第12話 ブークと白い粉
突然のショッキングな話に動揺するユリ。
「え、今なんて?」
ヘレナは繰り返す。
「だから、両親は二年前にイヴォーナが殺したらしい。ブークの命令でな」
食堂の奥からは鼻歌が聞こえる。イヴォーナは気分よく仕事をしているようだった。
「話が読めませんね。詳しく教えていただけませんか?」
スモークが会話に入ってきた。
ヘレナは食堂の奥の方を見て、イヴォーナがこちらに来ないことを確認すると、声を潜めて話し出した。
「さっき二人で話してた時に聞いたんだ。二年ぐらい前から、イヴォーナの両親がブークの悪口を言い始めたらしい。それでイヴォーナがブークに相談に行ったところ、イヴォーナの手で両親を殺せば二人とも天国に行ける、って言われたんだとか」
家族内で密告?独裁国家なんかであると言う?
ユリは昔テレビで特集されていた、社会主義国のドキュメンタリーを思い出していた。
しかし処刑を実の娘にやらせるとは、ブークと言うのはなんと恐ろしいやつなのだろうか。人間とは思えない。
ユリの心の中では恐怖と怒りがぐにゃぐにゃと混ざり合い、身体中が小刻みに震え出した。
「そのブークとか言うやつ、何者だ?」
魔王がテーブルに身を乗り出してきた。
「神様のような存在、ってイヴォーナは言ってたけど、話を聞く限り、こんなチンケな村を牛耳ってるいかれぽんちだな。村の人間はみんなやつの言いなりらしいよ」
村中に貼られたポスター。村の至る所に立っていた石像。
ユリの頭の中ですべてが繋がった。この村はブークという残忍な男を村全体で敬う、独裁村だ。
「こ、こんな村早く出ましょう!」
震えていたユリは、やっと声を出すことができた。しかしその時、
バンッ!!
凄まじい音と共に、玄関のドアが開く。そして様々な武器を手にした村人の男たちが、なだれ込むように宿屋の中に入ってきた。しかし、持っている武器はどれもボロボロに切っ先が欠けている剣や農業用の道具などで、とてもじゃないが十分な殺傷能力があるものではない。
「異端者はどこだ!!」
咄嗟に武器を抜く魔王とスモーク。だが魔王の大鎌を振るうには、十分な空間がなかった。となれば、戦えるのはスモーク一人だけだ。
「これは正当防衛、ですか?」
ユリに聞いてくるスモーク。だが、ここにいるのはあくまで村人だ。スモークの剣術の腕前ならば、皆殺しにしてしまうのは容易いだろう。だが、それでは村の男たちのほとんどが犠牲になってしまう。
どうすれば良いのか、ユリにはわからなかった。
「抵抗は無駄だ!異端者にはブーク様の審判を受けてもらう!」
その時、ヘレナが魔王とスモークに武器を納めるよう合図をする。
「抵抗するな。ボクたちが相手をしなくちゃいけないのはブークだ。こいつらじゃない」
素直に武器をしまう二人。
四人はそのまま村人たちに体の後ろで手を縛られ、外に連れ出されてしまった。
村人たちに引っ張られ、四人はブークの館へと連れて来られた。その先頭に立っていたのは、イヴォーナだった。
装飾が施された大きな扉を抜け館に入ると、中はとても広く、大理石のような石で出来た内装は隅々まで綺麗に手入れされている。細かなところまでよく手が行き届いているのがわかった。村の他の建物とは比べ物にならない。
一体何人の召使いがここで働いているのだろう?
そのまま四人は奥の部屋へと連れて行かれた。大きな机の奥には煌びやかな服を着た小太りの男が座っている。
「貴様らが異端者か」
縄で手を縛られた四人を順番に見ながら、男は話し出す。
「この村では部外者にまず私のところに来てもらうことになっている。イヴォーナ、偉いぞ」
男の方を見て頭を下げるイヴォーナ。
小太りの男は重そうな腰を上げると、四人の方に近づいてきた。
「自己紹介が遅れたな。私はブーク。この村を治めている。いつかはこの国も、世界も、私のものになる予定だ」
魔王はキッとブークの顔を睨みつける。何か言いたげだったが、黙っていた。
ブークは四人の前を右往左往しながら、話を続ける。
「私はこの村の人々に仕事を与え、生きる喜びを与えながら、今軍を編成しようとしているのだ。そして我が領土を広げていく。貴様らも我が軍に入りたいと言うのなら、この村に住まわせてやるし、仕事もやる。生きる喜びもくれてやるぞ?」
生きる喜び?
