もう一人のプラチナ
ヤマトの家へ向かい、歩き出す二人。その道中。
「一箇所寄りたいところがあるんだが、構わないか?」
アレキサンドラの答えは、当然「イエス」だった。
「私はお邪魔させて頂く身なのですから、いくらでもヤマトさんの予定に合わせますよ」
ヤマトが寄りたいところ……それは、小さな村にある孤児院だった。
年季の入った建物の中に、二、三十人ほどの子供たち。年の頃は、五歳くらいからアレキサンドラと同じ十六歳くらいまで。皆仲睦まじく、遊んだり勉学に励んだりしていた。
しかしながら、誰一人として、敷地内にある広場で遊んでいる者はいない。
もう長いこと子供たちが遊んでいないことを証明するように、広場の雑草は長く真っ直ぐ成長していた。
「この地域は治安が悪くてな。外で遊んでいると、いつの間にか子供が連れ去られるなんてことが起こるんだ。だから護衛でも雇わない限り、外出なんてろくに出来ない。そしてこういった施設に、そんな金はない」
「……」
ヤマトは護衛も何もいない、無人の広場に足を踏み入れる。
慣れた足取りで孤児院の入り口の前に行くと、誰にも言わず、誰にも知られることもなく、黙ってその場にケルベロスの牙の入った巾着袋を置いた。
「え?」
アレキサンドラはその行動に驚く。そしてヤマトが牙を剥ぎ取っている時に言っていたセリフを思い出した。
『――少しでも生活資金の足しになればと思ってな』
あの時ヤマトは、「誰の生活資金」なのか明言していなかった。
アレキサンドラはてっきり自分の為だとばかり思っていたが、実は身寄りのない、貧しい子供たちの為だったのだ。
「必要のない金を持て余している奴もいれば、必要な金すら手に入らない者もいる。ギルドではクエストなんて言って、大層にランク分けをしているが、あんなの所詮金持ちを救っているだけだ。難易度が高くなればなるほど、な。そんなことにも気づけない内は、全世界の幸福なんて訪れるわけがない」
「……」
本当に困っている人間というのは、「助けて」と声を上げることも出来ないというのに。その事実を認識している者は、思いの外少ない。
ヤマトのように手に入れた大金を誰かに無償で譲る人間が、この世界に果たして何人いるだろうか?
『……』
孤児院を後にしてからは、お互い無言で歩き続けていた。
ヤマトは元々口数の少ないタイプだったし、アレキサンドラはアレキサンドラで、ヤマトを強欲な人間だと勘違いしてしまった手前、話しかけづらかったのだ。
アレキサンドラとしては、本当は二年前に死んだというヤマトの妻のことが気になって仕方なかった。
しかし、そこは絶対的なプライバシー。興味本位で踏み込んで良い領域ではない。
現にヤマトも、それ以上妻のことを語ろうとはしなかった。
暫く歩くと、
「着いたぞ」
村のはずれにひっそりと佇む、木造の建物に辿り着いた。
「ここが俺の家だ。自分の家だと思って、くつろいでくれ」
そう言われても、遠慮してしまうのが人間というものである。
ここで言う「はぁ」という返事も、家主への気遣いからくるものだし。
「帰ったぞ」。ヤマトが先陣を切り、家の中に入ると、
「おかえりー!」
五歳くらいの男の子が、小走りで駆け寄ってきては、ヤマトに抱きついた。
「おかえり! 今日は早かったね!」
「無職をバカにするな。遊び歩かなければ、基本的に早帰りなんだよ」
無職? 遊び歩く? 一体何を言っているんだろうか?
