第18話 竜の谷
竜の谷に近づくにつれ、気温は徐々に下がっていく。出発地である魔王城と比べると、竜の谷はかなり北に位置していた。
寒さでぶるぶると小刻みに震えるヘレナに、ユリは上着を一枚かけてあげた。
魔族は寒さに強いのか、ユリはその寒さをほとんど感じていなかった。それでも、吐く息が白いことから、気温がかなり低くなっていることはわかった。
そのまましばらく歩き続けると、四人の前には巨大な岩壁が立ち塞がった。そしてその壁に入った亀裂のように、キラキラと光る谷が見える。
その光り方は、ドワーフの街で見たブラスクともまた異なっていた。
「あれが竜の谷です。いやー、こんな遠くから見ても綺麗なものですねぇ」
スモークはとても嬉しそうだった。
「な、なんでキラキラ光ってるんだ?」
震えながらヘレナが聞いてくる。スモークはまるで行ったことがある場所かのように話し出した。
「竜の谷には木がたくさん生えているんですが、なぜか全部結晶化してるんです。つまり、クリスタルみたいになってしまっている、と言うことですね。その美しさに惹かれて竜ヴァヴェルもやってきたと言われていますよ」
魔王が先頭に立って歩き出す。
「やつはこの私が倒す」
三人とも魔王に続いた。
そのまま谷の入り口までやって来ることが出来た。奥からは、ゴゴゴ、と怪しい音を立てながら、ゆっくりと風が吹いてくる。
それはまるで、巨大な竜の唸り声のようだった。
確かにスモークが言ったように、周りの木々はすべて結晶化しており、日の光をあらゆる方向に反射していた。その間をたくさんの細い滝が、かなり高いところから流れてきている。
谷の中は七色の光と水飛沫に囲まれ、その美しさはまさに「この世のものとは思えない絶景」だった。
ユリは思わずため息をつく。
先頭を歩いていた魔王が振り返った。
「ここから先は私とスモークで行く。お前たち二人はここで待つなり、帰るなり、好きにしろ」
魔王はぶっきらぼうにそう言うと、ユリたちの返事も待たずに前を向いてさっさと歩き出してしまった。
ユリはあまりのショックに、声が出なかった。
なぜここまで一緒に旅をしてきた魔王が、ここに来て自分を置いていくのか?自分は足手纏いなのだろうか?だとしたら、魔王に迷惑をかけないためにも、自分はここで身を引くべきなのか?
徐々に遠ざかっていく魔王の背中を見て、ユリは、もう二度と会えないんじゃないかという恐怖に駆られる。
…そんなのは嫌だ!
全速力で走り出すユリ。魔王に追いつくと、その腕を強く握った。
「一緒に行きます。足手纏いにはなりません」
後ろからはスモークとヘレナが駆け足でついて来ていた。待つか帰るように言われたヘレナは、グッと親指を立て、こちらに見せつけてきた。
「ボクの旅はまだ終わってない。怪我したら、治してやる」
魔王は自分とユリにかけていた変身の魔法を解き、二人は魔族の姿に戻っていた。この方が二人とも全力で戦えそうな気がしていた
谷を奥に進んでいくにつれ、道は険しくなっていく。人一人がやっと歩ける幅しかない箇所も多く、先頭から、魔王、スモーク、ユリ、ヘレナの順で一列になって進んでいった。
たくさん生えている結晶植物は綺麗だが固く、触ると怪我をしてしまいそうだった。
「竜、本当にいるのかな…ユリはどう思う?」
ヘレナがいつもの口調で聞いてくる。
「私はいないで欲しいと思ってるけど…い、いてもさ!魔王様とスモークさんの手にかかれば、シュシュシュ!って感じだよ!」
ユリはヘレナを怖がらせないよう、なるべく明るい口調で答えた。武器を振り回す変な動作もつけておいた。
そこに水を刺したのは魔王だった。
「竜はいる。さっきから凄まじい殺気をピリピリと感じるからな」
それでも歩く速度は緩めない。三人は黙って魔王について進んでいく。
しばらく進むと広い空間に出た。そしてその奥には巨大な鳥の巣のようなものがあり、明らかに「巨大な何か」がいた形跡がそこにはあった。
立ち止まる四人。ほっと胸を撫で下ろすユリ。
「よかった…竜はいなかったってことだよね?」
しかしその時、
キィィイイイイイイイン!!!
金属がぶつかり合う音が谷中に響き渡り、それと同時に、スモークの剣が宙を舞った。その剣はそのまま地面に突き刺さる。
「やっと正体を現す気になったか」
魔王は大鎌を丸腰のスモークに向けて、そう言い放った。
「ほほぅ、気づいていたんですか」
スモークは相変わらず、落ち着いた口調のままだ。ユリには状況が掴めない。
「最初からずっと私の隙を狙っていたんだろう?それにな、殺気が全然隠せていなかったぞ。あれではエルフたちに警戒されるのも無理はない」
ユリはその場に立ちすくんでいた。ヘレナもその隣で呆然と立っている。
なんで…?スモークさんが悪いやつ?魔王様の命を狙ってた?
ユリの頭が混乱する。だが目の前では、今にも魔王がスモークの首を跳ね飛ばそうとしている。
仲間…仲間ってなんだ?お互いを心から信頼出来るのが仲間じゃなかったのか?
スモークは旅の始まりからずっと様々な面で助けてくれていた。たくさんくだらない話もした。
それが今、裏切り?私たちは裏切られたの?
ユリはなんとか声を絞り出す。
「スモークさん。なんでなんですか!教えてください!」
スモークはいつものように笑い出す。
「ふふふ、何が知りたいんですか?私は最初から魔王さんを殺そうと、一緒に旅をしながらその隙を窺っていただけですよ。まぁ、途中でやはり竜の谷までご一緒する計画に変えましたが…」
スモークは続ける。
「この谷に生える結晶化した木々はたくさんの魔力を蓄えています。だからそれに釣られ、ヴァヴェルも西の国からこの地にやってきました」
魔王、ユリ、ヘレナは黙って聞いている。しかし、魔王は武器を構えたまま、一切隙を見せていない。
「魔力を十分に吸収したヴァヴェルは谷から姿を消し、この国を破滅に導く準備を始めた。そしてこの国で一番強力で邪魔な存在、魔王のことを知ったのです」
その魔王は、大鎌をまっすぐスモークに突きつけ続けている。
「それで私を殺そうとしたのか。この国を奪うために」
「そうだ。すべてを焼き尽くし、すべての生命を根絶する。それが我の望むこと」
魔王は面倒くさそうに、武器を構え直す。
「話はもういい。さっさと本当の姿を現せ。さもなくば、今すぐ殺す」
「ははははは!」
スモークは大きな声で笑い出す。しかしその途端、黒い霧が足元から現れ、男の体を包み込んだ。その霧はどんどん体積を増やし、見たこともない大きさにまで膨れ上がってゆく。
魔王は咄嗟にユリとヘレナを守るような位置につき、武器を構えた。
黒い霧は、徐々にはっきりとした形を作っていく。そしてそこには、大きな翼を携えた巨大な黒い竜が立っていた。
「我はヴァヴェル。存分に苦しみ、死ね」