第3章 玄街の名を捨てても
母は揺るがなかった。
「ラーラ、私は裏切ったと思ってないわ。グウィネスのやり方ではミナス・サレが滅ぶからよ。あなたに大山嶺の向こう側の世界を見て欲しいの。ベラも玄街のスパイとして育てられたけれど、今ではガーランド女王の側近だわ」
ベラはラーラに頷いてみせた。
「母さんは女王に会ったの?」
「ええ、クラカーナ殿のように威厳のある方。もし女王と領国主殿が話し合えば、グウィネスが望む戦を避けられるかも」
「あのね、母さん。カレナードも同じことを考えている。それでグウィネスは」
ユナは娘の唇に指で封をした。
「首領殿の名は口に出さないで。今日、紋章人が帰ってきたら脱出方法を伝える。あなたも一緒に行きなさい」
娘は息をのんだ。
「……母さんが一緒なら。でも……そんな……父さんはどうなるの。カレナードと私がいなくなったら、責任を問われるわ」
「大丈夫、シドの立場が悪くならないよう考える。いっそ首領殿が責を負うよう仕向けたいわね」
アガン家の朝餉の場でカレナードはまたしても粘っていた。決して揺るぎない調停者の態度だ。
クラカーナは殴打の傷はまだ痛むかと訊いた。
「シーラ医師のおかげで痛みはありません。ところで、グウィネス殿の私情でミナス・サレの運命が決まってはお困りでしょう」
「紋章人よ、お前はグウィネスを殺したいのか」
「その点で私はマリラと同じです。彼女はこの世に居るべきでない存在、トルチフと共に滅ぶべきでした」
「お前はマリラがいなくなればどうするのだ」
「考えたことがありません。彼女はウーヴァと契約を解かない限り存在するのですから」
ジュノアは紋章人に苺の皿を差し出した。
「先日の話によると、それはグウィネスも同じでしょう。最終的にウーヴァとやらの引導が必要ではありませんか」
カレナードの答えは温かさを帯びた。
「それはマリラの役目です。常にウーヴァと共に居る者の責務です」
「まるで儂らアガン家もグウィネスの死を願っているような口ぶりよのぅ」
クラカーナは自嘲気味に言い放ち、箸を置いた。
「領国主殿、どうかマリラ女王と会っていただきたい。マリラの殲滅対象はグウィネスとその軍隊だけ。あなたは領国民の命を背負っておられる方、グウィネスとは立場が違いましょう」
「藪から棒だな。儂とて玄街ヴィザーツのはしくれなのだぞ」
「あなたはヴィザーツの力をミナス・サレ建設のために使われた。決してアナザーアメリカへの復讐ではなく。人口問題の解決策を復讐のための戦争に仕向けたのはグウィネスと一部の者。そのために若者を、ミナス・サレで生まれた世代を、火に投げ入れるべきでない。あなたは領国主として何を望みますか」
クラカーナは半分おもしろがり、半分は噴飯ものだと虜囚を睨んだ。
ジュノアが胸の内を述べた。
「ガーランド侵攻には慎重であれかしとの声は市民の間にもございます。父上、私はガーランド女王との会見に賛成いたします」
「お前は女だから戦争回避を考えるのだ、ジュノア」
娘はやり返した。
「では紋章人は? グウィネスは? マリラ女王は?」
「ふん、いずれも世の常識外におる者ではないか。女と思ってはいかんぞ」
「そうかもしれませんが、クラカーナさま」
カレナードはひとつの提案をした。
「会見はヴィザーツ同士のもの、つまり玄街コードを残したままミナス・サレがアナザーアメリカ法を批准することも可能とお考え下さい。あなた方はガーランドと対等の立場で存続し、互いに不可侵の契約を持ってはいかがでしょう。血を流すより有益です。その上で……」
ジュノアが続けた。
「軍は大山嶺を抜ける交通網に変えて、各領国と正式な国交を結ぶ。そうなればグウィネスは戦争の大義を失います。ミナス・サレは無傷のまま数の問題を解消できるのです」
クラカーナは沈黙した。沈黙の下で彼は葛藤していた。確かに一理だ。
クラカーナの苦労人としての機微が動いていた。戦えば犠牲はまぬがれようがない。意気揚々としたミナス・サレの若者たちの累々たる死だ。
同時に統治者としての計算もあった。ここまで膨れた開戦の機運を、軍事局の面子を、玄街の誇りを、さらにはグウィネス派の勢力を、どうコントロールできよう。
医局と工廠局と兵站局はグウィネス派に拮抗するだけの結束力を維持できるのか。保安局はのらりくらりと難題をかわす者が大半というのに。
考え抜かない判断はさらなる難局をもたらすのだ。さりとて儂は独裁者ではないのだぞ。領国主の一存で事を収められるなら苦労はない。
「レブラントよ、我々はアナザーアメリカに疎まれ憎まれた玄街だ。今さら諸領国が相手にするだろうか。つまはじきの末裔として蔑まれるのは、もうたくさんなのだ」
「玄街の名を捨てるのはいかがでしょう」
「今、何と言った」
「一案にすぎませぬが、ミナス・サレの名があれば十分です。玄街の名はグウィネスと共に消すのです」




