第4話 学術都市ビブリオ
馬車がビブリオに到着したのは、もう夜遅くなってからだった。
ユリは運賃を払おうと操縦していた男に何度も伝えたのだが、どうしても受け取ってもらえなかった。レンクの街の英雄だからと言うだけでなく、山賊たちからも身を守ってくれたお礼とのことだった。
ユリは深々と頭を下げ、何度も礼を言った。
同乗していた夫婦たちには宿屋の場所を教えてもらい、街の入り口で別れることとなった。
「今日はもう遅いですから、早速宿屋に向かいましょうか」
すっかり仲間気分なスモークは、先頭に立って歩き出す。
ユリはスモークについて行きながらも、ビブリオの街並みを横目に見ていた。どの建物も白いレンガで出来ており、屋根はドーム型。街中に設置された燭台の火が、白いレンガに反射し、街全体が光っているようだった。
学術都市ビブリオをその名の通り多くの学校を有しており、たくさんの学者たちが日々様々な研究を行っているという。大事な資料や本を火災から守るため、どの建物もレンガで出来ているのだと、スモークが宿屋までの道すがら教えてくれた。
三人は宿屋に到着するとまず部屋を押さえた。ユリと魔王は同じ部屋だが、スモークにはもちろん別の部屋を取ってもらった。
「一旦部屋に荷物を置いたら、一緒に食堂で夕飯を食べましょう」
ユリがそう提案するも、スモークは申し訳なさそうな表情でお腹を抑えた。
「すいません、今はあまりお腹が空いてなくて…戦いで疲れたのでしょう。私は先に部屋で休ませていただきます」
また明日、と言い、スモークは二階に上がっていった。ユリと魔王は一階の自分たちの部屋に荷物を置くと、宿屋の中にある食堂に向かった。
「この街の人、あんまり肉を食べないらしいです」
ユリはちょっと寂しそうにそう言うと、ラタトゥイユのような野菜料理を口に運ぶ。ビブリオ発祥らしく、美味しいことは美味しいのだが、肉が入っていないので何か物足りなさを感じていた。
「ユリは野菜が嫌いなのか?」
魔王は特に不満もなさそうにサラダを食べている。ドレッシングのようなものはかかっていない。
美味しいのだろうか?
「そういうわけじゃないんですけど、私ビール好きじゃないですか?ビールってやっぱり肉に合うと思うんですよね」
そう言いながらも、ビールを口に運ぶユリ。
「マオさんって結構少食ですよね。サラダしかいらないって言うし、レンクでもあまり食べてなかったし…ダイエット中ですか?」
「魔族はそもそも食べ物にこだわりがない。腹さえ満たされれば良いのだ」
「え…そんなの…だめです!」
ユリはあまりのショックに気が遠くなりそうになりながらも、テーブルの上をドンと叩いた。その音に魔王も少しビクッとする。
「美味しい食べ物を食べれば幸せな気分になります。この旅を通して、一緒に美味しいものをたくさん食べましょう!」
目をキラキラさせるユリに対し、魔王は言葉を探しているようだったが、しばらくして諦めたような表情になる。
「そうだな…か、考えておこう」
ユリは満足そうな笑顔になる。
しかし、ふと大事なことを思い出した。
「そういえばスモークさんのことですけど…」
魔王のサラダを食べる手が止まる。ユリは声を潜めた。
「私たちの正体に気づいているんですよね…何者なのかはわかりませんが、やっぱり一緒にいたら危ないんじゃないですか?」
しかし、魔王はそれほど気に留めていない様子だった。
「常に警戒はしておけ。だが、やつの旅の知識はなかなか役に立ちそうだ。竜の谷まで一緒に来てもらおう。なに、襲ってきたらいつでも返り討ちにしてやるさ」
二人は食事を終えると、部屋に戻って早めに寝ることにした。
ユリが目を覚まして食堂に向かうと、すでに魔王とスモークが一緒に朝食を取っていた。スモークに手招きされて同じテーブルにつく。すると頼んでもいないのにユリの分も朝食が運ばれてきた。パンにスープに、大量のサラダだった。
「ユリさん、おはようございます。食べながらで良いから聞いて欲しいのですが、マオさんにも相談したところ、今日はまず図書館に向かおうと思います。竜の谷にいるかもしれない竜ヴァヴェルのことを念の為調べておきたいのです。それから本屋に行って観光ガイドブックを買って、最後に地図屋に行きましょう」
ユリはパンを口いっぱいに頬張ったまま、うんうんと頷いた。魔王は黙ってコーヒーを啜っている。
「ビブリオの図書館はこの国で一番大きいものなんです。国内のあらゆる知識が集められているとも言いますね。建物も歴史がある美しいものですし、ユリさんも楽しめるでしょう」
三人は朝食を終えると、一旦各々の部屋に戻り準備をし、宿屋の玄関で待ち合わせをした。最初の目的地は図書館だ。
「これが…図書館?すごい…」
三人の目の前には巨大な建造物があった。ドイツのケルン大聖堂を思わせるほど数多くの彫刻が壁面に施されており、まるでお城のような佇まいだ、とユリは思った。
