第13話 別れ
ユリが倉庫の中の白い粉をすべて燃やし終わり広間に戻ると、スモークがブークを引きずりながら戻ってきた。魔王はまだキメラの体に身を寄せている。
「さて、こいつをどうするかですが」
スモークはポイッとブークを床に捨てると、剣を抜き、その切っ先をブークの首筋に当てた。
「あのような薬の使用、許すわけにはいきません。ここで私が処刑してしまっても構いませんし、薬の抜けた村人たちに判断を仰いでもいいでしょう。さて、全部あの粉のせいだったと知った村人たちがどうするか…」
怯えた表情で震えるブーク。
だが、イヴォーナはまだ心のどこかでブークを信じたいと思っているようだった。
「ブーク様、教えてください。なぜあの時、私にお父さんとお母さんを殺させたのですか?」
しかしブークは答えない。
「…今になって、私の頭の中で、二人の悲鳴が聞こえてくるんです。痛い、痛い、って」
「ゆ、許してくれ!」
ブークは剣先を首に当てられたまま、ついに謝罪を口にする。
イヴォーナがゆっくりと立ち上がった。すると落ちていた猛毒の小瓶を拾ってブークの元へと歩いていく。
その顔は、笑っていた。
「ブーク様、あなたは私たちに生きる幸せを与えてくださいました。でも、それはすべて幻だったんですね」
イヴォーナは突然ブークに馬乗りになると、小瓶の蓋を開けた。
「ま、待て!確かにお前たちを粉の力で操っていたのは事実だ!だがそれで得られる幸せと、そのほかの幸せ、何が違うと言うのだ!」
ユリは思った。旅をしながら友人たちと話したり、新しい景色を見たり、美味しいものを食べたりする幸せ…それと、薬物により得られる幸福感。一体何が違うのか?
もしかしたら、私たちの脳はそれを区別出来ないのかもしれない。でも、薬物によって得られる幸福など、安易な紛い物だ。
ユリは思い切り声を張り上げた。
「違うに決まっている!私たちは日々を過ごす中で幸せを追い求めているんだ!大変な時だってある。辛い時だってある。それでも、幸せになれると信じて、日々戦ってるんだ!そんな粉が与えてくれる幸福感なんて、本物の幸せなわけがない!」
イヴォーナはユリの方を見てそれを聞き終わると、大きく頷いた。
「私は、お父さんとお母さんと一緒にいるのが幸せだった。三人でご飯を食べたり、くだらない話をしたり、一緒にお出かけするのが大好きだった」
イヴォーナは強い力でブークの口を押さえつけると、無理やり口をこじ開けた。
「せめてものお礼です。静かにお眠りください」
そう言うと、イヴォーナは小瓶ごとブークの口に突っ込んだ。しばらくは苦しそうに暴れていたが、数秒もすると、体は動かなくなり、ブークは眠るように息を引き取った。
ヘレナはイヴォーナに駆け寄ると、思い切り抱きしめた。二人とも目には涙を浮かべていた。
「イヴォーナ、頑張ったね。もう大丈夫だから、もう大丈夫だからね」
「うん、ありがとう。ヘレナ」
抱き合う二人のもとに、ユリ、魔王、スモークも集まってきた。魔王は友の仇が無事取られたことに、少し安堵しているようだった。
「イヴォーナ、これからみんなと一緒に旅をしよう。旅って楽しいんだよ。いろんなものが見られたり、美味しいものが食べられたり…うちらには強いボディガードみたいな人たちもいるから、安心だしね」
ボディガードと呼ばれた二人…おそらく魔王とスモーク、は目を合わせ、「仕方ないな」とでも言いたげな顔をする。
「ありがとうね、ヘレナ」
すべてが解決し、イヴォーナも助けることが出来た。と思ったその時、イヴォーナはヘレナの腰につけられていた短剣を引き抜くと、ヘレナを突き飛ばした。
