第1話 魔王様と側近
「はっ!?」
ユリは目を開けた。ベッドの上に寝かされていたが、天井に見覚えはない。自分のアパートではないことは明白だが、病院と言った感じでもなかった。
「蘇ったか」
突然、すぐ隣で聞き慣れない女性の声がした。ユリがその声の方に顔を向けると、そこには胸元が大きく開いたセクシーな服を着た女性が立っている。ユリよりも少し年上らしい感じで、頭にはツノのような飾りも付いていた。
…コスプレイヤーだろうか?
それよりも、事故はどうなったのだろう?それにバイクは?あのぶつかり方では絶対にやばかったと、ユリにもなんとなくわかっていた。
「私…生きてる?」
「いいや、お前は死んでいた」
コスプレイヤーの女性がそう答えた。ユリの頭は余計に混乱し始める。
何かの冗談?それとも医者独特のユーモアか何かだろうか?そもそも、このコスプレをしている人は医者なのだろうか?
「あ、あの、助けていただいたんですよ…ね?お医者さん…ですか?」
すると、女性は眉間に皺を寄せ、少し不機嫌そうな顔をする。
何か気に触ることでも言ってしまったのだろうかと、不安になった。
「寝ぼけているのか?これからすぐに明日の計画の話をする予定だっただろう。すぐに玉座の間まで来い」
女性は少し怒ったような口調でそう言うと、扉を開けて出て行ってしまった。
部屋の中にはユリだけが残される。
明日の計画?
長いこと眠っていたとかでなければ、明日は日曜日のはずだ。ほとんどの会社だって休みだろうに、何の計画だと言うのだろう?
そこでふと思いついた。何か追加の治療かリハビリだ。
だが、だとしたらなぜ今ここで話をしなかったのだろう?そもそも、玉座の間とは一体?
ユリはひとまずベッドから這い出すと、部屋の中をぐるりと一瞥した。やはり見覚えのない部屋…と言うだけでなく、まるでお化け屋敷のような不気味な装飾がところどころに付けられている。
変わった病院もあるものだ…それとも、ハロウィン?
ハロウィンがいつだったかは思い出せないが、たぶんそうだろう。それならば、先ほどのコスプレをしていた女性についても納得がいく。
その時、女性が出ていった扉の横に大きな鏡が立てかけてあることに気がついた。早速、近づいてみる。
「えっ!?」
思わず声が出てしまった。そこに映っているのは、ユリではなかった。髪の色は違うし、髪型も違う。頭には小さなツノみたいなものもつけられているし、背中には小さな翼もある。
そして何より、胸が少し大きくなっているし、着ている服もちょっとセクシーだ。ちょっと若返っている気がしないでもない。
ななな、なんで私までコスプレを!?
ベッドで寝ているうちに勝手に着替えさせられてしまったのだろうか?なんという病院だ!
すべての事情は、さっき部屋を出て行った女性が知っているだろう。
そう思ったユリは扉を開け、追いかけて行った。
玉座の間と呼ばれる部屋は広く、先ほどの女性が仰々しい装飾が施された椅子に脚を組んで座っていた。様々な種類の魔物たちは、壁際に並んで立っている。
「つまりお前は、我が側近ザトルーチではないと?」
とてつもない殺気がユリに向けられる。玉座に座る美しい女性は鋭い目つきでユリを睨みつけながら、そう言い放った。
「は、はい…その、すいませんでしたー!」
ユリは自分の会社でもミスをして上司に謝ることが多かったので、謝罪するのには慣れていた。いつもと同じようにすぐ、的確な角度で頭を下げる。
しかし、ユリにはわかったことがある。どうやら助けてくれた女性はユリが暮らしていた世界とは異なる世界の「魔王」という存在で、死んでしまった側近ザトルーチを蘇らせようとしたところ、その体になぜかユリの魂が入ってしまったようなのである。
ユリは頭を深々と下げたまま、ぷるぷると震えが止まらない。何て言ったって、魔族の王が目の前にいるのだ。ちょっとでも機嫌を損ねれば、もう一回死ぬことになってしまうかもしれない。
「困ったものだ」
そう言うと、魔王は大きくため息をついた。
「我々魔王軍はザトルーチの計画を承認し、世界征服を始めるところだったのだ。それも明日から始める予定だった。まさかそのザトルーチが、突然死ぬとは思いもしなかったが」
私だって、突然死ぬなんて思いもしなかったよ…。
そう、本当にいつ誰が死ぬかなんて誰にもわからないのだ。人間だろうと魔族だろうと…ユリは心からそう思った。
魔王は口元に手を当て、何やら考え込んでいる。玉座のすぐ奥には魔王が武器として使うのか、人間の腕力では到底持ち上げられそうにない大鎌が立てかけられていた。よく死神が持っている、あれだ。
「ユリと言ったな。お前にザトルーチの記憶はあるのか?」
「いえ、全然ありません」
本当にすいません、ともう一度大きく頭を下げる。
ユリはもう早くこの場から消えてしまいたかった。魔王とユリのやり取りを見て、部屋にいる魔物たちもざわざわし始めている。
「しかし復活の秘術がこのような形で失敗するとは…あの老ぼれめ…」
魔王はぶつぶつと何か小声で呟きながら、爪を噛んだ。
「あ、あの…一つお聞きしたいのですが…」
ユリは恐る恐る手を挙げた。
魔王は見下すような目つきでユリの方を見る。
「なんだ。言ってみろ」
