第5話 ヘレナの復讐
ユリ、魔王、スモーク、そしてヘレナの四人は、一緒にレストランで夕食を食べると、そのままコーヒーを注文し、ヘレナの話を詳しく聞くことになった。
「ボクの故郷はここからずっと西にある小さな村で、両親は薬屋を営んでいたんだ。それほど裕福ではなかったけど、ボクたち三人は平和に暮らしていた。父さんはある日、新しい毒薬の調合をしていた。魔物に襲われる人が増えてきていたから、武器に塗って使うタイプの新しい毒薬を作っていたんだ。それは短剣みたいな弱い武器でも、少し塗るだけで一撃で魔物を殺すことが出来るようになるという、夢のような毒薬だったんだ」
それがこれだ、と鞄から小瓶を取り出し、テーブルの上に置く。中には緑色の液体が入っていた。
「これを塗ればどんなに強い魔物でも一撃で倒すことができる、って父さんは言ってた」
「それが本当だとしたら、魔物たちにとっては脅威だな」
自分には関係ない、とでも言いたげな口調の魔王。
ヘレナは続ける。
「うん、だから狙われたんだろう。ある日、両親は魔王の側近、ザトルーチに殺されたんだ。ボクはその日、たまたま友達の家に泊まりに行っていて助かったけど、家に帰ったら二人とも奴の魔法で焼き殺されていた」
涙が溢れそうになるのを、必死に抑えるユリ。スモークも俯き、何も言えないでいた。
ヘレナはテーブルの上の小瓶をギュッと握り締める。
「ボクはザトルーチを許さない。この父さんが残した毒薬を使って、必ず仇を討つ!」
ユリは、なんと言えば良いのかわからなかった。慰めるにしても、小さな子供相手にどんな言葉を選べば良いのか、まったく思いつかなかった。
そして何より、ザトルーチがもう死んでいて、今その体はユリが使っているなど、どう説明すれば理解してもらえるだろうか。
「貴様、ザトルーチがどんな見た目なのかは知っているのか?」
魔王がヘレナに問う。
「それは…わからん。でも村を出ていくやつの姿を見た人がザトルーチだって教えてくれたんだ。それに、魔王の側近だと言うことは知っている。だから魔王城を目指しているんだ!」
確かに、魔王の側近なら普通、魔王の側にいるだろう。そして大抵、魔王がいるのは魔王城だ。
だが魔王城にはそれ以外にも数多くの魔物がいることを、ヘレナはわかっているのだろうか?それがどんなに危険な場所なのか、ヘレナは本当にわかっているのだろうか?
ユリは無言のまま考えていた。
「ならば教えてやろう」
魔王が座ったまま口を開いた。突然、その指先をユリの顔に向ける。
「こいつがザトルーチだ」
「…へっ?」
思いっきり指を刺され、困惑するユリ。
いや、え?確かにこの顔と体はザトルーチのものだけど、中身はユリだよ?今そんなこと言ったらヘレナが何か勘違いしない?
ヘレナは、しばらく何が何だかわからないような表情をしていた。だが、ことの重大さに気がつくと、咄嗟に懐から短剣を取り出し、流れるような手つきで小瓶の中の毒を塗りつけた。
「父さんと母さんの仇!」
そしてテーブルに跳び乗ると、ヘレナは向かい側に座っていたユリの首筋目掛けて短剣を突き立てる。
そのあまりの速さに、避ける余裕はなかった。
「わぁあ!」
勢い余って椅子ごとひっくり返るユリ。そのまま頭を打つと一瞬で意識を失った。
目を覚ますと、ユリは宿屋のベッドにいた。
「私、また死んだのかな?」
「残念ながら、今回は生きてるぞ」
そう嫌味を言ってきたのは魔王だった。隣のベッドには三人が一緒になって腰掛け、ユリの方を向いている。
ユリは短剣で刺された首筋にそっと触れてみた。しかしすでに傷は塞がっている。毒の影響もないようだ。
上半身を起こすと、後頭部にずきりと痛みが走った。椅子ごとひっくり返った時に打った後頭部には、大きなタンコブが出来ていた。
「魔王さんから君の事、全部聞きましたよ。まさか異世界の人間の魂が死んだ魔物に入り込むなんて、不思議なことも起こるものですね。長く生きていますが、今まで聞いたことがありませんよ」
だからお前は何歳なんだよ、とユリは聞きたかったが、今はそれどころではないのでやめておいた。
心底驚いた表情をするスモークの隣には、ヘレナが座っていた。しゅんと俯いている。
「ボクも全部聞いた…ごめん、ユリ。地図屋では助けてくれたのに、ちゃんと話も聞かないでいきなり刺しちゃって…」
少女は今にも泣きそうだった。しかしユリは、短剣に塗られていた毒が何故自分に効かなかったのかが気になっていた。
首筋を何度も触る仕草を見て察したのか、魔王がザトルーチの秘密を話し出す。
「あいつの体にはな、毒が効かない。毒に耐性のある魔物なんだ。偶然と言え、助かったな」
それを聞いてホッとしたユリ。だが、ヘレナの目からは、大粒の涙が流れ始めた。
「父さんと母さんの仇は、もういないんだ…ボクは何のために生きていけばいいんだろう…」
消え入るような声で、父さんと母さんに会いたいよ、と呟く。
ユリは静かにベッドから出ると、ヘレナの所に歩いて行き、小さな少女をそっと抱きしめた。