アレキサンドラは、そう思った。
するとそんなアレキサンドラに、子供の視線が移る。子供はジーッとアレキサンドラを凝視してから、一言こう口にした。
「ゆーかい?」
「おい、やめろ。年の差的に、冗談で済まされない」
子供の目が据わっている。冗談で言っている感じではなかった。
「じゃあ、あれかな? ろりこんってやつかな?」
「どうしてそんな言葉を知っているんだ? 誰がお前に教えたんだ? メリアか? メリアだろ? ……あの野郎、子供に要らんこと吹き込んで」
ヤマトは顔を子供から背けながら、鼻を鳴らした。
「誘拐でもロリコンでもない。襲われているところ、保護しただけだ。……メリアはいないのか?」
「お母さんなら、キッチンにいるよ! 夜ご飯を作ってるんだ!」
「呼びに行ってくるよ!」。子供は元気よく、キッチンがあるであろう建物の奥へ向かって行く。
子供がいなくなったところで、アレキサンドラは久し振りに自分からヤマトに声を掛けた。
「お子さんですか?」
「俺の子じゃない。死んだ妻の妹の子。つまり、俺からしたら甥だ」
アレキサンドラは、ヤマトと子供の一連の会話を思い出す。……確かに子供は、ただの一度もヤマトを「お父さん」とは呼んでいなかった。
「名前はビロッド。あいつの父親はバロッサに劣らないくらいのろくでなしでな。母親であるメリアと二人、路頭に迷っているところを保護した」
「俺もメリアも、互いにパートナーをなくしたばかりだったから、すぐに打ち解けたよ」。ヤマトは笑いながら言った。
「そういえば、まだお前の名前を聞いていなかったな」
立場は逆とはいえ、何だかデジャヴだなと、アレキサンドラは思った。
「私はアレキサンドラ・ベル・エメラルドと言います」
「アレキサンドラ・ベル……長いな」
「長くても、それが名前ですので……」
「用がある度にアレキサンドラと呼ぶのは面倒だから、『アレク』と略しても良いか?」
愛称……言い換えれば、あだ名。それはある程度仲良くなった者との間にしか生まれぬ代物。
アレキサンドラはずっと『アレキサンドラ』だったので、『アレク』という略称がとても新鮮に覚え、嬉しくなった。
「アレク! 是非!」
少しして、建物の奥からビロッドに手を引かれて、母親と思しき人物が現れる。
短い白髪をした、綺麗な女の人だった。
「ちょっと、ビロッド! そんなに引っ張らないで頂戴! ……あっ、お義兄さん。お帰りなさい」
「ただいま」
ヤマトもメリアに挨拶を返した。
「えーと、そちらにいるのは……?」
「ビロッドから既に聞いているかもしれないが、彼女はアレク。襲われているところを偶然目撃して、助けたんだ。暫くウチに置こうと思うんだが、構わないか?」
「正しくはアレキサンドラですけど。よろしくお願いします!」
アレキサンドラは、深々と頭を下げる。
「それは構いませんけど……アレキサンドラさん。本当にウチで良いの? もっとお洒落な宿屋とか、あったんじゃないの?」
「そんな、とんでもない! 実は私、今一文無しの状態なもので……泊めてくれるだけでも、かなりありがたいんです」
「それに……」と、アレキサンドラはセリフを続けようとしたが、そこで止めた。
「バロッサと違い、ヤマトは信用できる」だなんて、とてもじゃないが恥ずかしくて言えなかったのだ。
メリアもそれ以降、別段言及することはなく。
「そう。それならせめて、自分の家のように過ごしてね。私たちに遠慮なんて必要ないから」
「……はい。ありがとうございます」
人の優しさとは、これ程までに温かいものだったのか。アレキサンドラはそのことを、再確認した。
「夕食はまだでしょ? たまたまスープを作り過ぎちゃったものだから、丁度良かったわ。食べるわよね?」
「ご相伴に預かります」
「任せといて。……って、コラ、ビロッド! そんなに強く手を引っ張らないで! 大人しく向こうで遊んでいなさい!」
母親に叱責されたビロッドは、「はーい」と口を尖らせながら隣接する部屋に移動した。
「元気の良いお子さんですね」
「良すぎて困りものではあるけどね。……それより、お義兄さん」
メリアはヤマトに顔を向ける。
「今日はどちらへ行かれたんです? 珍しく帰ってくるのが早かったですけど」
「無職をバカにするな。遊び歩かなければ……って、それはもういいや」
「酒場だ」。頭を掻きながら、ヤマトは答える。
「カウンター席で一人酒を飲んでいたら、アレクが酔っ払い共に絡まれていて。そこを俺が助けた」
「え?」
息をするように嘘をつくヤマトに、アレキサンドラは思わず声を上げてしまった。
行っていたのは酒場なんかよりもっと危険な、暗黒の森。襲われたのは酔っ払いなんかよりずっと凶暴なケルベロス。
恩人の沽券の為、アレキサンドラが真実を口に出そうとすると――キッと、ヤマトから睨み付けられた。
彼は暗にこう言っているのだ。「余計なことは言うな」、と。
「……」
その鋭い眼光に、アレキサンドラは口を噤んでしまった。そして真実は闇の中へ。
何も知らないメリアは、ヤマトをただのダメ人間だと勘違いし、糾弾する。
「昼間から酒場に入り浸り、今の今まで飲んだくれですか? まったく、今のお義兄さんの姿を見たら、姉様が泣きますよ?」
「死体が泣くかよ。それよりメリア。アレクの手当てをしたら、風呂に入れてやってくれ。あと彼女用に、一部屋用意を」
「はいはい、わかっていますよ」
「俺は夕食まで寝てくる」。そう言って、ヤマトは自室にこもってしまった。
「……」
アレキサンドラには、理解出来なかった。
なぜヤマトは酒場にいたなんて、嘘をつくのだろうか?