スモークは以前にも来たことがあるのか、特に感動はしていないようだった。魔王はあまりこう言った芸術的な建物には興味がないのか、反応が薄い。
「さぁ、中に入りましょう」
スモークに促されて図書館に入ると、中は巨大なホールとなっており、壁際にはぎっしりと本棚が並んでいる。ホールの真ん中には大きな螺旋状の階段があり、各階を繋いでいた。天井は大きなドーム状になっている。
受付で入館証をもらい、竜に関する書物の場所を確認すると、三人は三階の細い通路の先にある小部屋に向かった。そこに先客はおらず、ゆっくりと本を確認できそうだった。
スモークは早速、竜ヴァヴェル関連の本を本棚からいくつか選んで読み始めた。魔王は本に興味がないのか、椅子に座って退屈そうにしている。
ユリは興味本位から適当な本を選んで開いてみたが、文字が日本語ではないだけでなく、これまでに見たことがあるどの言語とも異なっていることに気がついた。
…これでは本が読めない。
「ユリさんはどんな本に興味があるんですか?」
「うっ」
スモークの質問になんと答えれば良いのか困惑する。
「え、えっと、私、字が読めなくて…」
恥ずかしさから、声が少しずつ小さくなる。だがスモークは特に驚いた様子もなかった。
「ああ、魔族の識字率はあまり高くないって言いますからね。気にしなくてもいいですよ。この国には人間でも字が読めない人はたくさんいますし」
識字率が高い日本で生まれ育ったため、字が読めないと言う感覚は大人になって初めてだった。
するともしかして、魔王様も字が読めないのだろうか?
ユリは魔王の方をチラリと見る。眠そうにあくびをしていた。
ぱらぱらと本のページをめくっては、次の本へとすごい勢いで読み進めるスモーク。するとその手が突然止まった。
「ありました」
スモークは一冊の本を持ってくると、テーブルの上に広げた。ユリと魔王もそれを覗き込む。
そこには竜のイラストが描かれていた。その姿は真っ黒に塗りつぶされており、巨大な爪、巨大な翼、そして長い尻尾が強調されている。竜の横には鎧を着た人間らしきものも描かれているが、かなり小さいことから、竜の大きさがよくわかった。
「ここに書いてある説明ですと、火を吹き、残忍で貪欲、あらゆる高度な魔法も使うことができる、とありますね。でも最後に人間に目撃されてからもう三百年以上経つみたいです」
「あの、竜って長生きなんですか?」
スモークに質問を投げかけるユリ。魔王は黙ってそれを聞いている。
「うん、人間には詳しく分かってないみたいですけど、千年近く生きる竜もいるらしいですね」
スモークは、「まぁ、人間に知られているのはこの程度ですか」とポツリと言うと、本を閉じた。
その表情は、なんとなく嬉しそうだった。
その後も二時間ほど竜に関する本を調べていたスモークだったが、大した収穫はなかったようだ。ユリは暇だったので図書館の中をうろうろし、ところどころに飾られている油絵や彫刻を眺めていた。
三人は図書館を出ると露天でホットドッグのような食べ物(しかしパンが硬めでサイズも大きく、挟まっているものも濃い味付けの野菜)を手に入れ、食べ歩きながら本屋に向かった。街の中は学者のような服を着た人たちだけでなく、子供を含めて多くの人が行き来し、活気のある街であることがよく分かった。
本屋はたくさんの店が並ぶ通りにあった。中に入ると図書館と同様、壁にはずらりと本棚が並んでおり、かなりの品揃えであることがわかった。
ユリは店員に観光ガイドブックの場所を教えてもらうと、表紙に地図のような絵が描かれている本を手に取った。
「うっ」
自分はこの国の文字が読めないと言うことを思い出した。
しかもどうやらこの世界には写真というものがないようで、観光地の景色はすべて筆で描かれたイラストになっている。
「字が読めなきゃあまり役に立たないよぉ」
がっかりして泣きそうになるユリの姿を見て、スモークが声をかけてくる。
「文字なら私が読んであげますし、なんなら読み方を教えてあげても良いですよ?」
それを聞いてハッとした。勉強すれば良いのだ。ユリは前の世界で外国語をよく趣味で勉強していたので、新しい文字を学ぶのに抵抗感はない。
それに、文字が読めれば今後のこちらの世界での生活も色々と便利になるだろう。
ユリはスモークに文字を教えてもらう約束をすると、イラストが多めの観光ガイドブックを購入した。お金はまだまだ余裕があった。
本屋を出て十分ほど歩くと、ビブリオの北口近くにたどり着いた。スモーク曰く、地図屋はこの辺だ。
「それにしてもスモークさんってこの街のこといろいろ知っていますよね。図書館の場所も地図屋の場所も知っていましたし、以前ビブリオに来たことがあるんですか?」
ユリの前を歩いていたスモークが振り返って答える。
「はい、まぁ長く生きていますから、この街にも何度か来ていますよ」
不思議に思った。スモークはどう見ても若々しいし、二十代にしか見えない。
この世界には見た目が若々しくなる魔法でもあるのだろうか?
