第6章 盲点
カレナードの背中の古傷がキュッと痛んだ。
「もし最期の時が来たら、マリラ、あなたの傍にいて抱きしめていたい。あ、ベル・チャンダルもきっとそうする」
想像すると可笑しかった。最期の瞬間までマリラを取り合うのだ。彼女は歩きながら、とりとめもなく考えた。
「でも、マリラは死ねない。ウーヴァとの契約があるから……。臨界空間が潰れた世界でどうなさるのだろう。ナノマシンが無くなり、コードが効かなくなるのか……。
もし、アナザーアメリカの外にヒトがいたら……外の世界を見たいな、マリラと一緒に。すべての人が生き延びるのは難しいだろう……いや、出来るだけ多くの人が生き延びると考えるんだ……全てか無かなんて意味がないと思わないか、女王代理……」
兵站局の灯りを見ると、考えは止まった。滑走路には朝一番で実験に向かうスピラーと飛行艇が並びつつある。
「今日もしっかりやるんだ。ジュノアさまのスープもある!」
1機のスピラーが離陸した。巡航モードに入る際、独特の音がした。
「あの癖、キリアンだ。後ろに付いているのはアヤイかな」
兵站局に入ると、マギア・チームから声がかかった。
「写真の現像するかい? 10時半の飛行艇に乗せたいんだ」
「先に腹ごしらえするよ、そちらに頼んでいい?」
「OK、紋章人。フィルムの焼きつけは自分でやってくれ」
「ありがとう、助かる。現像コンテナは明後日の撤収だったけ」
「ああ、大きい資材を輸送艦に積むのはその辺が限界だろうな。もう医療班も最低人数でやってる。事故が起きたら、黄鉄回廊の東で待機中のアドリアン艦に助けてもらうしかない。気をつけてくれ」
カレナードはジュノアの豆スープに固焼きパンを丸ごと入れ、ふやける間にドライフルーツをゆっくり食べた。食堂に工廠局長ニキヤ・ソーゲが入ってきた。
「やあ、紋章人もそれをやっているのか」
彼もパンをスープに突っ込んだ。
「8枚翅で効果が上がると見込んだが、難しいものだ。考えたのだが、ミナス・サレ・コードをサージ・ウォールに使ってみてはどうだろう」
「ニキヤさん、それは……」
「ウォールの変異は我々のコードで作った臨界面反射砲のせいだ。あの収束ビームには臨界面の揺らぎを増幅する作用があった。揺らぎがウォールのプログラムを変えたなら、ガーランド・コードよりミナス・サレ・コードが効く可能性がある」
カレナードは急いでスープカップに蓋をして立った。
「いつ閃いたのです。早くヒロ・マギアに知らせましょう! まったくの盲点でしたよ」
「1分前だ。パンをスープに浸した瞬間にな、ふと思い出したのさ。儂らが反射砲を作ったんだと。よし、行こう!」
ニキヤはスプーンとドライフルーツをポケットに入れ、蓋付きカップを持った。
2日後、ミナス・サレのヴィザーツがスピラーと飛行艇に乗り込んだ。その中にはジュノアもいた。
「人手が足りないのでしょ? ガーランド・ヴィザーツはあと1日特訓しなくては、発声が不安定だわ」
ニキヤの閃きとヒロ・マギアの計算は的中した。17キロメートル四方にミナス・サレの解除コードが響いて10分後、サージ・ウォールの速度がゆっくり落ち始めた。
「やったか!」
ニキヤは歓声を上げたが、ヒロは送られてくる荒いデータを読み続けていた。1時間後にウォールの前進は止まったが、代わりに解除コードを受けなかった部分が速度を増し、止まった部分を包むようにせり出してきた。ジュノアは後退する飛行艇から連絡をよこした。
「まるで黒い巻き爪が生えるようだわ。秒速20メートルの勢いよ」
別の通信機から命令があった。
「全機、ミナス・サレから15キロメートル地点へ全速退避!」
退避完了の頃、ウォールは再び動き出した。それでもヒロは前向きだ。
「もう一度、解除コードを試してくれ。同じ事が起こるか、確かめる。そのうえで今後の実験内容を変える。隊長、いけるか」




