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1 リオン・シルバーフェン

初めての方ははじめまして。

久しぶりの方はご無沙汰しております。

新作、はじめます。

 ユードレシア王国北西部に位置するデルード領は、シルバーフェン伯爵家が(ほう)じられた領地である。

 ユードレシア王国は北側を「ウルシア大森林」と呼ばれるどの国にも属さない森林地帯で蓋をされ、最南端まで行けば海があるという南北に長い国だ。東は大河を、西は山脈を国境としてその先は他国になる。


 デルード領の領都デンは人口八万人を抱える城塞都市で、上空から見ると直径約六キロメートルの円形を成している。高さ十メートルの防壁がデンの街をぐるりと囲むわけだが、その円周は約十八・八キロメートル。


 今朝も、その防壁に添うように一人の少年が走っていた。


 実際のところ走っているのは少年だけではない。その後ろを大人の男性が二名追走している。大人たちは少年の護衛であった。


 走る少年の名はリオナード・シルバーフェン、十一歳。周囲からは親しみを込めて「リオン」と呼ばれている。四男とはいえ伯爵家の令息、護衛も無しに街の外を走らせるわけにはいかない。リオンは一緒に走ってくれている護衛に対し非常に申し訳ない気持ちであるが、護衛たちはこの走り込みを結構楽しんでいた。

 何せ、もう四年も続いているのだ。毎朝十八キロも走れば心肺機能が上がり、持久力も確実に上がる。護衛の男たちはデルード領の騎士なので、己の肉体が強化されるのは嬉しいのである。


 リオンが四年も走り込みを続けているのは、走るのが好きとか、体を鍛えるのが好きといった前向きな理由ではなく、彼が抱く強迫観念が原因だ。


 四年前、リオンが七歳の時。彼は初めて馬に乗せてもらった。もちろん一人ではない。三番目の兄で当時十三歳だったクオン・シルバーフェンが、羨ましそうな目で見つめるリオンの視線に耐え切れず、自分の馬に一緒に乗せたのだった。

 リオンが思いのほか喜んだため、クオンは若干調子に乗って防壁の外、見晴らしの良い丘まで馬を向けた。しかし、その途中で運悪く馬の前に狐が飛び出し、驚いた馬が棹立ちになってしまい、リオンは落馬して頭を強打したのであった。


 一緒に落馬したクオンはしっかりと受け身を取ったが、頭から落ちた弟に顔面蒼白。一方のリオンは意識朦朧で、すぐさま供の馬に乗せられてシルバーフェン伯爵家の屋敷へと搬送された。

 今思えば、頭を打ったのだからあまり動かすべきではなかっただろうが、そのような医学的知識が乏しい世界では致し方ないことである。


 屋敷の自室において、ベッドに寝かされたリオンは伯爵家付きの医師から診察され、「経過観察」と言い渡された、らしい。

 らしい、というのは、彼はその時意識を失っていたので、後から聞いた話であるから。

 頭を打ったと言ってもCTやMRIがあるわけでもなく、外傷はたんこぶが出来た程度。目や耳、鼻からの出血もなく、たんこぶ以外に傷もなかったので「経過観察」の診断は間違いではなかったであろう。


 意識のないリオンであったが、彼はこのとき前世の記憶を取り戻した。

 生まれた時から転生者だったのか、それとも落馬事故で本来のリオンが亡くなり、代わりの魂がリオンの肉体に入り込んだのか、それは分からない。ただ、リオンとして生きた記憶もあるため、恐らく前者だろうと考えている。後者だとリオンやその家族に申し訳ないので。


 前世でいくつまで生きたのか、死因は何だったのか、そういった記憶は曖昧であった。また前世において近しい者の顔や名前も、靄がかかっているように思い出せなかった。その代わりに知識や常識といったものはよく憶えているようであった。