「スモークさんって、何歳なんですか?」
するとスモークは笑い出す。
「ははは、いくつでしょうね。あ、見えてきましたよ。あれが地図屋です」
上手いタイミングではぐらかされてしまった。スモークが指差す先には小さな店があり、その入り口付近で言い争いをしている店員らしき男と小柄な女の子がいた。
その声は大きく、五十メートルほど離れたこちらまで聞こえてきた。
「だーかーら!盗もうとなんてしてないっつーの!」
「じゃあその手に持ってるものはなんだ!」
女の子の手には地図らしきものが握られている。
「お、お金を払うの忘れて店を出ちゃっただけだってー!っていうかこの地図高過ぎるんだよ!こんな高いもの誰も買えないよ!」
どうやら小さな女の子が地図を盗もうとして店員に捕まったようだ。
「地図って作るの大変なの!ガキにはわからんだろうがな。ほら、衛兵のところ行くぞ!」
店員は女の子の腕を無理やり掴むと、衛兵がいる北口の方まで連れて行こうする。
「わーん!助けてー!お姉さーん!」
ユリは、え、私?と自分のことを指差す。女の子の視線は明らかにユリの方を向いていた。
「どうするんだ?」
呆れたような物言いの魔王。
盗人を助けるのに躊躇する気持ちがないわけではないが、相手は子供。それに、レンクで大量のお金をもらっていたこともあり、仕方ない、と思いながらユリは小走りで二人のところまで駆けて行った。
「あの、地図代なら私が出しますので、離してあげてくれませんか?」
店員の男はキョトンとした顔でユリの方を見る。
「あんた誰だ?」
「私、ユリです。地図を求めてこの街までやってきました」
それを聞いて、女の子の腕を掴んでいる男は上機嫌になる。
「おお、じゃあお客さんか!まぁ良いけど、こいつが盗んだ地図、この国の精巧な地図でな。今在庫がある最後の一枚なんだ。かなり高価なもんだぞ」
女の子は、盗んでないっつーの、とまだ小声で悪態をついている。
「え!その地図こそまさに私たちが探していたものです!買わせてください!」
目を輝かせたユリがお金を払うと、店員の男は女の子の腕を離し、店の中に戻って行った。
しかし、店の外では少し気まずい空気が流れている。
「で、その地図なんだけど…」
ユリが作り笑いをしながら、女の子に声をかける。しかしプイッと顔を背けられてしまった。
「…これはボクの地図だ」
「で、でも、お金払ったの私だよね!?」
どうしよー、と半べそで魔王とスモークに助けを求める。二人も店の前まで来ていた。
「お嬢さん、お名前は?」
スモークが女の子に穏やかな声で話しかけた。
「…ヘレナだ」
「そうか、ヘレナですか。地図なんてそう多くの子供が欲しがるものじゃありません。何か必要とする理由があるのですか?教えてくれると嬉しいのですが」
ヘレナは地図を握りしめ俯いたまま、しばらく黙っていた。
しかし、突然口を開く。
「敵討だ」
小さな女の子の口から出てきた物騒な言葉に、ユリはドキッとする。
「ボクには魔王城までの精巧な地図がいるんだ。両親の仇、ザトルーチをこの手で殺すために!」