執務室に呼ばれたリオンは父の話に驚きながら、父の隣に座る長兄ケイランに視線を移す。
「明日出発するよ。そのつもりで準備しておいてね?」
「分かりました、お父さま、ケイラン兄さま」
リオンは立ち上がり、丁寧に礼をして執務室を去る。ベルン、ケイラン、それに執事のヘイロンだけになったところで、ベルンはケイランに確認する。
「して、リオンの魔法は実際のところどうなのだ?」
「驚きしかありません。これまで私が学んだ魔法が何だったのかと思う程です」
それまでリオンが座っていた場所に座り直し、ヘイロンが淹れ直してくれた紅茶に口をつけたケイランがそう告げる。
「それ程までか」
「あの子は間違いなく魔法の天才です。あの子のことを知ったら、王立魔法研究所や王国魔法士団は目の色を変えて取り込もうとするでしょうね」
「……それはあの子にとって幸せだろうか」
「それは何とも。お金の面で苦労することはなくなるでしょうが」
「う~む……」
魔法に関してはユードレシア王国で最高学府である王立魔法研究所。そして入団に恐ろしく高いハードルを設けている、王国最高戦力の王国魔法士団。いずれも、小領地の貴族が羨む給金が支給されると有名である。
「私は、あの子が望む道に進んでもらいたいと思っている」
「それはもちろん、兄である私もですよ」
「あの子が道を決めるまで、守ってやれるだろうか」
「守りましょう。それがリオンの家族である私たちの責務です」
「そうであるな」
優秀過ぎる息子・弟を持つと、家族にとっては頭が痛いようである。だがしかし、誇らしさの方が遥かに勝るし、力になれた時の喜びは一入であろう。
父と兄は苦笑いしながら頷き合い、改めてリオンを守ろうと決意するのであった。
*****
アルファ八十七ことカラミティ・グリフォンは、ウルシア大森林の南部をさまよいつつ、東の方へ向かっていた。
(お腹空いた……寂しい……怖い……)
ドラゴンとも真っ向勝負できる存在、それがカラミティ・グリフォンであるが、それはあくまでも「本調子であれば」かつ「十分な経験を積んでいれば」という条件が付く。
孵化した時から人間の手で育てられてきたアルファ八十七は、自らの腹を満たすために「狩りをする」ということを知らなかった。きちんと切り分けられた適切な量の生肉が、人間から餌として与えられていたから。アルファ八十七はそれ以外に食べるものを知らなかった。
「グリフォン飼育場」で虐待を受けたアルファ八十七には、人間に対する少しの恐怖と少しの嫌悪がある。人間は、アルファ八十七が思い通りにならないと「痛い」ことをする。もし飼育場に戻ったら、天井をバラバラに壊したアルファ八十七は「相当痛い」ことをされるだろう。だから空腹でも、飼育場に戻るという選択肢はなかった。
そも、森の辺縁にいる獣や魔物はカラミティ・グリフォンを恐れて逃げて行ってしまう。つまりアルファ八十七が狩りを知っており、それをやる気になったところで、獲物自体がいないのである。カラミティ・グリフォンの狩りの対象はもっと強大な魔物であるから。
というわけで、アルファ八十七は森の中で孤独であり、腹を空かせていた。生まれてこの方聞いたことのない鳴き声や音がする度に、大きな体でぴょん、と跳ねるほどびっくりしてしまう。
アルファ八十七はきょろきょろびくびくしながら、森を東の方へ進んでいた。特に目的地があるわけではない。北の方、つまり森の奥は怖くて行きたくないし、南はどうやら人間がたくさんいるようだからやっぱり気が進まない。西は自分が元いた場所に近付くだろうし、そうなると残されたのが東しかなかったのである。
カラミティ・グリフォンが森を移動するのに伴い、元々そこを棲み処としていた獣や魔物たちが逃げ出したわけだが、それらの半分程度は「南」へ向かってしまった。その結果、リオンの婚約者が住まうミガント領の北部で例年より多くの魔物が出没することになる。そしてその流れは、リオンがいるデルード領の北部にまで波及した。つまり、定期討伐が少し早まった原因はアルファ八十七が森を東進していることである。
真っ黒で巨大な体躯をしたカラミティ・グリフォンだが、今は心なしか少し縮んでしまったかのようだ。実際二週間ばかり肉を食べていないから痩せてしまったかもしれない。口にしたのは木に生った果物や木の実のうち、酸味や渋み、苦みが少ないものだけである。それらも数が少ない上、好んで食べたくなるようなものではなかったので腹が満たされることはない。
まるで親に置いていかれた子供のように――グリフォンとしては幼いので子供であることは間違いない――トボトボと森を歩く姿は憐みを誘う。
(お腹空いた……ボクはこれからどうしたらいいの?)