ユリは、先ほどからブークが繰り返すその言葉が引っかかっていた。一体ブークは具体的に何のことを言っているのだろうか。
「残念ながら、私たちは旅の途中です。この村に住む気もないし、あなたの軍に参加する気もありません」
スモークが敢然とした態度でそう言い切った。だが、ブークはあまり気を害していないようだ。
「なぁに、生きる喜びを知れば、考えも変わるさ」
そう言うと、ブークは自分の机の上に置かれていた袋を持って戻って来た。中に手を突っ込むとその手の上には小麦粉のような白い粉が載っている。
「さぁ」
ブークは魔王の顔に白い粉を近づける。それを見ていたヘレナの表情が突然変わった。
「ダメだ!絶対にその粉は吸っちゃダメだ!」
魔王は目の前に差し出された白い粉をふっと一息で吹き飛ばす。粉はそのままゆっくりと床に落ちていった。
「き、貴様、何をする!」
怒るブークを気にすることもなく、部屋に一緒に入ってきていた村人の男たち四人が、床に散らばった白い粉に群がった。押収していたスモークと魔王の武器は、いつの間にか床にほっぽり出されている。
「もったいない…もったいない…」
そう言って男たちは白い粉を鼻から吸い込んだり、舌で舐めたりしている。
なんなんだ、一体?
ユリは目の前に広がる異様な光景に身震いがした。そして、その正体を知りたいと思い、ヘレナの方を見た。
ヘレナは鋭い目線でブークを睨みつける。
「貴様!それを餌にイヴォーナたちを操っているんだな!」
ヘレナはユリたちの方を向く。
「これは禁忌の薬だ!吸い込んだものは一時的に幸せな気分になるが、もうその薬なしじゃやっていけなくなるんだ!」
覚醒剤…!?
ユリが以前暮らしていた世界でも、国によっては大きな社会問題になっていた。一度手を出すと、その快楽から逃れるのは難しいらしい。
まさかこちらの世界にも同じようなものが存在するなんて!
「なるほど。村人には住居や仕事を提供すると言い、貧相な生活を強い、自分だけは贅沢な生活をしていたと言うわけですか。村人の不満は定期的にその薬を配ることで解消していた、と」
スモークはそう言うと、手を縛っていた縄を自分の力で引きちぎった。魔王も同様に縄を引きちぎる。ユリとヘレナも挑戦したが、無理だった。
「外道が」
魔王はそう言うと、床に転がっていた自分の大鎌を魔法の力で手元に引き寄せる。
「人間にもここまで腐った奴がいるとはな」
魔王は大鎌を構えた。
「誰の許可もいらん。貴様は、殺す」
「ひぃいいいい!」
ブークは部屋の奥の方に逃げて行くと、壁から垂れ下がったロープを思い切り引いた。その間に、ユリもヘレナもスモークによって縄が解かれていた。
魔王がブークに跳びかかろうとしたその瞬間、奥から突然ライオンのような魔物が飛び出してきた。
しかし魔王は驚かない。むしろ、気軽に話しかけ始めた。
「なんだ、キメラじゃないか」
そう言うと、魔王は一旦武器を構えるのをやめた。
知り合い?
