第3章 悲惨の夜
カレナードは咳き込みながらクラカーナに訴えた。
「冷宮区の、捕虜を解放し、てください。私だけでは、間に合わ、ない!」
ジュノアはすでに大勢を収容できる遮音施設に思い当たっていた。
「父上、歌劇場舞台裏のリハーサル室は防音設備が整っています。舞台の方は反響が大きくて使えませんが。シド、芳翠城の病床はどれくらい空いているの。誕生呪をかけたあとも容態を確認しなくては」
クラカーナの決断は早かった。
「保安局のタシュライにガーランド・ヴィザーツの拘束具を外させろ。歌劇団に連絡を。執政局の厚生部員を総動員し、患者を歌劇場に運ばせよ」
アガンの父と娘の指示は瞬く間にミナス・サレを動かした。
カレナードはなんとか立ち上がった。
「次の患者をここに。歌劇場が整うまで、ここで誕生呪を唱えます。それから、ジュノアさま、捕虜たちに伝言を願います。
『ヴィザーツの本分は誕生呪と調停にあり。ミナス・サレはガーランドとの調停を行うゆえ、敵にあらず。この地の子供たちに起動コードを与えたまえ。これは女王の命令である』と」
「マリラ女王の御名を出すのですね」
「ええ、捕虜の方々は今まで玄街と戦ってきた人です。彼らを動かすには女王の言葉が必要です。マリラは私を叱るでしょうけど、些細なことです」
看護師に誘導されて子供を抱えた親たちがリネン室に入った。カレナードは呼吸を整え、誕生呪を唱える。それが延々と続く。シドから届いた水を飲み、彼女は気力をふりしぼった。見かねた看護師が痛み止めをカレナードの首に塗った。
長い一日、いや、長い一昼夜だった。途中から歌劇場リハーサル室に移り、シド医局長総指揮で、救命作業が続いた。
カレナードはアナ・カレントと再会した。新参訓練生の同期のミシコ・カレントの母、アナはカレナードの首を見るなり、ことの大半を悟った。
「マダム・カレナード、ミシコに会ったら私たちは難業をやってのけたと言ってやりましょう。マリラさまもお許しになります」
アナ・カレントのことばで、捕虜になっていたガーランド・ヴィザーツは救命に加わった。
リハーサル室はまるで野戦病院のようだった。本城1階の歌劇場まで長い患者の列が向かい、時に絶望でパニックになった親たちの悲鳴が起こった。パニックの伝染を食い止めるため、衛士たちは盾を構えねばならなかった。
その間を医師と看護師が奔走し、途中で落命した子供は数知れず、ミナス・サレはその歴史の中で最も悲惨な夜になった。誰も眠ることが出来なかった。
ラーラは父の傍でひたすら助手を務めた。誕生呪を受けた子供を芳翠城に搬送するのを手伝った。彼女は夜半に医局のベンチにもたれて仮眠した。城中の灯りがついている。どこからか泣き声が途切れなく聞こえていた。
彼女は藤色の夜明けの中、カレナードとガーランド・ヴィザーツたちに饅頭を届けに行った。本城の玄関ホールへ降りると、死者を悼むために、歌劇団員の手で祠が設置されつつあった。衛士の何人かは泣きながら手伝っていた。
リハーサル室までの廊下に疲れ果てた人々が座り込んでいた。死んだ子を抱いたまま、倒れている若い女、嘆くあまり這いずっている男、放心した老女。通路に小さな帽子や靴、おくるみ用の布や様々な物が散乱し、ラーラは身震いした。
リハーサル室はまだ修羅場だった。たった数名のガーランド・ヴィザーツで数百人に誕生呪を授けるのは至難の業で、間に合わなかった子供の親たちはガーランド・ヴィザーツにすがりつき、あるいは非難を浴びせかけた。厚生部員と医局員が無理矢理に追い出して、やっと次の誕生呪を唱えている。
ラーラはガーランド・ヴィザーツの中にベルと自分の母を認め、そっと近づいた。
「どうしてここに……」
「もうすぐ交替だから、待ってて。カレナードは衝立の向こうにいるわ」
ユージュナは滑らかにガーランドの誕生呪を使いこなしていた。年下の学舎の生徒が息を取り戻し、看護師がすぐさま気道確保の処置をしている。見事な連携だ。ラーラは今ほど母を誇りに思ったことがなかった。
カレナードは衝立の裏で床に伸びていた。首の包帯がずれていた。ラーラは痛み止めの塗り薬を従姉の傷に乗せた。
「ラーラ、何時? 交替しなくては」
「カレナード、交替の前にこれを食べて。もうすぐ夜明けよ。あと少しで行列は終わるわ。さっきクラカーナさまがグウィネスを呼び出していたけど、どこにいるか分からないって。医局の通信室で聞いたの」
ラーラは衝立から首を出し、リハーサル室を見渡した。
「もしも首領殿がここに来てたらゾッとする。ねえ、ベルと母がいるけどいいの?」
カレナードは水で饅頭を飲み下していた。
「この混乱の中ではガーランド・ヴィザーツが少し増えたところで誰も気付かない。むしろ助かったのです。交替したら2人はここを出ます」
「脱出の予定が狂ってしまったわ。作夜だったのに」
「私は調停開始式の道筋をつけるため、ミナス・サレに残ります。まだフール隊は留まっているのね」




