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偽善事業  作者: 灯月公夜
第一章:真っ暗/日常/私の世界
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02

 今朝もありさは真理恵に車で学校まで送ってもらっていた。

 あの事故以来、毎日の登下校を、両親の送り迎えにありさは頼っていた。目が見えないありさを両親が気遣っての事だ。しかし、ありさの両親とも共働きであり、朝が早い。今朝も校門の前に着いたのは、午前六時。学校の開門が七時だと考えれば、明らかに早すぎる。

「お母さん、今日もありがとう」

 停車した車の中、右側へ顔を向けながらありさは真理恵にいつものように礼を述べる。それから、手探りでドアを開け、白杖はくじょうを片手にゆっくりと車内から出る。

 外は蒸し暑いながらも、早朝の朝ということもあり、空気がしんとしていて胸に沁みるようだった。反対側からもドアを閉める音が聞こえた。真理恵も降りたらしい。

「どういたしまして」

 ありさの背中にスカーフをのせるように、車体の反対側から歩きながら真理恵は答えた。

「はい、カバン」

「うん、ありがとう」

 受け取りながらありさ礼を述べる。真理恵はありさの双肩に手を置くと、心配そうに、しかし柔らかくほほ笑んだ。

「今日も一日気をつけてね」

「うん」

「特に階段には気をつけてね」

「うん」

「今日も、いつもの時間に迎えに来るわ」

「待ってる」

「そう。それじゃあ、お母さんはもう行くね」

「うん。気をつけて。お仕事頑張ってね」

「ありがとね。ありさも、成績落としたら承知しないわよ」

 いつものように会話を紡ぐと、真理恵はありさの手をきゅっと握りしめた。慈愛が溢れて来るようだ。それから真理恵は手を離し、車に戻って行った。

「じゃあね、ありさ。気をつけなさいよ」

「うん。行ってらっしゃい」

 それから間もなく、目の前の車が動き出す音をありさは聞いた。音の遠ざかっていく方へ顔を向ける。これで一人だ。

 ありさはくるりと体の向きを帰ると、校舎の方へ向かって、白杖を地面にコツコツとつきながら歩き出した。

「こっちだよ」

 事務員さんの声が聞こえ、ありさは声のした方を頼りに歩を進める。ありさの為だけに、学校側が考慮して、この時間から開けてくれているのだ。

 誰もいない校舎を、ひとりで歩く。音は、自身の呼吸する音と、歩く音。それから白杖が地面を打つ、一定の『コツ、コツ』という音だけだ。

 学校の早朝の空気は、変わらず新鮮でおいしかった。この二カ月、毎日のようにひとり吸っていても、飽きることはない。

 段差を一段一段確認しながら階段を上る。二階に上がって、右へ二つ目がありさの教室だ。コツコツとドアを確認しながら歩く。二か月という期間は、歩幅で教室がある程度分かるようになるには、十分な期間だった。

 教室の扉を開ける。当然誰もいない。いるはずがない。前から入ったすぐ傍の机がありさの定位置だ。カバンを机の上に載せ、椅子を引きありさは自分の椅子に座る。それからカバンから点字を学習するための教材を開く。

 これがありさのここ二カ月、誰もいない教室で過ごす時間だった。目が不自由になってからというもの、体が目の機能を補完しようとしているらしく、煩いと何かと集中できないでいたありさには好都合だった。

 三十分、一時間と時間は瞬く間に進み、部活動に来た人々で次第に学校は色付き始める。ありさの教室にも順調にクラスメイトが増えて行く。挨拶してくれる友達に二言三言返事を返し、ありさはただひたすら点字の学習に没頭して行った。

「ありさ、おっはよん」

「よう、大森」

 しばらくして、部活が終わった芹沢せりざわあかねと下崎大輝しもざきだいきが連れだって教室に入って来る。二人とも、ついさっきまでそれぞれの部活に精を出して来たばかりだ。あかねは水泳部。大輝はサッカー部のエースだ。二人は、中学以来のありさの一番の友達だった。

「おはよう、二人とも」

 点字から顔を上げ、声がした方向へありさは顔を向ける。あかねは満面の笑みを浮かべ、それに頷く。

「ありさは今日も点字の勉強?」

「うん」

 プールの塩素の影響で茶色くなった髪で、前髪をピンできっちりと止めたあかねがありさに尋ねる。

「どれどれー。うーむ、相変わらずよく分かんないや。良く分かるね」

 ありさの教本を触りながらあかねは言う。ありさはそれに答えるために口を開く。

「慣れだと思う。わたしもまだ完全じゃないし」

「そっか、まあ、頑張ってちょ」

「うん」

「今日もまた朝一人だったのか?」

 横で静観していた大輝が続いて口を開く。ありさは顔だけは向け、真っ暗闇に向かって返事をする。

「うん」

「そっか……」

 大輝は片手で後ろ髪を掻いた。次の言葉が見つかりそうもない。

 その時、朝礼を告げる鐘が鳴り、大輝の後ろから担任の渡辺がやってきた。三十四歳独身の男子化学教師だ。

「はいはい、席について下さいね。ほら、下崎もそんなところにいつまでも突っ立ってないで」

「へいへい。わかりやしたよ」

 だるそうに大輝はそう言って、最後にありさの方へ視線を映した。ありさは点字をカバンの中に入れている最中だった。

 手伝えることはない。そう目星をつけると、去り際にありさの横顔を視界に入れ、大輝は自分の席へ戻って行った。

 大輝が席に着くのを確認すると、渡辺は朝礼を始める。特にそれほど重要ではない連絡事項が続く。ありさは、受け流しつつ聞いていた。

 朝礼が終盤に差し掛かった頃、渡辺は最後にと修学旅行の話を切り出す。

「ええ、では、最後に修学旅行の班決めをしたいとおもいます。みんな、適当に四、五人で固まって」

 ありさたちのクラスは、総勢三十一人。最大グループ人数が五人ということもあり、五人の班が三つ、四人の班が四つできるいうことなる。しかし、ありさの元へやって来たのは大輝とあかねの二人だけ。他のクラスメイトは、自然と五人の班が四つ。四人の班を二つ作っていた。

「おい、下崎たちの班が一人足りないじゃないか。誰か、移動してやってくれ」

 渡辺がクラスに言うも、誰も動こうとはしなかった。ありさは、クラスメイトが自分を見ているのだと知っていた。きっと、わたしが足でまといだと思っているのだろう。確かにそうだ。目の見えないありさは、ほんの五十メートル進むのでさえ十分近くはかかってしまう。それは、他のメンバーからしたら明らかなタイムロスだった。

 誰一人動かない教室に、渡辺は後ろ髪を掻きながら、「わかった」と言った。

「別に今日中に決めとかなくちゃならん話でもないし。この話はまた次回にしよう」

 ありさはどんなに時間をとって決まらないだろうと思った。自分と言う存在がいる限り、誰もこの班には加わるまい。足手まといは必要じゃないのだから。

「くそったれが」

 大輝の小さな怨嗟の呟き聞こえた。


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