第2話 春は旅に出よう
エルフは普通冬が好きで、夏を嫌っているが、アイリスはその逆だった。また、本来エルフは夏から秋にかけて徐々に体内の魔力が増加していき、冬に自身の最大魔力量に到達するが、アイリスは冬から春にかけて魔力が増加していき、夏にピークを迎える。しかし、アイリスは他のエルフと違って魔力量は人間と大差ないため、この性質はただの短所に過ぎない。
だからこそアイリスにとって、少ない魔力で様々な応用ができる錬金術という手法は非常に魅力的なものだった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
聖暦500年 3月20日
家の戸締まりを確認したアイリスは、荷物の最終確認を始める。町への道のりは遠く、ここから歩いて3ヶ月はかかる。途中で忘れ物に気づいたとしても取りに帰る時間はない。
「野宿用の天幕に食料と水、それらを入れるための背負い袋。あと各種ポーションと採取した材料を入れるポーチと、狩り用の弓と矢、そしてローブ……うん、全部揃ってる」
アイリスは荷物を持って村の出口に向かう。まだ早朝のため村人たちは家で寝ている。
「……行ってきます」
小さな声でそう呟き、村をあとにする。
村から出てしばらくは草原地帯が続く。雪はすっかり溶けており、登ろうとしている朝日が高草を照らし、彼女の足取りを軽くする。ここはまだただの草原だが、少し歩くとグリム草原と呼ばれる土地になる。そこには魔草と呼ばれる特別な草が生えており、回復のポーションを作る時には必須のアイテムである。
「去年はあまり生えていなかったけど、今年はどうだろう……」
アイリスはやがてグリム草原に到着する。さっきまでの草原と比べて草木の色が濃く、薄い魔力を帯びた霧がかかっている。アイリスは魔除けの糸を編み込んだローブを着て、慎重に歩き始める。
この草原は稀に魔物が出没するため普通の旅人は迂回して町に向かう。だがアイリスは魔草の採取と近道を理由にいつもここを通っていた。
「うんうん、豊作だね。これなら上級ポーションも作れちゃうかも」
アイリスは慣れた手つきで魔草を引き抜いていく。採取した魔草はポーチに入れる。暴食獣の胃袋で作られたポーチは両手におさまる程度の大きさだが、中にはその何倍も収納することができる。
アイリスが鼻歌を歌いながら周りにある魔草を片っ端から抜いていると、遠くから獣の雄叫びが聞こえてきた。
「……グリムスかな?」
グリムスとはグリム草原固有の魔獣であり、1匹倒したら100匹襲い掛かってくるほど数が多く、仲間想いな獣である。ただあまり強いわけではないので、よく初級冒険者の最初の依頼として駆除されることが多い。
「相手するのはめんどくさいし、魔草も十分採ったから早いとこ抜けちゃおう」
アイリスは立ち上がり駆け足で草原を進む。進んでいると段々と霧が晴れてきて、目の前には雲にも届きそうなほど高い木々の森が現れた。この森はバサラの森と呼ばれ、危険な魔性植物が数多く生息しており、旅人がグリム草原で迂回するのはこの森を避けるためでもある。
普通の森林は林冠の影響で朝は夜のように暗くなるが、バサラの森の林冠には小さな光源が何個もある。下から見上げるとそれが夜空の星々のように見えて美しい。だがその光源には絶対に近づいてはならない。その光源はラムジュと呼ばれる魔性植物の種子であり、光に近づいてきた鳥獣を蔓で貫き生き血を吸っている。
「空を飛べるというのも、難儀だよね」
アイリスはどんどん森を進んでいく。こんな魔性植物だらけの森で野宿なんてしたら、明日には骨すら残っていないだろう。踏んでいい場所と踏んではならない場所を見極め、垂れている蔓に触れないようにしながらただ前へと直進する。このまま直進していればいずれ森を抜けられたはずだったが、アイリスは途中で足を止めた。
「これは、アリアケダケ!」
アイリスは興奮しながらしゃがみ込み、根元に生えているキノコを見つめる。アリアケダケとは一年のうちに不定期で生えてくるキノコであり、夜明けと共に生えてすぐに胞子となって消えてしまうため、こうして形になっているのを見たのは久しぶりだった。
「えっと、状態維持のポーションはどこにしまったっけ……」
アイリスは慌ててポーチの中を覗く。
「あった!これを上から慎重にかければ……」
アイリスは状態維持のポーションをアリアケダケの上に垂らす。ドロっとした透明な液体がアリアケダケを包み込んでいき、ゲル状の固形になった。そして根元から丁寧に引き剥がせば、形を保ったままアリアケダケを採取することができる。
「そーっと、そーっと……よし。採取完了。思わぬ収穫だね。売ってもよし。材料にしてもよし。食べるのは……やったことないかも。どう料理したら美味しいのかな。今度クラインに聞いてみよう」
妄想を膨らませながらアイリスはアリアケダケをポーチにしまって足を一歩踏み出す。だがしかし、彼女の次の足が地面を踏むことはなかった。
――ビュン!
アイリスの片足が物凄い速さで上へと引っ張られ、それと同時に身体も宙に舞い上がる。
「……油断した」
逆さ吊りにされたアイリスの目の前にはアグリバナがいた。魔性植物であり、巨大な赤い花弁に鋭い棘が無数に生えている。これで蔓を使って捕まえた獲物を丸呑みにし、穴だらけにして血を吸うのだ。
背負い袋が下へと落ちていったため、括り付けてあった弓と矢も同時に地面へと落下した。だが幸いにもポーチだけはしっかりと握っていたので、錬金術師としての本領は発揮できるだろう。
「あんまりポーション、使いたくないんだけど」