森まで来れば仲間がいると思っていた。仲間が、温かく迎え入れてくれる、と。もちろん何の根拠もない思い込みだったのだけれど。
背の高い木々の葉に遮られ、地表に届く日光は少ない。お陰で下草が生えず歩きやすいのは良いが、暗くてどうも気分が陰鬱になる。こんな時、空高く飛べば気分も晴れるのだろうが、お腹が空き過ぎて飛ぶ元気もない。
その時だった。
森の奥――北の方から聞き慣れない音が届いた。ベキ、バキ、メキャ、という音が小さく聞こえ、地面が微かに震えている気がする。
音は徐々に近付いてくる。アルファ八十七は首を精一杯伸ばして音のする方を見た。が、生い茂る木々のせいで碌に遠くまで見えない。
(何かがこっちに来る?)
獣や魔物から避けられて孤独を感じていたアルファ八十七は、近付いてくる何かが自分を迎えに来たのか、と半ば期待した。もうあと半分は警戒心だ。敵のいない安全な環境で育てられたアルファ八十七は野生の勘がまだ養われていない。ウルシア大森林でカラミティ・グリフォンに近付いてくる何かがいるとすれば、それは彼を捕食しようとする強大な魔物であることに考えが及ばない。
(ボクを探してくれてるのかな? それなら――)
相手が自分を見付けやすいよう、一度飛んでみよう。ほんの少しくらいなら飛べるはずだし、飛べば相手の姿も見えるかもしれない。
きょろきょろと辺りを見回し、樹冠が途切れている所を見付けた。急いでそこまで移動し、折り畳んでいた羽を広げる。ふぅ、と一度息を吐き、四肢を折り曲げて跳躍する。それに合わせて羽ばたけば、アルファ八十七の巨体が宙に浮いた。
ふぁさ、ともう一つ羽ばたくと樹冠の上に出る。音はだいぶ近付いていた。それに伴って土煙も上がっている。折れた木々がその何かの進行に合わせて派手に吹っ飛んでいた。
そして少しだけ見えた濃い灰色の巨体。アルファ八十七よりも遥かに大きい。
『キシャァァアアアアアーーー!!』
それが唐突に鎌首をもたげ、空中にいるアルファ八十七と目が合った。
(何あれ何あれ何あれ!?)
胴回りの直径八メートル。全長百二十メートル。フードコブラ属のように、首の左右に大きな襟状のフードを備え、頭部には王冠のように鋭い突起があった。
瞳は鮮血の赤。アルファ八十七は知らないが、それは「バジリスク」と呼ばれる巨大な蛇の魔物だった。
本来なら、大森林のずっと奥地に生息する魔物である。それが、アルファ八十七の東進に伴って逃げ出した魔物たちを餌として追ううちに、こんな浅い場所まで来たのだ。そこで強大な魔物の気配、つまりカラミティ・グリフォンの気配を感じ、迫って来たのだった。
魔物は魔力を持つ。強い魔物ほど、内包する魔力量が多くなる。バジリスクのような強大な魔物にとって、魔力量の多いカラミティ・グリフォンはご馳走である。
アルファ八十七を認めたバジリスクは速度を上げた。先程の比ではない勢いで折れた木々が飛んでいく。それは着実にアルファ八十七に近付いていた。
(あれ絶対迎えに来たんじゃない、ボクを食べようとしてる!)
ここへ来てようやく、アルファ八十七の野生が少しだけ目覚めた。このままここにいても捕食待ったなしだと気付いたのだ。少々遅いが。
アルファ八十七は最後の力を振り絞り、東へ向けて飛び始めた。何の因果か、それはデルード領の北部、リオンたちが定期討伐で訪れる予定の地であった。
*****
領都デンを出発して三日目。定期討伐団は、領北部、ウルシア大森林まで約一キロメートルの平原地帯に到着した。
デルード領騎士団約百人、領魔法士団二十人、輜重隊と従士が約百人。シルバーフェン伯爵家からは魔法士団長で長兄のケイラン、騎士団小隊長の三男クオン、そしてリオンが参加している。ケイランとクオンにはそれぞれの侍女や侍従がいるが、リオンのお供はシャロンだけである。それでも総勢二百四十人ほどと、なかなかの大所帯だ。
結局、リオンが魔法士団員二十名に指導できたのは僅か四日間だった。全員が<コンプレックス・シールド>を習得するにはあまりにも短い期間……のはずだったのだが、何と、全員が習得してしまった。
シャロンの弁によると「リオン様の障壁より多少脆いです」とのことだが、これまでの障壁魔法に比べれば雲泥の差である。七歳で前世の記憶を取り戻してから防御についてずっと考え、試行を繰り返し、四年かけて<コンプレックス・シールド>を生み出したリオンとしては少し複雑な心境ではあった。
でも誰かが傷付くよりはずっとマシだ。リオンはそう考えて自分を納得させた。
そんなリオンは、この移動中の三日間、ずっと「新しい防御魔法」について考えていた。何故そんなことを考えていたのか? 答えは簡単。痛いのが嫌で死ぬのはもっと嫌、そのうえ大切な人がそうなるのも嫌だから。要するに「防御馬鹿」なので。
(障壁を飛ばす案はうまくいかなかったけど、二十人が<コンプレックス・シールド>もどきを使えるようになったから、ある程度広域を防御できるようになった)
そも、障壁を飛ばそうなどとエキセントリックなことを考えたのは、定期討伐で散開する騎士団員や魔法士団員を守るためだ。それは魔法士団員が<コンプレックス・シールド>に近い障壁魔法を習得したことである程度目処が立ったと言える。
(だけど、もっと根本的に敵の攻撃を防御する手段が欲しい)
<コンプレックス・シールド>は、対個人であれば結構頼りにできると思っている。
しかし自分は転生者なのだ。何と戦う羽目になるか分かったものではない。もしかしたら、この世界には核爆弾級の魔法があるかもしれない。もしかしたら、ドラゴンが吐くブレスは一発で都市を壊滅させる威力があるかもしれない。魔王が使う魔法なんて言わずもがなである。
……と、リオンは自分の宿命に慄いていた。被害妄想である。
(前世の科学知識と今世の魔法的理論を合わせた防御魔法。ドラゴンのブレスさえ防げる魔法が欲しい)
一応言っておくと、リオンはドラゴンを見たことがない。ドラゴンどころか、これまで魔物自体を見たことがないのである。
(どれだけ強力な攻撃でも、こちらに届かなければどうということはない。それなら……もし空間の歪みを思い通りに生じさせることができたら……?)
