第5章 反撃へのカウントダウン・2
ワイズ・フールは大量の自白剤をもってしても、死ななかった。虫の息でも彼は謎の生命力に支配されていた。
ヒロ・マギアは言った。
「玄街コードの影響だと思うよ。オレっちの見立てでは、ほら、紋章人が浴びたのと同じくらいの……身体強化もしくは精神汚染的な強烈コードだな。解析で共通のコードを見たよ。母艦の端から吊るしておく?」
トペンプーラは首を振った。
「いいえ、冬至まで生かしておけない危険物デス。女王とウーヴァの力を借りるとしましょう」
マリラは嫌悪感を押し殺していた。
「参謀室長、フールの件は承知した。ウーヴァに喰わせてやる。ただし、私の執務室と寝室を通るのは許さぬ。ジーナ、女官用の通路に一つ穴を開けろ。情報部員が生き抜ぎの場に入るときは私が盾になると伝えろ。あとで全員お祓いをしてやる。よいな!」
こうしてワイズ・フールは闇に消えた。マリラは開けた穴を二重に塞いだ。ジーナはお祓いのあと、熱い茶を淹れた。
「女官用通路に防御壁コードを使いました。丁度よろしかったのですわ。さぁ、ゆっくりなさいませ。大事の前の小事を終えたのですから」
「そうだな、一つ終わった。グウィネスがフールに何を仕掛けていようと、ウーヴァの前ではどうすることも出来ぬはず」
茶を飲んだあと、マリラの心は前だけに向けられた。この夜、ガーランド母艦とミナス・サレの艦隊、ミナス・サレ軍はささやかに早い冬至祭を行った。全ての準備を終え、束の間の休息と英気を養う夜だ。
出陣の時が来た。18日の正午、カレナードは例の衣装に身を包み、芳翆城の屋上に立った。ジュノア・アガンも領主の正装で隣に立った。
ミナス・サレ領国の幟が多数はためく中、カレナードが握るマリラの文章旗はひときわ白かった。
離陸していく艦船から発光信号が送られるたびにカレナードは旗を振り「オンヴォーグ」を唱えた。続いてミナス・サレ軍が離陸した。本城前の庭や広場、あらゆる窓やベランダで、ミナス・サレの民は手を振った。ルビン・タシュライを乗せた新造巡行艇が白と緑のすっきりしたシルエットを現わすと歓声がわいた。
「ジュノアさま、工廠はいいものを造りましたね」
「そうでしょう、カレナード。あの緑はミナス・サレの民の半分は遊牧の民だったのを忘れないためよ。必ず無事に戻ってくるように、天よ、お守り下さい」
2人の女は、ガーランド旗艦アドリアンがしんがりで黄鉄回廊に入っていくのを見届けた。アドリアンに深々と頭を下げたあと、ジュノアはカレナードを抱擁した。
「いつの日か、このことを後悔なく語り合えますように!」
「ジュノアさま、ガーランド女王もそう願っております!」
静かになったミナス・サレは後方の仕事に専念した。ジュノアは戦後に備えるために、カレナードは全軍を守るために、それぞれの仕事に戻った。
嵐の前の静けさがアナザーアメリカを覆った。冬至前の暗い朝と暗い夕べ、人々はかつてない破壊の傷跡を慰めようとした。反射砲はオルシニバレ山脈を越えて海に面した領国をおびやかしていたが、冬至を前に数日沈黙している。
ラーラの耳はずっと異変を感じていた。反射砲攻撃がない日もピリピリと妙な感覚が消えない。
「慣れるかと思ったけど、慣れないわ。シャル、どういうことかしら」
「病気でないなら心配するな。腕の良い医師が診たんだからさ。レー先生は俺の同期生の母上なんだ」
「キリアン・レーね、カレナードから聞いたことがある。彼はどこにいるの?」
「さあな。ガーランド母艦のスピラー小隊の隊長だからなぁ」
ふと彼は空を見上げた。雲の多い空に一瞬細い小枝が見えた。濃い灰色の細い小枝。隣でラーラも見上げている。彼女は小枝が何なのか知っていた。
「私、ガーランド・ヴィザーツの生まれじゃないけど、オンヴォーグを唱えてもいいかしら」
「もちろんさ。ヴィザーツとして生きたい人がヴィザーツになる。キリアンがそう言ってた」
ラーラは両腕を高く揚げた「オンヴォーグ! ガーランド!」
キリアン・レーはミルタの前線基地で何度か玄街の攻撃を退け、スピラー隊と高速戦闘艇の連携に自信を深めた。高緯度訓練の練度も上がり、冬作戦を前に基地の士気は高かった。
「カレナードの霊感を俺も感じる。大地精霊の白い光……あの時、彼の手から俺の手に移った光が、今もずっとここにある。生まれの母の魂と共に」
前線基地は冬至前日の午後3時にセバンに肉薄し、玄街の目を南方に釘付けする役目を追っていた。ちょっかいを出しに行って、這う這うの体で逃げることで、玄街を油断させる任務だ。
「俺たちが逃げている頃、セバンの西200キロメートルでガーランド艦隊が展開を始める。そしてガーランド母艦が北東130キロメートルにいるはずだ。
冬至の夜明け、俺たちも再びセバンに飛ぶ。相手は反射砲だ、たとえ大雪でも狙いは外さない」




