第6章 有事下の世界
2月初旬、15番輸送艦のラーラは北メイス西部の空港を離陸した直後に吐いた。
離陸は予定より3時間遅れていた。彼女は輸送艦の脇で起きた惨事を見てしまった。
滑走路上で数十人のアナザーアメリカンが次々と倒れていった。彼らが無理やり輸送艦に乗せようとした大量の美しい自動車や大型コンテナのいくつかは銃弾を浴び、炎上した。裕福な衣装の男たちに混じり、女と老人、そして子供が血まみれで死んだ。何らかの血縁集団とその従者たちだ。中には銃で反撃した死体があった。撃ち殺したのは明らかに北メイス屋敷の兵士、そして輸送艦の警備隊だ。
ラーラは青い顔をして、壁にもたれた。シャルが声をかけた。
「空港の件は気にするな。撃たれたのは北メイス最大のマフィア一族さ」
「マフィアって何なの」
「簡単に言えば、玄街にならなかったアナザーアメリカンだ。耳に痛かったらごめんよ、ラーラ」
「痛くはないけど、なぜ子供まで……」
シャルは頭を振った。
「無法者が裏社会で生きていくための組織さ。自前で航空機をチャーターすれば良かったんだ。北メイス領国府の誰かに大金を渡したのさ。ああ、醜い。ガーランドの輸送艦を私物扱いするのは大間違いだと、なぜ分からないんだ」
ラーラはまだ納得しなかった。
「ヴィザーツはアナザーアメリカンを撃つの?」
「ヴィザーツは協定違反には厳しい。北メイスの避難民1700名とその荷物を乗せるための15番艦だ。任務を妨げる者には容赦しないさ。たぶん、この先でも有りうることだ」
「怖かったわ……ミナス・サレで小さい子供たちが死んだ時のように怖い」
冷たい風が通り、窓の下に東メイスの巨大湖があった。氷はまだ残っていた。陽射しが地上に雲の影を作っている。
「撃ちたくはないが、あの場合は撃つのが本艦にとっての正解だ。胸糞悪いが……戦場さ」
「これも戦争なのね?」
シャルは震える少女を抱きかかえるようにして、廊下を進んだ。ふと立ち止まり、ゆっくり彼女の髪を撫でてやった。
「ラーラ、作戦が終わるまでは有事だ」
「そのとおりだ、ブロス准尉。通してくれ」
背の高い女性将校が後ろにいた。シャルはぴたりと壁に張りつき敬礼した。
「ヴォー特務大佐!」
ヴォー特務大佐はシャルと同じよう敬礼するラーラをじっと見た。
「いつも温かいものを出してくれる。ありがとう、ラーラ・シーラ。厨房をよろしく頼む」
大佐はサッと通り過ぎた。シャルは納得していた。
「命令を下したのはあの方だ、なるほどね」
「女王さまでしょ。以前、乗務員室で一晩御一緒したわ」
「まぁ、ヴィザーツ内では公然の秘密だ。アナザーアメリカンには言うなよ」
「分かってる。とても……不思議な方ね、優しい目をしているのに非情でもある……それが女王なの?」
「カレナードは女王の全てを受入れている。俺はそれで十分と思ってる」
ラーラはマリラの眼差しを忘れられなかった。カレナードのそれと同じだからと気付くのはずっとあとのことだった。
2月末、どこの拠点もヴィザーツ屋敷も時間がいくらあっても足りない毎日だった。二交代で工廠はフル稼働した。カレナードはミナス・サレ・コードの特訓を受け、8枚翅のコーティングに加わる日もあった。
その最中、彼女はリリィの検診に呼び出された。リリィとウマルは、ずっとオハマ2で技術指導をしていた。
「久しぶりね。ミナス・サレで月経が止まるようなことあった?」
「そんな質問、他の人にしてないでしょうね、ドクトル・リリィ!」
「あら、あなたにだけよ。もっと私を睨みなさいよ」
「お腹の赤ちゃんに良くないですよ。ウマルさんに告げ口してやる」
女医はふふんと笑った。
「女王代理職は遣り甲斐があるでしょ。マリラ女王は愛人の能力を随分信じておられるようね。それに十分応えていると思う?」
「応えていなければ、こうしてあなたの前で堂々としていません」
リリィはカレナードの背中にある古い刺し傷に触れた。
「たまに痛むのじゃなくて?」
「年に数回程度です」
「……場所が場所だけにね、気になるわ」
「リリィさん、地上の雑菌は気にならないのですか」
「ウマルは数年がかりで私に抵抗力を付けてくれたの。うふっ」
リリィの肢体は柔らかくしなった。やはりウマルの力は偉大だ。
「そ、それは何より……」
間延びした返事に、リリィはニヤリとした。
「その態度を見ると、いじめたくなるのよねぇ。ところで作戦終了後のことを考えてる?」
「急に何ですか」




