102 亜空間
エルテガの見立てでは、現在地から沿岸部まで直線で七~八百キロメートルではないか、とのことだった。現在は北西に向かって進んでいるので千キロ以上はあるだろう。
時速八十キロで飛行すると頑張れば一日で着きそうなものであるが、リオンの魔力も無限ではない。やはり休憩しながら飛ぶので、二~三日かけて沿岸部に着く見込みだ。
一日目の夕方、適当な所を見つけてお馴染みの野営を行う。
「マスター! 見えない壁があります!」
「ああ、ごめんごめん! 色付けとくね」
いつも通り自分たちの周囲を<コンプレックス・シールド>で囲んだのだが、透明にしていたのでブラウが思い切り顔面をぶつけていた。なお、やはり痛みは感じないようだ。リオンは障壁に薄いピンク色を付ける。
<リフリジレイション>をかけていたワイバーンの冷凍肉があと三キロほど残っていた。<リリース>して元の状態に戻し、キリシュに匂いチェックをしてもらってOKが出たところ、ブラウが前に出てきた。
「私の出番のようですね」
「そう言えば料理出来るって言ってたね」
「家事全般はデフォルトでインストール済みです。腕が鳴ります」
野営なので料理の腕はあまり関係ないような気がするリオンだが、取り敢えずブラウに任せてみることにした。
……不安である。キリシュとエルテガも不安そうな顔になっている。
ブラウは亜空間収納から包丁とまな板を取り出す。デフォルトと言った通り、最初から収納されていたのだろう。彼女は生のワイバーン肉をほんの少し切り取ってそのまま口に入れて咀嚼した。数秒虚空を見つめたかと思うと、また亜空間収納から箱を取り出す。蓋を開けると、調味料入れのようだった。
まな板の上で、包丁の背を使いワイバーン肉を叩き始める。残像が残るほどのスピードだが、それでいて力任せではない。
ひと口大に切り分けた肉を二つのグループに分け、片方にはいくつかの調味料と乾燥させたハーブのようなものを摺り込んだ。もう片方には塩・胡椒でシンプルに下味をつけたようだ。リオンたちが持っていた根菜類と押し麦、フェルメンを提供すると、またそれぞれを味見して虚空を見つめる。
再始動したブラウは大き目の石を組んで二つの竈を作り、それぞれで火を熾す。根菜類はあっという間に皮が剥かれて切り分けられた。亜空間収納からフライパンと鍋を出し、鍋にはリオンが魔法で水を出す。シンプル下味の肉と根菜、押し麦が鍋に投入され、謎の調味料とハーブがそこに振りかけられる。
ブラウは鍋をじぃっと見つめ、お玉を取り出してアクをすくい始めた。煮汁を味見して更に調味料を足し、最後にフェルメンを溶かすと、鍋を火から離す。
竈の上で温められていたフライパンに薄っすらと油がひかれ、もう片方の肉が焼かれ始める。
この香ばしい匂いは……ニンニク醤油だ! フェルメンソースに白っぽい調味料を入れたものがフライパンに投入され、食欲をそそる香りが障壁内部に充満する。
リオンがふとキリシュを窺い見ると、ブラウ……というか肉を焼いているフライパンに目が釘付けになっていた。辛うじて涎は垂らしていない。
「お待たせしました。お口に合えば良いのですが」
平皿と深皿にそれぞれの料理をよそい、ブラウが各人に配膳してくれる。イータがフォークとスプーンを配ってくれた。
「「「いただきます」」」
リオンはまず、焼いた肉を口に運んでみた。
「うおっ!?」
これまでの、ただ塩を振って直火で焼いた肉とは一線を画す味。まず柔らかさがまったく違う。弾力はあるが肉の繊維が簡単に解ける。肉の断面を見ると、外側はカリッと、中はピンク色でしっとりとしたミディアム・レアだ。
そして肉の臭みが全くない。これを食べると、今まで食べていたワイバーン肉が独特の臭みを持っていたと分かってしまう。
赤身の旨味とさっぱりした脂の甘味、それが塩胡椒とハーブ類、更にニンニク醤油もどきの味付けと渾然一体となり、舌の上で得も言われぬ「幸せ」を作り出す。
「米――オリザが食べたい!」
「ねえー! あたいも同じこと考えちょった!」
間違いなく米泥棒のおかずだ。
続いてフェルメン(味噌)煮込み。まずは味噌汁部分を味わってみるが――
「おー! 出汁がきいてる!」
ゲルガと同じ材料で作っている筈なのに、出汁の旨味を感じる。あの調味料の中に秘密があるのだろうか?