その魔物は、よく見ると肩から蛇が飛び出していたり、背中から翼が生えていたりと、ライオンのようで少々異なるようだった。しかしその目は虚で、正気が見られない。
「なんだ、忘れたのか?魔王だ。三年ほど前まで魔王城にいたではないか」
キメラと呼ばれた魔物は、ぐるるる、と喉を鳴らしている。
「無駄だ!」
倒れたブークが大声を出す。
「そいつはもう私の言いなりだ!キメラ!こいつらを食い殺せ!」
鋭い爪で魔王に襲いかかるキメラ。しかし軽やかな動きでその攻撃を避ける。
「何をしている。お前は私の配下だったろう。正気に戻れ!」
しかし、何を言ってもキメラの耳には入らない。いや、入っていても、頭がもう、それを理解出来ていなかった。
その時、スモークはいつの間にか自分の剣を手に持ち、ブークに切り掛かった。それに気づいたキメラが、魔王を襲うのをやめ、ブークを守るようにスモーク目の前に立ち塞がった。
ドスッ!
ブークを狙っていたスモークの攻撃は、そのままキメラの脇腹に当たってしまう。深い切り傷からは大量の血が吹き出し始めた。
「キメラ!」
咄嗟に魔物に駆け寄る魔王。
それだけ、以前は大事な存在だったのだろうか、とユリは見ていて思った。
「ええい!早くこいつらを殺せ!!」
床に尻餅をついたまま、叫び続けるブーク。
キメラは魔王の首筋に噛みつこうとする。しかしその首元を手で押さえつける魔王。キメラは微動だに出来なくなった。
「貴様…キメラまで薬漬けにしたのか!?」
ブークを至近距離で睨みつける魔王。その表情は、ユリが今までに見たことのないほど恐ろしいものだった。
「殺してやる!」
そう言うと魔王は手で押さえていたキメラを後方に投げ飛ばし、代わりにブークの首を掴んだ。
しかしその時、
「やめてください!」
魔王の腕を払おうとしたのは、イヴォーナだった。しかしその力は弱く、魔王の腕はびくともしない。
「ブーク様を傷つけないでください!ブーク様は絶望する私たちに希望を与えてくださいました!ブーク様がいなくなってしまったら、私たちはどうやって生きていけばいいんですか!」
「すべて幻だ!」
魔王の掴む手に力が入る。ブークは今にも窒息しそうなほど苦しそうだ。
それでも、ふざけた言葉を口から絞り出す。
「そうだ。私を殺したらここにいる人間がどうなるかわかるか?ここの人間は皆様々な理由で生きる希望を失っていたものたちだ。私は彼らに生きる喜びを与えたんだぞ!」
「それは違う!」
ユリは大声で叫ぶ。
「あなたは薬の力で人間を自分の好きなように操っているだけ。そんなの生きる喜びなんかじゃない!」
「貴様らに何がわかる!」
ブークは相変わらずジタバタしている。イヴォーナはなんとかブークを魔王から引き離そうとするが、魔王はその手を離さなかった。
「お前がイヴォーナに両親を殺させたと聞いた」
ヘレナがブークに近づく。ブークは見下すような視線でヘレナを見た。
「私のやり方に不満があるものなど、この村にはいらん。あの粉さえあれば、どんな人間も想いのままだ!」
ヘレナは持っていたカバンから黙って小瓶を取り出し、ブークに見せつける。
「これはボクが調合した猛毒だ。苦しむことなく死ねる」
それを見て、ブークは身震いする。
すると、イヴォーナがヘレナの目の前に立ち塞がり、大きく両腕を広げた。
「ヘレナ、あなたならブーク様の偉大さがわかると思ってた」
「逆だよ、イヴォーナ。君なら、こんなやつに騙されないと思っていた」
「私は騙されてなんかいないわ」
少女たちが対峙する。
ヘレナがイヴォーナに手を差し出した。
「全部、あの粉のせいなんだ。苦しいだろうけど、しばらく使うのをやめたら元に戻れる。一緒に行こう」
「無駄だな!」
苦しそうな姿勢でブークは言う。
「粉の効果が切れたら、両親殺しの罪悪感が襲ってくるだろう!まともな精神じゃ生きてなんかいられないはずだ!もうこいつは粉なしじゃだめなんだよ!」
ユリは気がついた。ブークがイヴォーナに両親を殺させたのは、より一層あの粉とブークへの依存度を上げるためだったのだ。
…なんという鬼畜!
