表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

余白の先に

作者: オタケ
掲載日:2025/12/01

 頼られたら断れない。昔からずっとそうだった。何かをお願いされると、頭で考えるよりも先に「いいよ」と答えていた。困っている人を見かけたら、絶対にほっとかなかった。自分を犠牲にしてまでも、その人を助けてあげる。それが優しさだと思っていた。

良樹(よしき)は優しい人だね」

 そう言われる度に、胸の奥が満たされていく。でも、同時にざらざらとした何かが残る。

 俺の優しさは、誰かのためなんかじゃなくて、『周りからよく見られたい』という自分の承認欲求のためなんじゃないか。そんな予感を、ずっと見て見ぬふりをして生きてきた。

 結衣(ゆい)と出会ったのは数年前の雨の日だった。傘も持たず駅に向かって走っている彼女に、迷わず傘を差し出した。彼女はなんのためらいもなく受け取った。こんな風変わり人も居るのかと意表をつかれたが、そんな彼女に心奪われた。わがままだけど、芯の強い真っ直ぐな人だった。なんだか自分にないものを持っている気がした。

 つまらないことで喧嘩をしたとき、彼女は涙ながらにこう言った。

「良樹って、優しいけど、苦しそう」

 当時の俺は、その言葉の意味を理解出来なかった。いや、理解しようとしなかった。自分の生き方を否定されているような気がしたからだ。

 彼女との時間は、とても新鮮で初体験の連続だった。でも、そんな日々が俺の心を満たすことは無かった。

 あるとき、彼女が交友関係で落ち込んでいた。俺は「元気だして」と言って、背中を軽く叩いた。でも彼女の顔は晴れなかった。むしろ痛みに耐えているようだった。それを悟られたくなかったのか、彼女は顔を逸らして何も喋らなかった。そうして、二人には次第に距離が生まれていった。

「良樹は、私のことを見てるようで、ずっと自分をみてたよね」

 別れのとき、沈黙の中で彼女が静かに残した言葉だ。

 彼女の言うことは全て引き受けていた。それなのに、彼女は不満だったのか。だったらそう言ってくれればよかったのに。俺は、彼女の本当の声を聞こうともせず、心の中で開き直ったのだった。しかし、就職して慌ただしい日々が過ぎていっても、この言葉は俺の胸に刺さったままだった。

 ある日、同僚が仕事で大きなミスをした。俺は迷わずフォローに回った。気がつけば終電を逃し、徹夜で報告書を作っていた。

 広くて暗いオフィスには明かりが一つだけ。それが逆に誇らしい。他人のために身を粉にする自分が輝いているようだった。

「これできっと、あいつの助けになる」

 そう信じていた。

 翌朝、仕上げた報告書を上司に提出した。しかし、返ってきたのは思いがけない言葉だった。

増井(ますい)、なんで勝手にやったんだ?あれは、あいつにやらせておけばいいんだよ」

 一瞬言葉を失った。

「い、いや、その……もう時間的にも余裕がなかったですし」

「そういうことじゃない。あいつの成長の機会をうばってどうすんだ」

 感謝されると思ってたのに。注意されるなんて。俺が今まで作り上げてきた張りぼては、みるみるうちに崩れていった。

 その瞬間、一人きりのときよりも、オフィスは何倍も暗くなった。

 帰り道、ぼーっと歩きながら自分自身にといかけた。

「俺は何のためにやってんだろ」

 答えはすぐにでた。俺は誰かから『頼られたい』だけだった。俺は皆に『期待されている』と思い込みたかったのだ。そうすることで、自分がすごい人間だと思えた。それが俺の輪郭をつくっていた。それに気づいていながら、蓋をして偽りの優しさを振りまいていたのだ。

 けれど現実は、誰も俺にそんな期待は寄せていなかった。皆が、自分のことで精一杯だった。そして、それは俺も同じであった。

 数日後、後輩の多田(ただ)が、期日が迫る中プレゼン準備で行き詰まっていた。

「手伝うよ。何からやればいい?」

 多田は少し後ろめたそうに答えた。

「いえ、大丈夫です。自分でやります」

 それでも、俺はまだ変わっていなかった。

「でも、ここは俺がやった方が早いから」

 すると、彼は遠くに突き放すように、静かに言った。

増井(ますい)さん。そんなに頑張らなくてもいいんじゃないですか。自分で何とかしますから」

 その一言が、不思議なほど胸を押さえつける。そして、それはとても優しい言葉だった。でも、その奥には確かな距離が感じられた。

 差し出していた手がガタガタ揺れる。必死に抑えようと顔を背けた俺は、多田にはどう映っていたのだろう。考えるだけで、血の気が引いた。

 その瞬間、また自分が、頼られようと頑張っていたことに気づいた。けれど、それは自分の居場所を作るためだった。それは他人のための行動なんかじゃなかった。『他人に必要とされている』という錯覚が何度も俺をそうさせていたのだった。

