第5話 売値に買値
錬金術師と呼ばれる者は、皆往々にして執着心が強い。自分の納得するポーション1つ作るのに人生を費やす者もいる。そのせいか魔術師や剣士、僧侶に比べると圧倒的に知名度が低い。彼ら同士のコミュニティは狭いため知り合いが多いが、他の人から見ればただの浮浪者の集まりである。
それに比べると、アイリスはまだ社交的な錬金術師と言えるだろう。旅の道中、村に立ち寄ってポーションを配ったり魔物を討伐して村を守ったりしている。だがそれも、本当に貧しい村や気に入っている集落に対してのみである。錬金術師は決して、自分の技術を安売りしない。
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聖暦500年 5月31日
荒野を抜けるのには2ヶ月ほどかかった。道中魔物に遭遇したり、去年にはなかった深い渓谷ができていたりと予想外の出来事が多く続いたからである。アイリスの本来の予定では1ヶ月で抜けるはずだった。このままでは町に辿り着くのが遅くなり、稼ぎ時を逃してしまう。アイリスは苦渋の選択をせざるを得なかった。
「いーや。絶対にダメだね。このポーションはそんな安い金で買えるような代物じゃない」
「そこをなんとかアイリス様。そのお値段では我々の商隊が今持っている金貨が全部無くなってしまいます……」
アイリスは荒野を抜けてアルム高原に足を踏み入れていた。アルム高原には小さな村が点々とあって、その村を町の商隊や行商人たちが訪れることが多い。アイリスは丁度町に戻ろうとしている商隊を捕まえて、一緒に連れて行ってくれないかと交渉していた。
「けどこれは貴重なポーションなんだ。そんじょそこらの錬金術師じゃ作れない代物だよ。荷台に乗せてくれる代わりになんでも1つポーションを売るって言ったけど、この値段で満足できないなら他を探すことにするよ」
アイリスはポーションを絶対に安売りしない。それは他の錬金術師の生活を守るためでもある。ポーションは1つまともに作れるようになるのに何十年もかかる。そんな技術の結晶を1人の錬金術師が低い値段で売っていると知られれば、当然他の同業者は困るだろう。価格競争に負けないよう値段を下げ続けなくてはならなくなる。だからこそ、ポーションを売る時は必ず見合った対価を妥協せず要求するのが暗黙の了解になっている。
「では、金貨50枚でどうでしょうか?」
「ダメ。60枚」
「55枚!」
「60!」
「おいクバール、何やってんだ」
商第の隊長がアイリスと値引き交渉をしていた青年、クバールに話しかける。
「隊長。彼女がなんでも1つポーションを売る代わりに荷台に乗せて欲しいそうです。私はこの珍しいポーションがいいかと」
「解毒の上級ポーションか。確かに珍しいな。中々作れない代物だから市場にもあまり出回っていない。それで、金貨何枚欲しいんだ?」
「60枚あれば割に合うよ」
「こっちの割には合わないな。やめだやめだ。嬢ちゃん、他にはなんのポーションがある?」
「なんでもあるよ。何がいい?安いやつだと皿洗いのポーションとか。かけると皿の汚れが一瞬で落ちる」
「なんじゃそりゃ。水でいいだろ。それよりもっと実用的なものはないのか?回復のポーションとかさ」
「これも十分実用的だと思うんだけど……」
アイリスはそう言いながら皿洗いのポーションをポーチにしまって、代わりに回復のポーションを取り出す。それを隊長に手渡すと、隊長は興味深そうに見回した。
「ほう、質がいいな。値段は?」
「金貨5枚だよ。去年のは効き目が悪いから少し値段を下げてるんだ」
「よし。今これ何本ある?」
「20本はあるけど」
「全部買おう」
「え!?隊長!?そしたら金貨100枚ですよ?今日稼いだ分の殆どが無くなっちゃうじゃないですか!」
「バカ野郎。町でこのポーションを売ってまた稼ぐんだよ」
「待って。転売を許した覚えはない。もし売るんだったら先に値段を教えなさい。もし不相応な値段で売ってるなんて知られたら彼らからまた苦情がくる」
「"彼ら"ってのは、錬金術師界隈のことか?だったら安心しな。嬢ちゃんが売った値段に少し上乗せするだけだ。金貨5枚に銀貨3枚。どうだ?これなら誤差の範疇だろ」
「今の金貨は1枚で銀貨5枚に換算できるから……そうだね、これなら他の錬金術師も文句は言わないだろうし、君たちも全部売れば利益率は申し分ない」
「隊長、本当に全部売れるんですか?」
クバールは心配そうに隊長を見つめる。
「安心しろ。今町周辺には魔物が大量発生していて回復のポーションが不足してるんだ。需要は高い」
「魔物が大量発生か。それなら冒険者ギルドは賑わってるだろうね。私も早く向かわなきゃ」
「荷台に乗りたいんだったな。いいぜ。飛ばして行く」
アイリスは回復のポーションを全て売った後、荷台に乗って町へと出発した。今までずっと徒歩での移動だったため足を休めながら移動できるのは有り難かった。しかし馬車は野営と休憩する時以外止まることがなかったため、彼女の寄り道癖は矯正させられることになった。
「あー待って待って!あそこに貴重な薬草がー!!」
「前にも言ったろこの馬車は特急便だ」
「そんなぁぁ〜〜〜」
アイリスは残念そうに荷台の中へと身体を引っ込めるが、すぐに鼻歌を歌いながらポーチの中のポーションを整理し始める。クバールはその様子を不思議そうに眺めた。
「〜♪」
「なんだか、気分が良さそうですね」
「そうかな?そうでもないよ。さっきも貴重な薬草を逃しちゃったし」
アイリスはそう言っているが、側からみれば明らかにテンションが高い。これは気温が徐々に上がってきているからでもあるが、町が近づいているからでもある。
「ねぇクバール、冬の間町はどうだった?何か異常はない?」
「いいえ。特に何も起きてないですよ。いつも通り雪が降ったぐらいです」
「そう。ならよかった」
「……町のこと、気に入ってるんですか?」
「どうしてそう思うの?」
「毎年夏にだけ現れる錬金術師。それってアイリス様のことですよね?」
クバールは真剣な表情でアイリスの顔を見つめる。アイリスは彼の質問にどう答えるか悩んでいたが、彼にとってその反応こそが答えだった。
「さっきの回復のポーション、私も拝見させてもらいました。使われている材料がどれも同じ時期に加工されたものでした。つまりあれほど質のいいポーションを一度に大量生成していることになります」
「君、見る目がいいね。商人に向いてるよ」
「ありがとうございます……じゃなくて、どうしてそれほどの腕を持っているのに、王都ではなくあの町で活動されているのですか?」
「……君、王都や聖都で私の噂を耳にしたことはある?」
「……いえ。ありません」
「つまりその程度の実力ってこと。どこにでもある小さな町の、ちょっとした有名人。ただそれだけの存在だよ。……最初の質問に戻ろうか。私が町を気に入っているかどうか」
アイリスは笑顔でこう答えた。
「大好きだよ。特に真夏のあの町が、ね!」