ユリは自分の魔法で焼き殺してやろうと、ブークに向かって手を伸ばす。しかしそれはヘレンに制止された。
「ユリは、そこにある粉を燃やして。たぶん、まだこの屋敷の中にたくさんあるから、全部お願い」
ユリは静かに頷くと、テーブルの上に置いてある粉の入った袋に向かって火の魔法を唱えた。一気に燃え上がる炎。粉は一瞬にして灰になった。
「ああ、私の粉が…高いのに…」
ブークは殺されそうになっているというのに、まだ金に執着していた。
ヘレナは再度イヴォーナに訴えかける。
「イヴォーナ、もうやめよう?君の面倒はボクが見る…だから、ブークを守ろうなんてしないでくれ!粉がなかったら、こいつはただのクズだ!」
イヴォーナは首を横に振った。
「ヘレナ、あなたは何か勘違いしているようだけど、私たちはあの粉に救われたんじゃないの。救ってくれたのは、ブーク様よ。私たちはブーク様を愛している。あの粉がなくたって、私たちはいつまでも…ブーク様を…」
その時、イヴォーナの手が大きく震え出した。
「う…うぐぅ…!?」
「…離脱症状だ。君の家にあった白い粉はボクが全部没収しておいたからな」
イヴォーナはまた大きく首を左右に振る。
「ち、違う…私たちはあんな粉なくたって…!」
苦しみ始めるイヴォーナ。ヘレナが鞄の中から別の小瓶を取り出す。
「これを飲んで。少しは気分が良くなるはずだから…」
「あなたの助けなんていらない!」
イヴォーナはヘレナの手を振り払い、薬が床に転がる。
「苦しい…助けて…お父さん、お母さん…」
床に倒れ込み、頭を掻きむしりながら、のたうち回るイヴォーナ。それを見たブークが助け舟を出そうとする。
「粉ならまだ倉庫にたくさんある!おい、お前たち、なんとかして私を助けろ!」
先ほどまで床を舐めていた村人たちも武器を持って立ち上がり、まずは魔王に襲いかかる。魔王は一旦ブークを離し、大鎌で村人たちを処理した。しかし、それに続いて、先ほど投げ飛ばされたキメラが魔王に襲いかかった。
「お前もいい加減正気に戻れ!」
だが、キメラの目は死んだままだ。それでも全力で襲いかかってくる。魔王はその力と重量を一人で抑え込むのが精一杯だった。
その隙を見て逃げ出そうとするブーク。しかしその足を、床に転がり苦しんでいたイヴォーナが掴んだ。
「ブーク様!お助けください!ブーク様!」
「ええい、うるさい!自分の親を殺したこのクソガキが!」
ブークは思い切りイヴォーナの顔を蹴ると、そのまま屋敷の入り口目掛けて走って行ってしまった。
ブークを追いかけるスモーク。ヘレナは、倒れたままのイヴォーナに駆け寄った。
「イヴォーナ!」
イヴォーナは蹴られた衝撃で口の中を切ったのか、口から血を流していた。
「…私、お父さんとお母さんを殺したの…?」
「いいから、まずは薬飲んで」
ヘレナは床に転がっていた小瓶に入った薬をイヴォーナに急いで飲ませる。すぐに気分が少し落ち着いたようだった。
「お父さんとお母さん、あの粉を吸うのをやめたの…そしたら、ブーク様の悪口ばかり言うようになって、だから私、ブーク様にどうしたらいいのか相談して…でもどうして二人が死んだのか、思い出せなくて…」
イヴォーナは記憶が一部混乱している様子だ。
ヘレナはそっとイヴォーナの手を取った。
「君のご両親を殺したのは…ブークだよ」
イヴォーナはヘレナの手をそっと握り返して、首を左右に振った。
「いいえ、ブーク様がそんなことするわけないわ。ブーク様はいつでも私たち全員の幸せを願っているもの」
その時、部屋の奥で動きがあった。魔王がキメラの心臓目掛けて大鎌を大きく振ったのだ。その攻撃は一撃で心臓を突き破り、キメラは動かなくなった。
魔王はそのライオンのような巨体を全身で受け止めた。まるで古い友と抱擁するかのように、しっかりと抱きしめていた。
「…さよならだな」
魔王はそう一言だけ口にした。