根菜は程良く火が通り、抵抗なく歯が通る。押し麦は十分にフェルメンと出汁を吸ってぷちっ、もちっとした食感。そしてワイバーン肉は口に入れた瞬間ほろほろと溶けていく。焼いた肉と同じ肉とは思えない、滋味深い味わいだ。
「ブラウ、凄く美味しいよ。正直びっくりしてる」
キリシュとエルテガが高速で何度も頷いている。
「お口に合って何よりです」
リオンがブラウに感想を伝えると、彼女はにっこりと笑った。それはとても自然で美しい笑顔に見えた。
「私もいただいてよろしいですか?」
「もちろん!」
ブラウはリオンを挟んでキリシュの反対側に座り、上品な所作で料理を口に運ぶ。それだけ見ていると人間と間違えてしまいそうだ。
「街に着いたら食材や調理器具を買いこもう」
「うん、こげんうんまか料理が食べらるったれば、色々買いたくなるね!」
「ブラウ、これからも料理を頼める?」
「もちろんです、マスター」
絶品料理を食べていつものように風呂を作って入ったあと、リオンは亜空間収納についてブラウに聞いてみることにした。
「どうやって亜空間を作ってるの?」
亜空間というものは、少なくとも地球の科学的には存在しない。リオンの限られたファンタジー知識で、アイテムボックスやマジックバッグと同義だろうと考えたに過ぎない。つまり、理論や仕組みがさっぱり分からない。
「マギアム大国では一般的な技術です。実空間の連続性を一部断絶して人工的な空間を差し込んでいます」
「……? ごめん、全然理解できないや」
「リオン、余ったお肉をまた冷凍してー!」
「あ、そうだった! ブラウ、ちょっと待ってて」
リオンが立ち上がると、ブラウも何故か付いてくる。料理で使ったワイバーン肉がまだ二キロくらい余っていたのだが、リオンはそれを忘れてしまっていたのだ。
「<リフリジレイション>。これでよし、と」
「……マスター? 今……何を、されたのですか?」
「え? 肉を凍らせたんだけど」
「凍らせた? いえ、マスター。この肉は分子運動が完全に止まっています……マスターは分子の運動エネルギーを奪う魔法を使ったのです……」
ブラウが顔を引き攣らせ、少し恐怖したように告げた。
「分子運動が止まると、何か拙いんだっけ?」
「マスター、これは画期的なことです! マギアム大国でもこんな魔法はありませんでした!」
「あ、そうなの? えーと、ありがとう?」
「これは対象の時間を止めるのと同義です。ああ、私はマスターが誇らしい!」
「あ、うん……え? 時間を止める?」
「はい! これは、この肉が存在する空間が別空間になっているのと同義です。つまりマスターは亜空間を作り出したのです。マギアム大国で亜空間を作り出すには、膨大な術式が必要でした。私はそれが付与された魔石を使っているに過ぎません。人の身で術式無しで同じことを成すとは……え、マスターって人間ですか……?」
めちゃくちゃ喋ると思ったら人間じゃない疑惑を掛けられたリオン。
「人間だよっ! …………えーと、今の話をまとめると、<リフリジレイション>は時間を止めることで別空間を作り出してるってことで合ってる?」
「おっしゃる通りです」
「そう……そうなのかぁ……わぁーお」
「リ、リオン? 何か問題?」
「あ、いや、大丈夫。悪いことじゃないよ。むしろ、ずっと悩んでたことが解決するかもしれないなぁって」
「本当!? それは凄い!」
ずっと悩んでいたこと、それは「空間の引き伸ばし」についてである。時間の流れを止める、或いは非常に遅くすることで空間を引き伸ばせるのではないか、リオンはそう考えたところで行き詰っていた。
それが、実際に亜空間収納を実装しているアンドロイドから、大きなヒントを得たような気がする。
空間を引き伸ばすのではなく、別の空間(亜空間)を差し込めばいいのでは……?
