第3話 夜は寒い。だけど美しい。
錬金術とは、元来身体の魔力が少なかった人間族が魔獣や魔物、魔人族と渡り合うために編み出した手法である。錬金術には3つの派閥があり、あらゆる生物を材料として混ぜ合わせ、少ない魔力で大きな効力を得られるポーションを生み出す合成派と、魔力を通す金属を加工し、緻密な設計で作られた魔道具を扱う構築派、そして最後に魔人族が用いる魔印を解読し、それを改良して書物にする魔導派が存在する。
魔導派はすでに独立した体系を保有しており、魔導派に属する者は魔術師と呼ばれている。アイリスは特段派閥を意識したことはないが、得意とするのは合成派の手法だった。
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聖暦500年 3月20日
宙吊りのアイリスのもとにアグリバナが自身の花弁を開いて近づいてくる。花弁についている棘には干からびた鳥獣が突き刺さっていた。アイリスはポーチから火炎のポーションを取り出し、花弁に向かって投げつける。瓶が棘に当たって割れると、液体が飛び散ってその液体が瞬時に燃え始めた。
アグリバナはもがき苦しみ花弁を閉じようとするが、アイリスはすかさず状態促進のポーションを花弁に投げ込む。すると炎が一気に燃え広がり、アグリバナ本体までも包み込んでしまった。アイリスの足を掴んでいた蔓が燃え千切れて、彼女は自由落下する。アイリスは再びポーションを2つ取り出すと、それを同時に地面へ投げつける。
――パリンッ
2つの瓶が割れると、液体は相互反応を引き起こし白いフワフワとした綿毛が大量発生して落下してきたアイリスの身体を受け止めた。
「ふぅ……」
アイリスは綿毛のベッドから降りて、燃えるアグリバナを見上げる。アグリバナは灰になる前に、周りに生息していた魔性植物の蔓によって徹底的に粉々にさせられた。魔性植物は炎に対して非常に敏感で、燃え広がらないよう自身の姿を晒してでも排除する。炎はすっかり消えてなくなり、まるで何事もなかったかのように魔性植物たちは元の位置に戻っていた。
「……さっさと森を抜けよう」
アイリスは綿毛の下から荷物を引っ張り出して再び直進を始める。時々足を止めて休憩したり、珍しい植物を見つけて採取したりなどしていると、森を抜けた頃にはすっかり夕方になっていた。だがそれもアイリスにとっては予定通りのことである。森を抜けると荒野が広がっており、そこで一晩を明かすのがアイリスのお気に入りだった。
アイリスはまたしばらく歩き、森が小さく見えるぐらいの場所に移動した。その頃には辺りは真っ暗になっており、アイリスは荷物を降ろして野宿の準備を始める。
「天幕を張って、敷物を敷いて、光のポーションを置いて……よし。あとは……」
アイリスはポーチからグラノドラゴンの尿が入った小瓶を取り出し、野営地の周りを囲むように撒いた。この荒野はかつてグラノドラゴンが生息していた場所であり、アイリスに討伐されて以降別の個体は姿を見せていない。しかし彼らの獲物だった獣たちはまだ生息しているため、天敵の尿を撒くことで獣避けを行っている。
「今日の夕食は干し肉と乾パン。……はぁ、この食事があと数ヶ月続くと思うと、気が滅入る」
愚痴をこぼしながらアイリスは乾パンに齧り付く。春になったとは言え、夜まだ寒い。アイリスは持ってきた毛布を何枚も身体に巻いて、暖和の上級ポーションを3本飲む。1本で冬を越せるぐらいの効力があるのに、3本飲んでも効き目が薄い。元々エルフはポーションの効きが悪いが、アイリスのそれは常軌を逸していた。
「工房がある自分の家では毎日6本作って飲んでるからなんとかなってるけど、旅ではポーションを節約する関係上、どうしても……うぅ……」
自身の今の境遇を独り言で呟きながら、干し肉と乾パンを平らげる。寒い夜はさっさと寝てしまうのが一番だ。だがアイリスは天幕に入らずその場でゴロンと寝転がる。アイリスの瞳には満天の星空が広がっていた。この荒野では雲ができにくいので星が綺麗に見える。この光景を見るためにわざわざ夜になるまで移動を続けていたのだ。
「もう何年も見続けているけど、星空は変化することなく天球に張り付いている……」
長命なエルフにとって、自然だけがずっとそばに居続けてくれる友であった。アイリスにとってもそれは変わらない。しかしアイリスは知っている。ずっとそばに居なくとも、友達は友達なのだと。
「……寝よう。町まではまだ遠い」
しばらく眺めた後、アイリスは天幕の中に入り目を瞑る。汗がほとばしる暑さの中、陽気な町の中心で踊る友達の姿が、瞼に浮かんだ。