 その後はずっと上の空で、何も手につかなかった。何をしていたのか思い出せない。やっと我に返れたのは、自室のベッドの上だった。

 次の日は、仕事を休んだ。顔を洗おうと洗面台に向かう。鏡に映った自分にこう問いかけた。

『俺は、誰かのことを分かろうとしてきただろうか』

 もう一人の自分はいつまで待っても返事をしない。それが答えだった。

 分からなかった。ただ、分かろうともしなかった。

 分からないから仕方ない、と自分に言い訳して諦めていた。

 だけど、それは相手に向き合ってぶつかる勇気がなかっただけだ。誰かに嫌われるのを恐れていたのだ。

 だから、俺はずっと俺だけを見ていた。それで、誰かを見た気になっていたんだ。

 ふと、結衣の言葉を思い出す。

「確かに、俺って苦しそうだ」

 自分の存在価値を示すために、他人に必要とされようと必死だった。関心はいつも内側を向いていて、自分のために精一杯だった。だから、俺は他人のことを見ようとはしていなかった。

『自分は素晴らしい人間なんかじゃない』

 そんなのことは知っていたような気がしたけど、ずっと認めたくなかった。でも、そう思うことで、少し心が軽くなる。

 そうして生まれた心の余白を、他人を見ることに使えばいい。胸にストンと落ちる。視界が開けたような気がした。部屋に差し込む朝の光がこんなにも優しかったのは初めてだ。

 後日、仕事終わりに多田が話しかけてきた。

「増井さん、この前はすみませんでした。なんとか自分で乗り越えることが出来ました」

「おう、そうか。また一つ成長出来たな。お疲れ様」

「でも、あの時増井さんが助けようとしてくれたこと、本当に嬉しかったです」

 俺は笑って首を横に振った。

「いや、俺もあの時自分のことばっかり考えていたよ。でも、多田がああ言ってくれたおかげで、目が覚めたよ。ありがとう」

 多田も少し笑う。

「俺も、増井さんの気持ちなんとなく分かります。自分を受け入れるってしんどいですよね」

「そうだな。まだ遅くないって信じてみるよ」

 今までの自分も、全てが間違っている訳では無かった。でも、もう歩みは止めない。そう強く決意した。

 帰り道、突然雨が降り出した。俺は駅まで走った。どこか懐かしい気分だった。

 あの時目を背けた言葉の意味が、ようやく分かったような気がした。

 家で一息ついたとき、なんだか気になって久しぶりにメッセージを送った。

『久しぶり。元気してる?』

 数分後、返ってきた。

『うん。良樹は?』

『ようやく、自分のことを少し受け入れられた気がする』

 しばらくして、スマホが鳴る。

『そう。よかったね』

 それを見てスマホを置く。もう彼女から連絡が来ることは無い。けれどそれで良かった。

「良樹は、私のことを見てるようで、ずっと自分をみてたよね」

 今だからわかる。あれは俺を責める言葉ではなかった。

 きっと、俺に自分を見つめ直すきっかけをくれた言葉だったのだ。

 それが正しいのかはもう俺には分からない。でも、これが、俺なりに考え抜いたあの言葉に込められた思いだった。

 胸に深く刺さった棘が抜けたような気がした。


 人は、誰かに期待されなくても生きていける。

 誰かに必要とされなくても、ありのままの自分を自分で認めて生きていける。

 本当に必要なことは、他人からの評価じゃなくて、納得できるまで自分の頭で考えることだ。


 頼られたら断れない。困っている人はほっとけない。

 その性格は、きっとこの先も変わらないだろう。

 でも、もう背伸びはしてない。相手に正面から向き合える。

 今の俺なら、ただ笑ってこう言える。

「今の俺で良ければ、力になるよ」

 それは、かつて『自分のため』だった言葉が、初めて『相手のため』にもなった瞬間だった。


 こうして、また俺は誰かから褒められた気がして気持ちが良くなった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