第7話 湖畔のロッジ
夕陽が今にも沈みそうな頃、四人はやっと湖畔のロッジに到着した。すぐ隣には大きな湖、チシャ湖が広がっている。
四人はまず部屋を取ると、それぞれ荷物を置き、それから湖畔が見える食堂のテラス席に集合した。
一つも波が立っていない静かな湖面が、夕陽を反射し輝いている。
「綺麗…」
ユリは思わず心の声を口から出してしまった。こんなに綺麗な夕陽は、今まで見たことがなかった。
「本当に綺麗だな…チシャ湖の水面が鏡みたいになってる」
ヘレナは椅子に座りながらそう言った。
「ついさっきも魔物に襲われてたのに、ここは嘘みたいに平和だな」
確かに、とユリは頷いた。先ほども猪のような魔物に襲われ、下手したら大怪我をするところだったのだ。
それなのに、今はこんなに平穏で、静かだ。
「老後はここで暮らしたい、ですか。その気持ち、わかりますね」
スモークの言う通りだな、とユリは思った。老後がまだまだ先だと思ってはいるが、それまで、この場所がこのままであって欲しいと思った。
ユリはチラリと魔王の横顔を見る。何を思っているのか、その目も真っ直ぐに夕陽が映る湖を眺めていた。
「いただきます!」
外はすっかり暗くなり、テラス席のテーブルにはおしゃれなランプが置かれた。そしてそのランプの周りには、大小様々な魚料理がたくさん運ばれてくる。
「チシャ湖で採れた魚だよ。どれも新鮮だから、じゃんじゃん食べていってね」
食堂のおばちゃんが料理を運び終わると、四人はフォークとナイフを握り締め、一斉に食べ始めた。
どれも塩とハーブなどで味付けされた質素なものだったが、魚が新鮮だからか、臭みなどもなく、次々と食が進んだ。
「どう、美味しい?」
ユリがヘレナに聞く。少女の口の中は魚でいっぱいになっている。
「うん、今まであんまり魚って食べたことなかったけど、美味いな!」
次に魔王の方を見ると、少し残っていた魚の骨の処理に苦労しているようだった。
「魚は肉よりもヘルシーって言いますからね。私も昔から好んで食べるようにしていますよ」
そう言いながら、スモークも次々と魚を平らげていく。骨ごとバリバリいくタイプらしい。
「そうそう、私が以前いた世界の、私が住んでいた国では、魚を生で食べるんだよ」
ユリの突然の告白にかなり驚いたのか、三人の視線がユリに集中する。
「お米と一緒に、ぎゅっ、としてね。お寿司っていう料理なんだけど。あー、食べたいな、お寿司。こっちの世界にも似たようなものあるのかなぁ」
ユリは前の世界が少し恋しくなった。というより、お寿司が恋しくなった。
スモークが食べるのを中断し、口を開く。
「魚を生で食べるのは、こちらの世界ですと野生動物や魔物たちぐらいですね…あと、竜も食べるでしょうが」
なんともムカつく言い様だ。
「あと、ご存じかもしれませんが、いくつかの種類の魚は寄生虫などが危ないんですよ」
それを聞いて、ヘレナが即座に反応する。
「寄生虫ってなんだ?」
「生き物の体の中に住む生き物ですね。人間の体の中に入ると体調不良を起こす寄生虫はたくさんいるんですが、その種類は…」
スモークのありがたい解説を聞き、ヘレナと魔王は、黙ってフォークとナイフをテーブルに置いた。
「…スモーク、そういう話は食事中にするものじゃないぞ」
ヘレナはピシャリとスモークに向かって言う。魔王は黙っていた。
「えぇ…!?」
スモークは助けを求めるようにユリの方を見る。しかし、当のユリはまだお寿司のことを考えていた。
部屋に戻り灯りを消すと、ユリの隣のベッドで寝ようと横になっていたヘレナが、そのままゴロゴロと転がり、ユリのベッドに入ってきた。
「ユリ、旅って楽しいね」
そう言うと、ヘレナはユリに抱きついた。
一瞬ドキッとしたが、妹が出来たみたいで悪い気はしない。
