第2章 父が誰と分からなくても
カレナードはまだ平静を保っていた。
「当時のディディ・エルミヤの年齢と家族について教えていただけませんか」
「彼が父親かもしれぬというのか。まぁいいだろう。
25年前、彼は46歳。テネ城市全区保安統括者だった。ミセンキッタに長い歴史を持つエルミヤ一族で、8人の娘がいた。ミナス・サレ解放後に息子を得たと聞いた」
ジュノアはカレナードの顔から血の気が引いていくのに気付いた。彼女が立ち上がった瞬間、紋章人は気を失って椅子から滑り落ちた。
シーラ家の牢に戻ると、カレナードは泣き崩れた。ラーラは怒った。
「それでもガーランド女王の側付きだったの? 母さんのベッドを濡らさないで! 泣きたいのはこっちなのよ!」
カレナードはジュノアの打掛けを羽織ってベランダに出た。
「何てことだろう……。なぜミテキに家族の名を聞いておかなかったのだろう。もしもカレワランのお腹の子の父がディディ・エルミヤだったら、彼と私は兄弟だ!」
彼女は座り込んで両腕を我が身に巻きつけた。
「なのに肌を重ねてしまった、たった1回だけど。
でも、その1回が……ああ、何てことだろう、ミテキ! あなたは何て言うだろう……過ちを犯したのだろうか」
泣きながら震えていた。
「涙が止まらない、今は確認するすべが無いからだろうか、怖い、ミテキの思い出が壊れるのが怖い、怖くてたまらない。マリラ、キリアン、トペンプーラさん……」
春の夕暮れはすぐに終わり、城市の灯りがつく前の薄暗がりが広がった。ベランダにうずくまっているカレナードの近くで鈍い音がした。壁板に矢文が刺さっていた。カレナードは涙を払い、紙を開いた。
『近々、あなたにある者から誘いがある。断ってはならない。脱出への一歩だ。この紙は残すな。E』
急いで向かいの巨大な城を見渡したが、全ては闇に包まれつつあった。
カレナードはふらつきながら部屋に戻り、洗面器の水に顔を浸した。それからカーテンが開く前に例の紙を千切って板壁の隙間に押し込んだ。
シド医師が夕食と翌朝の分の包みを持ってきた。
「ひどい顔だな」
ラーラは夜間教練のため、兵站部に泊まり込みだ。
「私もこれから夜勤に戻る」
カレナードは必死でシドを引き留めた。
「私の育ての父がカレワランと出会った時、彼女はすでに身ごもっていました。彼女のお腹の子の父に心当たりがあるなら教えて下さい」
「私が医師でも、憶測で父親を当てる芸当は無理だ」
「カレワランが騙した男たちの誰かでは?」
「彼女に持出し禁止の医療キットを渡しちまったのは覚えているが、私はあんたの親父じゃない。それは保証する」
シドはカレナードの頭のてっぺんから足先まで観察した。
「タジ・マレンゴの3人娘はあんたと全然似てない。飛行大隊長もカレワランに惚れていたが、彼は種なし。あとは作戦参謀長だが、異常なまでのカレワラン崇拝者で、指一本触れられなかったヤツだ。まぁ、今となっては突き止めようがない」
カレナードの肩はがっくり垂れた。
「答えてくださって感謝します。あなたにとっても苦い昔のことなのに……」
シドは夜勤に行くのを忘れたかのように話し始めた。
「ラーラがいない時で良かった。彼女はカレワランの姪だ。
カレワランは年の離れた妹がいた。それがラーラの母だ。名はユージュナ・マルゥ、姉の罪のために使い捨てにされそうな最前線に行っては戻ってくる。
その人生の少しの隙間でラーラを産んだ。産褥熱でひどく体を壊してな、あんたがいる部屋で長く療養したよ。その時、この木格子を付けたんだ。それほど彼女の自由は制限されていた。今も帰ってくるたびにこの部屋で軟禁だ」
「では、ラーラは私の従妹なのですね」
「ああ。あんた同様、ラーラの父親は分からん。ユージュナは望まない妊娠をしたのかもしれん。が、ラーラをとても大切にしてる。それで私はラーラを養子にした。ユージュナは1年前に行ったきりだ。
カレワランは恋愛より仕事を生き甲斐にするタイプだった。が、得体の知れないものに捕らわれたのかもしれん。
25年間、私は考えていた。カレワランが変わるだけの理由は、おそらく玄街にとって致命的なものを知ったからだったのかと。それを知りたくて、あなたを引き受けたのかもしれない」
彼は夜勤に出た。カレナードの本能は眠りを欲した。たった1人の夜を全て睡眠に当てた。そうすれば回復することが分かっていた。
翌朝はベランダで本城を眺めた。朝の冷気は清々しかった。彼女は矢文の背景を考えた。
巨大な城のとこかに自分と接触を望む者がいる。罠か城内の陰謀に違いなく、利用できるものは何でも利用したかった。シーラ家での厚遇はそう長く続かないだろう。
工廠から戻ったラーラはそっと木格子を抜け、ベランダの扉に閂をかけた。彼女は母のベッドに潜り込んだ。
「母さん、やっと取り返したわ……」
彼女はすぐに眠りに落ちた。カレナードは昨夜の矢を扉の隙間にねじ込み、何とか閂を外した。ラーラは二つのお下げを編んだまま、うつぶせで寝ていた。そのお下げを丁寧にほどいてブラシをかけた。少しウェーブがかった髪は自分に似ていると思った。