「期待に応えられなくて、ごめんね。でも、敵討ちが生きる目的だなんて、悲し過ぎるよ」
ヘレナの頬を伝う涙は止まらない。
「そうだ!一緒に旅をしよう!」
少女は予想外の言葉に驚き、目の前にあるユリの顔を見た。
「…旅?」
「うん、一緒に世界中を見て回ろう。生きる新しい目的が見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。でもね。いろんなところに行って、いろんな人に会って、いろんな景色を一緒に見よう。絶対楽しいから!」
ヘレナは袖で涙を拭った。
「…わかったよ。ボク、これでも薬師だから、少しは役に立てると思う」
「よし、そうなったら…みんなで旅の計画を立てよう!」
ユリは鞄から先ほど買った観光ガイドブックと地図を取り出した。
「ユリって、その歳で字も読めないのか?ボクでも読めるのに」
「うっ」
観光ガイドブックの気になる部分をいちいちスモークに聞いていたところ、ヘレナから嫌味を言われてしまった。
…つらい。
お昼過ぎ。四人は食堂のテーブルに観光ガイドブックと地図を広げ、今後の予定について話し合っていた。
「私のいた世界とは文字が違うんだよ…これから勉強するよ…」
十四歳の子供にバカにされ、消えてしまいたくなるユリ。
「私は竜さえ殺せればそれでいい。多少の寄り道も許そう」
魔王はいるかどうかもわからない竜を倒す気満々だ。
「私も竜の谷を見たい、と言うのが一番の目的ですが、道を大きく逸れないのであれば他の場所に立ち寄っても良いですよ」
スモークも目的地は魔王と同じだったが、竜のことは案外どうでも良いようだった。
「ボクはユリに任せるよ。旅には慣れているんだろ?」
慣れていると言っても、それは前にいた世界の話だ。あちらの世界では飛行機に乗ったり、電車に乗ったり、バイクに乗ったり出来たからなぁ、と思うユリ。
とは言え、旅に計画が必要なのは、どこの世界でも同じことだ。
「よっしゃ!ここは旅慣れた私に任せてちょうだい!」
ユリは気合いを入れるために腕をまくると、スモークの助けを借りながら、観光ガイドブックと地図を照らし合わせ、面白そうな場所をピックアップしていった。
「それでは、発表します!」
ユリは自信ありげな表情と気合の入った声で立ったまま発表を始める。残りの三人は椅子に座ったまま、小さく拍手した。
「まず、ここから北にあるドワーフの街カミエンを目指します。地下にある都市なんてワクワクするし、貴重で綺麗な鉱物のブラスクって言うのも見られるんだとか!」
「一番の理由は?」
ヘレナが割って入る。
「はい、ドワーフさんたちは肉料理のエキスパートで、ビールへのこだわりもすごいらしいです。美味しい食べ物と美味しいビール。これは絶対行くしかないでしょ!」
三人とも少し呆れたようにため息をつくが、ユリはわざとらしい咳払いをして発表を続ける。
「えー…その次は東にある夜のエルフの集落ラスノーチを目指しますが、途中にあるヴォーダの滝も訪れます。私は滝が好きだからです。滝って癒されますよね。あと、エルフの集落に行きたいのは、もちろん美形と言われるエルフさんたちに会いたいからです!」
そこでスモークが大きく頷く。
「夜のエルフたちは長寿で博識ですから、竜のことも何か知っているかもしれませんね」
うんうん、とユリは大きく頷く。
「もちろん知ってたよ。それも立ち寄る理由だよ」
…なぜか三人からの視線が冷たい。
「そうそう、あとエルフ式の建物ってすごくおしゃれらしいんだ。まぁ、エルフは野菜しか食べないらしいから、食べ物はあまり期待してないけどね」
「お前は食べ物の話ばかりだな」
魔王につっこまれる。だがユリは悪い気はしない。
「ご当地の食べ物を食べるのは、旅の基本だからね」
あとはそこから北に向かって竜の谷、と言い終わるところで、ヘレナが手を挙げて質問して来た。
「はいはい!あのさ、本当に竜なんているのかな?伝説でしか聞いたことないし、そもそももう何百年も誰も見てないんだろ?」
ヘレナは怯えていると言うよりも、ただ単に好奇心が優っている様子だった。魔王がその質問に自分の見解を述べ始める。
「竜は最強の種族だ。そうそういなくなったりはしないと私は思っている。スモーク、お前はどう思う?」
スモークはわざとらしく腕を組む。
「今から二ヶ月ほど前、北に向かって空を飛ぶ巨大な黒い影を多くの人が見た…という話を旅の途中で聞いています。私もいるんじゃないかと思いますね」
それを聞き、身震いするユリ。
本当に竜が存在して、戦わなくてはいけないとなったらどうすればいいのだろう?炎なんて吐いてきたら丸焦げになっちゃうし、空を飛ばれたらこちらの攻撃だって当たらないだろうし…魔王様には何か秘策があるのだろうか?
しかしそんなユリの心配もよそに、魔王は嬉しそうだった。
「ふふ、楽しみだ。誰が世界最強か、思い知らせてくれる」
「ええ、私も気になります。楽しみですね」
スモークも、なんだか嬉しそうだった。