アレキサンドラを助けたのも、孤児院にケルベロスの牙を寄付したのも、褒められるべき所行だ。
恥ずかしくて黙っているのならまだしも、こうも自分を卑下にする必要などないはずだ。
ヤマトの部屋から施錠の音がすると、メリアは呆れたように溜め息を吐いた。
「お義兄さんは、本当に素直じゃないんだから。今日日、ビロッドでもここまで嘘はつかないわよ」
その口振りはまるで、ヤマトの嘘を見抜いているようだった。
「もしかしてメリアさん……ヤマトさんの嘘に気が付いているんですか?」
「まぁ。お義兄さんのあの手の虚言は、毎日のことだから。夜遅くに帰ってきては、「女の子ばかりの店で飲み食いをしていた」。怪我をして帰ってきては、「チンピラに因縁付けられてから喧嘩した」。有り金をゼロにして帰ってきた時なんて、「博打に負けた」、よ。……どれもこれも嘘ばっかり」
実際は夜遅くまで修行していたり、周辺に生息する獰猛な大型モンスターと戦って怪我をしたり、今日の飯にもありつけない人たちに持っているお金を全て渡していたのだが、ヤマトは頑なにそのことを語ろうとしなかった。
「今も寝てくるなんて言っていたけど、部屋でトレーニングでもしているわよ。あの人は、そういう人なの」
世界で二番目に彼をよく知るであろうメリアは、そう言う。
「あの……ヤマトさんは、どうしてそんな嘘を……?」
「それはね、敗北者だからよ」
敗北者。暗黒の森でもヤマトは、自身をそう呼称していた。
「お義兄さん敗北者だから、表舞台では戦うことをやめたの。目立つことはやめたの。でも……内心ではある野望を抱いていて。その為に周りを欺いてまで、こっそり修行をしているの」
「その野望とは……?」
「ある人との約束、としか言えないわね。これはお義兄さんのことだから」
ある人とは、二年前に死んだという妻のことなのだろう。
確証はないが、アレキサンドラはそう思った。
「お姉ちゃーん!」
隣の部屋で遊んでいるはずのビロッドが、いつの間にかアレキサンドラの近くに来ていた。
「お姉ちゃんって、私のことですか?」
「うん! だってお母さんは、もうお姉ちゃんっていう年じゃ……痛い!」
母親の年齢のことに触れたビロッドは、その逆鱗にも触れ、後頭部に拳骨を食らうこととなった。
「そっ、それで! 私に何の用ですか!?」
ビロッドが泣いたり拗ねたりしないように、アレキサンドラは彼と目線を合わせ、話の続きを求めた。
ビロッドは叩かれた頭を押さえながら、
「お姉ちゃん、お客様なんでしょ? 暫くウチで暮らすんでしょ? だから、僕の宝物を見せてあげようと思って」
握る右手の中に隠していた宝物を、アレキサンドラに見せるビロッド。
その直前、何かを察したメリアが「待って!」と叫んだのだが、既に遅かった。
「おじさんに貰ったんだ! 綺麗でしょう?」
「これは――」
ビロッドがアレキサンドラに見せた、宝物。それは――
プラチナに輝く、ナイトの駒だった。
(そういえば、受付のお姉さんは『白銀の女騎士』には二人のプラチナランクがいるって言っていた)
あの時は気にも留めなかったが、バロッサ以外にも彼同等の人間がいるはずだった。
バッと、アレキサンドラはメリアの方を見る。
メリアはしまったという顔をしながら、額に手を摘まんでいた。
「メリアさん。どうしてこの駒が、ここに? どうしてこの駒を、ヤマトさんが?」
メリアは両手を上げる。降参という意味だ。
「……全てを話すしかないようね」
「立ち話もなんだし、こっちへ」。メリアはアレキサンドラをキッチンへ案内する。
調理途中の雰囲気を全面に出しているキッチン。しかしメリアはその全てを放っておいて、新しく紅茶を淹れた。
アレキサンドラをダイニングテーブルに座らせ、そして彼女自身もアレキサンドラに対面するように腰掛ける。
ビロッドもアレキサンドラの横に座っているが、状況を理解していないようだった。
「さて、何から話そうかしら」
メリアは紅茶を一口啜る。
「そうね。やっぱり最初は――とある男女の恋の物語かしら……」