第2章 ミナス・サレ歌劇団
カレナードは木格子をくぐり、小さな居間に飾られた写真を見て回った。建設中のミナス・サレ、グウィネスを囲む一団の中のシド・シーラや若き日のクラカーナ・アガン。ユージュナだろうか、10代半ばの少女は花模様の衣装で、硬い笑顔だった。
ラーラの目が覚めた。横に暖かい体を感じた。もしや母親が帰ってきたのだろうか。彼女は「母さん」と叫んで抱きしめた。落胆は大きかった。
「ベランダに閉め出したはずなのに!」
飛び出そうとしたが、カレナードの腕がラーラの背中と髪を撫でていた。
「離してーーーっっ!」
ラーラの膝がカレナードの胸を蹴り、床に転がした。その体は起き上がらなかった。
「ちょっと。死んでないわよね」
カレナードはやっと息を吐いた。
「……ラーラ、私の従妹、私を恨んでいますか」
「ちょっと、起きてよ。起き上がれるでしょ?」
「ひどく痛い……」
「あなたが悪いのよ、勝手に私に触るから驚いたのよ。起きなさいってば」
カレナードは咳き込み、少量の血を吐いた。
「肋骨にヒビが入ったかも」
ラーラがあわてて格子をくぐった時、シドが帰宅した「何やってんだ、2人とも」
手当てを終えたシドはラーラに熱い茶を頼んだ。
「喀血は右肺の古傷に響いたせいだろう。それにしても、ラーラ。お前の髪がそれほど伸びていたとは」
ラーラの髪は腰まであった。
「父さん、この人は私と従妹だって知らなかったの? さっき、恨んでるかって聞かれたの。当たり前でしょ、敵なんだから!」
シドは茶をすすった。
「ユージュナは優しい女で、姉を大事に思っていた。裏切りの汚名が付いても、この世で2人きりの家族だったからな。1年前もカレワランが残した首飾りをしていた」
「そんなの、私は知らないわ」
ラーラはカレナードの胸を覗き込んだ。右の鎖骨の下に蹴りあとが赤くなっていた。
「湿布を取ってくる。ジュノアさまに知られたら我が家の面目が丸潰れよ」
カレナードはラーラが台所に行った隙にシドに聞いた。
「サージ・ウォールの毒について教えて下さい」
シドは目を合わさなかった。
「知ってどうする」
「突然死の本当の原因が何か、とても気になるのです。あなたもそうでしょう?」
「ガーランド・ヴィザーツが玄街の心配をするのか」
「いえ、従妹を死なせたくないだけです」
シド医師は衝撃を受けた。
「心当たりがあるのか!」
「毒でないのなら……ミナス・サレに、いえ、玄街に特有の何かです。それが分かれば」
ラーラが湿布を持って戻った。丁寧に当てながら愚痴った。
「私としたことが敵に塩を贈るハメになるなんて。ふん!」
数日して、シーラ家にミナス・サレ歌劇場から招待状が来た。ラーラは狂喜した。
「凄いわ! 領国主さま主催のガラ公演なんて学舎の者は見られないのに! 私の切符まである。」
シドは招待状に同封された文面に頭を抱えていた。
「歌劇場の監督は何を考えているんだ……捕虜を公演に出すなど聞いたことがないぞ」
エリザ・トリュは根回しに躍起だった。
まずクラカーナ・アガンを説得しなくてはならなかった。領国主は最大のスポンサーにして舞台芸術の理解者だ。そこを際限なく持ち上げて、エリザはベランダの踊り子をミナス・サレに取込むべき人物だと力説した。
「捕虜とは申しましても、もとを正せば玄街の血を引く人間です。ガーランドで培った才能をこの都市に迎えるためには、大勢の市民が彼女を見て納得する必要があります。
歌劇団のメンバーは常に人手不足、ここにカレナード・レブラントを配すれば、今度の公演は完璧です。
彼女の舞を御覧になりまして? 彼女の動きは私に引けを取りませんのよ。演出はお任せ下さい。クラカーナさまの高貴で寛大な御心にミナス・サレ市民は感じ入るでしょう」
タジ・マレンゴ言うところの老害めいた決断があった。そして、思いがけない亀裂が露呈し始めた。執政官マレンゴ一党は断固としてガーランド撃墜とマリラ誅殺を主張する強硬派だ。領国主への苦言は止まらず、不満が堰を切ったように出た。
一部の玄街ヴィザーツたちはミナス・サレ軍政の硬直化を見抜き、ミセンキッタ占領は問題が多く、グウィネス・ロゥの方針を見直すべきだと発言し始めた。それは医局を預かるシド・シーラを含む執政総局と兵站局長と工廠長だった。
ジュノアは鋭く動勢を観察していた。カレナードが城中の歌劇団ホールへ移動するときはジュノアの衛士たちと同じ姿に化けた。巡回の一団になれば人目に付かなかった。
カレナードは矢文の主はエリザ・トリュと確信した。エリザは目も口も大きく、人を引きつける華やかさを備えた堂々たる女だった。
「私は玄街ヴィザーツじゃないの。コードはひとっことも唱えられない。かわりにコードでは出来ないことをしている。お分かりよね。ガーランドの乙女さん」
「お誘いに乗ることにしました。ガラ公演のお力になれれば幸いです」
エリザの大きな唇が動くと、真紅の薔薇が開くようだった。
「みんな、舞台に集まって! お待ちかねの新人を紹介するわ、カレナード・レブラントよ!!」