 数日後に意識を取り戻したリオンは、心配して付きっきりで看病していた兄クオンと真っ先に対面し、それが三人いる兄の一番下の兄であり、自分がシルバーフェン伯爵家の四男であることをきちんと認識できた。それに安堵するとともに、自分が転生者であることを実感して()()()()のである。


 なぜ恐怖したのか。


 前世で、「異世界転生」物のラノベやマンガ、アニメなどが存在することは知っていた。しかしながら、それらの作品を観たり読んだりしたことがほとんどなかった。そのため、リオンの「異世界転生」に関する知識は非常に偏っており、しかも少しズレていた。


 転生者には重要な使命が課される。

 それは困難を伴い、時には命を落とす危険さえある。

 魔王とかドラゴンとか悪魔とか魔人とか、何かは分からないがとにかく攻めてくる。

 それらと戦って世界を守らなくはならない。


 ……リオンの非常に限定的な知識では、「転生者」とはそういうものだった。

 だから恐怖した。

 だって痛いのは嫌だし、死ぬなんてもっての外だから。


 世界を危機から守る転生者なら何かしら特別な能力を授かっているかもしれないが、それに期待して、ただ座して能力の開花を待つなんてことは、リオンには出来なかった。世界の危機はいつやってくるとも知れないのだ。だから、落馬事故の後遺症なしと医師から診断された次の日から、リオンは走り始めた。なんとなく、まずは体力だろうと思ったので。

 もちろん最初から防壁の外を走ったわけではない。最初は屋敷の庭を、続いて隣接するデルード領騎士団の訓練場を走った。毎日毎日、ぶっ倒れるまで走った。そうしなければ、迫りくる(とリオンが思い込んでいる)危機に対する恐怖に押し潰されそうだったのである。


「リオンさまー!」

「今日も精が出ますね!」

「リオン様、がんばって!」

「きゃー! リオン様、かわいいー!」


 防壁を一周し終え、屋敷に一番近い南門から街の中へ入ると、早朝から活動している住民から声を掛けられる。四年間も走っていれば、住民もリオンの顔を覚えるというもの。リオンは声を掛けてくれた住民に軽く手を振った。

 砂色の髪、濃いブルーの瞳、整った顔立ちであるが十一歳という年齢相応の可愛らしさもある。一般的に貴族はあまり平民と交流を持つことはなく、街中の移動も馬車を使うことが多い。これは気取っているとか贅沢とかではなく、単に襲撃から身を守りやすいからである。ただ、シルバーフェン伯爵家は少し変わっていて、平民との距離が割と近い。これは前当主のサイラス・シルバーフェン、つまりリオンの祖父が平民と分け隔てなく接していたことが理由と言われている。

 まぁとにかく、リオンは街の住民から慕われているということだ。


 汗を拭きながら、リオンは屋敷に隣接するデルード領騎士団の訓練場に向かう。


「リオン様、おはようございます」

「おはようございます、レスト中隊長。今朝もご指南お願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 訓練場の端の方で、リオンとレスト中隊長が対峙する。手に持つのは鉄芯が入った木剣。十一歳のリオンは、大人の騎士が訓練で使うのと同じ木剣を使う。


「では参りますよ?」

「お願いします!」


 剣道で言うところの正眼の構えを取るリオンに、レストが容赦なく打ち込む。まともに受ければ手が痺れるし、木剣を弾き飛ばされることもある。だから、打撃の力を受け流すように、木剣を斜めにして打ち込みを受けるリオン。


 リオンから攻撃はしない。何故なら、これは「防御」の訓練だから。


 前世の記憶が蘇り、転生者としての宿命(?)に怯えるリオンが出した結論は、徹底的に防御を鍛えることであった。

 防御を磨けば攻撃を受けない。怪我を負って痛い思いをしなくて済むし、何より死ぬことがない。一対一なら、相手が疲れるまで防御し続けて、ヘロヘロになったところを攻撃すれば良い。