アインシュタインの一般相対性理論によれば、空間の歪みとは重力そのものである。質量のある物体は重力を生み出す。つまり、質量のある物体は空間の歪みを生み出す。
(空間を歪めれば、あらゆる攻撃を逸らすことが可能のはず!)
リオンは、何やら壮大なことを思い付いてしまったようだ。
空間の歪みは重力そのものであるから、十分な重力を任意に発生させれば、どんな強力な攻撃も防御できるのではないか、と。
(重力を生み出すには…………小さなブラックホールを作れば良い!)
ブラックホールとは、非常に高密度で強力な重力場を持つ天体である。その重力が強力すぎて光さえ脱出することが出来ない。故にブラックホールと呼ばれる。つまり、想像を絶する密度の物体を生成すれば、結果的に空間を歪めることが可能という理屈である。
こうしてリオンは道中ずっと、超高密度物質(=UDM ultra-dense matter)の生成に頭を悩ませることになる。
リオンにとって、この世界で生まれて初めての遠出だ。もっと十一歳の子供らしく、馬車の窓から見える景色や、途中立ち寄った町などに興奮しても良かったはずなのに、ずっと考え事に没頭していて可愛げがなかった。
普通なら周囲の大人がそんな彼の様子を心配するのだろうが、シャロンを始めとして全員が「いつものことだ」と放置である。どうせまた障壁魔法のことでも考えているのだろうと思われていたのだ。当たらずとも遠からず。
一泊目の宿では、「地球で最も密度が高いのはオスミウム(元素記号Os)だったよな」とその生成に時間を費やし、二泊目の野営ではこのオスミウムに圧力を加えて更に密度を上げようと試みた。
野営で火を熾す際、種火を大きくするためにある魔法士団員が風魔法を使っていたのを見て、「生成したオスミウムを風魔法で圧縮できるのでは?」と思い付き、天幕に引きこもってひたすら圧縮に挑戦した。途中で魔力が枯渇してぶっ倒れ、シャロンが慌てて寝台に寝かせたりもした。
結局風魔法による圧縮は不成功に終わった。視点を変え、超高圧環境下でオスミウムを生成するイメージを形成。
地球の中心圧力は約三百六十万気圧。そこでオスミウムを生み出せばどうか? また魔力枯渇寸前まで試行する。
この三日間は、リオンにとって何からも邪魔されることなく魔法に没頭できた三日間だったと言えよう。
そして遂に三日目の朝、今から数時間前のことであるが、リオンはUDM(超高密度物質)の生成に成功した!
直径僅か三ミリメートルほどの、目を凝らさなければ気付かないくらい小さな球体。周囲の光を吸い込んでいるかのような、闇そのものといった風の漆黒の球。そんな小さな物体だが、リオンとシャロンが使っていた天幕と中にあった寝台が歪み、ひしゃげたので慌てて魔法を解除した。幸いなことに二人に怪我はなかったが、うっかり人のいる所や室内で使ってはならないと身に染みた。
しかし「空間を歪める」確かな手応えを得たリオンは大層ご満悦だった。シャロンとケイランにこっぴどく叱られたが。
そんなことがありながら、定期討伐団の一行はウルシア大森林手前の平原で、そこを拠点とするべく野営の準備を行っていた。
その時。森から黒い異形が勢い良く飛び出してきた。まだ距離があることから慌てる者はいなかったが、一行に緊張が走り、騎士団員と魔法士団員はすぐさま分隊ごとに集められた。
そして現れた濃い灰色の巨大蛇。いよいよその場が騒然となるのだった。
重力とすべきか引力とすべきか悩みましたが、重力で統一することにしました。
何故なら、その方がかっこいいからです!




