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第6章 女王代理の存在理由

 リリィは理路整然と語った。

「臨界空間は大きな盆地みたいなもの。それが狭くなるなら気候変動を考えて当然だわ。サージ・ウォールが停止して暴風のままでいるかしら。ナノマシンの自己増殖と再生機能まで停止する可能性はどうなの」

「少なくてもウォールに関しては考えましたよ。でも、それが臨界空間全体に広がるとまでは……」


 リリィは少し目立ち始めたお腹に手を当てた。

「この子が生まれて、誕生呪が効かない可能性を考えているのよ。ウマルと私がミナス・サレ・コードの技術的補完に来た一番の目的はこの子のため。分かる?」

「赤ちゃんのため……」

「ひいては全ての人のためになるわ。サージ・ウォール停止作戦の影響を予測するのは難しい。でも、ヴィザーツの義務だわ。女王代理の考えはどうなの」


「気候変動の件はすでにミセンキッタ領国府に通達しました。アナザーアメリカ最大の農業国ですから。コードへの影響は、あなた方、医療と甲板材料部の専門に任せましょう。マリラ女王も同じようになさるでしょう。仕事が増えますよ、リリィさん」

「イヤなことを言わせてもらうわ。紋章人、マリラ女王は今回の件でアナザーアメリカの人口が減るのを歓迎してない?」

「何を……リリィさん?」


 カレナードは絶句していた。

「あなたは考えないの、紋章人。臨界空間が養える人口の最大数よ」

「でも、土地は広いですよ、ドクトル」

「考えた事ないのね。女王はどうしてこんなバカに代理を命じたの。いい? 土地が有限なら、資源も有限、もちろん食糧も有限。しかもウォールがどんどん削って行くのよ。どう解決するつもり?」


「戦争がなくても人は死ぬじゃないですか。ヴィザーツだって感染症やガンで死んでる。乳児死亡率は50年それほど下がってない。それに反射砲で90万人を失ったのですよ!」

「そうかしら。この2年間でアナザーアメリカンとヴィザーツの垣根は限りなく低くなった。我々の医療技術が広まれば、子供の生存率は驚異的に上がる。その食い扶持をどこで得るのかしら。それにヒトという生き物は贅沢を知るのよ。怖いと思わない?」


「ドクトル……」

「ヴィザーツの宿命よ、コードをどう守るのか考えておくべきね。女王代理」


 リリィは冷血でも残酷でもない。これはアナザーアメリカの問題で、かつてテネ大学のデボン先生も開放講座で取り上げたことだ。でも、大多数の人はそれを考える暇も余裕もなく、毎日を生きるのに必死だ。


 カレナードは再びヴィザーツと女王の責務に潰れそうな自分を感じた。

「マリラ、あなたに会うまでに、私は何か見つけられるだろうか」


 工廠への道すがら、彼女は遠い未来への課題を頭の隅に放置することにした。当面は停止作戦に集中するのだ。


 毎晩マリラからの通信が入る時刻に、彼女は通信室に居据わった。女王代理の権利だと言って、必ず10分は1回線を確保し、長い時は30分以上話し込んだ。その間もリリィの言葉がふと浮かんでは消えた。

「マリラ、今はどちらに?」

「大山嶺のトンネルだ。塞いだあとの確認に同行していた。その後はオスティア西部で避難民を見舞ってきた。明日はブルネスカのベアン市だ」

「ずっとガーランド母艦を離れておいででしょう」

「何を案じているのだ」

「もうすぐ春分が来ますから……」


「ガーランド母艦はさらに分割し、南方洋上の基地にする予定だ。トペンプーラから聞いてないのか」

「それで、儀式はどうなさるのです」

「女王区画があればアナザーアメリカのどこでも生き脱ぎは出来る。が、停止作戦中に女王不在はあり得ぬ。心配するな、ウーヴァの契約はほぼ生きている」


 何かが引っかかった。

「ほぼとはどういう意味ですか、マリラ」

「カレナード、それ以上うるさく言うなら通信を切る」

カレナードの自制心が動いた。

「それはおやめ下さい。マリラ、一度会えませんか。オハマ2に寄る予定があるでしょう?」


「喜べ、数日内にトペンプーラが作戦に関する通達を出す。そなたにもきっちり任務があるぞ。15番輸送艦でラーラ・シーラに会った、彼女はよく耐えているぞ」

「ラーラが耐えている?」

「アナザーアメリカの不条理に耐えておる。なぁに、シャル・ブロス准曹が付いている」

「そうですね、シャルが一緒なら……。ねぇマリラ、作戦が終わったら」


「止めよ! そなたは作戦終了後のことを言ってはならぬ!」

カレナードの体は女王の剣幕にビクリとした。

「カレナード、そなたは私とのことで浮かれてはならぬ。春分までに一度は会えるゆえ、決して気をそらせてはならぬ。分かったか」

女王の声に、深淵から響くような重さがあった。


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