「世界征服というのは…具体的に何をするおつもりだったのでしょうか?」
魔王からは、出来の悪い部下を見るような視線がユリに注がれる。その視線になんとなく慣れてはいるものの、ユリはしゅんとしてしまった。
「教えてやろう…人間たちの皆殺しだ」
淡々とした口調で紡がれる残酷な言葉に、ユリは戦慄した。
皆殺し…そんな言葉、フィクションでしか耳にしたことない。
ユリはとにかく残酷なものが苦手だった。ホラー映画は見られないし、体の一部が吹き飛んだりする戦争映画も無理。血を見るのも苦手だ。
「ま、魔王様…そ、その…」
ユリはなんとか声を振り絞ろうとするが、次に口から出して良い言葉がなかなか思いつかない。今から自分が言うことが、魔王を怒らせてしまうかもしれない。怒らせたらどうなるか…そう思うと、顔も自然と引き攣ってしまう。冷や汗の量もすごくなってきた。
「なんだ?文句でもあるのか?」
またも、鋭い目線で魔王に睨みつけられる。
あ、私、死んだな。
ユリは咄嗟にそう思った。
ええい、それならもう言いたいことを全部言ってしまえ!
「人間だろうと、動物だろうと、魔族だろうと、殺すと言うのは良くないと思います。な、仲良くするのが一番だと思います!」
魔王の目つきが変わった。それは、愚か者を見る目だった。
同時に、部屋の中が余計にざわつき始める。魔物たちにとっても、ユリの今言ったことがあまりに予想外だったのかもしれない。
「ユリよ、お前は知らないのかもしれないから教えておくが、魔族は人間たちと敵対する存在。我々は奴らを襲わなくてはいけないし、奴らも我々を倒そうとしなくてはいけない。それが世の理だ。わかるか?」
ゲームの世界だな、とユリは思った。しかし、そんな単純で残酷な関係性、作り物の中だけのはず。
ユリが暮らしていた世界には魔族のような存在はなかったし、人間同士で争っていても、しまいには和解することが出来たこともたくさんあった。
「争いで物事は解決しません!魔王様ほど偉大な方なら、必ず人間たちと共存できる世界を作ることが出来るはずです!」
ユリは自分でも驚くほど、はっきりとした声でそう言ってしまった。
周りの魔物たちがまたも、余計にざわざわし始める。どうやら、魔王ほどの存在に向かって、これほどものを言う魔物はなかなかいなかったようだった。
すると、魔王は立てかけてあった大鎌に手を伸ばし、それを易々と片手で持ち上げた。
とんでもない腕力だ。
「ユリよ…お前は面白いやつだ。だがわかっていないことが一つある。私は魔族の王であり、私がこの大鎌を振るえば、一秒もせずにお前の首を刎ねることが出来るのだぞ?」
「わー!ごめんなさい、ごめんなさい!」
ユリは全力で土下座をする。もう頭が床にめり込む勢いで額を床に打ちつけた。
その姿に、魔王による公開処刑を期待してか、魔物たちは大歓声を上げる。
しかし、魔王は落ち着いた様子で静かにするよう魔物たちに合図を出した。玉座の間はすぐに静まり返った。
「わざわざ蘇らせた側近を自らの手で殺すのは忍びない」
魔王はユリに立ち上がるよう合図する。
「ユリよ、ならば問おう。世界征服をしないのであれば、私は何をすれば良い?人間たちに降伏し、下僕にでもなれと言うのか?」
突然の質問に頭が真っ白になる。
魔王がすべきこと?そんなの、ちょっと前まで普通の会社員だったユリにわかるわけがなかった。
「聞き方を変えよう。ユリよ、もしお前が魔王だったらどうする?」
私が魔王だったら…。
そんなことわかるわけがない。自分はただの会社員だし、魔王と言うのがこの世界でどのような存在なのかもよくわからないのだ。だが今は答えを早急に求められている。
ユリはグッと両手の拳に力を込めた。
「私だったら…旅をします」
「ほう、旅、だと?」
ユリは続ける。
「はい、この世界を旅して、いろんな人間や魔物たちと会うんです!あと景色が綺麗な場所とかにも行って、美味しいものも食べて…と、とにかく、この世界を見て回ることは、魔王様の今後の人生のためになると思うんです!」
周りの魔物たちはまたもざわざわし始めた。この小娘は何を言っているんだ、さっさと殺してしまえ、という声も聞こえてくる。
ユリは、勢いでなんかいろいろ喋ってしまったなと後悔し、手汗が止まらなかった。
「静かに!」
魔王の一声で玉座の間がしーんと静まり返る。
「なるほど、今後何をするにしても、私はこの世界のことをあまりにわかっていないと言いたいわけか」
「そ、そういうわけでは…」
前方に手を突き出し、言い訳しようとするユリを静止する。
「…良いだろう。今後魔族をどのように導こうとも、この世界のことを知っておくことは有益だ。世界を見て回ってみようではないか」
魔王は玉座から立ち上がると、ユリの目の前までやってきた。
「さぁ、共に行くぞ」
「あのー、魔王様。私たち、この格好ではちょっと目立ちませんか?」
ユリが魔王城の玄関で待っていると、魔王が姿を現した。
魔王は大鎌を背中にくくりつけており、その服はセクシーで露出度高め。それでいて、禍々しいオーラまで発している。
魔王専用の服で防御力も魔力も高いらしいが、人間だろうが魔族だろうが、とにかく様々な視線を引き付けてしまうのではないだろうか、とユリは不安に思っていた。特に男子!
