最終章 オリーブの丘
知らぬ間に深い眠りに落ちていた。見つけた女官たちが靴を取り、ドレスや装身具を外し、ベッドに移す間も彼女は眠り続けた。
遠い所でマリラが手を振っていた。自分は少年のままだった。オルシニバレ市の16歳で、ガーランドに乗ってからの記憶もある。夢の中にいて、我ながら不思議な姿だと思った。
マリラは白い平原の向こうにいて、笑っているようだった。何度もマリラを呼んだ。そのたびに彼女は少し首を傾けて、風に髪をなびかせていた。生前には見たことがない、伸びやかで自由な彼女。近寄りたくても脚が動かない。マリラの魂がそこに居るというのに。
マリラは腕を伸ばし、カレナードにある方向を示した。マリラの指の先にいる人物を一瞬見た気がした。紫色の眼だった。
あとでニアが言った。
「しきりにマリラさまと唇が動いておられましたよ。御自分で涙を拭ったことも。覚えていらっしゃいません?」
不思議な感覚がカレナードに訪れた。
「大丈夫、マリラが行けと言っている」
翌日、ベアン基地に入ったフロリヤ号から連絡が来た。キリアン・レー少佐は施療所で定期健診を受けると。カレナードは広い敷地の林の下で待った。健診を終えたキリアンは少し背が伸びたように見えた。
「レー少佐、視察に来ました。手紙を……いつも……ありがとう」
「名前で呼んでいただけると嬉しい、女王カレナード」
「キリアン」
ワレル・エーリフの巨体が隣の大木の裏から現れた。鬢はすっかり銀色になっていた。
「若いのにじれったいですな、お2人!いや、若いからこそこうなのか?
ここで衆目を浴びていても仕方ない。それそれ、柳の河沿いか、オリーブの丘にでも行くことですな。私の傍にいたらジーナが幽霊になって出て来ますぞ」
エーリフは追い払うように手を振った。指に結婚指輪が光っていた。
キリアンと女王は手を繋いでポーの街をそぞろ歩いた。夏の夜はまだ遠かった。
「心地いい街だ、以前のアルプに少し似ている。そう思いませんか、女王」
「ん……」
「昨年は調停開始の多い年でした。フロリヤ号で東奔西走したのでしょう?」
キリアンの口調はすっかり大人びて丁寧で、女王に対するそれだった。カレナードの応答は声になってなかった。視線も合わさなかった。
「ん……」
やがて黙ったまま高台の別荘地を抜け、さらに丘に上った。保養客たちは街に戻り、人影はなかった。丘の上のオリーブの大木まで来ると、女王は急に饒舌になった。
「キリアン! キリアン……、花の冠は重くはないけど、マリラに究極の切替え方を教えてもらっておくべきだった。元よりプライバシーがほとんどないのは仕方がない。だって、新米女王なんて好奇心が放っておかないもの!
アライアさんは肩に力が入り過ぎと言うし、トペンプーラは何かと構いに来るし、テッサとジュノアさまは政治の話ばかりで、あなたは傍にいない。訓練生だった皆は、私に女王として接する。カレナード・レブラントなのに!」
彼女はまくし立てていた。草の上を歩き回り、キリアンを見たかと思えば、あらぬ方向に視線を投げ、怒っているのか嘆いているのか、分からなかった。
「今になって、マリラの気持ちがよく分かる。とても寂しい。寂しくてたまらない。でも、あなたがいない。マリラもいない、たくさんの愛をいただいたけどマリラはもういない。遺して下さったいろいろな想いの行き場が見つからない」
急にカレナードは困惑の表情を浮かべた。
「女王でいる間に愛に臆病になってしまった。マリラと同じだ。キリアン、手紙は全部置いてある。家族の代わりにと思って……。手紙の返事が書けなかった。書けば、きっと……何だろう……妙なことばかり書きそうだったから……すまない……私は何を言っているんだ」
カレナードはオリープの枝を掴んだ。
「マリラが背中を押してくれたというのに……」
キリアンもオリーブの枝を掴んだ。
「あなたらしい。支離滅裂で女王らしくなくて最高だ。新参の頃のように」