何が起こったのかわからず、そこにいる誰もが戸惑っている間に、イヴォーナは短剣を自分の腹部に思いっきり突き刺した。
「イヴォーナ!」
大声で叫び、倒れそうになる体を支えるヘレナ。イヴォーナはそのまま、まるで空気の抜けていく風船のように座り込んでしまった。
ユリと魔王も大急ぎでイヴォーナの体を支える。その間に、ヘレナは鞄の中から止血剤を取り出した。
しかしその手は、イヴォーナによって遮られる。
「いいの、ヘレナ。私ね、お腹にブークの赤ちゃんがいるんだ」
そこにいた全員の身体に電撃のようなものが走る。それと同時に、ブークへの大きな怒りがまたも湧き上がってきた。
「不思議だよね。赤ちゃんができたとわかった時には、すごい名誉だって喜んでたのに、今になると、もう後悔しかないんだから」
ヘレナは話を聞きながら、遮ろうとする手を無理矢理にでも振り払い、止血をする。しかし、腹部からは大量の血が流れ続けている。
「赤ちゃんに罪はないのにね…ごめんね。でも、世界一憎いやつの子供なんて、産めるわけないじゃん」
イヴォーナは目からボロボロと涙を流す。ユリとヘレナの頬にも涙が流れていた。
イヴォーナはひどく苦しそうな顔をする。短剣をかなり深く刺したようで、ダメージは内臓にまで届いているようだ。口からも血を吐き始める。
「ねぇ、ヘレナ」
「…何さ」
「私、お父さんとお母さん所に行けるかな?赤ちゃんまで殺しちゃった私なんかに、会ってくれるかな?」
ヘレナも涙をボロボロとこぼしている。
「バカだなぁ。子供と会いたくない親なんているわけないだろ」
そう言い終わると、イヴォーナは一瞬だけ笑顔になり、微かな声で「ありがとう」と囁いた。
そして、イヴォーナの腕からは完全に力が抜けた。
ヘレナはその小さくなった体を抱きしめると、いつまでも泣き続けていた。それを止めようとする者は誰いなかった。
村の墓地にはイヴォーナの両親の墓があった。四人はその隣に穴を掘ると、イヴォーナを埋葬し、出来るだけ立派な墓を建てた。
そして、そこにはヘレナが「永遠の友」と書き込んでいた。
無事に墓を作り終わると、雨が降ってきた。ヘレナは暗い空を見上げる。
「なぁ、ユリ。僕たちがこの村に立ち寄らなければ、イヴォーナは今も生きていたんだよな」
ユリには言葉が見つからない。
確かに、この村に立ち寄らなければ、イヴォーナは今でもあの宿屋で、一人で働き続けていただろう。白い粉から得られる幸福感を糧に、ひもじい生活を続けていたことは間違いない。
だが、そんなことはヘレナに言えない。この村に立ち寄ることを決めたのは、ヘレナ自身なのだ。
ユリは魔王に目配せをする。魔王も、今回の戦いで友であった魔物、キメラを手にかけることになってしまった。
「ヘレナよ」
魔王が口を開く。
「私は今回の戦いで友を失った。この村に立ち寄らなければ、今も生きていただろう」
ヘレナは俯く。
「私の友も、そなたの友も同じだ。薬漬けとなり、ブークに飼われていた。しかし、それが生きていたと言えるのだろうか?」
ヘレナは答えられない。
「私にもわからない。そもそも生きるとはなんなんだろうな」
魔王はユリの方を見た。お前からも何か言ってやれ、とメッセージが伝わってくる。
ユリは再度ヘレナの方に顔を向ける。唯一言えることを、伝えることにした。
「ヘレナ、宿屋の受付でヘレナを見つけた時のイヴォーナの顔、すごく嬉しそうだったよ」
「…ボクも、嬉しかった」
ヘレナは大声で泣き出した。その声も、涙も、すべて雨に流されていった。