かくいうユリも、サキュバスのようなちょっぴりセクシーな服を着ている。女魔族はどうやらこういう系の服を着る決まりらしい。前の世界では着たことがない系統の服だったので、とにかく恥ずかしかった。
「ふむ、周りに溶け込むことも大切だな。ならば魔法をかけておこう」
魔王が何か呟きながら手を頭の上で動かすと、二人の服は多少地味な人間のものに変化した。ツノと背中の翼も消えている。これならば人間と見分けがつかないだろう。
「では行くぞ」
魔王の声に反応し、巨体のトロル二匹が、魔王城の入り口の門を力一杯開いた。
門の先には、大草原と青い大空が広がっていた。
「わあ!」
ユリは歓喜の声とともに走り出し、魔王城を飛び出した。城の中は全体的に照明が少なく、どの部屋も陰気な感じだったので、目の前に広がる大自然に心が躍り出す。
その景色は、あまり日本らしくないな、とユリは思った。昔訪れたことがあるヨーロッパの田舎に近いだろうか?そもそも、この世界が前の世界で「ファンタジー」と呼ばれている設定に似ている気がするので、それも自然なことかもしれないな、と一人で納得する。
ユリは魔王の方を振り返った。
「行きましょう、魔王様!あ、人前で魔王様って呼ぶと正体バレちゃいますね…お名前はなんて言うんですか?」
魔王、と言うのはさすがに役職名だろう。本名は違うはずだ。
魔王も歩いて城を出てくると、その後方で門が閉ざされた。
しばらく魔王城に戻ることはないだろう。むしろ、ユリはもう二度と戻りたくなかった。あんなにたくさんの魔物に囲まれるのは、心臓に悪過ぎる。
ユリの隣までやって来ると、魔王は大草原の向こうを見つめた。
「私に名前はない。魔王になった時、捨てたのだ」
そう言うと、さっさと先に向かって歩いて行ってしまう。すぐにユリも小走りで追いかけた。
「えー!それじゃあなんて呼べばいいんですか?」
「好きに呼べ」
すごく困る返答だと思った。友人にニックネームをつけるのは、昔からあまり得意じゃなかった。
「えーと、じゃあ、魔王様だから、マオさん!どうですか?」
ちょっと雑過ぎたかなとも思ったが、魔王は「好きにしろ」とだけ言い、先に進んでいってしまう。ユリはその後ろをついて行った。
「魔王様、まずはどこに向かっているんですか?」
「ここから一番近くにある人間の街だ。確か、レンクと言う名だ。そこで地図を手に入れ、旅の計画を立てるぞ」
そう、魔王城にはなんとこの国の地図が一枚もなかったのだ。そんな状態でよく世界征服とか言っていたな、とユリはちょっと呆れていた。
まぁそれを計画していたのは、今ユリが使っている体の元持ち主なのだが。
「人間の街、良いですね。美味しいものがあると良いなぁ」
ユリは魔王城で出された食事を思い出した。皿の上のものがどれもぐねぐねと蠢いていたのだ。もちろん、一切手をつけなかった。
そのため、今はとてもお腹が空いていた。人間の街なら、ユリの口に合いそうなご当地グルメ的なものもあることだろう。
うん、それこそが、旅の醍醐味だよね!
生まれ変わっても旅が出来る。ユリは、それが心から嬉しかった。隣にいる魔王も、ちょっと怖い上司だと思えば、普通に接することが出来るのではないかと思っていた。