 ……と、リオンは考えている。


 だが相手はデルード領騎士団の中隊長。体格も膂力もリオンとは比べるべくもない。防御一辺倒でも、リオンの方が早々に体力が尽きる。


「ほらほらリオン様、剣が下がってますよ?」

「くっ!」


 三十合も受ければ腕が上がらなくなってくる。ほぼ毎日訓練をしているリオンだが、筋力という面ではレスト中隊長に及ばないことは分かり切っていた。


「しょ、障壁、いきます」


 いよいよ剣先が水平より上がらなくなったところでリオンが宣言した。


「承知しました! おい、剣を持ってきてくれ!」


 障壁とは最も初歩的な無属性魔法である。

 この世界で、魔法を使える者は全人口の一割に満たず、貴族に限っても三割程度。幸いなことに、リオンはその三割に入っていた。魔法が使えることを知った時は「これが転生特典か」とテンションが上がったものである。同時に来るべき(とリオンが思い込んでいる)危機に戦慄もしたのだが。

 言うまでもなく、これは転生特典などではない。たまたま、偶然、リオンに魔法の適正があっただけだ。魔力量や魔法の才はごく平凡だったのだから。


 ただ人と違ったのは、リオンが防御に異常な執着を示した点であろうか。


 障壁魔法は、魔法を使える者すべてが最初に教えられる魔法で、そのすべての者が使える魔法でもある。しかし障壁とは名ばかりで、剣の攻撃を一度防いだら割れてしまうくらい脆弱なものだった。要するに「無いよりマシ」という扱いなのだ。


 そんな障壁を前に、レスト中隊長は木剣を鋼の剣に持ち替えた。


「<マルチプル・シールド>」


 リオンとレスト中隊長の間になる空間に、淡い白色光を放つ薄い壁が()()、重なるように出現する。


「リオン様、参ります!」

「はい!」


 これまでにない強い踏み込みを経て、レスト中隊長はリオンに対して上段から剣を振り下ろした。それは木剣を使っていた時とはまるっきり違う動き。リオンが木剣で受けている間、当たり前であるがレスト中隊長は手加減をしていた。万が一にも怪我をさせるわけにはいかない。

 だが今は本気である。本気を出さなければ、リオンの障壁は抜けないからだ。


 そう。一般的な障壁は、剣の一撃で簡単に砕けるのに。

 いや、それはリオンの障壁も変わらない。現に、レスト中隊長の一撃で障壁はあっさりと割れた――最表層の一枚だけ。

 二枚目はヒビが入ったが、割れることなく剣を受け止めている。

 リオンはすかさず障壁を二枚追加した。


「どんどん行きますよ、リオン様!」

「どうぞ!」


 レスト中隊長による嵐のような連撃。ガラスが割れるような「パリン」という音が連続して鳴るが、中隊長の剣はリオンに決して届かない。


 <マルチプル・シールド>――積層障壁。一枚で脆いならたくさん重ねればいいじゃない、という安直な発想。誰もが容易に思い付くが、これまで誰もやろうとしなかったアイデア。


 障壁魔法は最初に覚える初歩的な魔法で、脆弱であることは誰もが知る常識となっている。あまり役に立たない魔法に拘泥するよりも、別の攻撃魔法を覚える方がいいと考えるのは仕方のないことであろう。

 しかしリオンは「防御」に執着した。攻撃魔法を覚えるよりも先に、自分の身を守る手段が欲しかった。当初は障壁を硬くしようと試みたが、使用する魔力量が膨大になり、構築に時間もかかるため断念。だから既存の障壁を重ねることにして、ひたすら訓練したのである。


 最初は一枚の障壁を二枚にするのに半年かかった。それから三年半かけて徐々に重ねる枚数を増やし、とうとう瞬時に十枚の障壁を重ねるまでに至ったのである。


「相変わらず硬いですな、リオン様!」

「そうでしょうそうでしょう!」


 中隊長の連撃を完璧に防ぎ、自慢げに胸を張るリオン。

 彼は忘れている。防御だけでは中隊長から一本取ることは永遠に出来ないということを……。

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