第5章 戦場の詠歌
マリラは立ち止まった。そこには微笑があった。
「ふぅん……お前の言わんとすることは知っておるよ。人は愛を継承していくものだ。憎しみに転じようと、争いのもとになろうと、さまざまに愛の形を持ち得ていなければ、人は生きていけぬ。
慈しみ、癒し、安らぎ、あらゆる善。それらによる幸福は一瞬であるが、それを積み上げて人は生きるのだ。お前にはもう分からなくなっているのだよ。さあ、聴くがいい」
マリラの右手が短槍を高く掲げた。母艦から一艘の艦が降り、セバン高原に音楽が鳴った。ガーランド軍楽隊は奏でた。楽隊艦から流れる調べはアナザーアメリカンなら誰もが知る祈りの詠唱だった。その旋律は二重三重に束ねられ、素朴の名残りを伝えつつ、魂の荘厳に満ちていた。
楽隊はいつもの編成を解き、通底音の長いホルンを多く加えてあった。その隣で大型の弦をつまびいているのはヤルヴィ・アダンだ。
「キリアン、聴いてる? これが僕の戦いだ。僕の大好きなカレナードもミナス・サレで一緒に詠ってくれると思う。スピラー隊もコクピットを開いて力を貸してよね」
楽隊艦から詠唱が始まった。崖は反響板となった。声はあたり一面にこだまし、マリラとグウィネスを包んだ。
『おお、偉大なる存在よ。今から我らはいかにして詠い始めようか。
青い夜がそこまで来ているこの時に。
大地に立ち、岩に腰を下し。さあ、始めよう、祈りの詠いを。
永い夜と冷たい闇を抜けるまで』
楽隊だけでなかった。ガーランド・ヴィザーツの手の空いている者が加わった。トール・スピリッツやスピラーのコクピットを開けて、パイロットまでが詠っていた。母艦の艦橋でもレーダー班とマギア・チーム以外が通信をオープンにして声をそろえた。
グウィネスは短剣を両手にして、苛ついていた。
「戦場に歌だと? しかも本式の詠唱歌ではないか……えい、なんと忌々しい言の葉だ……」
『青い夜が下りてくる、玉蜀黍の芽吹く畑に。
青い夜が下りてくる、みどりごの眠る屋根に。
大いなる存在よ、偉大なる精霊よ。我らの魂を一つの道につなげ給え。
太陽が西に沈む如く、命の火が消え、青い夜が降りてくる。
その時、我らは天を仰ぎ、やがて大地に還る魂を見る、青い夜の帳のなかに。
温かき闇よ、精霊のふところよ。
善き行いが我らを作り、美しき行いが我らを導く。
祈りの詠いとともに生きるかぎりの道を行く』
遠くミナス・サレの朝堂にオープン回線から歌声が流れた。それはすぐに全城放送に乗せられた。ジュノアは領国民にうながした。
「我らも祈りの詠いを行う時でありましょう」
カレナードはマリラを想い、詠唱の旋律に身をゆだねた。
セバンでは、再びグウィネスが踏み込んでいた。マリラに迫り、あらゆる角度から激しく切り込んだ。それはことごとくかわされ、魔女をますます狂暴にした。逆にガーランド女王は余裕で短槍を操った。軽い金属音を放ちながら、グウィネスの刃をはじいていた。
「グウィネス、この槍は私の血と肉を吸った。冬至の夜明け前、私はウーヴァの前で儀式をしたのだ」
しなった槍が魔女の左手から短刀をもいだ。マリラは続けた。
「この槍の赤い部分は私の血肉、黒い部分は大地精霊より分けられた鉱物。お前を送るための捧げ物だ」
軍楽隊の詠唱が降り注ぐ。
『精霊の夜は春小麦の芽吹く畑に、冬小麦の芽吹く畑に。
精霊の夜は鎮魂柱のてっぺんに、祭礼の祠に、あまたの道祖碑に。
おお、青い夜よ、白い夜よ、大山嶺の大霊よ。
我らが魂の安息を託す。永遠の安息よ、誰もがいずれ行く、その場所に』
魔女は雄叫びを上げた。
「やかましい! やかましいぞ、マリラ・ヴォーめ! 私はお前を!」
右手から短刀が落ちた。マリラの槍は細い鞭と化し、魔女の手首に巻きついた。
「おのれ、マリラァァァ!」
グウィネスの体が震え始めた。
「力が、ウーヴァの力が抜けていく。その槍ッ……!!」
女王が鞭を引き寄せるや、魔女の体はつんのめった。倒れた体の背に、右腕を鞭ごと回され、悲鳴が上がった。マリラの手が鞭を滑ると紐状になり、グウィネスの左腕と体を縛った。
「ウーヴァがお前に引導を渡すぞ、玄街の魔女よ。見苦しくないようにしてやろう。お前のためではない、玄街軍の兵士たちのためだ」
マリラはコートのポケットから薄い布を取り出した。風に広がったそれはまだらに赤かった。
「ウーヴァに捧げた私の血だ。これに包まれれば、お前は声を失うだろう」
「ハッハァ! これで私に勝ったと思うてか、ガーランド女王! お前は勘違いしている。人の世がある限り、私は存在する。どこにいようと誰であろうと、私という邪悪も受け継がれるのだ」
「黙れ、バケモノ」