何のために空間の引き伸ばしに挑戦していたかと言えば、もちろん「防御」のためだ。結果的に強力な防御魔法が出来れば目的を達成したことになる。
亜空間を目の前に展開出来れば、空間の連続性が遮断され、攻撃がリオンに届かなくなる、筈だ。
「<リフリジレイション>」
以前したように、リオンは目の前の虚空に向けて<リフリジレイション>を放った。以前は「空気を凍結」させるメージだったが、今度は大気を構成する分子を止めるイメージだ。
「…………何か起きたかな?」
魔力がごっそり減った実感があるので、何らかの魔法は発動した筈だ。だが空間には何の変化もないように見える。
すると、ブラウが何もない空間に右手を伸ばし――
バギン!
「ブラウ!?」
「マスター、ここに亜空間が生成されています。これで成功ですか?」
「そんなことより手がっ!?」
「……どうしましょう。これではお料理に支障が出ます」
ブラウの右手は手首の辺りですっぱりと切断されていた。切断された手首から上はどこにも見当たらない。
キリシュは悲鳴を飲み込むように口に両手を当て、エルテガはブラウの背に手を当てて座らせようとする。イータは驚いたのか激しく伸び縮みしていた。
「ブラウ、こっちに腕を! <レトログレイド>!」
リオンは手首から先が失われたブラウの右腕を膝に乗せ、<レトログレイド>を掛ける。
<レトログレイド>は治癒魔法ではなく、対象の時間を巻き戻す魔法だ。だから元通りになる! リオンはそう信じて魔力を注ぎ込んだ。
明るい緑色の光がブラウの右手首に集まり、光の粒子が徐々に手の形を取っていく。一際眩しく光った直後に光は消え、右手首から先が復活していた。
「マ、マスター!? 手が生えました!」
「そうだね……はぁ~、よかった……」
「まこてよかったねぇ」
「わっぜ焦ったぞ」
『マスター・リオン、素晴らしいお力です』
リオンたちが胸を撫で下ろす横で、ブラウは元に戻った右手をにぎにぎして感触を確かめていた。と思ったら、突然肘から先が光る刃に変形した。ぎょっとして見守るリオンたちを尻目に、ブラウは満足したようで刃が腕に戻った。
「今の何!?」
「フォトン・ブレードです。切れ味の良い包丁みたいなものですね」
「絶対違うよね!? ……それで、問題なさそう?」
「はい。これでまたお料理ができます、マスター」
「あ、うん……お願いね」
亜空間生成の成否はブラウが体を張って証明してくれた。問題は亜空間がどこにどれくらい展開されているか、リオン自身にも分からない点だ。もちろん他にも問題がある。亜空間に入った物質(ブラウの右手)がどこへいったのか、そして実際に防御に使えるのか、である。
もう陽が暮れてきたので、検証は明日の朝することにした。
「うぅ……んん」
翌朝。リオンは胸と左太腿がやけに重くて目が覚めた。
右側にはいつものようにキリシュがくっついて眠っている。そして左側にはブラウがくっつき、腕をリオンの胸に、脚を太腿に乗せて目を閉じていた。柔らかく温かい。そして彼女は服を着ていなかった。
「ちょっ!? ブラウ!」
「……スリープモード解除。おはようございます、マスター」
「ああ、おはよう……じゃなくてっ! 何で裸なの?」
「雰囲気です」
「……へ?」
「雰囲気です、マスター。服は皮膚を変形させているだけですから、実質常に裸です」
「いいから服着て!」
ブラウは横になったままでメイド服を纏った。髪もツインテールだ。そして徐に立ち上がり、スカートの裾を両手で摘まむ。
「こんなことも出来ます」
服が透け透けになった。透明ビニールのように透け透けである。その下にちゃんと肌を作っていて、芸が細かい。
「分かった、分かったから! さっきの服にして!」
「かしこまりました」
服の色が元に戻る。なんて無駄な機能だ、とリオンは呆れた。