「まだまだ、旅は始まったばかりだよ」
ユリは少女の頭を撫でる。へへっ、と笑い、少女はさらに強くユリを抱きしめた。
「旅って、楽しいことしかないのかな?大変なこともある?」
ヘレナが上目遣いで見てくる。
ユリは先ほど魔物に襲われたことを思い出し、苦笑いしながら答える。
「はは…うん、大変なこともあるけど、旅が終わった時に、楽しかったって思えれば、その旅はきっと大成功だよ。さ、もう寝よう」
ヘレナはユリに抱きついたまま、眠ってしまった。ユリは正直少し寝づらかったが、起こしてしまっては悪いと思い、そのまま眠ることにした。
朝になり、ユリは食堂のテラス席にやって来た。そこから見えるチシャ湖が朝陽に輝き、昨夜とはまったく違う顔を見せている。
「ユリ!おはよ!」
先に起きていたヘレナが、テラス席でくつろいでいた。
「おはよう、ヘレナ。よく眠れた?」
「うん!」
朝から少女の笑顔を見て、ユリもつい嬉しくなる。
すると、魔王とスモークもテラス席にやってきた。
「マオさんもスモークさんも、おはよう」
二人は軽く挨拶を返すと、そのまま椅子に座った。
「朝ごはんを食べたら、カミエンに向かって出発だね。結構歩くだろうから、たくさん食べておかなきゃ!」
朝食を済ませ、湖畔のロッジを出てから半日ほど北に向かって歩くと、足元が次第にゴツゴツとした岩だらけとなってきた。時折足を取られそうになり、進むスピードが大きく落ちたが、それは間違いなくドワーフたちの街が近づいている証拠だと四人は気づいていた。
ビール…美味しいビールがもうすぐ飲める…。
ユリの頭にはビールのことしかなかった。ビブリオを出てから、もう長いこと(数日だが)ビールを飲んでいない。だがそのおかげで、脚が自然と前に出る。
時々後ろを向いてヘレナがついて来られているかを確認する。たくさんの薬や調合器具が入った鞄が重そうだったが、ヘレナは文句一つ言わずについて来ていた。
重そうな鞄を見て、ユリは何度か手伝おうかと声をかけてみた。しかし、薬師ゆえのプライドなのか、ヘレナには何度も丁重に断られてしまっていた。
「あそこが入口みたいですね」
先頭を歩いていたスモークが急に足を止め、前方を指差す。そこには洞窟の入り口と思われる石の扉があった。しかしその扉は閉ざされており、案内人がいるような気配もない。
四人は石の扉の目の前までやってくると、荷物を下ろした。全員、一旦息を整える。
「あそこにカミエンって書いてあるから、ここで間違いなさそうだな」
ヘレナは扉の上部を見上げながらそう言った。石に文字が刻まれているが、ユリには読めなかった。
「しかし扉が閉じていますね。周りに話を聞けそうな人もいないようです」
スモークは辺りをキョロキョロと見回す。ユリは疲れとがっかり感から、へなへなと地面に座り込んでしまった。
「そんなぁ!私のビールがぁ!」
お前は食べ物かビールのことばかりだな、と魔王に愚痴られる。しかしその時、ユリはあることに気がつき、さっと立ち上がった。
「合言葉だよ!ファンタジーに開かずの扉と言えば、それに違いないじゃん!」
「ふぁんたじぃ?」
ヘレナには聞き慣れない言葉だったようで、聞き返される。ユリは観光ガイドブックの該当ページを開き、ヘレナの顔に押し付けた。
「ここに書いてない?何か特定の言葉を言えば入り口の扉が開くとか!?」
ヘレナは観光ガイドブックを自分の手で持ち、じっと睨みつける。
「うーん…いや、そんなことは特に書いてないようだけど…」
その時突然、ギィイイイ、という大きな音が鳴った。石の扉が開いている!
「あ、普通に押したら開きました。ちょっと重かったですが」
スモークのその一言に、ユリたちには余計な疲れがどっと押し寄せてきた。