未就学
目を閉じてしばらくした後、頭の上から彼の寝息が聞こえだして、抱きしめる彼の腕を押しのけて私は身体を起こした。
汗ばんでぺったりとくっついていた肌が彼から離れて、心のうちに覚えていた寒々しさが一層増した気がする。
そこら中に脱ぎ捨てた服を着て、私は彼の部屋を出た。
深夜の外気は彼の好みに合わせたおしゃれ着だけでは心もとなくて、誰もいないアパートの廊下を私はぶるりと体を震わせながら歩いた。
そろそろコートの一つでも用意しなきゃなと思いつつ、何度も歩いた自分の家への帰り道で今日も一人で考える。
彼と付き合い始めたのは高校生の頃。
吹奏楽部で同じ楽器を担当していた私に、彼から告白してきたのが始まりだ。
彼のことは特別好きというわけではなかったけど、嫌いじゃなかったし付き合うってどういうことなのか気になっていたし、断らなかった。
付き合ってみれば私も彼のことを好きになれると思っていたから。
でも、いつまで経っても私は変わらなかった。
初めてのデートの時。
楽しいか聞いてきた彼の横で、楽しいよと嘘をついた。
初めてのキスの時。
ドキドキするねと言った彼の前で、何も返さず口を塞いだ。
初めてのセックスの時。
気持ちいいかと聞いてくる彼の下で、無感情で喘いでみせた。
毎朝駅前で待ち合わせて大学に行く。
毎週土日は彼の部屋で過ごす。
毎月一回はデートに出掛ける。
そんな生活を進学してからずっと続けていても、私の感情は何も変わってくれない。
変わりたいと思ってすらいないのかもしれない。
きっと別れるべきなんだろう。
何とも思ってない相手なら、付き合っているだけ不誠実だと、私のまともな部分が言ってくる。
けれど、それと同じくらい相手のことなんてどうでもいいと思っている。
彼を手放してはいけないと、愛を理解できるまで一緒にいなければならないと、私の理性が叫んでいる。
だから私は仮面を被る。
彼のことが大好きでたまらない女の子でい続ける。
彼を好きになれるまで。彼に心の底から愛してると言えるまで。
そんな益体のないことを考えているうちに家に着いた。
外装のはがれたボロボロのアパート。
いくつかある部屋のうち、鍵のかけられていない部屋に入る。
誰もいない真っ暗な部屋で、もういない人に向けて私は一人呟いた。
「あなたが教えてくれれば、こんなに悩むこともなかったのにね。お母さん」