「ねぇ、リオン……?」
「ん? あ、キリシュ。おはよう」
「おはよ。あたいも寝る時服脱いだ方がよかけ?」
「脱いじゃ駄目!」
キリシュがブラウに影響されていた。
朝食もまたブラウが手早く作ってくれた。それを食べた後、少し亜空間を検証してみる。
「マスター、障壁に色を付けられるなら、亜空間にも色付けできるのではないでしょうか?」
「そう、かなぁ? ま、取り敢えずやってみるか……<リフリジレイション>」
何となく、リオンは光を反射する油膜のような虹色をイメージした。
「おお……色が付いた」
虹色は、およそ縦二メートル、横二メートルの範囲でリオンの前方に出現した。
「ブラウ、横から厚みを見てくれる?」
「はい……マスター、大変です! 厚みが全くありません」
「え、そうなの?」
ブラウによれば、真横に立つとそこに何も存在しないように見えると言う。
「この中、どうなってるんだろう……いやブラウ、頭突っ込んじゃ駄目! 頭が取れちゃうから!」
果敢にもブラウが虹色に頭を突っ込もうとするので、リオンは慌てて止めた。
「まぁ、中のことはこの際いいや。あとは防御に使えるかだけど……ブラウ、向こう側から石を投げつけてくれる?」
「かしこまりました」
屈んで地面から石を拾ったブラウが向こう側に立ち、「えい!」と気合を込めて投げる。あまりの豪速球ぶりに、リオンはちょっと竦んだ。
石は虹色に吸い込まれるように消える。波紋一つも発生しない。
「凄いな……衝撃も何も感じないや」
「では」
ブラウの左手首が折れ、内側から銃身が現れる。
「ちょ、ちょ、ちょっと――」
シュバッと音がして閃光が迸った。だがそれだけで、爆発も衝撃もない。
「ふむ。マスターに攻撃が通用しません」
「僕を倒したいのかなっ!?」
昨日はその攻撃で一キロメートル先に小爆発を起こしていた。もし亜空間が作用していなかったら、それがリオンに直撃していたことになる。
「石を投げた感触で分かりました。この亜空間は私のフォトン・レーザーも遮断するだろうと」
「本当に!? て言うか、それフォトン・レーザーっていうんだね!?」
「ちなみにフォトン・レーザーの威力は十メガジュールです」
「全然分かんないよ!?」
ちなみにリオンの<アクセルバレット>の威力は七~八メガジュールである。つまり<アクセルバレット>より威力がある。
「とにかく、マスターの亜空間は大抵の攻撃を遮断するということです」
「そ、そうなの? と言うことは、成功……?」
「はい、大成功です。やはりマスターは人間ではない可能性があります」
「人間だってば!!」
ベルケエルが示唆した防御魔法とは違うかもしれないし、神の絶対防御とも違うだろう。それでもリオンは、これまでにない防御魔法を生み出した。
改善の余地はまだまだある。もっと広範囲に展開しなければ大切な人を守れないし、展開速度も<コンプレックス・シールド>と比較すると断然遅い。
だが、リオンは成し遂げたのだ。空間を利用した防御を。ブラウの余計な言葉のせいですぐに喜べなかったが、徐々に喜びが込み上げてくる。
「……やった。出来た。やったんだ……」
リオンは拳を握りしめ、体を折ってプルプルと震えた。
「リオン、大丈夫……?」
キリシュが心配して声を掛ける。エルテガとイータは少し離れた所で見守っていた。
「うん、大丈夫! これで理想の防御に一歩近付いた気がする!」
リオンは思わずキリシュを抱きしめた。驚いたキリシュだが、すぐに両手をリオンの背中に回して抱き返す。
「良かったね、リオン。頑張ったね」
「うん、ありがとう!」
なお、ブラウが両手を広げて抱きしめられるのを待っていたが、しばらく待ってもリオンとキリシュが離れないので、仕方なくエルテガを抱きしめた。エルテガは驚いて固まっていた。




