第3章 調停にして対峙
グウィネスの白い顔の下で、怒りが燻ぶっていた。
まだ紋章人は生きていて、ミナス・サレの全ての重鎮が朝議堂で「調停」の席に集まるのだ。それはクラカーナ・アガンの命令だった。
カレナードの顔色は一層悪くなっていた。時にはめまいがしているように見えたが、「調停」が始まるや気力は体を支え、青白い顔に眼の力が戻った。
「今、広場にガーランド侵攻の危うさを主張する人々がおります。この事実を皆さま方は受入れますか」
マレンゴが吐き捨てた。
「たわ言に過ぎん。今頃になってストライキをするとは愚の骨頂。戦力の差を主張しているが、玄街の技術力と戦闘継続能力を信頼せぬ腰抜けどもだ」
兵站局長ソーゲと副長が立ち上がった。
「マレンゴ殿、その能力は絶対のものですか。我々とて広場で座るつもりでいたが、ここで発言すべきと考えた。兵站局の試算ではミセンキッタを占領するまでの物資補給は2ヶ月、ミルタ連合とブルネスカを占領しても1年が限界だ。兵員だけでなく、市民の分を含めてだ。我々が有利なのは兵員の少なさだけではないか」
工廠局長ニキヤが続いた。
「実はうちの副長は侵攻派に訴える役目のため広場にいる。理路整然としてビクともしない奴だ。
私から見れば確かに我々には技術力の高さはある。問題はそれをどこまで信用できるかだ。
私は医局のコード分析において、仮説の段階だが、ごく初歩的なコードが外れる現象に注目している。技術者として見過ごせない。ゆえにこのまま侵攻作戦を行うのは危険と判断する」
次は医局長シド・シーラだ。
「仮説について述べておきましょう。
初歩コードとは起動・停止・再起動・終了の各コードに他なりません。
これらのどれが外れても、そこに貼り付いている他のコードは本来の機能を発揮できない。
では、外れた初歩コードを再度追加して復元できるでしょうか。執政局副長殿、あなたはコード専門家でしたな。ご意見を下さい」
副長は短く答えた。
「そのやり方で復元は無理だ。解除コードでも効かんだろう」
「即答、感謝します。そのとおりです。
医療コードに不具合が現れれば、たちまち代替え品としての薬や消毒設備、さらに医療技術そのものを変える必要がある。
侵攻作戦が始まってからでは遅すぎる。分析を元にコードの再構築と修正を終えるのが先だ。
執政局と軍事局の方々、急がば回れを考えるべきだ。大勢の命がかかっている」
グウィネスが訊いた。
「医局長殿、コード分析にどれほど時間が要るとお考えか」
シドは首領のいつになく丁寧な物言いをいぶかしく感じた。
「かなりの時間が必要です。我ら玄街コードは複雑きわまりない体系を持っています。少なくとも半年から1年はかかるかと」
グウィネスはシドを見ていなかった。彼女はカレナードが今にも倒れるのを待ちつつ、言った。
「その間、十分に練度を上げられるというものの、停滞していてはガーランドに勝てまい。のぅ、クラカーナ殿」
領国主は返事をせず、代わりに保安局長に声をかけた。
「言うことがあるだろう、タシュライ」
「では、幾つか。
軍事局長殿、私が育てたエージェントはそちらの指揮下できっちり働いてるだろうが、果たしてガーランドの武力は報告どおりなのか。それを検証したことがあるかね。保安局で独自に調査した結果と比べてみないかね。
大山嶺の4ヶ所の大トンネルの警備について、保安局はまったく報告も連絡も相談も受けたことが無い。ミナス・サレ全体の安全保障は保安局の協力なしでは不可能と考えたことが無いようだ。
まだある。冷宮区に監禁中のガーランド・ヴィザーツの処遇について軍事局はことあるごとに介入してくる。さも決定権を持つかのようにだ。
保安局は長年ミナス・サレの秩序を保ってきたのだ。外の騒ぎを見ろ、軍事局が全てを引っ張っていけるわけがない」
「タシュライ、その辺にしておけ」とクラカーナはたしなめた」
「領国府内に問題が山積しているのは、いつものことだ。皆がガーランド侵攻を前にそれぞれ重要な意見を表わした。
儂は領国主として、ガーランド侵攻の是非を一度俎上に乗せることにした。ミナス・サレが最上の選択が出来るように、今は各部局の垣根を外し、存分にやり合おうではないか。
…ただし紋章人を殴るなよ。1万どころか、100万ドルガを要求してくるぞ」
タシュライがハハッと笑ったのをきっかけに、朝議堂に前向きな空気が広がった。
カレナードはガーランド側の妥協案を提示し、重鎮らはそれぞれにミナス・サレ側の条件を持ち出した。真剣な駆引きが二つの未来の間で行われた。血を流す未来と流さずに済ませる未来を賭けて、水と油のヴィザーツ同士が手探りを続けた。
グウィネスはその中で力を失っていた。彼女の憤怒の深い淵は無視され、忘れられた。彼女が玄街の歴史そのものであるというのに。彼女はひたすら聞き手に回っていた。
が、2時間後、彼女はカレナードの盲点を突いた。




